心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

MC型カートリッジDL-103

2005-10-30 18:27:32 | Weblog
 昨日の仕事帰り、オーディオ専門店に立ち寄りました。レコードプレーヤーのカートリッジを品定めするためでした。あまり専門的なことは知らないのですが、カートリッジにはMM型とMC型の二種類があって、わたしは以前からMM型を利用していました。お値段も比較的手頃だからです。
 先客がいて、お店のお兄さんと楽しそうに話をしているので、私も仲間入りです。「この2種類って、どう違うの?」って尋ねると、お兄さんは、「私はクラシックをよく聴くんですが、MC型を使っています。音質が全く違うんです」と。「MC型って昇圧トランスがいるんじゃない?」と尋ねると、「お客さんのプリアンプには切り替えスイッチが付いていますから大丈夫です」。その後のやり取りは専門用語が飛び出してきて話の半分しか理解できなかったのですが、聴く音楽によってカートリッジを変えるなんて楽しそうではありませんか。さっそく本腰を入れて品定めを始めました。そして、DENONの「DL-103」という定評のあるカートリッジを手にしました。雑に扱ったら壊れそうな、そんなレコード針が2万円かと思いながら、気を取り戻してレジに並びました。解説してくれた若いお兄さんは「間違いありませんよ」と笑顔で応えてくれました。
 ルンルン気分?半信半疑?とにかく聴いてみようと家路を急ぎました。夕食もそこそこに、トーンアームにセットして、プッチーニの歌劇「修道女のアンジェリカ」のレコードを仰々しくターンテーブルにのせて、いざ開演。.....う~ん。しっかりした充実感のあるサウンドがスピーカーから流れてくるではありませんか。若かりし頃のソプラノ歌手カーティア・リッチャレルリの歌声が、メゾソプラノ歌手フィオレッツァ・コッソットの歌声が部屋中に響き渡りました。これは素晴らしい。中古レコードからCD並みの音質を再現する技術に驚きでした。
 これで、少なくとも私が生きている間だけは、レコード芸術も現役の立場を維持できそうです。安堵と嬉しさがこみ上げてきました。(^^♪
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狸さんと人間圏

2005-10-23 11:21:43 | Weblog
 週末の夜は、少し遅めのご帰還でした。空を見上げればお月さまの近くに赤い火星が輝き、地球に生きる私の存在、宇宙に生きる私の存在というものを思ったものです。そんな秋の夜道、バス停から少し歩いた所で、誰か私を見つめている。こんな夜遅くに誰だろう、と思いながら目を凝らしてみると、公園の柵の下に狸さんがいるではありませんか。実に1年ぶりの再開でした。
 私の住んでいる場所は、ずいぶん以前に里山を造成してできた住宅街です。高度経済成長の初期の時代だったんでしょう。そんな関係で、私が移ってきた当時は、少し歩けば田んぼもあったし小川もあって、メダカ採り、フナ採り、ザリガニ採りなど、都会地にあって珍しく自然と戯れることのできる環境を子供たちに提供できました。けれど、その後、小さな森がひとつ、またひとつと姿を消して、造成され、真新しい住宅が建っていきました。こうして、狸さんの生活圏を人間さまが占拠していきました。身を隠す場が減って、交通事故に遭遇することも。人間圏で必死に生きようとしている直向きな狸さんが、可哀想に思えたものです。
 休日の朝、愛犬ゴンタと公園の前を散歩しましたが、もちろん昼間に狸さんに出会うことはありません。朝の挨拶をしてくれたのは、ハナミズキの赤い実を啄ばむヒヨドリ、大きな樹木に群がるシジュウガラ、モズたちでした。もうこれ以上自然を破壊したくないですね。でも、ひとり感傷に浸っていて問題解決できるわけでもありません。なんとかしなければ。
 ところで、今朝は、すでに冬眠体制に入っている我が家の亀五郎夫妻の冬支度をしてあげました。少し遅くなってしまいましたが、熱帯魚の水槽にヒーターをセッティングしてあげました。わたしも薄手のセーターを着ることにしました。季節の変わり目を肌で感じることのできる環境に、まずは感謝したいと思います。
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秋雨の週末

2005-10-16 10:49:31 | Weblog
 この1週間いろいろなことがありました。「ひと」が相手の仕事だけに、それぞれの個性を生かしたい。でも、大きな方向性だけは確保しておきたい。そんな思い上がりが自身の首を絞めているのかもしれませんが、企業にしろ何にしろ組織運営というものは難しいものです。それでも、右往左往しながら何とか週末を迎えると、ほっとします。
 昨日は、午前中で仕事を切り上げると、秋雨の降る外に飛び出しました。天王寺公園にある大阪市立美術館で開催されていて、今日16日でおしまいの「ミラノ展」に駆け込み鑑賞でした。職場のトップから招待券をいただいていながら、行く機会を逸していたのです。仕事帰りのため、ビジネスカバンを片手に美術鑑賞をするというのも何か変でしたが、それでも、十分に楽しむことができました。極めつけは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「レダの頭部」。スパルタ王の妻レダが、白鳥に姿を変えて近づいたゼウスと交わりその子を産んだというギリシャ神話をもとにしたものですが、レダのやさしい微笑みが、日常の煩わしさを忘れさせてくれました。原画と同じ寸法のポスター(20×16㎝)を買って帰りました。この作品が所蔵されているスフォルツァ城博物館には、以前いちど観光で訪ねたことがあります。城壁の堀に真ん丸い石製の砲丸が無造作に転がっているのをみて、塩野七生さんの歴史小説に登場する中世の戦争風景を思ったものでした。
 1時間をかけてじっくり楽しんだあと館外に出ると、相変わらず雨が降っていました。せっかくミナミの方に来たんだからと、日本橋の中古レコード店DISC.JJに足を運びました。1階はCD、2階はDVD、3階がレコードで、相当な品数が揃っています。美術館でミラノ・スカラ座所蔵のジュゼッペ・ヴェルディの彫像にお会いしたばかりでしたから、「オペラ・声楽」コーナーを中心に品探しでした。で、選んだものは、プッチーニの歌劇「修道女アンジェリカ」と歌劇「外套」。あと日本歌曲集から4枚ほど。中古とは言っても新品同様、良い買い物ができました。
 雨の日は、ものを見つめる視点がどうしても内側に向いてしまいます。その分、真正面から私自身に向き合うことができます。束の間の休息を楽しみました。
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歌曲の世界

2005-10-09 11:12:35 | Weblog
 ここ数年、秋に1本、シンポジウムを企画しています。職場の思いを社会に発信したいためです。今年は「人間」「デザイン」「視点」がキーワードでしたが、オペラ「蝶々夫人」の舞台照明を手がけられた照明デザイナーをお招きして基調講演をいただきました。シンポジウム自体は少し固めのテーマ設定でしたが、それでも500名近い方々にご参加をいただきました。
 私は、オペラの非日常的な世界が好きです。でも、いつごろからオペラを楽しむようになったかと考えてみると、どうやらグスタフ・マーラーを好んで聴くようになってからのよう。交響曲にも歌曲、合唱を取り入れたマーラーの世界は、難しいけれども何か人間の本質に迫るものがありました。でも、あまり深刻にものを考える性質ではないので、ときどき気軽な歌曲を聴いて息抜きをする。しかし、息抜きが息抜きではなくなり、歌曲そのものの素晴らしさを思うようになりました。オペラのアリアも大好き。そんな経緯を辿ってオペラに到達する。これが私の音楽とのお付き合いであったような気がします。
 最近、信時潔に関心をいだくようになって、日本人が作曲した作品を見つけては聴いています。ピアノと歌曲の組み合わせが気に入っています。むかし小さい頃、お隣のお姉さんがレッスンで毎日歌っていた、そんな風景を思い出しながら。.....小さい頃よく遊んでくれたあのお姉さんは後に東京の芸大に進まれましたが、その後お会いする機会を逸しています。
 数日前にamazonに頼んでいたCD「柳兼子 現代日本歌曲選集(日本の心を唄う)」が昨夜届きました。信時潔作曲の「沙羅」「古歌二十五首」「静夜思」、高田三郎の「啄木短歌集」、弘田龍太郎の「春声」、杉山長谷夫の「苗や苗」「金魚や」。今は亡き柳兼子さん(アルト)のことは初めて知りました。日本の声楽界の草分け的な存在だったんだと思います。キンモクセイの芳しい香が漂う秋の夜長、CDを聴いて1週間の疲れを癒しました。
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日本のこころ

2005-10-02 15:38:20 | Weblog
 最近、時の流れの早さを感じます。朝、目が覚めたかと思うと、気がつけば昼食の時間、気がつけば帰宅の通勤電車の中、そしてラジオ深夜便のスイッチを入れると、いつの間にか眠りについている。1週間も、1ヶ月も、あっという間です。こんな調子で、わたしの人生も終わってしまうのでしょうか。あまりにも味気ない。だから休日だけは、自分の時間を大事にしたい、そんなことを考えながら、再びふとんの中に潜り込んでしまいました。
 午前5時30分。休日の朝は、いつもより早く目が覚めてしまいます。辺りが徐々に明るくなってくると、小鳥たちの囀りがちらほら。秋になると、都会地でもずいぶんたくさんの種類の小鳥たちの囀りを楽しむことができます。書棚から野鳥図鑑を出してくる季節になりました。CD「日本の童話・唱歌名曲50選」を聴きながら、さあて、きょうは何をして遊ぼうか。そんなことを考えていると、遠くから「そろそろ起きませんか」。
 先日、東京に出張した際、日本近代音楽館というところに寄り道をしてきました。作曲家・信時潔の直筆譜を直に見て見たいと思ったからです。マイクロフィルムを回しながら、昭和20年前後に作曲された何百曲という譜面を眺めながら、これは単なる譜面ではない、と。筆跡、曲名、作詞家のお名前などを眺めながら、日本の近代史を見ている錯覚に陥りました。そう、まさに「歴史」そのものなんだと思いました。戦前、戦中、戦後。多くの人たちの心の遍歴が走馬灯のように目の前に浮かんでくる。そんな不思議な感覚にとらわれました。
 休日の昼下がりは、CD「木の葉集~信時潔ピアノ曲全集」を聞きながらゆったりとした気持ちで本を読んで過ごしました。今月の下旬には姫路市で信時潔作品「沙羅」(全曲)の演奏会があるとか。少し遠いけれど、土曜日の夜だから行ってみようかなぁ、どうしようかなぁ。こんな他愛ない悩みに時間を費やせるのも、休日の贅沢な楽しみなんでしょう。(^^♪
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