心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

秋の大阪散策

2011-11-26 23:46:34 | Weblog
 週末の気だるさを感じながら、帰りの新幹線「のぞみ」の中から流れる景色を眺めていて気づいたのですが、いつの間にか山陽道の山々も色づいて華やかささえ感じる、そんな季節になりました。広島兼務となって8カ月、初めの頃は山肌が淡い土色で覆われていました。そのうち、モクレンの花が咲き、芽立ちの季節を迎え、ヤマツツジが彩りを添える。若葉が青葉に変わり、大きな葉っぱが全身で陽の光を浴びる季節を迎えると、心なしか疲れた表情をみせながら少しずつ秋がやってくるのを感じていました。そんな山々が、いま、最後の力を振り絞って赤や黄色のお化粧をして、過ぎし日を惜しむかのような表情をみせています。
 さて、明日の日曜日、ここ大阪は天下分け目の大決戦、そう大阪府知事、大阪市長選挙があります。残念ながら私は、所用のために投票に行く時間がないので、週の初めに生まれて初めて期日前投票なるものをいたしました。帰宅途中に電車を降りて、市役所におじゃますると、何人かの先客がいて、今回の選挙の盛り上がりを感じました。さあて、どうなることやら。結果は明日の夜に判明します。

 先週の日曜日はと言えば、ブログの更新を終えて朝刊を眺めていたら、大阪城ホールで全日本中学校・高等学校のバンドフェスティバルが開催中であることを知りました。特段に予定があるわけでもなかったので、座席さえ選ばなければ当日券で入れるだろうと、家内を連れて出かけることにしました。ところが、京橋駅を降りて大阪城公園にむかって歩いていくと、やけに人が多く、橋の袂にはたくさんの行列ができていました。最後部でプラカードを持っている方に尋ねました。「当日券を求める列ですか?」「いえ、当日券は、もう完売しました」「ええ?」。驚きです。こんなに大勢の方々の注目を集めているフェスティバルだとは思いませんでした。


 諦めて、秋の大阪城公園をお散歩することにしました。歩き出したとき、遠くからブラスの音が聞こえてきます。行ってみよう。午後2時から始まる高校の部の出場チームが、姿勢をただしキビキビとした動きで練習をしていました。演奏もうまい。横にいた生徒に「君たち、どこの高校?」と尋ねると「淀工です」と。全国吹奏楽コンクールで常に金賞を獲得している名門校です。「ああ、そうなんだ。淀川工科高校なんだ。頑張ってね」と、ついついエールを送ってしまいました。後で当日のプログラムをみると、同校は高校の部のトップバッターでした。そして、もちろん、翌日の新聞には金賞の文字が輝いていました。
 別の場所では、もう1チームが練習をしていました。ブラスだけでなく旗の演技も練習していました。大分県の平松学園大分東明高校でした。大分と言えば、先日訪ねたばかりですが、翌日の記事では銀賞に輝いていました。大阪と大分と、なにかのご縁でしょうか。来年は指定席のチケットを早めに購入しておくことにしました。


 そんな行き当たりばったりの珍道中は、私たち夫婦お得意の行動です。まだ陽は高く、これで帰るのは勿体ないと、大川を周遊する水上バス「アクアライナー」に乗って、紅葉の中之島界隈を眺めてみることにしました。家内は何度か乗っているようですが、私は初めてです。以前、このブログに堂島川から望む中央公会堂の写真をご紹介しましたが、今回は、土佐堀川の川面から見た公会堂界隈の風景写真を添えてみました。大阪城港から淀屋橋港まで20分ほど、乗船料は850円でした。

 この日の珍道中は、まだまだ続きます。せっかく淀屋橋まで来たんだから梅田に行ってみよう、というわけで、今度は新装なった大阪駅ビルをめざして歩きました。伊勢丹など真新しい店舗が並び人通りが絶えない駅界隈を、大阪人でありながら観光客の気分でうろうろしました。人が多すぎて、最上階の公園やら農園で、ひと休みしました。やはり、寄る年波には勝てないものです。その後、駅前のヨドバシカメラをうろうろ、さすがに疲れました。ちなみに掲載した写真は大阪駅北側の、通称北ヤード、1期目の開発に続いて2期目の街づくりが協議されているところです。
 
 今回の選挙の争点は「大阪都構想」ですが、改めて大阪の街を歩いてみると、大阪って動きがあっておもしろい街です。選挙もそう。都心部の喧騒だって慣れてしまうと逆に親しみを覚える。帰途に立ち寄った居酒屋も活気に満ち溢れている。

 半年前にご招待をいただいた区民合唱団のコンサートで聴いた混成合唱組曲「おおさか風土記」の第一楽章「ほんまにほんま」の出だしは、こうでした。
 大阪に生まれて 大阪で育って 好きなんは 大阪ことば なんでて それは わたしのことばです。ゆったりと まるいひびき きめこまやかな 言い回し 思いやりと温もりが伝わることば
・・・・・・・。
ほんまにほんま ぬくいことばです 大阪ことばの ええとこは 本音がさらりと言えますねん きついこともやらこうに 角立てんと言えますねん ・・・・・・。

いずれにしても、理屈抜きで、もっともっと大阪に元気になってもらわんとあきまへん。
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ようこそ「アンリオ夫人」

2011-11-20 09:44:10 | Weblog
 京都市美術館で開催中の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が、あと1週間ほどでその幕を閉じます。私が出かけたのは10月の半ばでしたが、その際、珊瑚婚記念にと購入したルノワールの複製画「アンリオ夫人」が、先週届きました。ようこそお越しくださいました。さっそく居間に飾りました。
 19世紀の後半、ブルジョア女性たちがオートクチュールを身につけて、パリの社交界に出入りしていた頃、ルノワールはそうした人々の姿を描きました。年若い舞台女優アンリエット・アンリオ(1857~1944年)を描いた作品「アンリオ夫人」(1876年)も、そのひとつです。時代背景としてはオペラ「椿姫」ともだぶり、ヴィオレッタを彷彿とさせるものがあると考えるのは、私だけでしょうか。

 ところで、暇を見つけては読み進んでいる「デオダ・ド・セヴラック」によれば、作曲家セヴラックの父ジルベールは、画家で、モネとはお互いに肖像画を描き合うほどの仲だったようです。当然に当時の印象派画家との接点が見えてきます。シスレー、モネ、ルノワール.......。セヴラック自身も多くの画家との交流があったようですから、舘野泉さんを契機に当時の時代風景が鮮やかに浮かび上がってきます。
 「デオダ・ド・セヴラック」に加えて最近、島田紀夫著「セーヌで生まれた印象派の名画」も眺めています。それに本業関連のものも含めて同時に5冊の本を、その時々の心の在り様にまかせて読み耽っていますが、こんな妙な生活習慣が意外な繋がりに気づかせてくれる。読書にはそんな楽しみがあります。
 
 話は変わりますが、先週の初め、秋田に行ってきました。日の出前の早朝5時半に家を出て、伊丹空港を午前7時30分に飛び立ち、紅葉に彩られた北国の山々が見える秋田空港に到着したのは10時前でした。その日の仕事を終えて、夕刻、陽の落ちた道を市内のホテルに向かう頃には小雪がちらほら見えました。

 翌日は、大阪に戻って夕刻の会議に出席しなければなりません。でも、せっかく秋田まで来たのだからと、出発時間までの間、晩秋の秋田の街を歩きました。遠出をするわけにもいかず、ホテルの方に紹介していただいた千秋公園に向かいました。秋田ニ十万石佐竹氏の居城であった久保田城跡です。姫路城と同時期の1603年の築城ですが、天守閣と石垣のないお城で、明治期に本丸が全焼したあと公園として市民に開放されているのだそうです。

 御物頭御番所を横目に表門をくぐると、広々とした本丸です。美しい紅葉を愛でながら、佐竹義堯公銅像を拝し、久保田城御隅櫓に登りました。

 市内を眺望すると、日本海側に牡鹿半島、遠くに鳥海山や太平山を望むことができます。古地図をみて、以前訪ねた角館が比較的近い位置にあることも判りました。山を越えた向こうには、大震災で今もご苦労が絶えない地域が広がります。盛岡は、長男君が震災復興対応で時々出張しているところ。柳田國男が著した遠野物語の舞台も、そう遠くはありません.......。

 リムジンバスに乗りながら、そんなことをぼんやりと考えていると、秋田空港到着です。ロビーでナマハゲのお面に見送られて、伊丹空港に到着、そのまま電車に飛び乗って職場に向かう。時間軸も空間軸もバラバラになって、なにやら不思議な感覚でしたが、平常心をもってオフィスに戻りました。これも、年季の入ったサラリーマンの特技なのかもしれません。
 
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舘野泉さんのCD「ひまわりの海」

2011-11-13 09:46:04 | Weblog
 11月、神無月。広辞苑には、八百万の神々が、この月に出雲大社に集まり他の国にいないゆえと考えられて来た陰暦10月の異称、とあります。そうなんだ。神様はいま、出雲にお集まりなんですね。だから天の悪戯なのか、あたりが急に明るくなったり暗くなったり、雲の間から太陽がこっそり地表を覗いていらっしゃる。そんな秋の日曜日を迎えました........。

 本来ならきょうは、熱帯魚の水槽の大掃除をする予定でしたが、10時過ぎには出かけなければなりません。そんなわけで、きのう帰宅途中ホームセンターに立ち寄って熱帯魚の餌と水草を求め、その日のうちに水槽の大掃除を済ませました。限定された水環境のなかでは魚たちも息苦しいでしょうから、2カ月に1回の水槽底の大掃除は欠かせません。でも、玄関口の棚の上にある大きな水槽を下ろすのは簡単ではありません。水を抜いても相当な重量です。以前、勢いあまってぎっくり腰になったこともあります。恐る恐るへっぴり腰で作業を進め、なんとか新調した水草もセットし直しました。お魚さんも気持ち良く水槽の中を泳ぎまわっています。
 そんな悪戦苦闘ぶりを微笑みながら眺めていたのは、1週間前に開花したカトレア(Love Silence Thriling)でした。11月に入って、数鉢の洋ランを室内に移動しました。きょうは残りの洋ランを室内に移動しようかと思っていたのに、予定が狂ってしまいました。来週までお預けです。あんまり寒くなりませんように。
 
 ところで、金曜日の夜、広島から帰宅すると、注文していたCD「ひまわりの海~セヴラック:ピアノ作品集」が届いていました。舘野泉さんが脳梗塞で倒れる半年前の2001年6月にフィンランドで録音した作品です。舘野泉演奏生活40周年記念盤とあります。希少盤なのかamazonでは20日前後かかると言っていましたが、比較的早く届きました。
 「左手のコンチェルト」の中で舘野さんは、「僕の夢の実現は、2001年6月のことです。思えば、1955年の6月に、書店に注文していたセヴラックの組曲”ラングドック地方にて”の楽譜を手にしてから45年がたっていました。実は、それが僕が(両手で)弾いた最後の録音になりました」と語っています。著書「ひまわりの海」は満開のひまわり畑、CD「ひまわりの海」は首を垂れるひまわり畑が、表紙を飾っています。いずれも舘野さんの撮影で、南仏ラングドックの風景写真です。
 昨夜は、家内が東京に出かけている気軽さもあって、ウイスキーを片手に夜遅くまでセヴラックのピアノ曲を聴いていました。そして、「デオダ・ド・セヴラック」を読みながら、行ったこともない南仏のひまわり畑に身を委ね静かに深い眠りにつきました。ここ数週間、まだまだ引きずって歩いている舘野さんの世界です。

 さて、明日は広島日帰り、明後日は5時起きで遠く秋田まで足を伸ばします。11月半ばにもなると、1年の締めくくりとばかりに気忙しくなりますが、それに反抗するかのように頭を擡げる心の欲求、なんと楽しいことでしょう。こんな楽しさを満喫できるのは幸せというべきなんでしょうね。きっと。
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詩を感じる秋

2011-11-06 09:25:53 | Weblog
 11月6日、日曜日、曇り。きょうは久しぶりに4歳になったばかりの孫君がやってきます。今週末に家内と長女と孫君の3人が東京にでかける予定で、その打合せのようです。横浜の社員寮で暮らしていた次男君が、入社5年を経過するので寮を出ることになり、先日引っ越しをしたばかり。なので、新居の様子を見に行くというのが大義名分です。でも、少し足を伸ばして長男宅にもおじゃまするのだとか。来春第2子を出産予定の長女にしてみれば、今でなければ当分遠出ができないという思いがあるのかもしれません。まあ、羽根を伸ばしてくればいい。

 ところで、きのうの土曜日、堂島川から中之島界隈を振り返ると、大阪のシンボルの建物群が小雨まじりの中にひっそりと佇んで見えました。さっそく鞄の中からデジカメを取り出してパチリ。写真左が中央公会堂、そのお隣が今話題の大阪市役所、そして右側のビルの向こうに高く聳える工事中の建物が、いま急ピッチで建築が進む大阪フェスティバルホールです。この中之島一帯は、私が大好きな場所でもあります。暦の上では8日が立冬、大阪もこれから徐々に寒い季節を迎えます。
 所用を済ませると、遠回りをして堂島地下のWALTYさんを覗いて帰りました。手にしたのは「北の調べ~フィンランド・ピアノ名曲集」、演奏は舘野泉さんです。脳梗塞になる前の1991年の録音でした。「解説を読まれる前に、作曲家や作品にとらわれることなく、スピーカーから流れる音楽にただ耳を傾けてみてください」とあります。長椅子に横たわって、そう、何も考えずに、目を閉じて.........。ここ2週間にわたって土日が潰れて、少しお疲れが溜まっていたようです。静かにお眠りの世界に迷い込んでしまいました。いや、それほどに素敵な演奏でした。このCDは、シベリウス、メリカント、メラルティン、パルムグレン、クーラ、カスキ、マデトヤ、ハンニカイネン、リンコといったフィンランドの作曲家のピアノ小品集です。ある本に、舘野さんを「ピアノの詩人」と形容する表現がありましたが、このCDを聴いていると、なんとなく判るような気がします。
 先日、チケットぴあで舘野さんのコンサート情報を見つけました。長男のヤンネ舘野さん(vl)、愛弟子の平原あゆみさん(p)らとの共演で、大阪は年明けの2月です。さっそく申し込みました。席は前列の2列目、楽しみです。

 そうそう、話は変わりますが、先週出張明けの3日、急に家内のお供で京都府南丹市美山に出かけることになりました。いつも一人にさせているので、殊勝にも最近はできるだけご提案には沿うようにしていますが、京丹後の野山を幾度となく通り過ぎたところにあった「かやぶきの里」(重要伝統的建造物保存地区)は、私の心を十分に癒してくれました。こんな素晴らしい風景のなかで、陶器や染め物などに精を出している方がいらっしゃる。赤く実った柿、畔に咲く草花、真っ黄色に染まった木の葉、収穫の終わったあとの田圃、かやぶきの中の温かい生活空間、....。ゆっくりと村の中を散策させていただきました。
 
 時代の流れとは言え、アスファルトの上しか歩くことのない今の子供たちは、ほんとうに可哀そうです。堅く乾いた地面、砂埃、雨に濡れた地面、雨で泥々になってしまった道、そこに人の足跡が残る道、地面はその時々の状況に応じていろいろな表情を見せます。いくらデジタル映像で見ることができたとしても、自分の足の裏で実感、体感しなければ、地面を本当に理解することはできない。
 不易流行。大切にしたいものと、時の流れによって自ら変化していかなければならないもの。その見定めが難しい、そんな時代になってきたのかもしれません。それを判断する「ひと」の在り様が問われています。
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