心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

気ままなシニアの秋の日々

2022-10-26 14:03:07 | Weblog

 きょうも清々しい秋の陽が街を照らしています。こんな日はグレン・グールドのピアノ曲でも聴きましょう。まずはヴェートーベンのピアノソナタ15番、そして16番。週の半ばのほっとする時間を楽しみます。
ところで、先週の金曜日は京都に出かけました。紅葉を楽しむにはもう少し日にちがかかりそうでしたが、それでも晩秋の気配漂う京の街でした。この日は、孫長男君の高校受験合格の「御守」をいただきに北野天満宮に行ってきました。境内に修学旅行生の姿もちらほら。最近は集団行動というよりも少人数のグループでタクシーをチャーターしての観光が流行りのようでした。
 我が老夫婦は目一杯の行程を組んで出かける悪い癖があります。この日も、午前中は東寺の弘法市に立ち寄りました。平日なのにコロナ前の賑わいを取り戻し、外国人の方々もあちらこちらで骨董品の品定めを楽しんでいました。私たちは呑気に境内を見て歩き、少しばかり小物を物色したほかは、植木市で苔玉仕立てのクラリンドウをいただいて帰りました。
 その後、市バスに乗って京都駅に戻り、そこで乗り換えて北野天満宮をめざしました。30分ほどでしょうか。久しぶりのお参りです。せっかく京都に来たのだからと、次に向かったのは今年最後のお参りになるだろう知恩院でした。御影堂で静かにお経の響きを感じながら、しばし古き良き時代のことを思い出したりしました。そして最後は、いつも立ち寄るビアレストランで美味しいビールをいただいて帰りました。
 一方、その翌日は、街歩き仲間たちと大阪・本町界隈にあるサムハラ神社の秋季大祭に行ってきました。私は初めての参拝でしたが、強力なパワースポットとして知られる神社のようで、厄除けの御神環(御守り指輪)が人気だとか。御祭神は、天之御中主(あめのみなかぬし)、大神、高皇産霊(たかみむすび)大神、神皇産霊(かみむすび)大神。この三神の総称が「サムハラ」ということのようでした。
 その後、靭公園のバラ園を見た後、福島駅界隈の居酒屋でわいわいがやがや楽しいひとときを過ごしました。そういえば靭公園の一画に家族のこんなブロンズ像が3組ありました。アメリカの彫刻家シュアード・ジョンソンさんの作品なのだそうですが、リアルな表情をついつい見つめてしまいました。
 こんな気ままな秋の日々を過ごしていて良いのでしょうか。次の日曜日はまた京都に向かいます。午前中は今年最後の古本祭り「百万遍知恩寺秋の古本まつり」。午後は「成熟時代における生き方と社会の在り方」をテーマにしたシンポジウムを覗いてきます。その前に、広井良典先生の「無と有の人類史~私たちはどこへ向かうのか/人類史における第三の定常化」を読み終えておかなければ......。

 このブログは週1回、金曜日に更新していますが、このところ金曜日に予定が入ってしまい更新曜日が前後しています。今週も来週もそうです。そんなわけで今後は週1回、気軽に更新することにいたします。と言っても、シニアの独り言にすぎませんが(笑)。 

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秋の夜長に中之島文楽を楽しむ。

2022-10-20 22:40:44 | Weblog

 秋の夕暮れ時、庭を囲む生垣から金木犀の香が漂ってきました。秋ですねえ。この金木犀、実は数週間前にも少しだけ庭先にほんのりと香を漂わせていました。どなたかのブログにあった「咲き急ぐ金木犀」の記事を拝見して妙に納得したものです。
 手許の「歳時記」によれば、金木犀は原産地の中国から江戸時代に渡来した常緑樹で、木肌の紋様が犀の皮に似ているところから金木犀と名づけられたのだとか。木質は緻密で固く、算盤の珠や印鑑などにも使われるのだそうです。私にとっては「秋」を感じる香木です。
 そんな香しい秋の朝、裏庭の生垣を這うアケビの蔓にいくつかの実が色づいていました。昨年は早々と小鳥たちに食されてしまいましたので、今年は少し早めに収穫しました。
 子どもの頃は秋になると友達と一緒に山に入り、栗やアケビ、山葡萄などを採って遊んだ記憶が微かにあります。アケビの実は独特な風味がありますが、とにかく種が多いので、ほんの少しだけ食したあとは家の中に飾って秋を楽しむことにいたします。
 さて、先週末は、大阪市中央公会堂であった「中之島文楽」を観劇してきました。「道行から始める人形浄瑠璃文楽の世界」という副題がついているように、初心者向けの舞台です。この日は、『妹背山婦女庭訓』から「道行恋苧環」、『曽根崎心中』から「天神森の段」が上演されました。
 なかでも『妹背山婦女庭訓』は、近松門左衛門によるもので、本編はなんと10時間以上もかかる大作なのだそうです。娯楽の少なかった昔の人々にとってはたまらない出し物だったのでしょう。太夫の竹本織太夫さん、三味線の鶴澤燕三さん、人形遣いの吉田玉男さんなど、これからの文楽界を牽引する方々のお姿を頼もしく拝見いたしました。
 この日は、作家の大島真寿美さんを交えたトークショーのほか、終演後には出演者全員が舞台に勢揃いしてのフォトセッションタイムもあり、コロナ禍で長く国立文楽劇場には不義理をしていたので、楽しいひとときを過ごしました。
 さてさて、10月もあと僅かです。1週間も経てば霜月11月。ということは今年もあと2カ月ということになります。来月は下旬に横浜の次男君宅に出かける予定です。鎌倉・鶴岡天満宮で行う孫娘の七五三祝いに、のこのこ大阪くんだりから出かける爺バカです。
 明日は所要で朝から京都にでかけるために1日早い更新となりました。

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出会い~四天王寺秋の大古本祭り

2022-10-14 10:10:47 | Weblog

 朝のお散歩で立ち寄ったお不動さんには、玄関口に菊の花が飾られていました。第五十候寒露次候「菊花開」。NPO関連の用事でバタバタしているうちに、菊が咲き始める季節を迎えました。来週には蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)、キリギリスが戸口で鳴くの意。なんとなく季節の移り変わりを感じます。........今朝、庭に咲くシュウメイギクをテーブルに飾ってみました。でも、シュウメイギクはキクの仲間ではなくアネモネの仲間なんだそうです。
 そんななか、先週末に第22回四天王寺秋の大古本祭りに行ってきました。それも雨の中を。小降りとは言え、やっていないかもしれないと思いつつ四天王寺に向かうと、なんと各店舗ともテントの中で営業していました。さすが大阪商人です。テント内の限られたスペースにずらりと古本は並んでいました。雨にもめげずにやってきた古本ファンが思い思いに品定めです。
 なぜ古本祭りに拘るのか。少し考えてみました。すっと浮かんできた言葉は「出会い」でした。市中の書店では、探しやすく分野別に新刊本が配架されています。目的の本を探すのは比較的容易です。最近は所蔵検索端末もありますから、あっという間に見つけることができます。
 ところが古本祭りの場合は違います。大雑把に分類はされているようですが、多くはただ漫然と並んでいます。ということは、何か目的をもって選書するのは時間がかかります。お店の棚を丁寧に眺めていく必要があります。そんなとき偶然に出会った本、何かしら私に読んでほしいと訴えている本。そんな本との出会いがあります。これが古本祭りの醍醐味でしょうか。
 私の本棚に並んでいる鶴見和子曼荼羅(全9巻)などは、様々な古本祭りを渡り歩いて1冊ずつ手に入れたものです。それだけに思い入れもあります。今回は、平山郁夫著「絵と心」と与田準一著「青い鳥、赤い鳥」を連れて帰りました。いずれもずいぶん前の本になりますが、その時々の時代風景を思い描きながら楽しく眺めています。
 そう言えば、今回の古本祭りでニッパー君(ビクター犬)に出会いました。古本が並ぶ棚の上にそっと置いてありました。値段を見てびっくり。200円とあります。同じようなニッパー君を骨董市で2000円で購入したことがありましたから、お店のお兄ちゃんに値段を確かめたほどでした。これで私の手元には大から小までの4匹のニッパー君が揃いました。今回連れて帰ったのは左から二番目のニッパー君です。
 静かに雨が降る古本祭りでしたが、その日は2時間ほど見て回りました。そして今日からは、天神さんの古本祭りが開幕しますが今回は見送りです。今月下旬から始まる京都「百万遍知恩寺秋の古本祭り」で今年の納めにしようかと思っています。

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温故知新 ~ ふるきをたずねて新しきを知る。

2022-10-06 13:56:39 | Weblog

 朝のお散歩で立ち寄るお不動さんの境内には、四国八十八カ所の祠が並んでいます。ずいぶん年を経過したためか、数年前から宮大工の方が祠をひとつひとつ新調されています。今朝、その前を歩いていると真新しい祠が4つ並んでいました。第58番札所「仙遊寺」まで完成したようです。あと30個。まだ1,2年はかかるでしょうか。
 きょうは、先日久しぶりに仲間たちと出かけた街歩きのことをご紹介しましょう。向かったのは日本橋にある高島屋東別館(夏目漱石の義弟である鈴木禎次の設計)でした。1年前に国の重要文化財(建造物)に指定されたばかりの建物内を見学させていただき、そのあと高島屋史料館をご案内いただきました。
 株式会社高島屋といえば1831(天保2)年、初代飯田新七が京都で古着木綿商を創業したのが始まりです。説明を聞きながらふと思い出したのが、玉岡かおるの「花になるらん ―明治おんな繁盛記」(新潮文庫)でした。女だてらにのれんを背負い、幕末から明治を生き抜き皇室御用達百貨店「高倉屋」の繁栄の礎を築いた御寮人さん・みやびの波瀾の人生を描いた一代記でした。もちろん高倉屋とは高島屋のことです。
 この建物には現在売り場はなく、高島屋の社屋として活用されています。一画にはホテルも入っています。部分的ではあっても当時の大理石の飾りが活かされ、昔ながらのエレベーターも一基だけ社員用として稼働していました。古いものを大切にしながら新しい時代を見据える視点は「御寮人さん・みやび」を彷彿とさせるものがありました。
 1階のフードホールで昼食をとったあと、天王寺区は寺町界隈に向かいました。たくさんのお寺が建ち並んでいてびっくり。大阪にこんな場所があるとは知りませんでした。新選組大坂旅宿跡やら應典院などを見ながら、めざすは生國魂神社です。
 生國魂神社は、名前は聞いたことがありますが、お参りしたのは初めてでした。御由緒を拝見すると神武天皇や孝徳天皇の名前が出てくるという古いお社です。大阪では「いくたまさん」と呼ばれ親しまれています。
 境内に入ると、案内矢印板に芸能・お稽古上達の神「浄瑠璃神社」、西鶴一昼夜四千句独吟の聖地「井原西鶴座像」、上方落語発祥の地「米澤彦八の碑」などの文字が並び、いかにも大阪らしい風情が漂います。古き良き時代の大坂を想起させました。

 先週、石清水八幡宮をお参りしたばかりですが、昔の人にとって神さまとはいったいどういう存在だったんでしょう。なんとなく気になります......。そんなことをぼんやりと考えながら、帰りに紀伊国屋書店に立ち寄りました。そこで何気なく目に留まったのがNHKEテレ「100分de名著」でした。
 今月のテーマは折口信夫(おりくち・しのぶ)の「古代研究」です。テキストの表紙には「まれびととは何か」「日本の文化は神とひととの交歓から生まれた」と記され、「実感を重視した古代人の祭り、歌、行事、芸能研究の足跡が、時を超え我々をいにしえの旅へと導く。円環のようにめぐるその思考を辿り、私たち自身の足元を見つめ直す」とありました。
 長い読書遍歴のなかで、鶴見和子、南方熊楠、柳田國男、折口信夫などを摘み食いしてきましたが、根源的な何かしらを薄々感じながらも真面目に向き合ってこなかったように思います。その日の夜、第1回目の講座が始まりました。秋の夜長、窓辺に秋の虫の声を聴きながら折口信夫の世界を遊んでみようと思います。.......これもリタイアした者の特権かも?何歳になってもお気軽なものです(笑)。

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