心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

大正時代の児童文芸誌「赤い鳥」復刻版に出会う。

2022-01-28 21:18:28 | Weblog

 先日、久しぶりに園芸店を覗いたら、クレマチスの小さな苗を売っていました。この季節に買って大丈夫かなあと思いつつ、4種の苗を買って帰りました。根回りを崩さず大きな鉢に植えて明るい軒下に置いて春を待つことにしました。そうそう、先日来、冬の野菜のひとつである蕪の水彩画を描いていますが、微妙な葉の色の変化がうまく表現できません。そうこうするうちに来週から人物画が始まります。これまた大変です。
 春が待ち遠しい一方で寂しい出来事もありました。仲良くしていただいていたお向かいの老夫婦が、いよいよ介護サービス付き高齢者向け住宅に完全に引っ越しされることになりました。ご挨拶をいただいた数日後、専門業者の方が家財一式を何台ものトラックに乗せて行きました。
 もぬけの殻と化したお家は、いまひっそりとしています。海外生活が長かったご夫婦でしたが、余生は仲良くガーデニングを楽しんでいらっしゃいました。「老い」の行く末を自分のことのように思える1週間でもありました。そのお庭には、どんな春が待っているのでしょうか。何事もなかったように、お庭の大きなハナミズキが花開くのでしょうか。
 そんな感慨にふけりながらも、今週はあっという間に過ぎて行きました。それも火水木金と出ずっぱり。明日の土曜日も能講座に出かける予定でしたが、疲れが溜まり、また大阪のコロナ感染者数が1万人を超えたため、奥様から外出自粛要請が出てしまいました(笑)。

 そんななか、今週も折に触れて金子みすゞの世界から離れることはできませんでした。週の初めには大正7年創刊の児童文芸誌「赤い鳥」の復刻版(日本近代文学館)の第1巻(1巻1号<創刊号>から6号)をヤフオクで見つけて購入しました。
 届いた荷物をあけると、しっかりした紙箱に雑誌6冊が入っていました。復刻版なのにほんのりと古本の匂いが漂い、手触りも本物のようです。まずは創刊号(大正7年7月1日発行)を手に取ります。鈴木三重吉主幹とあり、表紙絵「お馬の飾」は清水良雄作とあります。定価は1冊18銭。
 表紙をめくると、「赤い鳥」の標榜語(モットー)があります。「西洋人と違って、われわれ日本人は、哀れにも未だ嘗て、子供のために純麗な読み物を授ける眞の芸術家の存在を誇り得た例がない」「赤い鳥は、ただ単に話材の純清を誇らんとするのみならず、全誌面の表現そのものにおいて、子供の文章の手本を授けんとする」として、賛同せる作家として、泉鏡花、徳田秋声、高浜虚子、野上弥生子、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村、鈴木三重吉など十数名の名前をあげています。
 本文を開くと、創作童話として北原白秋の「りすりす子栗鼠」、島崎藤村の「二人の兄弟」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」などが掲載されています。名だたる作家たちが綴る創作童話に驚きを隠せません。目の前に、古き良き時代の童話の世界が広がります。長い間、小難しい本に接してきた私とっては、何かほっとする時間でもあります。セピア色に浮かぶ大正時代の風景を垣間見る思いがいたします。私が歳をとったからなのか、それとも人間存在のベースとなる心の在り様を忘れていたためなのか.....。当面、自問自答が続きます。
 ちなみに、奥付に創作童謡童話募集、各地童謡伝説募集などの告知がありました。金子みすゞは当時、こういう雑誌に投稿していったのだろうと思います。

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大寒 ~ 今週もみすゞとほっこり

2022-01-21 11:11:46 | Weblog

 1年で最も寒さが厳しいといわれる「大寒」を迎えました。でも、朝のお散歩で街を歩いていると、冬の陽を楽しむ木々の枝先には何やら葉芽らしきものがちらほら。この寒ささえ乗り越えれば春はもうそこまでやってきています。
 そんな季節、家にいるときには水彩画に戯れます。今週の水彩画教室のお題は冬の野菜を象徴する蕪でした。でも、近くのスーパーの野菜売り場に行くと尻尾がきれいにカットされた蕪ばかり。泥付きの自然のままの蕪はないかと何軒か回りましたが、すべてきれいな蕪ばかり。なんとなく寂しい気持ちになりました。
 一方で、数日前から描いているのは、小雪舞う夜の札幌時計台。数年前の冬、夕食を終えてほろ酔い気分でぶらり札幌の街を歩いているときに撮ったものです。これがまた難しい。水彩画教室の先生からアドバイスをいただきながら仕上げに入りつつあります。
 さて、今週も「金子みすゞ」の世界が頭から離れませんでした。またしてもテキストの先読みです。NPOの事務所に向かう電車の中で読み終えてしまいました(笑)。私を夢中にさせたのは、みすゞの生きた時代の変化でした。
 明治の国家主義から華やかな大正デモクラシーの時代へ。童謡詩が誕生し、童話の雑誌が次々と生まれ、それが童謡として歌い継がれていく。でも、昭和に向かうと戦争への足音高く、童話雑誌が休刊・廃刊に追い込まれ、童謡も哀愁を帯びたものから戦意を鼓舞するようなものになります。
 こうしたなか、みすゞは詩集を刊行する機会にも恵まれず、結婚はするけれども4年後には離婚、娘の親権が奪われそうになるなか、あんなにも優しく素直な心の世界を育んでいたみすゞは、失意の中で自死を選んでしまいます。なんとも複雑な思いを胸にテキストを閉じました。
 本棚の奥から金子みすゞの詩集を何冊か取り出してぱらぱらと捲ります。ふと、その傍らに大正13年5月発行の「西條八十童謡全集」が鎮座していました。この本は、印刷した紙を裁断せずに綴じた装丁、いわゆるフランス綴じと言われるものです。要するに袋とじになっていて、それをペーパーナイフでページごとに切り開いて読んでいくのですが、なぜこんな面倒臭いことをするんだろうと思いつつ、ヨーロッパにはこういう文化があったんだと妙に納得したり。10年ほど前に大阪の古本屋さんで見つけました。

 三大童謡詩人といわれる北原白秋、野口雨情、そして西條八十。みなそれぞれに大正昭和を生きた方々で、私にとってはなんとなく近しい存在ではあります。北原白秋の詩集も何冊かあります。野口雨情については詩集は持ち合わせていませんが、四国歩き遍路のなかで何度か句碑に出会ったことがあります。むかし麻布十番界隈で東京の知人たちと呑んだとき、野口雨情の童謡「赤い靴」に登場する赤い靴の女の子「きみちゃん像」にばったり出会ったこともありました。

 こうして振り返ってみると、今週も金子みすゞ繋がりで点と点が線になったような気がしています。今年の古本祭りのテーマには、大正期に活躍した童謡詩人が加わりそうです(笑)。
 残念なことに、オミクロン株の急速な感染拡大のため、楽しみにしていた2月1日から4日まで大阪市中央公会堂で開催される予定だった第13回 水の都の古本展は、昨年に続いて今年も中止になってしまいました。

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金子みすゞと私の読書遍歴

2022-01-14 10:54:41 | Weblog

 今年になって初めての講座を無事終えて週末を迎えました。いよいよエンジン始動といったところでしょうか。それにしても寒い日が続きます。ここ大阪も、小さな小雪が舞う季節になりました。
 昨日、家に帰るとスマートレター(小型特定封筒)が届いていました。依頼主の手書きの文字を見てすぐに解りました。現役の頃にお世話になった先生からの贈り物、中には「文趣遊譜」なる自分史が1冊入っていました。表紙をめくると謹呈として私の名前が記され、押印までいただきました。
 知的財産の分野で先進的なお仕事をされた先生です。数えで80歳におなりになり、今は関東のご自宅で悠々自適にお暮しになっています。多趣味な方で、そのうち音楽鑑賞と水彩画、古書店巡りは私と同じです。大阪の古本屋さんでばったりお会いしたこともありました。昨夜は、一緒に働いた当時を懐かしく思い浮かべながら拝読いたしました。

 さて、今週は、天王寺公園内にある大阪市立美術館へメトロポリタン美術館展「西洋絵画の500年」を観に行ってきました。展覧会の構成は「信仰とルネサンス」「絶対主義と啓蒙主義の時代」「革命と人々のための芸術」の三部構成。60点あまりの絵画が展示されていて、時代の変化と共に画風が変わっていくダイナミズムを思いました。なによりも構図の素晴らしさ、油絵の精緻なタッチ、お勉強になりました。

 さてさて、今週からEテレで「100分de名著:金子みすゞ詩集」が始まりました。講師の作家・翻訳家の松本郁子さんは、なんと出雲市のご出身でした。
 番組は、1回25分×4回=100分ということで、みすゞの生い立ちを追い、みすゞの詩の世界に私たちを誘います。みすゞのやさしい言葉から紡ぎ出される詩の世界、言葉の向こうに風景と人の心が見えてきます。
 金子みすゞを産んだ時代背景のひとつに、大正時代に花開いたという雑誌文化があります。インターネットなどない時代、雑誌は地方の者にとっては貴重な情報源だったわけです。山陰に生まれ育った私も雑誌の発行日になると、町に1軒しかない本屋さんに嬉々として行ったものでした。そういう時代に児童文芸誌は産声を上げた。「わらべ唄」と「唱歌」と「童謡」の違いについても詳しく説明されていました。
 昨年の暮れ、児童文学の先生にお越しいただいたとき、夏目漱石門下の鈴木三重吉が児童の文芸誌「赤い鳥」を創刊した当時のことをお聴きしました。この番組でも大正初期に「赤い鳥」のほか「金の船」「童話」などの児童文芸誌が続々と誕生したことが紹介されていました。
 こうした雑誌には童謡詩の投稿欄があって、「赤い鳥」は北原白秋、「金の船」は野口雨情、「童謡」は西条八十が選者を務めたといい、金子みすゞは下関から、これらの雑誌に詩を投稿して行ったわけです。
 ところで、2回目の講座テキストを先読みしてみると、当時、金子みすゞ以外には詩壇の歴史に女性の詩人が取り上げられていないことが触れてありました。でも、もちろん女性の詩人はいたわけで、そのお一人に高群逸枝の名前があがっていました。
 高群逸枝といえば、「赤い鳥」が創刊された大正7年、24歳の若さで四国八十八カ所に出かけ歩いた女性で、紀行文学「娘巡礼記」を著した詩人であり後の女性史研究家です。私が歩き遍路をしたときのひとつの参考文献でもありました。
 こうして私の読書遍歴はまたひとつ繋がったことになります。ちなみにネットで調べてみると、「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉は広島市の出身で、広島市中央図書館には特別コレクション「三重吉文庫」が所蔵されているのだそうです。週の半分を広島で勤務していた頃、覗いておけばよかったと悔やみます。

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芹乃栄~昔の情景が浮かぶ新年

2022-01-07 11:07:36 | Weblog

 本格的な寒の入りとされる「小寒」、七十二候「芹乃栄」を迎えました。古来、日本には年の初めに野に出て若菜を摘んで食する風習がありましたが、その後中国から伝わった七草粥の風習が加わって今日に至っています。今朝は七草粥をいただいて無病息災を願いました。
 でも、冬と春がいっぺんにやって来るって何か変ですね。いやいや、旧暦の1月7日は新暦の2月の中旬頃に相当しますから、いくぶん寒さも和らいで若菜が芽吹き始める頃なんでしょう。雪の下では今、若菜がしっかりと根づいていると思います。

 ずいぶん昔のことになりますが、長い冬が終わり暖かい春の陽が柔らかく大地をつつむ頃、姉と一緒に小さな竹籠をさげて芹摘みにいった記憶があります。小川の水辺でなんとも言えない香を放つ芹を見つけました。芹という植物は姿形ではなく香りで覚えました。
 急に子供の頃の情景が浮かんでくるのは他でもありません。お正月を楽しく過ごした長男一家がひと足早く帰京したあと、3日間はしゃぎまくっていた近所に住む長女の孫次男君の様子が変です。夕食の時間になってもソファーの片隅に座って今にも泣きそうな顔をしていました。
 なぜだろう?.....ふと私の子供の頃のことを思い出しました。お正月やお盆になると、東京、横浜、松江など各地から同年配の従兄弟たちがやってきて、それは賑やかなものでした。でも、何日か経つと潮が引くように帰っていく。急に元の静かな生活に戻ってしまう。その落差の大きさに打ちひしがれました。おそらく孫次男君も、そんな思いになったんでしょう。それほどに孫たちはこのお正月休みを楽しんでくれたようでした。お爺さんもお役目を果たすことができました。
 日本海側では、年末年始にかけてずいぶん雪が積もったようです。お正月用にと新米やお餅、出雲蕎麦や和菓子などを大きな段ボールに詰めて送ってくれた実家の義姉に電話を入れると、ひと晩で60センチ積もったのだとか。雪かきが大変そうです。むかし私も手伝ったことがありますが、さすがに母屋の大屋根に登る勇気はありませんでした。
 こちらに来て以来、「雪」を体験したのはいつの頃だったのかと思い出してみると、25年ほど前に子供たちを連れて湖北の山小屋に行ったときになります。40センチほど積もった雪で「かまくら」を作ったりソリで遊びました(下の写真は当時の次男君)。60センチもの積雪になると半世紀以上も前まで遡ることになります。多い年には2メートルも積もった記憶があります。でも近年は温暖化のためそんなことはなさそうです。そういえば今朝、横浜にいる次男君と共有しているAmazonフォトを覗いてみると、なんと昨日は横浜も雪景色。孫娘も大はしゃぎのようでした。

 新しい年を迎えて1週間が経ちました。来週から講座が始まりますから、そろそろ目覚めなければと思いつつ、レコードを聴いたり本を眺めたりとのんびり暮らしています。
 いま聴いているのは、ジャケットの絵が気に入っているハイドンの交響曲第82番ハ長調「くま」と第83番ト短調「めんどり」です。変わったところでは、ヨーロピアン・ジャズ・トリオのCD「哀愁のダンシング・クイーン」なども.....。
 さあて、今年はどんな音楽が待っているんでしょうか。いやいや、どんな曲を聴き直すことになるんでしょうね。焦ることは何もないので、ゆったりまったり日々を送ることにいたしましょう。来週は天王寺の大阪市立美術館で16日まで開催中のメトロポリタン美術館展に行ってきます。

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コロナにめげず新しい年を迎える

2022-01-02 11:36:37 | Weblog

 2022年の新しい年を、コロナにめげず2年ぶりに子や孫ら総勢14名で恙なく迎えることができました。初詣風景をテレビで見るとずいぶんな人出なので、揃っての初詣は控えお家で静かに過ごしました。
 今朝、朝のお散歩がてら、近くのお不動さんに新年のお参りをしてきました。思ったほど人出は多くもなく、境内は清々しい空気に包まれていました。今年の御神籤を引くと「吉」と出ました。第18番「美」です。「心の美しさは あなたに揺るぎない自信と豊かな人生を与えます 美しさとは何なのか追求してみよう」とあります。何かしら、この1年間を予感させるものを感じました。
 一方で、帰りがけ境内に張り出されていた「今年の運勢」をみると、「大凶・五黄」とありました。「行動に悩み多く非常に悪い。特に病気・争い事・盗難・事業・普講等に注意。但し信心あれば解決のみちあり、11月の旅行は自重した方が良い」と。う~ん。悩みますねえ。良いことばかりではないですよとおっしゃっているようです。ご用心ご用心。
 そういえば、ここ数カ月血圧の値が高く、年末の3カ月検診で遂に血圧の薬を飲むことになりました。自覚症状はありませんが、先生から「放置しておくと脳内出血、脳梗塞になりますよ」と脅されて渋々です。当面、2週間ほど経過観察をしたいとのことで、今月半ばに再診とあいなりました。
 薬を飲み始めて気づいたことがあります。なんとなく頭に重さを感じていたのがなくなったこと、眼鏡の調子が悪いのか目が疲れやすくなっていたのですが、そんな症状が軽減されたことです。やはり自覚症状はあったのでした。今年は健康に留意する1年でもあります。

☆  ☆  ☆

 お爺さんぶりを発揮したこのお正月は、2歳から14歳までの従兄弟(従姉妹)同士のやりとりを遠目に眺めながら楽しいひとときを過ごしました。孫たちにお年玉を渡すとき今年の抱負(目標)を尋ねました。「勉強を頑張ります」「逆上がりができるようになります」「フルートを上手に演奏できるようになります」「忘れ物をしません」.....。なかなか楽しいことを言ってくれます。天真爛漫な彼ら彼女らの将来を楽しく思い描きました。
 ともあれ、今年もなんとなく忙しない1年になりそうな予感がしています。この歳になると、自分で完結するのではなく後継者にスムーズに引き継げるような気遣いが必要になります。そんな橋渡しができればと願っています。
 話は変わりますが、近くの本屋さんでEテレ「100分de名著」1月号が目に留まりました。今月のテーマは「金子みすゞ詩集~心にこだまする言葉」(講師:松本侑子さん)です。
 私が金子みすゞに出会ったのは、十数年も前のことです。このブログでの初出は、2009年4月26日付き記事「童謡詩人・金子みすゞの宇宙」になります。ラジオ番組「NHK日曜カルチャーラジオ」(全4回)で、金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さんのお話しを聞きました。
 当時のブログにはこんなことを綴っています。「童謡というものが「子供が口ずさむ歌、または詩」であること以上に、大人の心にさえ訴えるものであることを思います。それほどに、今の世の中が病んでいるのか、私自身が病んでいるのか。それとも本来のあるべき「こころ」を見失っているのか」。あれから13年、さあてどんな思いで金子みすゞと再会するのか楽しみでもあります。

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