心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ベルマン奏でるリストの「巡礼の年」を聴きながら

2022-03-26 14:18:08 | Weblog

 きのうは温かい1日でしたが、きょうは朝から小雨が降っています。三寒四温という言葉があります。3日ほど寒い日が続いた後に4日ほど温かい日が続き、これを交互にくりかえす。コートを着て出ようかどうしようかと迷ってしまう今日この頃です。
 それでも、今朝お散歩で立ち寄ったお不動さんの境内では桜が咲き始めていました。我が家の庭のあちらこちらでは「春」が顔を覗かせています。レンギョウやユキヤナギが咲き、アケビも新芽とともに開花の兆し。昨秋、園芸店の片隅に置いてあった250円のシャクヤクの苗も、力強く芽を出しています。長い間寒さに耐えてきた風景が、ここにきて一機に変わろうとしています。
 お彼岸の三連休は、お天気と睨めっこしながら、コロナで控えていた宝塚の清荒神さんへ3年ぶりにお参りしました。別の日には、義理の両親のお墓参り、義妹のお墓参り、その帰り道に四天王寺さんに寄り道して骨董市(弘法市)を覗きもしました。この歳になると、どうも行動範囲が限られてしまいます(笑)。
 きょうは、ラザール・ベルマンが奏でるフランツ・リストの「巡礼の年」を聴きながらのブログ更新です。この曲、村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でも登場します。リストが1835年から1877年にかけて作曲したピアノ曲集で、第1年スイス、第2年イタリア、第2年補ベネチアとナポリ、そして第3年の全4集からなります。手元にあるCDは輸入盤の「LISZT ANNEES DE PELERINAGE」です。 ベルマンは1930年2月26日、現在のサンクトペテルブルク生まれのユダヤ系ロシア人です。素晴らしい技巧の持ち主で「リストの再来」と言われフランツ・リスト賞も授与しているピアニストです。
 ところで、ウクライナに関するニュースに接するたびに、人の心の有り様に思いを馳せる日々が続きますが、ある通信社の報道によると、チャイコフスキーやショスタコービッチといった大作曲家を含むロシア文化全般を拒否する動きがあるのだとか。プーチンという1人の戦争犯罪人に全世界が翻弄される昨今とはいえ、だからといってロシア文化を全面否定するのはどうなんでしょう。
 もちろん、ウクライナ侵略を声高に支持する音楽家たちがいるとすれば、彼らに厳しい目を向けるのは当然です。かつて、そういうひと握りの芸術家の存在がナチスの台頭を許した悲しい歴史も忘れはしません。しかし、愛するロシアを捨てて他国に亡命する芸術家もいます。本当に悩ましいことです。
 3月もあとわずか、来週には4月を迎えます。仕事をしていないので、取り立てて物事が大きく変わることはありませんが、それでもNPOのお役目が少し変わります。後進に道を譲る準備態勢に入りますが、さあてどうなることやら。
 変わることと言えば、長い間購読していた新聞の「宅配」を今月をもってお断りすることにしました。現在、私のスマホには全国紙5紙のアプリが入っています。一つの事件を各紙がどう見つめているのかを比較しながら自分なりに理解を深める癖がついています。もちろん各紙とも記事のすべてがオープンではありませんから、不足感がないではありません。
 ということで、宅配は止めますが、この3月から朝日新聞デジタルの「スタンダードコース(1980円)」の購読を始めました。紙面そのままが読めるプレミアムコース(3800円)もありますが、ここは節約です。紙面ビューアーを除けば、記事のすべてをデジタルで読むことができます。自宅にいても、電車の中でもどこでも気軽に読むことができます。環境保全の観点から言えば、このネット社会、いずれ「新聞紙」の役目は終わるような気がします。ただ、販売店を生業としている方々の行く末が気にはなりますが。

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青春時代を過ごした京都に「春」を求めて

2022-03-18 10:22:55 | Weblog

 太陽が真東から昇り真西に沈むため、昼と夜の長さが同じになるのが「春分」なのだそうです。そういえば最近、陽が沈むのがずいぶん遅くなりました。いよいよ「春」です。そんな春の陽気に誘われて、昨日、京都に行ってきました。老夫婦そろって3回目のワクチン接種が終わりましたので、少し強気のお出かけでした。
 まずは京都の「春」を感じたくて、府立植物館をめざしました。河原町三条から市バスに乗って植物園前をめざします。バスに乗ると空いている席は1席。すると学生らしい女性がすっと立ち上がって「どうぞ」と。「いや、大丈夫だから座っていてください」と言いますが「どうぞ」と笑顔で勧めるので替わっていただきました。若い方から見たら、やはり私はお爺さんにしか見えないのでしょう。その後、席が空いて彼女も窓際に座ることができました。分厚い文庫本を読み耽っているジーパン姿の彼女を見て、若いっていいなあと改めて思ったものでした。
 たった4年間だけでしたが、学生時代を過ごした京都に来るといつも元気になります。半世紀経ってもです。京都の街はまだまだ当時の面影を残しています。ないのは路面電車でしょうか。いやいや私が下宿していた下鴨のお家も代替わりです。電車通りから30メートルほど奥まったところにありましたが、当時は夜遅くまで路面電車の走る音が聞こえていました。..........何年経っても、心の中は「若者」です。
 府立植物園は椿や梅がほぼ終わり桜の季節を迎える頃。河津桜を中心に何種類かの桜を愛でることができました。温室内では蘭のお花が咲いていましたが、これから徐々に開花の季節を迎えます。園内では、平日なのに子供連れや高齢者の方々が「春」を楽しんでいらっしゃいました。昼食は「森のカフェ」で「森の鹿肉カレー」をいただきました。
 この植物園、70歳以上は無料です。ご近所の方にとっては格好のお散歩コース、羨ましく思います。ただ財政悪化の折、京都府では近く有料化に踏み切るような新聞記事を読んだことがあります。止むをえませんね。
 3時間ほど過ごしたあと、お彼岸を前に知恩院に向かいました。昨年秋以来のお参りです。その後、八坂神社を歩いて河原町に向かいましたが、観光客の方々がずいぶん増えてきました。特に和服姿の若い女性の方々が目立ちました。平日なのになぜ?家内いわく、学生さんの卒業旅行ではないかと。海外旅行ができないご時世、ならば京都へということでしょうか。蔓延防止も週明けには終わるようですから、良い方向に進んでくれることを願っています。

 さて、今夜(3月18日)午後11時から同55分の間、ラジオ番組「村上RADIO 特別版 戦争をやめさせるための音楽」TOKYO FM / JFN38局ネット(関西ではKiss FM)が放送されます。村上RADIOのサイト https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/ で村上春樹さんは、こう述べています。

「ウクライナで誰も望んでいない戦争がはじまってしまいました。それで『戦争をやめさせるための音楽』というテーマで今回、村上RADIOの特別番組をお送りすることにしました。音楽に戦争をやめさせられることができるか?たぶん無理ですね。でも聴く人に「戦争をやめさせなくちゃ」という気持を起こさせることは、きっと音楽にもできるはずです。そしてそういう気持ちが集まって、少しずつでも力を持っていくかもしれません。そういう音楽を選んでみました。聴いてください。」

 今夜は村上ワールドにどっぷり浸かることにいたしましょう。

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人の心と体を蹂躙するプーチン

2022-03-11 23:40:52 | Weblog

 きょうの夕方、何気なく庭を眺めていたら、土の中から黄色い小さな花が顔を覗かせていました。昨日はなかったのに....。エランティス・ヒエマリスというのだそうですが、要するに日本にも自生するセツブン草の仲間です。あれよあれよという間に「春」が目の前にまで来ています。
 先週に比べて今週は比較的ゆったりとした日々を過ごしました。そんななか、テレビでスペシャルドラマ『津田梅子~お札になった留学生~』を見ました。明治の初期、7歳で米国に留学し18歳で帰国したあと津田塾大学を創設する津田梅子の生涯を追ったものでした。サムライの時代から急に近代化の一歩を踏み出した時代の人々の進取の精神に惹かれ、大庭みな子著「津田梅子」を興味深く読んだこともあって、久しぶりに2時間にもわたるテレビドラマなるものを見ました。
 教育といえば、還暦を迎えた頃、ふとある雑誌でユニークな社会教育に取り組んでいる東京の若者たちに出会いました。シブヤ大学です。特に深い意味があったわけではありませんが、何かしら新しい動きに敏感な私はさっそくその代表に会いに行きました。広くもない事務所で会ったのは何とも若い学長でした。持ち前の企画力と行動力、ネットワークを使って「学びの場」を提供している、その意気込みに感服したものです。私がもう少し若かったらと思いながら、夕暮れ時の渋谷界隈を歩いて帰りました。そしていま、シニア対象の講座運営NPOのお手伝いをしている私がいます。
 先日、ふと思い出してネットで調べてみると未だ健在でした。https://www.shibuya-univ.net/ 。開学15周年。「シブヤ大学は、まちのあらゆる場所を教室に、多様な授業を開催しているNPO法人です。2006年の開校以来、開催した授業は1,400講座以上。これまでに36,000人以上が参加しています」とあります。当時お会いした方はNPOの代表として今も頑張っていらっしゃる。やはり若いっていいですね。
 高齢社会とはいえ、世界中どこの国にいっても若者たちが頑張っています。わくわく感があります。人の輪が広がり1人ではできないことでもうまく繋ぎ合わせることでより大きな事業に繋がっていくダイナミズムがあります。若者の特権です。
 しかし残念ながら、今週もウクライナのニュースから目を離すことができません。ロシアの侵攻を食い止めようとウクライナの若者たちが必死に防戦しています。日本にいて何もできないもどかしさが募ります。
 長い年月をかけて積み上げてきた人類の「英知」と「倫理」そして「良心」。それをプーチンが踏み倒そうとしている。毎日繰り返される無差別攻撃の映像を目の当たりにしている私たちに向かって、ロシアのラブロフ外相は「我々は攻撃していない」などと嘯く。小児科病院を攻撃しておきながら「反体制の巣窟になっていた」と嘯く。「侵略ではなくウクライナを守るためだ」と豪語する。ロシアの為政者の時代精神を疑います。どこかで何かが狂っている。
 何のための侵略かをロシアの国民にきちんと説明できないから報道規制をする、海外の情報を遮断する。これは国民への裏切り行為以外の何ものでもありません。これがプーチンの自己愛にすぎないとしたらロシアの国民どころか全世界の人類にとって悲惨なことです。「ナチス再来」と言われても仕方ありません。いずれ歴史の裁きを受けることになります。
 今夜は淋しい複雑な思いを胸に、私の大好きなチャイコフスキーの交響曲第5番を聴いています。どうしてロシアはこうも変わってしまったのか。

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気になるウクライナの情勢

2022-03-04 23:13:43 | Weblog

 蟄虫啓戸とはよく言ったものです。冬ごもりしていた虫たちが動き始めるの意。虫どころか花壇をじっと見つめると、草花の芽が土を押しのけて顔を出しつつあります。そんななか庭の片隅にフキノトウを見つけました。独特な風味が味わい深く、湖北の山小屋にいた頃は春の初めに子供たちと田圃の縁を歩きながらフキノトウを採ったものでした。お天気は行ったり来たりしながらも着実に「春」に向かっています。
 今週もバタバタの1週間が通り過ぎていきました。それでも週の前半は、AmazonPrime videoで映画「ドライブ・マイ・カー」を見ました。原作以上に奥深いものがありましたが、久しぶりに2時間あまりの超大作を見たことになります。
 一方で水彩画教室の作品展が大阪駅前のギャラリーでありました。1人2点の出品が義務づけられていて選ぶのにたいへん苦労しました。結局、このブログに以前掲載した2点、キャプションは「小雪舞う時計台夜景」と「能の風景(羽衣)」にしました。

 さてさて、ここまで書き進んでペンが留まってしまいます。ウクライナのことです。軍事力をもって他国を制する映像を目の当たりにして複雑な思いが募ります。
 今日は欧州最大規模の発電能力を持つザポリージャ原発が、ロシア軍の攻撃を受けて占拠されました。唯一の被爆国として耐えられません。目的のためなら手段を選ばす。この時代において、戦争映画ではなく現実にそんなことがまかり通ることに無力感と憤りを覚えます。
 ロシアとウクライナの間に歴史的にいろいろな経緯はあったとしても、常軌を逸したプーチン大統領の行動は断じて許せません。ロシアという大国が自分の意に沿わない政治体制を武力で押し潰そうとしている。とんでもないことです。一部にバイデン米国大統領の政治姿勢を危ぶむ声がないわけではありませんが、しかしながら一歩間違えば確実に第3次世界大戦に突入してしまいます。各国が連携して対峙していくしかありません。
 そういう状況の中でも、いま、果敢に戦うウクライナの人々がいます。素手で軍の車に立ちはだかる者あり。「国に帰れ」と叫ぶ者あり。それをただただ見つめるしかないもどかしさ。............今日はあまり多くを語らず、この辺で失礼をいたします。

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