心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「歩き遍路」に駆り立てるもの

2018-01-27 11:16:33 | 四国遍路

 きょうも大阪は寒い朝を迎えました。お散歩にでかけると、小さな池も凍っています。お不動さんの境内では鳩が朝陽に暖を取っています.......。もう少しで立春を迎えます。我慢の日が続きます。
  そんな寒波が押し寄せるなか、富山県黒部の宇奈月温泉に行ってきました。家族13名が勢揃いしたお正月に大奮闘した家内を慰労するのが目的でした。今回もバスを利用しての呑気な小旅行でした。永平寺のある福井市を通過して一路富山県をめざしました。時折、除雪車に先行されてノロノロ運転を余儀なくされましたが、除雪が行き届いている北陸自動車道は概してスムーズに走ることができました。幹線を外れた雪道では、車窓を流れる雪景色に見入ってしまい、雪国育ちの私を心の「古層」に誘います。古き良き時代の心の風景が走馬燈のように走り過ぎていきました。
 宿に到着するとさっそく温泉に浸かって冷え切った身体を温めました。頭上に舞う雪を見上げながら森の中の露天風呂に浸かってまったり。その夜は美味しいお料理を肴に雪見酒。家内の慰労といいながら私の方が楽しんだ、そんな温泉旅行でした(笑)。
 森といえば、「歩き遍路」をしていると、樹齢数百年にもなる大きな樹木に出会うことがあります。立江寺から鶴林寺に向かう途中に出会った八幡神社の神木、太龍寺境内の大杉、バス停に向かう途中にあった蛭子神社の大きな樹木、日和佐八幡神社の神木。何百年もの間、米粒のような人の動きを天から温かく眺めてきたのでしょう。こんな大きな樹に出会うと、その木肌に触って樹木の命(いのち)を感じとり生気をいただこうとする私がいました。アニミズムの原初的な出会いなんでしょう。きっと。
 そうそう、ひとつ書き忘れていました。日曜日に、京都大学「こころの未来研究センター」の上廣倫理財団寄付研究部門2017年度研究報告会「幸せに生きる知恵」を聴講してきました。この研究センターは、公共政策、思想、医療福祉、臨床心理学、脳神経科学、伝統知、宗教学、倫理学、哲学など多様な専門領域の先生方が、多種多様なアプローチで「こころと倫理」に関わる学術研究を進めていて、私のような一般人にも広く門戸を開いています。
 この日は、若手研究者の研究報告に続いて、「幸せはローカルから:GNHと日本」と題するパネルディスカッションがありました。GNH(Gross National Happiness)とはブータン王国が掲げる、GDPに代わる経済指標「国民総幸福度」のことです。「幸福」というある種主観的で多様なものをいかに公共政策に落とし込んでいけるか。成熟社会、ポスト成長社会が叫ばれるなかで、今日的な課題を提起します。広井良典先生のほか、GAH(Gross Arakawa Happiness)を進める東京都荒川区の自治総合研究所の猪狩廣美所長さん、関西大学の草郷孝好先生らのお話しをお聴きしました。
 この研究センターの存在を知ったのは、ちょうど5年前のことでした。経済団体主催の研究例会で、ブータン王国から来日中のブータン国立研究所長のダショー・カルマ・ウラ氏の講演「国民総幸福度(GNH)によるブータンの国づくり」があり、その通訳を担当されたのがこの研究センターの内田由紀子先生でした。講演を通じて、現代の日本人が置き忘れてきたものが全身に充満していくのを覚えたものでした。
 当時のブログに私はこんなことを綴っています。「足ることを知る。今の私の生き方とは正反対の生活が、そこにはあります。単調ではあっても自然の空気が充満した国土、私たちはそんな人の生き方を忘れ、右往左往している。様々な人為的行為が専門分化してしまい方向音痴に陥っている。それを誰でも判りやすい『幸福度』という視点から見渡そうとするおおらかな価値観。(同氏の)長寿とはただ漫然と齢を重ねることではない。活力をもって、なによりも楽しむ。常に自分自身に問いかけること.......。そんなお話しに頷くばかりでした」。(ブータン王国と「幸福度」2013-11-24)
 ひょっとしたら、この出会いがリタイア後の今の私の行動基準になっているのかもしれません。「歩き遍路」に駆り立てるものも、このあたりにあるのかもしれません。そんなことを思いながら、この日のパネルディスカッションを聴講していました。

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歩き遍路(徳島編)~恩山寺から薬王寺へ

2018-01-19 22:33:07 | 四国遍路

 四国八十八カ所の21番札所・太龍寺は「西の高野」とも称されるお寺で、標高520メートルほどのところにあって、樹齢数百年余の老杉が迎えてくれます。遍路道を少し登ったところには、弘法大師19歳の頃、岩山に座して修行したと伝えられる舎心嶽があります。
 遍路道からは岩山に座る後ろ姿しか拝むことができませんが、大師が見つめている風景を確かめたくて、道なき岩肌を這って前方に回りました。目に飛び込んできたのは、阿波の国の山並みと遠くに微かに見える海、その先には和歌山も。まさに「心の風景」にふさわしい空間に身をおいて、大師は100日間の修行に勤めました。「鳥瞰」という言葉の意味を改めて考えました。

 今週の初め、大阪駅前から高速バスに乗って徳島駅へ。そこでJRに乗り換えて南小松島駅下車。これが今回の「歩き遍路」の出発点でした。歩き始めて15分もすると、散歩中のおじさんから18番札所・恩山寺に向かう道のアドバイス。ランニング中のおじさんからは「弘法大師お杖の水」の場所を教えていただきました。さらに歩を進めていくと、うしろから洋菓子店の若い店員さんが駆け寄ってきて洋菓子二つのお接待いただきました。こんな調子で二泊三日の「歩き遍路」がスタートしました。
 久しぶりの遍路道の感覚を思い出しながら、弘法大師御母公・玉依御前ゆかりの恩山寺にお参りしたあと、19番札所・立江寺に向かいました。牛小屋の横を通り過ぎて、孟宗竹が林立する義経ゆかりの古道を歩きます。お京塚の横にある遍路小屋で一服したあと、さらに歩を進めると立江川にかかる白鷺橋の向こうに立江寺が見えてきます。かつては関所寺とも言われ、邪心のある者や罪を犯した者は先に進めないと言われた山門を、難なく通ることができました(笑)。
 門前の食堂で昼食をとったあと、10キロ先にある隣町の宿に向かいました。延々と続く遍路道や車道をひたすら歩き続けて2時間半。陽が落ちていく頃、無事、民宿「金子や」に到着しました。この時期に歩き遍路をする人は多くはなさそうで、宿泊者は私を含めて2人。もう一人は還暦を前に歩き遍路を思い立った北海道の男性でした。聞けば、先週から歩き始めて1月下旬までに松山まで進んだ後いったん戻るのだと。数日前に登った焼山寺では20センチほどの積雪があったのだそうです。1日45キロを目途にしているところをみると、ずいぶんな健脚とみました。

 翌朝6時45分、まだ薄暗いなか、標高500メートルの地にある20番札所・鶴林寺をめざしました。茅葺の遍路小屋、弘法大師が杖をつくと水が湧き出したという「水呑大師」を過ぎると、国史跡阿波遍路道「鶴林寺道」に入ります。なんとか踏ん張って境内に登ると、お寺の方から朝のご挨拶をいただきました。お参りを済ませた後、白衣の背に鶴のお印をいただいて山をおりました。
 麓の大井休憩所でひと息ついたあと、引き続いて標高520メートルの21番札所・太龍寺まで遍路道を歩いて登る予定でしたが、前日、宿の主人から遍路道が工事中のため通行止めになっているとの情報をキャッチ。やむなく歩く距離は長くなりますが太龍寺山をぐるりと回るかたちで那賀川沿いに平地を歩いて太龍寺ロープウェイ乗り場に向かうことにしました。
 その距離7キロ。数日前と打って変わってぽかぽか陽気のなか、気持ちよく歩くことができました。呑気なシニアお遍路は、iPadに入れたセヴラックの「大地の歌」「ラングドック地方にて」「水の精と不謹慎な牧神」「日向で水浴びする女たち」のピアノ曲を聴きながら、テンポよくウォーキングです。その間にすれ違ったのは4名のご老人。みなさんから励ましのご挨拶をいただきました。
 というわけで太龍寺にはロープウェイ(101人乗り)で登りました。時節柄お客は3人。帰りは私1人でしたので10分ほどの間、ガイドさんを独り占め、いろいろお話しをさせていただきました。大師堂のお参りを済ませて景色を眺めていると、先ほどお参りしたばかりの鶴林寺が遠くにぼんやり見えました。平地とは違って山の上、納経所の入口にあった手水場の水は凍っていました。
 太龍寺山を下りると、15分ほどバスに揺られて山口中というバス停で降り、そこから4キロほど先にある平等寺をめざしました。ちょうどこの日は「どんど祭り」の日、遠くの田圃の一画から高く黒々とした煙が立ち上っていました。
 22番札所・平等寺のお参りを終えて午後3時半に民宿「山茶花」に到着しました。この日の夕食は私ひとり、宿のお母さんと世間話をしながら美味しいお料理と少しばかりのお酒をいただきました。至る所に細やかな心配りを感じる素敵なお宿でした。(写真は平等寺の手水場。こちらは凍ってはいません。そっと添えられた季節の草花にほっとひと息です)

 翌日は、少しショートカットして、宿から歩いて30分ほどのところにある新野駅に向かい、ふた駅先の由岐駅を下車。海沿いの遍路道を歩いて14キロ先の薬王寺に向かいました。前日までの風景とがらりと変わり、冬の漁港、浜辺。句碑が点在する「俳句の小径」では、小鳥のさえずりと潮騒の音を聴きながら、独り歩きの醍醐味を味わいました。遠くに見える岬の、そのまた先の岬、さらに先の岬と、平坦な道のりをひたすら歩き続けました。
 疲れが見え始めた頃、遠くの山裾に23番札所・薬王寺が見えてきました。あとひと息です。ウミガメの産卵地で知られる日和佐の浜を眺めて小休止。桜町通に入ったところで道の向かいにある日和佐木偶人形館からお婆さんがやってきて、「おうどんがあるから食べていきなさい」とお接待。不意なことで一瞬戸惑いつつも、ちょうどお昼時、「ありがとうございます」と善意にすがりました。
 日和佐木偶人形館は、昭和の初めごろまで赤松地区の浄瑠璃人形座「赤松座」で使われていた人形を修復保存、復活をめざして活動されているご様子で、数体の人形が展示されてありました。美味しいおうどんの接待を受けながら、お婆さんから赤松人形についていろいろお話しを伺いました。帰り際ノートにお礼の記帳をして失礼をしましたが、お婆さんからは手縫いの小さな袋にみかんとお菓子を入れていただきました。ありがとうございました。
 薬王寺をもって徳島「阿波の国」の歩き遍路は終わりました。今回は若干ショートカットをしながらも2泊3日で55キロほどを歩いたことになります。その間、多くの方々から温かいお声がけをいただきました。改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。次回、おそらく3月になりますが、高知「土佐の国」に入ります。.......帰阪した翌日、カレッジの帰りに京橋ツインビルで開催中の古本フェアで、空海の「三教指帰」(中公クラシックス)を買って帰りました。

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シニアの「仕事始め」ならぬ「動き始め」

2018-01-13 10:31:03 | Weblog

 今朝、庭を歩くとバリバリという音がしました。霜柱です。大阪でこれだけ冷え込むなんて珍しいことです。日本列島には寒波が押し寄せています。夕刻のテレビニュースでは、雪が積もった奥出雲の様子が映っていました。昨秋帰省したときに乗った木次線も出雲横田から備後落合間が不通だとか.....。そんな寒い1月の第二週目は、カレッジで始まりました。(写真は新年会の帰りに出会った京阪電車中之島駅構内のディスプレイ)
 今年初めての授業は「フランスの音楽」でした。小さなスタジオを借りた特別教室で、ドビュッシー、ラヴェル、エネスクのピアノ曲、そしてフルート演奏、最後はビゼーのオペラ・カルメンを、先生の教え子たち8名(ピアノ2名、フルート2名、ソプラノ2名、テノール1名、バリトン1名)が奏で、歌いました。最前列に座った私との距離は3メートルほど。なんと贅沢な授業だったことか。音楽専攻の学部生あるいは大学院生が主体のメンバーですが、劇団「四季」に入団が決まった学生もいたし、近くコンサートを予定している学生もいて、音楽の魅力に惹かれた若者たちの夢溢れる生き方を羨ましく思ったものでした。一方で音楽を生業とすることの難しさもあります。心からのエールをおくりました。
 翌日は、水彩画教室に出かけました。テーマは「風景」。写真を見ながら風景のデッサンの仕方を学びました。私が持参した写真は、レンガ造りの街並みが美しいボストンのビーコンヒルでした。写真に写った風景をそのまま描くのではなく、自分の心を動かしたところを抜き出して描いていく。それが実際の風景と対峙したときに問われるのだそうです。
 その日は夕刻から新年会がありました。集まったのは、現役時代のお勉強会仲間です。互いに近況を報告しあいながら美味しいお酒をいただきました。オリンピックや大阪万博(予定)を前に69歳にして「通訳観光ガイド」の試験に合格した方、リタイア後の手習いで始めたレザークラフトでみんなにプレゼントを持ってきた方(ブックカバーをいただきました)。まだまだ現役バリバリ活躍している方にはみんなでエールを送りました。こうして互いに刺激を受けあいながらこれからの生き仕方を考えました。

 次の日、つまり昨日は、仏像鑑賞会の仲間たちと「大阪七福神巡り」をしました。JR環状線・玉造駅を出発して、真田丸で知られる三光神社(寿老神)→長久寺(福禄寿)→法案寺(弁財天)→大乗坊(毘沙門天)→大国主神社(日出大黒神)→今宮戎神社(戎大神)→四天王寺(布袋尊)と、大阪の上町台地に点在する神社仏閣を巡りました。このあたりは戦災にあったため戦後に再建されています。なかにはビルのなかにある、そんなお寺もありました。
 ブラタモリではありませんが、ふだん歩くことのない大阪の街の風景を楽しみながら、七福の徳と福運を求めて歩き続けたシニアたち。その日の歩数は2万歩を越えました。でも、みなさんお元気です。参拝を終えたあと午後3時半から天王寺界隈で打ち上げという名の呑み会とあいなりました。
 この日はそれで終わりませんでした。夕刻からは前日に続いて別の新年会がありました。同世代の男女8名のこじんまりしたグループですが、美味しいお酒をいただきながら、ことし1年の活動計画を話し合いました。
 こうして、孫たちに囲まれてお正月を過ごしたシニアたちが、ふだんの生活に戻り始めました。私も明日からは3日間、歩き遍路に出かけます。前回同様「へんろころがし」と言われる山登りがあります。積雪の状況が心配ではありますが、歩けるところまで歩く覚悟で臨みます。さあて、これから出発の準備です。

 
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お月さまを見て愛犬ゴンタを思い出す。

2018-01-06 21:18:02 | 愛犬ゴンタ

 新年早々の夜に満月がひときわ大きく見える「スーパームーン」が地球を照らしました。月面の地肌が見えるそんな姿を、わたしのコンパクトデジカメでも収めることができました。それにしても、宇宙って不思議な空間です。何千年、何万年、何十万年にもわたって、人々はいろいろな思いを胸に秘めて月を眺めてきました。気の遠くなるような時空間に浮かぶ我が身の存在を思うと頭が朦朧としてきます。
 まん丸い月を見上げながら、ふと愛犬ゴンタのことを思い出しました。わたしがリタイアする2週間前に他界しましたから、もう1年と半年が経過します。
 彼が若い頃は、夜遅くに仕事から帰っても、必ずお散歩に行っていました。街灯の明かりと、そして月明かりが頼りでした。力強く前へ前へと歩いた頃、なんとなく落ち着きを見せ始めた頃、飼い主の歩調に併せて歩いた頃。それが徐々に飼い主の歩調と合わなくなって、歩く速度が遅くなり、時々立ち止まって周囲の様子を伺いだしました。そして、立ち止まって地面に伏せてしまうことが見え始め、自力で立つことも不自由になって、いつの間にかお散歩ができなくなってしまいました.........。
 愛犬ゴンタは、彼なりのライフサイクルを必死に生きてきました。16歳と8カ月。これを長いと見るか短いと見るか。宇宙という視点からみれば、ほんの一瞬かもしれないし、いやいや永遠の時空に未だ生きているのかもしれません。
 この日(3日)は、東京の孫たちを連れて大阪市内のキッズプラザに出かけたあと、日本で最も長いと言われる天神橋筋商店街を歩いて大阪天満宮に初詣に行きました。20年後、30年後の孫たちの姿は知る由もありませんが、学業の神様に手を合わせてきました。大阪の臭いがぷんぷんする街の風景に、子供たちは興味津々でした。中之島までの長い長い商店街を歩き通しました。
 翌日、お家に帰る孫娘に「お正月で何が印象に残った?」と尋ねると、一番はユニバーサル・スタジオ・ジャパン、二番目は大阪天満宮、そして三番目はお婆ちゃんに教わったハーバリウム(ガラス瓶の中にプリザーブドフラワーなどを特殊な液体で浸したもの)でした。.....こうして年末年始の大騒動は無事に終わりました。ここは家内の奮闘ぶりに感謝です。
 そして、世の中は仕事始めですが、毎日サンデーの私は1週間後に迫った「歩き遍路」の詰めにとりかかります。今回は前回に次ぐ「へんろころがし」ルート、それも冬季に500m級のお山二つを巡る厳しいものになります。無理は禁物です。天候・気温と体力によって若干のルート変更も想定して企画を練ることになります。そして最終日は、やはり徳島駅前の居酒屋で「独り祝勝会」をして閉める。これもまたお決まりのコースです。ただし、出発の前にふたつの新年会をこなさなければなりません.......(笑)。

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今年の運勢は「吉」それとも「大凶」?

2018-01-02 16:30:01 | Weblog

 新年あけましておめでとうございます。ことしも、どうぞよろしくお願いをいたします。

 年末から我が家は総勢13名の大所帯となり、賑やかな日々が続いています。お正月2日目のきょうは、孫たちがユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)にでかけたので、お爺さんとお婆さんは久しぶりにゆったりまったりの一日。近所のお不動様と氏神様に初詣にでかけました。
 お不動さんで引いた御神籤、ことしは「吉」と出ました。いわく、「自分を貫くことは容易ではない。 独りよがりではなく 他人の評価ばかりでもなく自分を知ることがまず先 自分を貫くとは 自由と挑戦と少しの苦痛でできている」とあります。袋の中には、小さな「お多福」の縁起物が入っていました。福の神、笑いの神、芸能の神として慕われているとのこと。お財布の内ポケットにしまっておきました。
 でも、境内に掲げてある星廻りの運勢をみると、●火曜星「大凶」五黄とあり、「延びなやみの年、新規の事業は注意。2・3・5・7・9・11月は要注意。信心と忍耐あれば無事過ごせる」と記されてありました。さあて、どちらがほんと???
 この歳になると、欲というものが薄らいできますので、御神籤に一喜一憂することもありませんが、それでも気になる平成30年の運勢でした。そのあと、歩いて10分ほどのところにある氏神様にお参りをして帰りました。
 それはそうと、孫君が持参したおもちゃの中に「TAKAMINO」(仏ギガミック社)というものがありました。いろいろな形をした木製ブロックを組み合わせて指定されたマス目を埋めていくもので、36,057通りの組み合わせができる知的玩具です。対象年齢が「3~99歳」とあります。ちょっと試してみましたが、難易度が高くなるにしたがって難しくなるあたり、脳トレになりそうです。Nintendo Switchより、こちらの方が断然良いと思うのですが、そこはやはり現代っ子。孫たちは皆でSwitchに余念がありません。
 というわけで、2018年という年も穏やかな天候に恵まれて静かに幕をあけました。月末には、平田オリザさん率いる青年団公演「さよならだけが人生か」を観劇予定。3月には小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト。その間にゴッホ展もあったりと、楽しい予定がスケジュール表を埋め尽くします。
 御神籤が言うところの「自由と挑戦と少しの苦痛」。なるほど。羽目を外さず「少しの苦痛」も厭わない生き方が当面の課題か。いろいろな出会い、人との出会いを通じて「自分を知る」「自分を見つめなおす」。そんな一年にできればと思っています。そのあたりが、「吉」と「大凶」の分かれ道かと........。

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