心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

2泊3日の九州温泉旅行(島原温泉、黒川温泉)

2016-09-26 10:16:20 | 旅行

   今朝、4日ぶりに不動尊にお参りに行くと、大師堂前の境内に大きなドングリが落ちていました。いくつかを拾って窓辺の本棚にそっと置いてみました。あと数日もすれば「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」。ひと足早い虫の冬支度といったところでしょうか。
 秋といえば、先週末、2泊3日で長崎と熊本にでかけてきました。熊本城下から大津の街を通り、外輪山を越えて阿蘇谷をひた走る九州横断バス(産交バス:熊本駅前⇔阿蘇・黒川温泉・湯布院・別府)の車窓から、ススキの穂が広がる草原を眺めていたら、ふと高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)を思い出しました。

 「火の国の火の山に来て見わたせば、わが古里は花模様かな」
 「杳として人は住みてむ。わが身独りは、森羅万象を踏み破りて、夕日照る豊後の国に向かふ。長き谷に添ひ、陰多き丘と凹地とを見渡す処に、中井田と云ふ村あり」
 「細雨瀟々湘たり。名にし負う柏坂をけふは越えんとて、足を痛めつゝ、なほ行く。山の森を過ぎ、一つ二つの峯を越え行くほどに銀雨崩れ来たりて天地花の如く哄笑す。」

 熊本市内から別府まで高速バスで5時間もかかる長い道のりを、二十四歳ばかりの女性が巡礼姿に身をつつんで独り四国遍路の旅をめざす。そんな風景がダブってみえてしまいました。
 今回のプランは旅行大好きの家内の弾丸企画でした。一日目、お昼前に長崎空港に到着すると、まずはバスの待ち時間を利用して「出島」界隈と中華街をぶらりお散歩です。午後4時10分、路線バスに乗って一路、雲仙温泉をめざしました。泉質は「硫黄を含んだ酸性硫化水素泉」。夕食前と夕食後そして翌朝と、温泉を堪能しました。翌朝、島原駅前行バスの待ち時間に、「雲仙地獄」界隈を散策しました。人懐っこい猫たちがお出迎えしてくれました。
 雲仙は701年に行基によって開かれたと言われ、その昔、キリシタン殉教悲史の舞台でもあったところです。地面から熱湯が沸き、湯けむりが漂うなか、残酷な拷問でも棄教する者はほとんどおらず息絶えたと言います。悲しい歴史です。拷問がなされた場所に立つ記念碑を見ながら、宗教と人との関係性に思いを馳せました。
 島原駅前に到着すると、今度は水陸両用バス「島原ダック・ツアー」に乗って、陸と有明海から市内観光のあと、高速カーフェリー「オーシャンアロー」に乗って熊本港、熊本駅をめざしました。船上から雲仙普賢岳を望みます。
 なんとも欲張りな企画ですが、熊本についてやっとひと息。バスセンターで翌日の予約を済ませたあとホテルにチェックインしました。小休止のあと市電の一日乗車券を購入して水前寺公園、能楽堂、熊本城、小泉八雲の熊本旧居などを見て回りました。夜はもちろん馬刺し料理に海鮮料理。旨いお酒にも出会えて夜遅くまで熊本の夜を楽しみました。
 翌日は朝7時45分にホテルを出ると、九州横断バスに乗って3時間半。黒川温泉をめざしました。秋近い山の中に佇む山みず木別邸深山山荘で昼食をいただき、あとは「檜の湯」でゆっくりと温泉を楽しむ。泉質は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩などに効能があると言われる単純温泉でした。
 午後4時25分、九州横断バスに乗って熊本空港をめざしました。ところが予想しなかった事態に遭遇しました。大地震で崩れた路面の工事のために一部の車道が通行止めになっており迂回することに。それと夕刻が重なり大渋滞に巻き込まれました。運転手さんからは大阪行き最終便に間に合わないかもしれないと。そのときの対応を航空会社に電話で相談しているうちに、搭乗時刻ぎりぎりに間に合いました。家内いわく「あなた現役だったら真っ青になったところだったね(笑)」と。確かに。
 そんな行き当たりばったりの弾丸旅行から戻ってみると、郵便ポストに年金決定通知書が届いていました。仕事を離れて2カ月。10月からは、いよいよ年金生活です。あと何年生きながらえることができるかわからないけれど、現役時代のテーマだった仕事の「生産性」「効率性」「有用性」という概念をかなぐり捨てて「スローライフ」に大きく舵を切る、美しいものを美しいと素直に言える、そんな日々を送りたいと思っていますよ。

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彼岸の入り

2016-09-20 16:40:39 | Weblog

 台風16号が和歌山県田辺市に上陸。ラジオの臨時ニュースが伝えます。田辺といえば7月におじゃました街。南方熊楠が眠る高台の墓地から太平洋を望みましたが、風雨が海上からまともに吹きつけているのでしょうか。ここ大阪でも風雨が強くなってきた昼下がり、ぼんやりとブログの更新を始めました。

 この連休は、雨にたたられ遠出ができないでいますが、毎日お家の中に閉じこもるのは辛いものがあります。と言うわけで(週末に旅行にでかけるためでもありますが)、お彼岸の入りといわれる昨日、雨の合間を縫って京都・知恩院にお参りに出かけました。御影堂はまだ工事中ですので、まずは阿弥陀堂にお参りし、そして法然上人御堂に向かいました。
 お彼岸になると、堂内に観無量寿経(観経)に説かれる内容を絵画化した「観経曼陀羅」が掲出されます。阿弥陀三尊を中心に極楽浄土の風景が描かれている曼荼羅ですが、一心に南無阿弥陀仏を唱える浄土宗と、四国遍路で出会った般若心経とは趣を異にしています。私のなかでは未だに仏教の宗派の違いがきちんと理解できていません。(観経曼陀羅の写真は知恩院HPから)
 運よく大降りになることもなく、お参りがすむと平安神宮に向かいました。家内いわく、敬老の日は神苑が無料開放されているのだと。桜の季節でも、菖蒲の季節でもありませんが、それでも秋の風情を感じる苑内でした。
 次に訪ねたのは、友の会会員でもある京都国立近代美術館。企画展はしていなかったのですが、この日が最終日だった第3回コレクション展を覗きました。クリムトの素描を興味深く観ました。少し時間をかけて眺めたのは写真展「水俣」でした。撮影者は、ユージン・スミスさん。水俣の人々の苦悩、生きざまが1枚1枚の写真の中から浮かび上がってきます。そのとき、ふと思いました。能楽に近い世界を。
 1年前だったか、石牟礼道子さんに焦点を当てたNHKテレビ「戦後史証言(日本人は何をめざしてきたのか)」を見ました。学芸総合誌「環」2000夏号の特集「日本の自然と美」に掲載された、鶴見和子さんと石牟礼道子さんの対談「魂と”日本”の美~水俣から学ぶ」も、改めて読み返して、このブログにアップしたことがあります。また今月のNHKテレビ「100分de名著」は、石牟礼道子さんの「苦海浄土」を取り上げています。
 対談の中で鶴見さんは、「アニミズムをつきつめていくと、多様なものが、多様なままにまとまりをつける論理というものが必要になるの。それが曼荼羅ではないかと考えているの。私は。」と言います。最近頭の片隅から離れない、「もの」と「こころ」の統一、科学と人文との融合、そんな遠大なテーマに繋がっていくような気がします。
 話は変わりますが、数日前、畑の片隅でバッタの親子に出会いました。子供が必死に親の背中にしがみついている?待てよ。これから寒い季節を迎えるのに子どもバッタはどうなる?ネットで調べてみると、これは親子ではなくカップルでした。大きい方がメス、小さいほうがオスなんだと。寒くなる前に子孫を残そうという生き物の自然の姿なんでしょう。ヒトにかぎらず地球上に生きる多くの生物が必死に生きようとしていますが、バッタさんには宗教ってあるんでしょうかねえ。ないとすれば、なぜヒトは宗教を創りだしたんでしょうね。

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中秋の名月と薪能

2016-09-17 10:14:24 | Weblog

 つい数週間前まで暑い暑いと言っていたのに、9月に入ると秋の到来、街の景色もがらりと変わります。都会地に点在する田圃も、稲穂が垂れて刈り取りの季節を迎えました。そんな季節の変わり目が私は大好きです。
 今月の家内のお花のテーマは「お月見」でした。小さい頃は、母がお団子をつくってくれて、縁側でみんなでお月見をしたものですが、今はそんな風流なことはできません。でもことしは「中秋の名月」の9月15日、淀川河川公園で開かれた「千人の月見の宴」にでかけました。広い河川敷の特設ステージで、薪能「天鼓」、タンゴの演奏など盛りだくさんのプログラムを楽しみました。
   ちなみに特設ステージは強化ダンボール製。まだ開発途上のようですが、壇上で飛び跳ねてもびくともしない舞台でした。

  薪能の演目「天鼓(てんこ)」について、パンフレットにはつぎのように記されています。「空から降り下った不思議な鼓を打ち鳴らす少年、天鼓。妙なる音色を欲しがった皇帝の命に背いた少年は処刑されてしまう。手に入れた鼓は、皇帝が名人に打たせても鳴らず、天鼓の父親を引き出して打たせると、美しい音色が響き渡る。これに感じ、後悔した皇帝が手厚く弔うと、天鼓の霊が現れ、月下に鼓を打ち鳴らし喜び舞う。やがて夜明けとともに消え失せる」と。「名作能50」によれば、後段はこうなります。「初秋の風吹きすぎる夕刻、川面を管弦の音が満たすと、その音に惹かれるように天鼓の霊は現れる。嬉々として鼓を打ち、天真に任せて舞い遊び、愛器との再びの蜜月を心ゆくまで味わった天鼓の霊。しかし夜明けと共にそれはまた幻のように消えていく」と。
 都会地のことですから、満天の星空というわけにはいきませんが、かつて土佐日記で紀貫之が船を京の都に進めた淀川べりで、薪に照らされて老父王伯と天鼓の霊が舞う幻想的な世界が広がります。スピーカーを使っているとはいえ、天まで届くかのような謡いと囃子が薄暗闇の中に響きわたりました。照明器具のなかった昔は、薪か蝋燭でしか照らすことができなかったわけですから、能楽の原点を垣間見た思いがいたしました。撮影厳禁のためその模様をお伝えできないのが残念です。
 能楽の起源は室町時代に遡ります。小さい頃お祭りのときに恐る恐る見ていた神楽に近いものを感じます。この日は前段で、地元の神社の宮司さんによる火入れ式「川への祈り」もありました。その祝詞の言葉も、神楽、能に近しいものでした。
 いま読んでいる「ブッダの夢」は、著名な臨床心理学者・河合隼雄先生と異色の宗教学者・中沢新一先生との対談を文字にしたものですが、「仏教と癒し」の中でお二人は、日本人の宗教性、支柱を失った日本を問い、死の世界から現在を見るという論調に進んでいきます。なにか日本人が置き忘れてきたものを提起しようとされているように思います。
 四国遍路をきっかけに宗教というものと対峙するようになって、最近は臨床心理学の視点から人の心の在り様を考えるようにもなって、なんだか雲をつかむような状態が続いています。戦後の非宗教教育を受けて育った世代の私にとって、ひとつのけじめをつけたいという思いもあります。
 「千人の月見の宴」はこの後、がらりと雰囲気を変えて、ブエノス・アイレスの雰囲気漂うタンゴの世界へと誘います。柴田奈穂さん率いるLAST TANGOがご登場でした。タンゴの音楽を聴く機会は滅多にありませんが、ブエノス・アイレスといえばピアニストのマルタ・アルゲリッチが生まれたアルゼンチンの都市。クラシックとは違った、小気味良いタンゴのリズムを楽しみました。この日は、タンゴの時間になってやっとお月さまがご登場でした。
  さて、きょうはリストの「巡礼の年」をラザール・ベルマンのピアノで聴きながらブログを更新しました。来週後半は九州に出かける予定ですが、台風16号の動きが気になるところです。運を天にまかせるしかありませんね。

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信じることと考えること

2016-09-10 10:47:29 | 四国遍路

 陽の光を全身で感じながらも肌には優しい微風が舞う、そんな清々しい朝に、いつもどおり不動尊までお散歩にでかけました。山門を通って本堂に参拝、そのあと奥の院を回って大師堂にお参りする、これが毎日のコースです。
   時々、護摩祈祷にお参りすることもあります。今週は、大般若経転読付の特別大護摩供を興味津々で拝見しました。転読とは、1600年前に玄奘三蔵がまとめた600巻からなる経典「大般若経」を、護摩修行に併せて8名の僧侶で分割して一斉に声をあげて読誦するものです。扇を広げるかのように経典をめくり、大きな声で経題を唱える転読の風景に目を見張りました。
 さて、今週は四国八十八カ所遍路の旅(第三回)に行ってきました。第十二番札所の焼山寺から第十五番札所の国分寺までの4カ寺で、最初にお参りしたのは摩廬山焼山寺でした。標高800メートルの山の上にあって、前回お参りした第十一番札所藤井寺とは約13キロメートルの距離にあります。歩き遍路では、けわしい山道を登ったり下ったりしながら、健脚の人で4時間、普通の人で6時間ほどかかるようです。私にとっては、いずれ歩き遍路をしてみたい第一候補地です。
 今回はバスでお寺の駐車場まで登り、その後はしばし遠くの山並みを眺めながら坂道を登っていきました。道々に様々な仏像が立ち並んでいて、山全体がお寺のようです。小さな石段を登ってやっと大師像と仁王門にご対面です。樹齢300年以上もある杉並木をさらに進むと、目の前に本堂が現れます。例によって、手を清め、本堂、大師堂の順にお参りし、先達さんの先導で般若心経を唱えます。
 ご本尊は、寅年生まれの(私の)ご本尊と言われる虚空蔵菩薩です。その昔、この山里に大蛇が棲み村人たちを苦しめていたそうです。弘法大師が山に登ろうとすると、大蛇が火を放ち大師の行く手を遮ったけれども、大師はその火を止め大蛇を山の岩穴に閉じ込めてしまったのだとか。それが焼山寺のいわれのようでした。これを信じるか信じないか........。
 次に向かったのは第十三番札所大栗山大日寺でした。こちらは結構交通量のある道路をはさんで大日寺と一宮神社が向かい合っています。昔は同じ境内にあったようですが、明治政府の神仏分離政策により神社が独立し、その別当寺だったお寺は大日寺と名前をかえて残ったのだそうです。政治と宗教の難しい時代を思わせます。
 こちらのご本尊は十一面観世音菩薩ですが、本堂の片隅に真っ赤な仏像がお座りになっていました。「びんずるさん」というのだそうです。聞けば、酒癖が悪く、お釈迦さまから破門されたのだと。改心して破門を解いてもらう日を待っているのだそうです。お酒好きの私にとっては他人ごとではありません。(笑)
 十四番札所・誠寿山常楽寺は、岩山の上にお寺が建っています。ご本尊は八十八カ寺で唯一の弥勒菩薩です。弥勒菩薩は、お釈迦さまが入滅して56億7千万年後にこの世に現れ人々を救済するのだそうです。とてつもなく息の長いお話しですが、これを信じるか信じないか........。
 本堂と大師堂の間に、大きな櫟(いちい)の木が立っていて、よく見ると分れた太い幹の間に50センチほどの小さな大師像が鎮座していました。糖尿病や眼にご利益があるとのことでした。これを信じるか信じないか........。手を合わせてお参りをしました。お遍路をするようになって、こういう民間信仰のようなお話しについつい耳を傾けてしまいます。

 この日最後のお寺は第十五番札所・薬王山国分寺でした。常楽寺からの1キロほどの路を歩いていると、何組かの歩きお遍路さんに出会いました。自然と「こんにちは」と声を掛け合います。みなさんそれぞれに思いを胸に歩いていらっしゃる。途中、運悪く雨が降り出しましたが、そのまま歩き続けました。ご本尊はあらゆる病気や苦しみを癒してくれると言われる薬師如来です。
 帰阪途上のバスの中で、私は小林秀雄講演録CD「信ずることと考えること」をぼんやりと聞いていました。経験科学と人間の意識(精神)の在り様についてのお話しでした。先日目を通した中沢新一先生の講演録「ものとこころの統一へ」も、脳神経科学と人のこころの関係を考えながら、物質的な「ニューロ系」と非物質的な「こころ系」をつなぎ統一しているものはなにかを問うものでした。中沢先生はさらに、数字のゼロと仏教の「空」には共通性があると言います。「ゼロの概念に基づく「もの」と「こころ」の統一をめざす未知のサイエンス(学)は、人間に真の謙虚さを取り戻そうとする試みにほかならない」ともおっしゃっています。難しすぎて頭の中が整理できていませんが、いずれ自分なりの解が見つかるんでしょう。きっと。四国遍路の旅、次回から1泊2日の行程になります。

 さて、きょうはめずらしく諏訪内晶子さんのCD「Crystal」を聴きながらのブログ更新となりました。実は昨夜、フェスティバルホールで開かれた日本ライトハウス盲導犬育成支援チャリティ・コンサート「ストラディヴァリウス コンサート2016」に出かけ、その余韻が残っているからです。ヴァイオリン、ビオラ、チェロのすべてがストラディヴァリウス製という贅沢な演奏会でした。奏者のお一人だった諏訪内晶子さんのヴァイオリンは、10年ほど前にずいぶん聴きましたが、最近は少し遠ざかっていました。改めて弦楽器の良さを再認識した、そんなコンサートでした。
 明日は久しぶりに京都へお勉強に出かけます。そういえば先日、大学時代のクラブの先輩からお電話をいただきました。OB会の世話役をやってくれと。これも何かのご縁なんでしょう。当面、11月の宿泊懇親会と会合の準備からお手伝いをすることにしました。

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十五夜能を楽しむ

2016-09-05 10:37:26 | Weblog

 おととい、大槻能楽堂の「十五夜能」を観てきました。7月の「ろうそく能」に続いてのご鑑賞でありました。
 狂言「瓜盗人」は、瓜畑の主が盗人を懲らしめようと瓜畑に案山子を置くが効果なく、自らが案山子に扮して盗人が現れたところで懲らしめるというお話しでした。畑主と盗人との駆け引きが会場に笑いを誘います。能楽鑑賞歴の浅い私も、最近やっと狂言の楽しさが判るようになりました。
 能「小督(こごう)」のシナリオは、ざっとこんな流れです。
 小督は宮中第一の美人で琴の名手。あるとき、高倉帝の眼にとまり寵愛を受ける。しかし帝には平清盛の娘徳子が中宮として入っている。清盛にとって小督は娘の恋敵であり、自分の野望の障害物でもあり、小督をなき者にしようと企てる。身の危険を感じた小督は、嵯峨野の里に身を隠してしまう。それを知った帝は嘆き悲しみ、源仲国に小督の捜索を依頼する。仲国が馬を駆って渡月橋のあたりまでさしかかると、妙なる琴の音が聞こえてくる。それは帝を偲んで小督が弾く「想夫恋」の曲だった。小督の奏でる琴の音を頼りに、嵯峨野の隠家を探し当てる。小督は会うことを拒んだが、侍女の取り成しで仲国を招き入れ、帝の文を受け取る。その深い情に感涙し、小督もまた恋慕の思いをしたためて仲国に託す。そして名残の宴を開き、都へ帰っていく仲国を見送る。
 これは平家物語の巻第六「仲国、想夫恋を奏でる小督を嵯峨に発見」に登場するくだりですが、源氏と平氏が争い鎌倉幕府が誕生する時代に、こんなメロドラマがあり、それが長く語り継がれてきたことに、繊細な日本文化の真髄を見る思いがします。
 能楽堂内に一瞬の静寂が走ったところで、左手の揚幕があいて笛、鼓など囃子方の方々が、右手の切戸口からは地謡の方々が入場します。体制が整ったところで揚幕があき、鎌倉時代の装束を身にまとった高倉帝の臣下(ワキ)が現れ、次いで源仲国が登場します。
 と、ここで場面が変わります。といっても大劇場のように大がかりな舞台展開があるわけではありません。舞台中央に極めて質素な片折戸の門と柴垣が置かれ、それが嵯峨野の場面ということになります。1時間半の中で舞台の展開はこれだけです。あとは囃子と謡と数名のシテ方、ワキ方によって能は進みます。シテ方、ワキ方ともに当時の衣装を身にまとい、床に足裏をつけたまま静かに移動する姿は、まさに絵巻を観ているようです。そこに能面をつけた小督の局と侍女が登場すると、華やいだ場面になりますが、小督の繊細な心の在り様が舞台全体に伝わってきます。お能のせりふは文語体なので理解に難儀します。最近になって部分的ではありますが、言葉の端々が判るようになりました。
 免疫学の世界的な権威にして能楽に造詣の深い多田富雄先生は、「能は基本的には演劇であるが、そこにはダンス(舞)も含まれ、歌(謡)が歌われる。オペラやバレエを見るのと同じである」とおっしゃいます。でも、能楽は、単純化され、きわめて抽象化された演劇であって、謡のすべてを理解するというよりも、「時間」を超越した非現実の世界に身を置くことによって、ひしひしと迫ってくるものを見逃さない。そんな鑑賞力が試されているように思えます。 
 張り詰めた空間を突き刺すような横笛の音色、凛とした鼓の音と奏者の掛け声、これがオーケストラなら、十数名の謡の方々はさしずめ合唱団といったところでしょうか。オペラと違うのは、主役の演者が能面を被っていること。不思議なことに、その能面が一瞬泣いたり笑ったり怒ったりするように見える瞬間があります。バレエと違うのは、演者の動き。ステージ所狭しと踊るバレエと違い、能の動きは、荒れ狂う舞もないではありませんが、基本的に「静」の世界です。

 この日、隣の席にお座りの和服を着た86歳のお婆さんは、わざわざ堺市から電車に乗ってやってきたのだそうです。40年来お能のファンで、ご夫婦そろって謡を習っていらっしゃるとか。「お能は奥が深くて、まだまだです」と謙遜していらっしゃいましたが、「あまり難しく考えないで全身で楽しんでください」とアドバイスをいただきました。妙に納得してしまいました。
 この日は、公募写真展「能の見える風景」の入賞者受賞式が行われ、作品がロビーに展示されていました。金賞の方には、この日の十五夜能の撮影権が与えられました。
 運よく台風12号が日本海に行ってしまいました。明日は能楽と同時代から続く四国八十八カ所遍路の旅に出かけてきます。

※平家物語の絵巻の写真は、古本まつりで見つけた別冊太陽「平家物語絵巻」から拝借しました。

 

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温泉で夏の疲れを癒す

2016-09-03 10:38:26 | 旅行

 台風一過というのでしょうか。それとも台風12号が九州上陸をねらっているからなのでしょうか。ここ数日、過ごしやすくなってきました。そんな気持ちの良い日に、伸び放題になった庭の草むしりや、秋野菜の準備に汗をかきました。ことし初めて植えた皇帝ダリアも、暑い夏を無事に乗り越えて、いよいよ本領発揮といくのかどうか。3メートルにもなるそうですから、うまく育ったら壮観です。こう涼しくなってくると、本来の意味で晴耕雨読を楽しむことができそうです。
 そういえば、我が家のアケビ、気がつかない間にずいぶん大きくなりました。去年はカラスに食べられてしまいましたので、ことしは色づき始めたら紙袋を被せようと思っています。
 さて、この春仕事に復帰した長女が初めて迎えた夏。ことしは家内が夏休み中の孫たちのお世話をしました。お婆さんはほぼ毎日喜々として長女の家にでかけていましたが、さすがにお疲れのご様子です。そんな夏休みも8月31日をもって終わりました。そこで、夏の疲れを癒すことに。いろいろネットで調べていくと、運よく翌朝出発の1泊2日の予約がとれました。行先は兵庫県北部にある湯村温泉です。
 9月1日、大阪からホテルの玄関口までの直行バスに乗って、いざ出発。途中、鳥取砂丘に寄ってくれて、そこで昼食をとりホテルに向かいました。また翌日は、バスの出発までの自由時間に、少し足を伸ばして山陰海岸ジオパークを遊覧船で巡り、ちょっとした観光気分も味わいました。
 湯村温泉は、かつてNHKテレビドラマ「夢千代日記」の舞台になったところだそうです。秋の虫が賑やかな山間の温泉地で、家内は温泉に浸かってご満悦でした。私も、おいしいお酒をいただきながら秋の夜長を楽しみました。それに、最上階からさらに山の斜面を93段登っていく森林露天風呂は最高でした。
 驚いたのは到着した夜のこと、ホテルの横を流れる川縁にクマが現れました。街中大騒ぎになり、お巡りさんまでご登場になったのだと。幸い川上に逃げていったようですが、翌朝地元のお婆さんが身振り手振りでお話しをしてくれました。ひょっとしたらクマさん、温泉に入りたかったのかも。それとも温泉卵がほしかったのかもしれませんね。
 束の間の休息。いえいえリタイアすると毎日が夏休みなのですが、ここにきてやっと「スローライフ」に慣れてきました。仕事第一の生活が長かった私にとって、平日の昼間に街を歩く習慣がなく、当初はずいぶん戸惑いました。ある種の病気だったのかもしれません。それが、朝の不動尊へのお散歩で時々お会いする英国人の老夫婦とお話しをするようになって、なにかが吹っ切れたように思います。自分ではどうしようもなかったスピードに急ブレーキをかけて、ギアチェンジ。ターシャ・テューダさんの「思うとおりに歩めばよいのよ」という言葉がふっと浮かんできます。
 とはいえ、簡単にスローライフというわけにはいきません。きょうの土曜日は、夕刻、大槻能楽堂の「十五夜能」に出かけます。演目は狂言「瓜盗人」と能「小督」です。来週になると、四国八十八ヶ所遍路の旅第3回目。12番札所から15番札所まで回ります。こころの未来研究センターのフォーラムもあります。下旬には以前から計画していた温泉旅行も。10月に入るとシニアカレッジも始まります。次から次へと旗を立てていく悪い癖は、そろそろやめなければなりません。(笑)
 もう少しゆったりとしても良いのでしょうが、元気なうちに、あっちに行ったりこっちに行ったり、これまでできなかった夫婦そろっての行き当たりばったりの旅を楽しんでも良いかもと。なんともお気軽なものです。

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