心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

北原玲子さんと宮城まり子さんを繋ぐもの

2020-03-28 21:06:55 | Weblog

 今朝は、小雨降る中を珍しく傘をさしてお不動さんにお参りでした。いやあ、家の中に閉じ籠っていると気分が滅入ってしまいますから、ある意味気分転換でもありました。本堂にお参りすると、ちょうど朝の御勤めが終わった頃でした。コロナウィルス禍をなんとかしてほしいという願いなんでしょうか。いつもよりお参りの方が多いように感じました。
 とはいえ、何やかやとしていたらこんな時間になってしまいました。土曜日。そう、きょうはブログを更新する日でした。さあて、今日のテーマは何にしよう。ぼんやり考えていると、壁に置いていたウィルヘルム・ハマスホイのポストカードが視界に入ってきました。1カ月ほど前、東京都美術館の絵画展で初めてお目にかかった作品でした。「時間がふりつもった空間」。パネルに書かれていた言葉のひとつです。
 ところで、先日、肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」園長で女優や歌手としてもご活躍された宮城まり子さんがお亡くなりになりました。その日の読売新聞夕刊には1ページを割いて宮城さんの追悼記事が掲載されていました。
 なぜ私が宮城さんの訃報に心が揺れ動いたのか....。遠い遠い昔、小学校の頃だったと思いますが、映画鑑賞会のときに宮城さんの映画を見た、ぼんやりとした記憶がありました。蟻のなんとか.....。その映画と宮城さんが私の心の中で繋がっていました。
 ところが、ネットでいくら探しても宮城さんと蟻に関する映画が見当たりません。いろいろ探しているうちに「蟻の街のマリア」というタイトルの映画に出会いました。他方、キリスト教の教義に基づき底辺生活者や子供たちとともに「蟻の街」で生活し20代後半の若さで亡くなった社会奉仕家・北原怜子さんという方が「蟻の町のマリア」と呼ばれたという記事にも出会いました。つまり、映画「蟻の街のマリア」は、北原怜子さんを主人公とする映画だったのです。(写真はウィキペディアから)
 では、なぜ、それがいつの間にか宮城まり子さんに繋がったのか。判然としません。しかし、少なくともお二人の社会奉仕家としての精神が、私の幼い心の中でお二人を結びつけ心の奥底に温めていたのかもしれません。
 私自身はそういう高邁な心と行動を持ち合わせてはいませんが、多くのエッセイを読ませていただいている須賀敦子さんも、人の生き仕方としては同じです。70年近く生きてきて、高邁な精神性は心の片隅にきちんと据えておかなければと思ったものでした。

 そうそう。前回に掲載するつもりたっだ水彩画教室の作品展の写真を上げておきます。私の作品は「あけび」、昨秋の東北旅行で持って帰ったアケビでした。おとなり方はお孫さんの作品を出品されました。いつも私と同じ机の向かいにお座りの方ですが、なんと私と姓が一緒。会場で仲間から「君の奥さん?」とこっそり尋ねられましたが、まったく違います(笑)。
 いつの間にかあと3日で4月になります。早いものです。でも、コロナで内向きになりがちな日々を春の訪れとともに変えていきたいと思いますが、油断は禁物。もうしばらくおとなしくしておきましょう。

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古き良き時代に思いを寄せる人々

2020-03-21 17:00:01 | Weblog

 コロナに振り回される昨今ですが、本屋さんでは今、カミュの「ペスト」の売れ行きが好調で新潮社は増刷中だとか。目に見えない恐怖に人々の心が14世紀に起こったペストによるパンデミックから何かを学ぼうとしているのでしょうか。当時、全世界で1億人が亡くなったと言われています。....時流に簡単に乗ってしまう私です。4月から始まるフランス文学講座を前に、ひと足早く「ペスト」を読み始めています。普通電車を選んで座席に座ってページをめくる。そんな日々が続きます。
 今週は2回ほど事務所に行きました。他に水彩画教室で梅田界隈にも足を運びましたが、あとは部屋に籠って何やかやと「在宅勤務」でした。でも、最近ふと思います。いつまでもこんな生活をしていてよいのだろうかと。週のうちの数日ぐらい、庭の花を愛でながら何も考えずぼんやりと過ごす時間があっても良くはないか。現役時代には到底及ばないまでも毎日スケジュールを確認しながらの生活。なにか変です。
 考えてみると1冊の本をじっくり読み、味わい、熟考する時間なんて最近ありません。音楽も漫然とBGM代わりに聴くだけかも。自分の立ち位置、心の余裕がなくなっています。
 月に1、2回、出雲の姉から電話があります。認知症を患っていますから、いつも話しを聞きながら病状の進み具合を考えます。どうしても話題は古き良き時代のことが多くなってきます。そして同じことを何度も何度も....。でも、姉は楽しそうに話してくれます。生け花の先生をしていた姉。いろんなところで個展を開いたり、海外にまで出かけて指導したり。そんな個性的な姉も80も半ばを過ぎ、主人に先立たれ、話し相手が少なくなっているのでしょう。
 そんな姉の話を聞きながら、私まで古き良き時代の風景の中に入り込むことがあります。そろそろ桜の季節です。寒々しい山肌が、淡い土色に変わり、柔らかな薄緑に変わり、コブシの花が咲き、若葉が芽吹き、ツツジが咲き誇る.....。山間の盆地にある小さな田舎町から大いなる世界に羽ばたこうと、小高い丘の上で友人たちと語り合った日々、母たちと楽しく過ごした日々。もう半世紀以上も前のことです。
 その後、母が亡くなり、73歳でリタイアしたあと田舎に帰った父も亡くなりました。2人とも癌でした。長い闘病生活でした。...先日、癌の治癒率が高まっているという新聞記事を目にしました。でも、私はそうは思えない。しぶとい癌細胞は一部でより強くなっています。
 数年前に亡くなった義理の兄(出雲の姉の主人)は、癌と判明して4カ月で亡くなりました。そして今、私の義理の妹(家内の実妹)が今年1月に体調を崩したかと思ったら、なんと余命幾ばくもない状態です。きょう家内とお見舞いに行きました。死期を悟った義妹は姉に古き良き時代のお話しをたくさんしてくれました。
 きのう近所のお不動さんにいくと、お彼岸の法要がありました。「お初参り」のご家族が数組いました。境内は、かの地に行った方を弔う場であったり、無病息災を祈る場であったり、はたまた商売繁盛を願う場であったり、様々です。人の世の様々な願いを適えてくれる場、それがお寺であり、教会なんでしょう。
 人の世のなんと儚いことか。にも拘わらず悪事を働く者がいる。品薄のマスクでひと儲けしようと企む輩がいます。人の心が荒んでいます。明るい春の日差しを全身に浴びて、心晴れやなか世界に思いを馳せる今日この頃です。

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心まで内向きに......。

2020-03-14 14:43:34 | Weblog

 きょうは朝から雨。鬱陶しい一日になるのでしょうか。このところコロナウイルスが私たちの心を内向きにしています。きのうは温かい晴れの一日だったのに、街の様子はなんとも活気がありません。春も間近だというのに。
 在宅勤務をひと休みして、久しぶりにアンジェラ・ゲオルギューの「ゲオルギュー・ベル・カント オペラ・アリア集」を聴いています....。「ノルマ」「ウィリアム・テル」「清教徒」「夢遊病の女」「セビリアの理髪師」「コリントの包囲」「アンナ・ボレーナ」「ランメルムーアのルチア」。ゲオルギューの心地よいアリアが部屋中に響きわたります。
 中国・武漢から始まった新型コロナウイルス、あっという間に全世界に広がろうとしています。現役の頃、リスク・マネジメント研修のなかで「パンデミック」がテーマになったことがあります。空想映画を見ているようで半信半疑だったことを覚えています。が、それが現実のものになりました。
 人の動きが止まり、経済も減速。先行き不透明感が拭えません。そうはいっても、社会は動いています。電車に乗っても、街中を歩いていても、人の往来があり、お店も開いています。不安を抱えながら社会は普段通りを装って動いています。でも、名古屋に単身赴任中の長男君の話では、きのう仕事を終えて東京に戻る新幹線、ガラガラだったとか。やはり不要不急のお出かけはしないということなんでしょう。
 何かがいつもとは違います。人の心の在り様が違うような気がします。春の陽気とは裏腹に内向きになってはいないか。言葉のひとつひとつに力が感じられません。こんなご時世ですから、心だけでも明るさを保ちたい。前向きに物事を考えたい。そんなことを自分に言い聞かせています。
 在宅勤務が数日続くと、仕事は捗りますが気分は滅入ってしまいます。そんなわけで、昨日は特段の用事があったわけではありませんが、気分転換に事務所に顔を出しました。行けば行ったで用事はあります。半日だけせっせと働きました(笑)。そして帰ったあと、心の中だけでも前向きになっていただこうと、休講中の受講生の皆さんに近況報告と4月以降のご案内をメールでお送りしました。

 そうそう、半年前に予約して心待ちにしていた北欧への海外旅行、今回はキャンセルすることにしました。ソグネフィヨルドクルーズやバルト海クルーズも魅力のひとつでしたが、沈静化するまでには数カ月かかるでしょうから、状況が落ち着いてから出かけることにしました。当分は、桜の花でも愛でながら、ゲオルギューのアリアを聴いて彼の地を夢見ることにいたします。

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私も「在宅勤務」

2020-03-07 10:32:49 | Weblog

 3月に入り、日に日に春らしくなってきました。生垣に這わせているアケビの蔓の先には柔らかな花芽が見えます。花壇では花も咲き始めています。そんな土曜の朝は、久しぶりにお散歩に行ってきました。およそ3キロの道のりですが、清々しい朝の陽を浴びて、このところ萎えていた心が少し穏やかになった感じがします。
 お不動さんにある香炉に鎮座する鬼さんも、コロナウイルスと戦っているご様子でした(笑)。今週は、講座は休講でしたが、年度末を迎えて何やかやと野暮用があります。何日かは事務所に顔を出したほかは、自宅で「在宅勤務」です。ちょうど今、4月公開をめざして新しいホームページを制作中のため、雑用に煩わされずに作業が進んでいます。
 在宅勤務といえば、横浜にいる次男君、今週から2週間ほど在宅勤務のようです。システムエンジニアさんですから、自宅でも仕事ができるのでしょう。でも生後4か月になろうかという孫娘もいて、じっくり落ち着いて仕事ができるかどうか。先日送られてきた写真をみると、もう首が座り、しっかりした表情になっていました。子の成長のなんと早いことか。
 近所にいる娘の家には、休校になって時間を持て余している小学生の孫2人がいます。こういう時は、やはりお祖母ちゃんが頼りです。娘の家にでかけて面倒をみていますが、先日、2人が我が家にやってきました。宿題をしたり、ゲームをしたり。近くの公園でサッカーをしたり.....。一日でどっと疲れが出てきました。どこのご家庭もお子さんお孫さんのお世話は大変なんだろうと思います。
 一方、毎週火曜日にある水彩画教室は休講ではありませんでしたので、出かけてきました。これまで静物画が多かったので、今回は風景画に挑戦です。テーマは「歩き遍路」。そう、第1回目の「歩き遍路」で藤井寺に向かう途中、一級河川・吉野川の、阿波市と吉野川市をまたぐ中州「善入寺島」に架かる川島橋を、写真を見ながら描きました。初秋の季節、通称「潜水橋」と呼ばれる橋の下、澄んだ水の流れの中にはたくさんの鮎が泳いでいました。まだ描き始めたばかりなので、自宅勤務の合間をみて、これから何度か手を加えながら仕上げていくことになります。これがうまく行けば、「歩き遍路」を題材に絵を描いていこうと思っています。マスクの入った箱と一緒にパチリ。
 3月下旬に出かけようと思っていた「歩き遍路」ですが、さすがにこの時期高速バスに乗るのも億劫なので、少し落ち着いてから企画を練ることにしました。

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