心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

秋に二話

2007-09-30 11:19:49 | Weblog
 夏の間、部屋の窓をあけて寝ていたのですが、さすがに9月も末になると冷えてきます。今朝は、あまりの寒さに目が覚めました。昨夜から今朝にかけてぐんと気温が下がったような気がします。明日から10月。秋に向けて「衣替え」の季節を迎えます。
 季節といえば、先日、中秋の名月に、ある方から美味しいお饅頭をいただきました。家に帰ると、花器にススキの生け花。これだけ舞台がそろうと「お月見」をしない手はありません。運良く真ん丸いお月様を居間の窓から眺めることができました。
 ところで、そのお饅頭を創った京都の菓子店(仙太郎)の説明書に目が留まりました。いわく「私どものつくる和菓子は、感性に訴えるよりも、まず機能を第一義に。経営指向よりも、ひとづくり、物づくりを上位に置く。”美しい”よりも""美味しい”を大切にする。おいしいとは、体がほしがる状態のこと。身体を養う正しい食べ物のみが本当の意味でおいしいと言えるのではないか。そして自分の生まれ育った処の風土が育むものが一番体になじみやすく、体にやさしく、即ちおいしい。むつかしい言葉だが、それを身土不二と称す」と。身土不二という言葉に初めて出会いましたが、人の命と健康はその土と共にある、なにか真実をついているように思えました。おいしくいただきました。
 話は変わりますが、先週末、東京に出張しました。その夜、麻布十番界隈で呑みました。お店にいく途中、「きみちゃん像」に出会いました。あの、野口雨情の童謡「赤い靴」に登場する「赤い靴の女の子」の像です。
 その、きみちゃんと麻布十番の謂れを紐解くと、明治・大正期の日本農村の生活の貧しさと、母と子の絆が見えてきます。わが子を養女に出さざるを得なかった母・岩崎かよ。3歳で、アメリカ人宣教師に預けられた子・岩崎きみ。しかし、6歳の頃、渡米を前に結核に罹り、麻布永坂にあった鳥居坂教会の孤児院に預けられました。その後、9歳になったきみちゃんは、秋の夜(9月15日)、ここ麻布の地で一人淋しく息を引き取りました。しかし、母・かよには、そのことは知らされず、死ぬまで、きみちゃんは米国で幸せに暮らしていると思っていたのだそうです。童謡「赤い靴」は、父・志郎から話を聴いた野口雨情が、アメリカ人に預けられ幸せに過ごしているだろうことを想像して、赤い靴を履いている女の子をイメージしたものであるとか...。
 夕刻、不案内な街並みを歩きながら、パティオ十番という小さな公園の一画に、ひっそりと佇む「きみちゃん」に出会いました。体長50、60㌢ほどの小さな像ですが、静かに麻布十番の街を行き交う人々を見つめていました。少し足を伸ばすと、時代の象徴とも言える六本木ヒルズが聳える、東京という街の片隅で、悲しいお話がひっそり語り継がれていることに思いを新たにした次第です。....お店の女将さんからも話を伺いながら、これまた良いお酒を楽しみました。
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アナログの醍醐味

2007-09-23 15:21:47 | Weblog
 きょう秋分の日の朝は、伸び放題になっていた庭の草むしりでした。全身泥まみれになって、たっぷり2時間。良い汗をかきました。残暑が厳しくてどことなく元気のない草花には、薄い肥料をあげて元気をつけてあげました。ハーブ畑では、夏の終わりに切り戻しておいた株に若葉が顔を出しています。こちらはお元気なご様子。今年たくさん収穫できたブルーベリーも、株元に新芽が伸びています。気づかない間に、みなそれぞれに秋の装いを始めていました。
 さて、先週お話しした「ニーベルンゲンの指輪」の最後の1冊がきょうにも届きます。それも、北海道釧路市にある古本屋さん(春耕堂書店)からです。これで全4巻が揃います。それにしても凄い。遠く北海道から花嫁をお迎えするような気分です。ニーベルンゲンの舞台になっているゲルマンの森と、この北海道の森、何やら近いものを感じます。そんな自然風景のなかで、どんな方がお読みになったのだろうかと思うと、なにか温かい気持ちになります。
 ところで昨日は、仕事帰りに、大阪梅田にある名曲堂に立ち寄りました。来週から表示価格の半額セールをすることを知り、きょうは我慢と思いつつグレン・グールドのLP2枚を買って帰りました。そう言えば最近、大阪のLP価格がやや下降気味です。LP離れかと思うとそうでもなく、最近、コロンビアが「永遠の名盤LP復活」と題してLPレコード限定販売を始めています。大型家電販売店に行けば、レコードプレイヤーがずらりと並んでいます。ひょっとしたら団塊の世代を狙った販売戦略なのかも知れません。
 CDが世に誕生したのは1982年頃ですから、四半世紀が経ちます。それに併せて、団塊の世代が青春を共に生きたLPが表舞台から姿を消していきました。しかし、わたしには、LPに対するCDの優位性、アナログに対するデジタルの優位性というものが、未だによく見えていないのです。著名な指揮者・演奏家たちのCD作品の多くは、いうまでもなくアナログ音源です。それなら原典(LP)にあたるのが一番自然、というわけです。
 私たちの身の回りのものに、ひとつひとつ意味づけをしていく作業、まさしくこれはアナログの醍醐味なのではないでしょうか。0か1かではない。朝の空気と戯れる、草や土と戯れる。身体や手を動かしながら、ものごとの意味を感じていくことの楽しさを、わたしたちは忘れてはならないと思うのですが、どうなんでしょう。
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連休は音楽三昧

2007-09-16 10:06:39 | Weblog
 きょうの日曜日は、久しぶりにぐっすりと8時間。初秋の朝の清清しいお目覚めでした。いま、窓辺には、明るい真っ青な空と白い雲、遠くの山並みの緑が映えて見えます。静かに、諏訪内晶子さん奏でるヴァイオリン小品を聴きながら、こうして季節の変わり目を肌で感じることができる、何と贅沢なことでしょう。
 ところで、イギリスの挿絵画家にアーサー・ラッカム(1867.9.19.~1939.9.6.)という方がいます。メルヘンやファンタジーの挿絵で知られていますが、そのラッカムの挿絵がちりばめられた「ニーベルンゲンの指輪」(リヒャルト・ワーグナー作)全4巻があります。夏の初めに大阪の古本屋さんで、そのうち2冊(「ラインの黄金」「ジークフリート」)に出会いました。ずいぶん気にいって、あとの2冊を探していたところ、最近、古本店サイトで「神々の黄金」「ワルキューレ」を見つけました。いま、順次購入手続きをしています。
 そんなわけで、この三連休はワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」(サヴァリッシュ指揮・バイエルン国立歌劇場管弦楽団)を楽しんでいます。といってもDVDにして7巻。どこまで辿り着けることやら。でも、これまで、どちらかといえば、しかめっ面をして観ていた「指輪」を、西欧のひとつのメルヘンとして、気軽に楽しむことができます。この三連休はゆったり音楽三昧です。
 そうそう、連休初日の昨日は、ふだんあまりクラシックに馴染みのない家内を連れ出して、「高嶋ちさ子12人のヴァイオリニスト」のコンサートにも行ってきました。高嶋さんのトークが盛り上げる音楽入門講座のような楽しいプログラムに、退屈することなく楽しんでくれていました。いつの日にかバイロイト音楽祭にでも行ければと夢を見ています。
 夢といえば、...「地球に生きる人々の歩むべき道に灯火を」...。なにやら恰好をつけた表現ですが、実はこれ、14日に打ち上げられた日本初の本格的な月探査衛星に「かぐや」に搭載された私のメッセージです。年初に、宇宙航空研究開発機構が行ったセレーネ「月に願いを!」キャンペーンに応募した40数万人の一人として、私の名前とメッセージがいま月に向かっています。良い歳をしてと思いながら、しかし宇宙を体験することなど適わない年齢を思うと、夢があっていいじゃない、という遊び心でした。夢を忘れたら仕事も人生も楽しくないですからね。(^^♪
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空間移動

2007-09-10 10:36:07 | 旅行

 暦とは不思議なもので、8月のカレンダーを捲った途端に、暑かった夏もどこへやら、澄んだ青空にうろこ雲が浮んだりして、なんとなく秋の気配を感じる今日この頃です。そうそう、雲といえば先日、博多行きの新幹線で、小倉を通り過ぎた頃ぼんやりと車窓を眺めていたら、それほど高くもない山の裾野に綿をちぎったような柔らかな雲がいくつも浮んでいました。それも、少し手を伸ばせば届くような、いや新幹線が雲の上に向かって走っていくような、なんとも不思議な錯覚に襲われました。このところ休みなしで突っ走ってきましたから、「こころ」が萎えて現実と幻想の区別がつかなくなってしまったのかも知れません。そんなわけで今日は、秋の陣に備えてお休みをいただきました。
 ところで先週、中国・北京に出張してきました。北京は初めての訪問でしたが、オリンピックを1年先に控えて、街の至るところで建設ラッシュでした。活気もありました。だだっ広い道路に近代的な建物、そして自動車と大勢の人々。自分自身の存在の小ささと大陸的な底力を実感しました。でも、市内を少し出ると、昔ながらの砂埃に塗れた家々が立ち並び、荷台を付けた自転車に家族を乗せて走る田園風景。そのギャップの大きさも思いました。
 仕事の合間に、定番の観光コースである天壇公園、故宮や万里の長城などを見て回りました。でも、興味深かったのは、観光スポットではなく宿所の近くにあった、大きな大仏様が鎮座するお寺でした。ある時期、宗教は排斥されたはずですが、穏やかな顔をした大仏様をみて、なぜか安堵しました。何百年も前に、日本は中国から仏教を学びました。日本でもよく見る仏像の表情を目の当たりにして、日中の文化交流史の奥深さを改めて思いました。で、私のお土産はといえば、秦時代の兵馬俑坑で発見された鎧武者の陶俑のお人形。25㌢ほどの大きさで19ドルでした。カエサル像、十字軍兵士像と並んで、いま、わたしの書棚を飾っています。
 さぁ、ことしの夏も、これで終わり。家族で遠出はできなかったけれど、ここ2週間のあいだに、中国、東京(2回)、福岡とずいぶんな距離を空間移動しました。その先々で、わたしの存在を確認する。現在に軸足をおきつつも、過去と未来を行ったり来たりしながら、自分の存在を確かめようとしている、そんな自分に気づいたものでした。

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