いくら時間の使い方が上手い私でも、1週間に一度は休息日をいただかないと、どこかに無理が生じてしまいます。そんなわけで、きょうは16日ぶりにお休みをいただきました。朝、グレン・グールドのバッハ「平均律クラヴィーア曲集」を聴きながら、長椅子に身を委ねて、ぼんやりと本を読んでいると、どこからともなくゴミ回収車の音が聞こえてきます。家をリフォーム中の真向かいのお家からは、大工さんの声が風に乗ってやってくる。人の出会い、小鳥の囀り・・・・。時々、シーンと静かになって一瞬何も聞こえない無音の世界がやってきて、ふと不安にさせたりもする。なんともゆったりとした時間を楽しんでものです。
先週、高松に向かう際に新大阪駅の書店で「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾×村上春樹著)を手にしました。「ベートヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって」に、グレン・グールドを見つけたからでした。
1962年、グールドがバーンスタインとブラームスのピアノ協奏曲第1番を協演した際、あまりにテンポの遅いグールドの演奏に、バーンスタインは聴衆に向かってこう言いました。「これは私が本来やりたいスタイルの演奏ではない」と。その話題から二人の対談は始まります。村上春樹さん所蔵のLPレコードを聴きながら、対談は進んでいきます。頁をめくりながら、LPレコードの演奏が聞こえてきそうな、そんな楽しさがこの本にはありました。
村上春樹。あまりにも著名なこの方を、私はどういうわけかこれまで避けてきました。ベストセラーという言葉がなぜか嫌いで、これまで村上春樹さんの本は一冊も読んだことがありません。でも、気になる存在ではありました。店頭で「小澤征爾さんと、音楽について話をする」をぱらぱらと眺めて、手にして、その奥深さに、そして何よりも私にとってはLPレコードというものを介して、村上さんを手許に手繰り寄せた、そんな出会いになってしまいました。
その後、店頭に平積みされた新潮文庫「1Q84」BOOK1を読み始めました。まだ1冊目の半ばですが、「青豆」と「天吾」というふたつのお話が、なにやら平均律のように交互に現れる不思議な小説で、ついついのめり込んでしまいます。
日常の世界でも、さまざまなストーリーが複雑に絡み合い、ついたりはなれたりしながら、私たちは日々を暮らしています。決して恋一筋でもなければ仕事一筋でもありません。人の生き様が森の中でアケビの蔓のように絡み合っている。そのなかで人は何を考え、どこに向かって生きようとしているのか。そんなことを、この本は考えさせてくれます。
先週の土曜日は、現地視察ということで瀬戸内海に浮かぶ小島を訪ねました。いくつかの橋を渡りながら車で1時間ほどで現地に到着です。愛媛みかんと漁業を生業としながらも、人口の半数以上がお年寄りの街ですが、ゆったりとした時間と生きる意味を皆でしっかり守っている、そんな素晴らしい小島でした。いま「ももへの手紙」というアニメーション映画が話題になっているようですが、この映画の舞台になっているのが、瀬戸内海の小島でした。
翌日の日曜日は、広島市内で催事がありました。大勢のお客様にお越しいただいて安堵しました。若い方々の努力の賜物です。この日私は合間を見て「ひろしま美術館」を訪ねました。週刊「西洋絵画の巨匠」で何度か紹介されていた美術館で、いちどは覗いてみたいと思っていました。
ゴッホの「ドービニーの庭」、ピカソの「酒場の2人の女」、マネの「灰色の羽根帽子婦人」、モネの「セーヌ川の朝」、ルノワールの「パリスの審判」ミレーの「刈り入れ」。その他、ロートレック、シスレー、マティス、シャガ―ルなどなど、知っているだけでもびっくりするほどの作品が、私を迎えてくれました。
円形の美術館に入ると、中央の丸いメインホールを囲むように4つの部屋があって、なんともゆったりとした雰囲気の中で絵画と向き合うことになります。それも、非常に近い距離で対面でき、写真撮影もフラッシュでない限り問題はなさそう。こんな距離感で絵を楽しんだのは初めてでした。
そして昨夜は、地元財界トップの方と非公式な懇談へ。仕事の話は一切なしで、多くを哲学について話し合えたのは私にとって嬉しいことでした。あまりの楽しさに、お仲間のご自宅で奥様に歓待された2次会にもおじゃまして、最終の新幹線に飛び乗って帰阪しました。
先週、高松に向かう際に新大阪駅の書店で「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾×村上春樹著)を手にしました。「ベートヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって」に、グレン・グールドを見つけたからでした。
1962年、グールドがバーンスタインとブラームスのピアノ協奏曲第1番を協演した際、あまりにテンポの遅いグールドの演奏に、バーンスタインは聴衆に向かってこう言いました。「これは私が本来やりたいスタイルの演奏ではない」と。その話題から二人の対談は始まります。村上春樹さん所蔵のLPレコードを聴きながら、対談は進んでいきます。頁をめくりながら、LPレコードの演奏が聞こえてきそうな、そんな楽しさがこの本にはありました。
村上春樹。あまりにも著名なこの方を、私はどういうわけかこれまで避けてきました。ベストセラーという言葉がなぜか嫌いで、これまで村上春樹さんの本は一冊も読んだことがありません。でも、気になる存在ではありました。店頭で「小澤征爾さんと、音楽について話をする」をぱらぱらと眺めて、手にして、その奥深さに、そして何よりも私にとってはLPレコードというものを介して、村上さんを手許に手繰り寄せた、そんな出会いになってしまいました。
その後、店頭に平積みされた新潮文庫「1Q84」BOOK1を読み始めました。まだ1冊目の半ばですが、「青豆」と「天吾」というふたつのお話が、なにやら平均律のように交互に現れる不思議な小説で、ついついのめり込んでしまいます。
日常の世界でも、さまざまなストーリーが複雑に絡み合い、ついたりはなれたりしながら、私たちは日々を暮らしています。決して恋一筋でもなければ仕事一筋でもありません。人の生き様が森の中でアケビの蔓のように絡み合っている。そのなかで人は何を考え、どこに向かって生きようとしているのか。そんなことを、この本は考えさせてくれます。
先週の土曜日は、現地視察ということで瀬戸内海に浮かぶ小島を訪ねました。いくつかの橋を渡りながら車で1時間ほどで現地に到着です。愛媛みかんと漁業を生業としながらも、人口の半数以上がお年寄りの街ですが、ゆったりとした時間と生きる意味を皆でしっかり守っている、そんな素晴らしい小島でした。いま「ももへの手紙」というアニメーション映画が話題になっているようですが、この映画の舞台になっているのが、瀬戸内海の小島でした。
翌日の日曜日は、広島市内で催事がありました。大勢のお客様にお越しいただいて安堵しました。若い方々の努力の賜物です。この日私は合間を見て「ひろしま美術館」を訪ねました。週刊「西洋絵画の巨匠」で何度か紹介されていた美術館で、いちどは覗いてみたいと思っていました。
ゴッホの「ドービニーの庭」、ピカソの「酒場の2人の女」、マネの「灰色の羽根帽子婦人」、モネの「セーヌ川の朝」、ルノワールの「パリスの審判」ミレーの「刈り入れ」。その他、ロートレック、シスレー、マティス、シャガ―ルなどなど、知っているだけでもびっくりするほどの作品が、私を迎えてくれました。
円形の美術館に入ると、中央の丸いメインホールを囲むように4つの部屋があって、なんともゆったりとした雰囲気の中で絵画と向き合うことになります。それも、非常に近い距離で対面でき、写真撮影もフラッシュでない限り問題はなさそう。こんな距離感で絵を楽しんだのは初めてでした。
そして昨夜は、地元財界トップの方と非公式な懇談へ。仕事の話は一切なしで、多くを哲学について話し合えたのは私にとって嬉しいことでした。あまりの楽しさに、お仲間のご自宅で奥様に歓待された2次会にもおじゃまして、最終の新幹線に飛び乗って帰阪しました。