心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

人口減少社会を思う

2015-10-31 23:20:00 | Weblog

 きょうは朝から忙しい土曜日でした。愛犬ゴンタ爺さんと朝のお散歩をすませると、お風呂場で身体を洗ってあげました。少し休憩して次に向かったのは歯科医さんでした。歯が痛むわけではないのですが、65歳の節目ということもあり、市役所の健康づくりの一環で歯の定期検診が促されています。市の補助も出るようなので、最寄駅近くの歯科医院にお邪魔しました。予想どおり、当分の間、通院することになりました。
 その足で午後からは大阪城界隈のホテルであった支社の周年記念行事に向かいました。400名ほどのこじんまりした規模ですが、それでも久しぶりにお会いする方々が多い。パーティーでは、私のかつての上司の姿もありました。聞けば、職を辞して8年、70も半ばを迎えたのだと。それでもお酒好きは相変わらずで、安心しました。
 ところで、先週の日曜日の昼下がり、庭掃除をしていると、きっきっと鳥の鳴き声がしたので見上げてみると、電線に見かけない鳥が止まっていました。さっそくカメラを持ち出してぱちり。画像をみても鳥の名前がわかりません。本棚から「野鳥観察図鑑」を取り出して、いろいろ調べてみますが、よくわからない。もういちど画像を確認すると、胸毛の模様と嘴の形に特徴があることがわかりました。もういちど確認します。どうやらモズのようです。「秋から冬は雌雄とも1羽ずつ縄張りをもち、木や電線上などの目立つところで尾を振りながら高鳴きをして縄張りを宣言する」のだとか。時々、庭のピラカンサのトゲに虫が刺さっていることがありますが、これもモズの仕業かもしれません。
 野鳥にこだわるわけでもありませんが、先日、淀川河畔を歩いているとき、カモの群れが目にとまりました。秋になると飛来する野鳥が増えてきます。なんとも長閑なものです。
 河畔で釣り糸を垂れる人がいます。本流では川上から仕事を終えた小舟が下っていきます。その昔、淀川が交通路であったことを思います。ここ大阪も、いよいよ秋深くなっていく今日この頃です。
 そうそう、先日次男くんから、お嫁さんのご両親とご一緒にお食事会にご招待をいただきました。ご主人は島根の出身、ご夫人は大阪生まれ。私たちと同じです。少し歳上の団塊の世代。大阪の小学校では1学年20クラスあったというから驚きです。それが今は数クラスに減っています。
  先日発表された厚生労働白書「人口減少社会を考える~希望の実現と安心して暮らせる社会を目指して~」によれば、①2060年には我が国の総人口は8,674万人に減少し、65歳以上人口割合は約40%になる②人口減少・少子高齢化は、経済、地域社会、社会保障・財政に影響を及ぼす③政府は「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」で人口減少に歯止めをかける、などとあります。
 では、どうやって増やすのか。子育て支援の充実、そうですね。子供手当、そうですね。でも、何か大きなことを見失っているような気がします。一方でお隣の中国では、30年以上国策としてきた「一人っ子政策」の廃止を決定したのだとか。これって何か変ですね。子の誕生を国策で縛るなんてとんでもないことです。 あろうことか、監視組織をつくり、二人目ができようものなら強制中絶を迫るほどの権力をもっているのだとか。これも賄賂が横行する温床なのでしょう。おかしいですね。愚痴を言っても仕方ありません。高齢者の仲間入りをした私に何ができるか。考えてみたいと思います。
 さあ、明日は「椿姫」をご鑑賞であります。

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「変わるもの」と「変わらないもの」

2015-10-24 23:40:46 | Weblog

 「日本の七十二候」を紐解くと、ここ数週間は「菊花開(きくばなひらく)」「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」「霜始降(しもはじめてふる)」 と移っていきます。なんとなく肌で感じる季節感を思わせます。そんな土曜休日の朝、畑を覗くと、野菜の苗に毛虫を発見しました。ブロッコリーの葉っぱにも大きなお腹をかかえた青虫がじっとしています。可哀想ですが、ほっておくと苗が跡形もなくなってしまいます。ピンセットで摘み出します。
 そのあと、ゴンタ爺さんと朝のお散歩に出かけました。お散歩の時以外は終日横たわっていることが多いのですが、お散歩だけはなんとなく元気です。でも、歩く速度はずいぶんゆっくりしています。いずれ私も同じ運命をたどるのでしょうが、なんとも哀れなものです。15年も一緒に暮らしたゴンタ爺さんです。犬や猫やという前に、家族の一員です。飼い主より先に介護の生活がやってくるのでしょう。あと1ヶ月もすれば16歳のお誕生日会です。
  さて、今週の半ばの夕刻、再び上洛しました。お目当ては、第6回ブータン文化講座です。数年前に、某経済団体主催の会合で、ブータンのお偉い方から国民総幸福度(GNH)についてお話を聞いて以後、ブータンが頭から離れません。今回のテーマは「輪廻のコスモロジーとブータンの新しい世代」でした。
 ヒマラヤ山脈の南麓にあって、九州とほぼ同じぐらいの国土におよそ70万人が暮らすブータン王国。中国とインドに挟まれる地政学的なポジションにありながら独自の文化を守ってきました。しかし、時代の流れと無縁ではいられません。明治維新にも似た状況にありながら、国民の多くが国王を慕い国を思う国民性があります。講師の西平先生は、そんなブータンの状況を、急激に変化しているものと、変化していないもの、という視点から見つめていらっしゃる。スクリーンに映し出されるブータンの若者たちの表情を追いながら、日本の古き良き時代を思ったものでした。
 帰路、暗くなった川端通りを歩きながら思いました。「変化しているもの」と「変化していないもの」。「変わっていくもの」と「変わらないもの」。電車のなかでカバンの中から柳田國男の「山の人生」を取り出して数ページ眺めながら、日本という社会における「変わっていくもの」と「変わらないもの」を考えました。このところ日本の歴史、文化、精神性に関心を寄せるのも、単なる郷愁ということではない、もうひとつの漠とした課題を引きずっているのかもしれません。
 ここ十数年来の読書遍歴のなかで、ひとつの象徴的な作品に「鶴見和子の世界」(藤原書店)があります。「水俣・アニミズム・エコロジー」「柳田國男と南方熊楠」「内発的発展論」.......。この本を手にした頃は、職場で大掛かりな制度改革を進めていた時期です。いつまでも右肩上がり、成長という物差しでものごとを考えていくことに対する、心の揺らぎかもしれません。「変えるべきもの」と「変えてはならないもの」という課題認識が見え隠れしています。 
 お堅い内容になってしまいました。ここらでフルトベングラーのLPでも聴いてみましょう。取り出したのは、「不滅の巨匠フルトベングラーの芸術シーズ」から「ワーグナー名演集」です。ワーグナーなんて聴くのは、ほんと久しぶりのことです。

 そうそう、来週の日曜日は39回目の結婚記念日です。これまで「絶対に無理」と言っていた家内を口説いてプラハ国立歌劇場のヴェルディ「椿姫」に出かけます。

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秋の古本祭りで柳田國男全集に遭遇

2015-10-17 22:08:36 | 古本フェア

 今週も、野暮用に振り回された一週間でした。そんな土曜休日の夜長、久しぶりに舘野泉さんの「風のしるし~左手のためのピアノ作品集」を、ずいぶんな音量で聴いています。その舘野さん、来月10日に79歳をお迎えになるのだそうです。
 ところで、秋もだいぶ深まってきましたが、十数年前に湖北の山小屋からもって帰ったアケビの苗木に、ことし初めて実がなりました。つい数週間前までみどり色をしていたのに、肌寒くなると急に大きくなって、アケビ独特の色づきになりました。次の日曜日には真ん中が割れて食べ頃だろうとおおいに期待をしていました。ところが、なんと、なんと。今朝覗いてみると、野鳥たちに食べられていました。残念!!先週カメラに収めていたのがせめてもの慰めです。
 そんな朝、部屋の掃除をしていたとき、本棚にあった岩波新書「フルトヴェングラー」(脇圭平・芦津丈夫著)に目がとまりました。いったん掃除機のスイッチを切って、恩師の著書を久しぶりに手にとってぱらぱらめくります。その第三章は、丸山真男、脇圭平、芦津丈夫の鼎談「フルトベングラーをめぐって~音楽・人間・精神の位相」です。その出だしで丸山真男は「音と言葉以上に音楽には音の言葉がある」と言い、「音楽は時間芸術であって、時間とともに展開しながら音楽が音楽の語法で語り続けるという点がほかの芸術と違う」と。さらに「およそ音楽家の思想を言葉で表現することに内在するディレンマがある」とも。
 妙な余韻を引きずっていましたが、この時間になって思い出したのが、小林秀雄の「美を求める心」です。小林は「絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい」。しかし「見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです」と言います。なかなか難しい議論ですが、今はただただ聴くのみ。その先に、なにかが閃くのだろうと思っています。
 本と言えば、先日の3連休の最終日、四天王寺秋の大古本祭りに行ってきました。今回は、なかなか見ごたえがありました。そこで手にしたのが新編「柳田國男全集」(筑摩書房:全12巻)でした。1冊1500円で発売されていた全集が全12巻で2500円。最近、文庫本になっていますからお値段が急落したのでしょうか。四六判の全集はお買い得でした。
 さっそく、第1巻に収録されている「山の人生」を読み始めました。この作品は、小林秀雄講演集でも取り上げられていますが、炭焼きの男が炭が売れず子に食事を与えることができず殺してしまう怖いお話から始まります。発狂して山の奥に逃げ込んでしまった人のこと、人さらい、子取り、山の天狗、旅僧に化けた狸の話など、100年も前には津々浦々で信じられていた言い伝えを集めたお話です。「遠野物語」もそうですが、柳田は、こうした言い伝えを比較検証しながら民族学という新しい分野を切り開いていったのでしょう。
 柳田は「何が故に今なお我々の村の生活に、こんな風習が残っていたのかを説明することすらもできなくなろうとしている。それが自分のこの書物を書いてみたくなった理由」だと言います。私にとってはその昔、幕末生まれの近所のお爺さんから聞いた怖いお話に近いものがあります。能の世界とも通じるものがあります。秋の夜長、仕事のことは忘れてこんな本を眺めるのも良し。
 古本祭りでは、このほか、小泉八雲「怪談・骨董他」、伴忠康「適塾をめぐる人々」、別冊歴史読本「幕末維新考証総覧」、田中公明「曼荼羅イコロジー」、梅原猛著作集「法然の哀しみ」などなど、両手にいっぱいの古本を下げて帰りました。というわけで今回は、天神さんの古本祭りに立ち寄らずに直帰でした。そうそう、境内で職場の方とばったり。彼とは、コンサート会場やら古本祭りやら、ほんとうによく出会います。
 今回で六度目の四天王寺ですが、帰りに中央伽藍に詣で、救世観世音菩薩や阿弥陀如来尊像などを拝観させていただきました。いまから1400年前の593年、聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺で、高野山よりも200年ほど歴史が古いのだとか。幾度となく遭遇した戦火天災を経て今日があります。あいにく五重塔は工事中でしたが、金堂、講堂、礼讃堂などを見せていただきました。この四天王寺さんにもお大師さんがいらっしゃったようで、大師堂があります。京都の東寺と同じく、毎月21日は「お大師さん」と呼ばれ、境内に露店が並び、たくさんの参詣があるのだそうです。

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運動会の次は、南方熊楠シンポジウム

2015-10-11 00:16:03 | Weblog

 朝晩の冷え込みが増し、草木に宿る露が冷たく感じられる時季を「寒露」というのだそうです。秋も深まり、数週間前に一番花が咲いたキンモクセイが、いま本格的な香りを街に充満させています。セージの花も今年最後のお姿です。
 きょうの土曜休日は、朝一番、孫次男くんの運動会の応援で始まりました。保育園年少組は出番が早く、朝9時に正門前集合です。それでも運動場は若い親たちで溢れていました。写真班のお爺さんは望遠レンズ付きカメラをもって、あっちに行ったりこっちに行ったり。なんとか何枚かのベストショットをものにしてお役目を終えました。  孫次男くんの出番が終わると、私はひと足早く園をあとにして京都に向かいました。きょうは午後、京都大学でシンポジウム「ロンドンの南方熊楠」があったからでした。まったくもって素人ながら、暇を見つけては南方熊楠の本をパラパラ捲っていますが、なんとも気になる御方です。ふだん著書でしかお目にかかったことのない南方研究の先生方から、初めてお話を伺いました。1890年代、熊楠は英国に8年間滞在します。当時のロンドンの地図資料を眺めながら、熊楠の行動、帰国後を含めて当時のネイチャーへの投稿が51編、N&Q(ノーツ・アンド・クエリーズ)に324編という驚くべき発信力。そうした彼のひととなりをぼんやりと考えていました。
 1890年代といえば、幕末から明治維新後の国づくりが少しずつ軌道に乗り始めた頃です。ちょうどいま、高橋直樹の「蒼海を越えた異端児~五代友厚」(潮文庫)を読んでいます。ペリー来航後、薩英戦争、長州征伐、薩長同盟、大政奉還、西南戦争を経て、明治憲法公布につながる激動の時代。そんな時代を生き抜いた五代は、長崎のグラバー商会との関係を活かしながら、この時代を強かに生きた。
 薩摩藩の留学生を密航という形で英国に同伴した五代は、ロンドンの街をみて日本の将来を考えます。地下を鉄道が走る国力の違いを身をもって実感したことだろうと思います。その
五代の銅像が今、鹿児島駅前の「若き薩摩の群像」の中にあります。大阪商工会議所ビルの入口にも、大阪証券取引所前にも、五代の銅像があります。
 そうそう、今日は予定より早く上洛したので、しばし鴨川べりを散策しました。運動会に使った望遠レンズをカメラにセットして川面を覗くと、水鳥たちが気持ちよさそうに羽根を休めていました。セグロセキレイ、コサギ、アオサギ、カルガモ。大都会の中の自然です。 
 紅葉にはもう少し日にちがかかりそうですが、鴨川べりでは、散歩する人、ジョギングする人、寝っ転がっている人、子供たちと遊んでいる家族などなど、ゆったりとした時間が流れていました。そんな川べりにススキが美しく輝いていました。

 さて、明日はゆっくりして、明後日は恒例の「四天王寺秋の大古本祭り」と「天神さんの古本祭り」のハシゴです。今回の選書のテーマは、「明治」です。

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秋の夜長を楽しむ

2015-10-04 00:03:03 | Weblog

 夕刻のテレビニュースで、指揮者・佐渡裕さんの、トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督就任後初の演奏会が、ウィーンの楽友協会で行われた映像を見ました。世界を舞台に今後の活躍に期待するところ大ですが、なんと来年には日本ツアーが決定したようで、大阪では5月28日、フェスティバルホールでの演奏が予定されています。
 きょうは近所の本屋さんでクラシック・プレミアム46巻を買ってきました。今回の特集は「ショスタコーヴィチ」です。早速、交響曲第5番と第9番を楽しみました。このクラシック・プレミアムも残すところあと4巻。11月末には全50巻が完結です。
 ところで、今週の前半、仕事を終えて帰宅途上、いつもよりずいぶん大きなお月様が見えました。スーパームーンと言うのだそうです。眠る頃になって、もう一度お月様を覗いてみると、雲のあいだに見え隠れしています。そのままいったん眠りにつきましたが、それでも気になって、もういちど覗いてみると、雲の間から美しいお姿が見えました。これはこれは。カメラに望遠レンズをつけて狙いを定めてパチリ。月面の凸凹まで写りました。
 それはそうと、昨夜、寝室でなにげなくテレビのスイッチを入れたら、Eテレが「時代を楽譜に刻んだ男 山田耕筰」を放映していました。「日本の音楽界を切り開いた作曲家・山田耕筰の実像に迫る」とあります。案内役は、歌手で俳優の石丸幹二さんでした。日本で初めて交響曲を書き、日本初のオーケストラを作り、しかし戦後は戦争協力への批判と向き合いながら、作品を書き続けた山田耕筰。ことし没後50年なのだそうです。
 番組の中で、石丸さんと指揮者の広上淳一さんが、日本近代音楽館を訪ね、山田耕筰の直筆譜を閲覧する場面がありました。私は10年ほど前に、この近代音楽館を訪ね、信時潔の直筆譜を調べたことがあります。当時は財団組織でしたが、今は東京・白金台にある明治学院大学図書館の付属施設として再出発しています。
 山田耕筰と言えば、「この道」「からたちの花」「赤とんぼ」「ペチカ」「お山の大将」など多くの歌を、北原白秋や三木露風、西條八十らの作詞で作曲しています。ネットで調べてみると、彼の作品は、童謡だけでなく、交響曲、オペラ、映画音楽、ピアノ曲、軍歌など多岐にわたります。それだけでなく、同志社大学や関西学院大学、芝浦工業大学の大学歌を作曲しています。作詞は北原白秋でした。
 こんな「心」の世界を彷徨っていますが、先日は新聞社主催の討論会「AI(人工知能)が拓く未来」も興味深く聴講しました。かの石黒浩先生の「人と関わるロボットと未来」では、マツコデラックス等身大のアンドロイド「マツコロイド」など、人間そっくりのロボット開発の裏に、「人間とは何か」、「心とは何か」という根源的な問いかけがあることを知り、こうした研究開発の発想の豊かさを知りました。基調講演のあとのパネルディスカッションでは、IOT、クラウドなど真新しい言葉が飛び交い、その先々に高齢社会を見据えた未来像が見え隠れしていました。昨年のバリアフリー展で見かけた介護ロボットやセラピーロボットを思い出したものです。
 おっと。日にちが変わってしまいました。ラグビー・ワールドカップ2015の、日本とサモアの前半戦の結果が20対0で優位な戦いを進めているようです。このあたりでブログ更新作業を終えて、応援しましょう。いま五郎丸がキックを決めて3点を加えました。(笑)

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