今朝、4日ぶりに不動尊にお参りに行くと、大師堂前の境内に大きなドングリが落ちていました。いくつかを拾って窓辺の本棚にそっと置いてみました。あと数日もすれば「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」。ひと足早い虫の冬支度といったところでしょうか。
秋といえば、先週末、2泊3日で長崎と熊本にでかけてきました。熊本城下から大津の街を通り、外輪山を越えて阿蘇谷をひた走る九州横断バス(産交バス:熊本駅前⇔阿蘇・黒川温泉・湯布院・別府)の車窓から、ススキの穂が広がる草原を眺めていたら、ふと高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)を思い出しました。
「火の国の火の山に来て見わたせば、わが古里は花模様かな」
「杳として人は住みてむ。わが身独りは、森羅万象を踏み破りて、夕日照る豊後の国に向かふ。長き谷に添ひ、陰多き丘と凹地とを見渡す処に、中井田と云ふ村あり」
「細雨瀟々湘たり。名にし負う柏坂をけふは越えんとて、足を痛めつゝ、なほ行く。山の森を過ぎ、一つ二つの峯を越え行くほどに銀雨崩れ来たりて天地花の如く哄笑す。」
熊本市内から別府まで高速バスで5時間もかかる長い道のりを、二十四歳ばかりの女性が巡礼姿に身をつつんで独り四国遍路の旅をめざす。そんな風景がダブってみえてしまいました。
今回のプランは旅行大好きの家内の弾丸企画でした。一日目、お昼前に長崎空港に到着すると、まずはバスの待ち時間を利用して「出島」界隈と中華街をぶらりお散歩です。午後4時10分、路線バスに乗って一路、雲仙温泉をめざしました。泉質は「硫黄を含んだ酸性硫化水素泉」。夕食前と夕食後そして翌朝と、温泉を堪能しました。翌朝、島原駅前行バスの待ち時間に、「雲仙地獄」界隈を散策しました。人懐っこい猫たちがお出迎えしてくれました。
雲仙は701年に行基によって開かれたと言われ、その昔、キリシタン殉教悲史の舞台でもあったところです。地面から熱湯が沸き、湯けむりが漂うなか、残酷な拷問でも棄教する者はほとんどおらず息絶えたと言います。悲しい歴史です。拷問がなされた場所に立つ記念碑を見ながら、宗教と人との関係性に思いを馳せました。
島原駅前に到着すると、今度は水陸両用バス「島原ダック・ツアー」に乗って、陸と有明海から市内観光のあと、高速カーフェリー「オーシャンアロー」に乗って熊本港、熊本駅をめざしました。船上から雲仙普賢岳を望みます。
なんとも欲張りな企画ですが、熊本についてやっとひと息。バスセンターで翌日の予約を済ませたあとホテルにチェックインしました。小休止のあと市電の一日乗車券を購入して水前寺公園、能楽堂、熊本城、小泉八雲の熊本旧居などを見て回りました。夜はもちろん馬刺し料理に海鮮料理。旨いお酒にも出会えて夜遅くまで熊本の夜を楽しみました。
翌日は朝7時45分にホテルを出ると、九州横断バスに乗って3時間半。黒川温泉をめざしました。秋近い山の中に佇む山みず木別邸深山山荘で昼食をいただき、あとは「檜の湯」でゆっくりと温泉を楽しむ。泉質は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩などに効能があると言われる単純温泉でした。
午後4時25分、九州横断バスに乗って熊本空港をめざしました。ところが予想しなかった事態に遭遇しました。大地震で崩れた路面の工事のために一部の車道が通行止めになっており迂回することに。それと夕刻が重なり大渋滞に巻き込まれました。運転手さんからは大阪行き最終便に間に合わないかもしれないと。そのときの対応を航空会社に電話で相談しているうちに、搭乗時刻ぎりぎりに間に合いました。家内いわく「あなた現役だったら真っ青になったところだったね(笑)」と。確かに。
そんな行き当たりばったりの弾丸旅行から戻ってみると、郵便ポストに年金決定通知書が届いていました。仕事を離れて2カ月。10月からは、いよいよ年金生活です。あと何年生きながらえることができるかわからないけれど、現役時代のテーマだった仕事の「生産性」「効率性」「有用性」という概念をかなぐり捨てて「スローライフ」に大きく舵を切る、美しいものを美しいと素直に言える、そんな日々を送りたいと思っていますよ。