心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

古本展で娘遍礼「お菊残照」に出会う

2018-02-22 20:39:31 | 古本フェア

 カレッジの帰りに、中之島の中央公会堂で開かれている「水の都の古本展」(2/21~2/25)を覗いてきました。6店舗出展のこじんまりした古本展ですが、私の感性と近しいところがあって、じっくりと選書することができました。
 この日連れて帰ったのは、雑誌「現代思想」の1992年7月号「南方熊楠特集」、そして菊池昭著「娘遍礼・お菊残照」でした。そのうち「娘遍礼・お菊残照」は、四国遍路に何度も足を運んだ菊池昭さんの自費出版本です。単なる旅行記ではなく、菊池さんの豊富な遍路経験をベースに、一人の少女を主人公にした物語。知る人ぞ知る隠れた遍路本として知られています。
 昨年の秋、私はこの本を知人からお借りしました。巻頭言(遍路に寄せる私の一つの思い)の最後に、「何よりも四国の人達の優しい心。その心に包まれて、四国の地に散り急いだ、むかしむかしの娘たちの墓石。至らぬ筆を用いて、その一生を紡いでみました」とあります。400頁をゆうに越える巡礼物語は、高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)とはひと味違う菊池さん独自の世界が広がります。ついつい引き込まれて、昨秋のカナダ・アメリカ旅行にまで帯同し長い飛行機の中で読んだほどでした。
 読み終えて、その後も手許に置いておきたかったのですが、既に絶版。古本ネットで探しても見つからず、半ば諦めていたところ、古本展の本棚の片隅にひっそりと佇んでいました。誰かが導き寄せたように.........。

 さて、話はがらりと変わります。穏やかな天候に恵まれた先日、「ゴッホ展~巡りゆく日本の夢」(京都国立近代美術館)と「ターナー~風景の詩」(京都文化博物館)をハシゴしてきました。いずれも構図、描写表現、光と影、空、水面、樹木の色づかいなどに、ついつい見入ってしまいます。ジャポニズムに惹かれたゴッホからは絵を描く「心」を学びました。英国の風景画家ターナーからは遠景の描き方と絵具の使い方を学びました。(写真上:ゴッホの「アイリスの咲くアルルの風景」。写真下:ターナーの「ヨークシャーのカーリー・ホール、家路につく牡鹿狩りの人々」。いずれも絵葉書から)
 会場内には、ゴッホが影響を受けたという広重の五十三次名所図会や北斎の富嶽百景のほか、渓斎英泉の浮世絵(花魁像)を表紙に掲載した洋雑誌「パリ・イリュストレ」1986年5月1日号(日本特集号)の現物など、当時の古書、史料も多数展示してありました。また、4階のコレクションギャラリーには、ゴッホがアルル時代を過ごした部屋を描いた《寝室》に似せて、ほぼ実寸大に作られたレプリカの「ゴッホの部屋」が飾ってありました。(撮影可。下図は絵ではなく写真です)
 彼らが生きた時代を年代順に並べてみると、葛飾北斎(1760年~1849年)、ターナー(1775年~1851年)、歌川広重(1797年~1858年)、ゴッホ(1853年~1890年)となります。つまりゴッホが生まれたのは、北斎が誕生しておよそ百年後、広重が誕生して50年後のこと。一方のターナーはゴッホより80年ほど早く、北斎とほぼ同時代を生きていたことになります。考えてみれば、ゴッホと私との間は100年ほどしか違いません。100年も、ではなく100年しか。時の長さをこんなふうに思う歳になりました。(笑)

♬ さて、今週は少し早い目のブログ更新です。実は明日から、お上りさんの『東京見物』第4弾です。今回は次男君夫妻の新居を訪ねるのが目的ですが、まず初日は以前から一度は覗いてみたかった「世界らん展2018」(東京ドーム)。明日がちょうど最終日ですから、滑り込みセーフといったところでしょうか。あとは気の向くままに行き当たりばったりの珍道中となります。

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コンサートも公開講座もボケ防止??

2018-02-16 20:40:34 | Weblog

 寒い日が続く三連休最後の日の朝、近くに住む長女の5歳の孫君から電話がありました。「これからお兄ちゃんとおじゃましてもいいですか」「お母さんが風邪気味で、お父さんはお仕事」。お母さんをゆっくり休ませたい孫の思いが伝わってきます。「いいよ、いいよ。おいで」ということで、二人は仲良くバスに乗ってやってきました。一日中楽しく遊んで、少し早い目の夕食をとったあと、再びバスに乗って帰っていきました。(下の写真は昨秋、奈良の大仏さんを見たいという孫長男君の要望で東大寺に行った時のもの)
 さて、最近お出かけした話題をふたつ。そのひとつは、大フィルの「オーケストラで聴く映画音楽の世界」です。指揮は、この春に音楽監督に就任予定の尾高忠明さん。昔、NHK交響楽団を指揮していたときのTV映像を思い出します。
 今回は映画音楽がテーマで、第1部は「武満徹の世界」、第2部は「ジョン・ウィリアムズの世界」。日本を代表する作曲家・武満徹さんの懐の深さには驚きました。これまで難しそうな現代音楽ばかり聴いてきましたが、映画音楽やテレビドラマの主題歌に聞き惚れました。なかでも日本テレビ系列で放送されたというドラマ「波の盆」の音楽 https://www.youtube.com/watch?v=OlMOedlchMc は聴き応えがありました。
 この演奏会のもうひとつの愉しみは、オーケストラの後ろの方で大活躍の打楽器でした。総勢6名の奏者が入れ代わり立ち代わり様々な打楽器を打ち鳴らします。それも長い曲のなかの一瞬の効果音です。これが映画音楽の醍醐味です。席がステージ横だったので、ずうっと彼らの動きを追っていました。正面からみていると、弦楽器、金管楽器、木管楽器に隠れて決して目立ちはしないけれど、打楽器が曲全体にメリハリをつけます。贅沢な時間を楽しみました。 

 もうひとつは、龍谷大学世界仏教文化研究センターの公開講座「人類知のポリリズム~華厳思想の可能性」でした。南方熊楠研究で知られる思想家・中沢新一先生(明治大学野生の科学研究所長)、京都大学こころの未来研究センターの河合俊雄先生(臨床心理学)のほか、南方熊楠研究で頭角を現す唐澤太輔先生をはじめ3名の若手研究者の方からも興味深いお話しを伺いました。
 ここ数年拘り続けた多様な関心事が、最近ぼんやり繋がってきているように思います。鶴見和子先生の「南方熊楠」に端を発した私の思想遍歴。ブータンの国民総幸福度(GNH)に端を発した心の遍歴。臨床心理や医療福祉から公共政策まで幅広いテーマを追う「こころの未来研究センター」の動向も見逃せません。それが私の「歩き遍路」を後押しします。
 といっても、私は学術研究者ではありません。先生方の言葉のひとつひとつを理解しているわけでもありません。中沢先生から「レンマ学としての華厳」なんて言われても、そもそもレンマ学ってなに?。「ユング派心理療法と華厳経」と題する河合先生のお話しも、半分は頭の上を通り抜けていきます。若手研究者の方々からは「南方熊楠の生命観と華厳思想」「明恵の<夢>と華厳思想」「マンダラと法界」について研究発表がありました。話の流れに追いついていくのが精いっぱいです。でも、いま時代が何を求めているかが、ぼんやりと透けて見えてくるから不思議です。先生方には失礼かもしれませんが、私にとっては「ボケ防止」でもあります(笑)。
 そうそう、ブータンといえば先日、読売テレビ(日本テレビ)が「ブータンが愛した日本人~向井理が見た、幸せの国のキセキ~」という番組をやっていました。1964年にブータン王国に派遣され、28年間にわたって農業技術を伝授し、国王からダショー(最高に優れた人)の称号を与えられた日本人・西岡京治さんの軌跡を、俳優の向井さんが追うドキュメンタリーです。
 1964年といえば日本が東京オリンピックに浮かれていた時代。高度経済成長の足掛かりを得た時代でもあります。そんな時代に焼き畑農業が主流だったブータンに渡り日本の農業技術を伝えた。凄い人がいたものです。そう思うと、ひとつの組織の繁栄を願って仕事人生に汗を流した私の足跡なんて小さなものです。
 2月の第3週目もあっという間に過ぎようとしています。そしてきょうは、近くの税務署に確定申告に行ってきました。年金+α程度の所得なら少しは税金が戻ってくるだろうと高を括っていましたが、国税庁のホームページに沿って書類を作成していくと、いくらやっても「納税」の金額が表示されます(-_-;)。......でもねぇ。よくよく考えてみれば、今は高齢化の時代です。いつまでも若い方々に依存しすぎてはダメですね。「足ることを知る」。この言葉を肝に銘じて「心豊かに」暮らしていくことにいたしましょう。

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機械の寿命、ひとの寿命

2018-02-09 13:50:18 | Weblog

 節分の日、お不動さんに行ってみると驚くほど大勢の人が押し寄せていました。有名なタレントさんを呼んでいるからでしょうか。主催者側の発表では2万人の人出だったよう。遠巻きに眺めるのが精いっぱいでした。本堂横で配布されていた福豆入りの紙袋をいただいて帰りました。
 立春を迎えたというのに日本列島は大寒波に見舞われました。特に、つい2週間ほど前に出かけた北陸地方は大変な豪雪で、千台以上の自動車が立ち往生しました。私も時期を違えていたら大変な目に遭うところでした。そんな寒い寒い朝、居間のエアコンのスイッチを入れると、動かない。あっちゃー。壊れました。とりあえずガスストーブで暖を取りましたが、部屋全体を温めるには不十分です。
 設置して7年、もう寿命なのかなあと訝りながら家電量販店に電話をすると、なんとも要領を得ず、逆に買い替えのお薦め?。ならばとダメ元でCLUB Panasonicのサイトから修理をお願いしました。するとなんと、翌日の朝にやってきてくれました。どうやら室外機に問題がありそうです。その場で部品の発注をしていただいて、3日後には快適運転に戻りました。修理代2万円弱、無駄な出費をせずにすみました。すぐに新品に飛びつくことなく修理してモノを大事に使う。寒い冬になんとなくほっこりする出来事でした。
 取り換えた室外機の部品を見せていただいて驚きました。単なる送風機ぐらいにしか思っていなかったのですが、とんでもない。パソコンの内部にある基盤に似た精密機器です。お聞きすると、室内機と室外機は互いに会話をしながら最適運転をしているのだと。家電製品のIT化を目の当たりにしました。最近飛び交うIoT(Internet of Things)も、じわり私たちの生活のなかに迫っているのでしょうか。

 さて、ここで話題を変えます。先日、京都新聞の訃報「土肥みゆき氏が死去 ピアニスト、ピアノ伴奏の重要性唱える」に目が留まりました。享年93歳。土肥さんのピアノ演奏を、私は13年前に聴いたことがあります。ちょうど来日中のブッシュ大統領が京都にやって来る前日、京都府立府民ホール・アルティで開かれた「日本歌曲伴奏リサイタル 土肥みゆき かよいあう心」でした。團伊玖麿作曲の「六つの子供たち」、二田喜直作曲の「海四章」、信時潔作曲の「沙羅」などの歌曲に併せてのピアノ伴奏です。
 その日の模様をブログに綴っています。「ピアノ伴奏は、土肥みゆきさん。チケットを購入するときは、さぞやお若いピアニストかと思っていたのですが、なんと今年80歳にもなる方でした。そんな土肥さんの力強い演奏ぶりに惹かれました。さぞや多くの人材をお育てになったことでしょう。土肥さんに生きる勇気をいただいたような気がします」(日本歌曲伴奏リサイタル=ピアノ伴奏は土肥みゆきさん 2005-11-13)。
 訃報によれば土肥さんは東京音楽学校(現・東京芸術大学)のご卒業。神戸女学院大学の教授として多くの後進を育てる傍ら、日本歌曲の伴奏リサイタルを精力的に開き、歌に比べて軽視されがちなピアノ伴奏の重要性を唱えてこられたのだと。そんな土肥さんの深い思いを知りました。神戸女学院と言えば昨年、ヴォーリズが設計したキャンパスを拝見させていただきましたが、森の中に建つ音楽館から声楽練習の声が聞こえていました。......ご冥福をお祈りいたします。
 この日のブログ記事は、松江の叔父から電話があったこと、久しぶりに叔母とも話したことから始まっています。後日、土肥さんと同い年の叔母に宛てた手紙の中で、このリサイタルに触れたことは言うまでもありません。10数年も前のことが、ついきのうのことのように浮かんできます........。その松江の叔父も昨年末、102歳の生涯を閉じました。私の結婚に当初反対していた父を説得してくれた叔父。父の7人兄弟姉妹のなかで唯一存命だった叔父の他界は、私にとってひとつの歴史が幕を閉じたことを意味するものでもありました。
 機械の寿命、ひとの寿命......。これも自然の摂理なんでしょう。日本男性の平均寿命は80.5歳、健康寿命70.4歳と言われています。私はまだまだ余裕があります。でも、生活習慣病とやらがじわりじわりと身体を蝕んでいきます。主治医からは有酸素運動のお薦めもあります。ウォーキングもそのひとつです。空調機のような精密機器ではありませんから、まずは毎朝の3キロウォーキングを励行して、少しでも長く健康寿命を伸ばし維持することが当面の目標かと。
 そうそう、3月半ばに出かける「歩き遍路」企画もほぼ固まりました。南国・土佐の室戸岬(24番札所・最御崎寺)をめざすおよそ65キロの海辺の道を2泊3日で歩きます。民宿の予約を終え、あとは高速バスの予約を残すのみです。

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平田オリザさんの「演劇」を観る。

2018-02-02 20:57:54 | Weblog

 つい最近お正月を迎えたと思ったらもう2月。時の経つのは本当に早いものです。明日は節分、近くのお不動さんも豆まきの準備万端です。
 そんなある日、天王寺公園「てんしば」にあるイタリアンレストランで、カレッジ2年生の新年会が開かれました。授業のあと三々五々集まった元気なシニアたちとワイワイガヤガヤ、楽しいひと時を過ごしました。.....それにしても、ことしに入って何回新年会をやったんだっけ?(笑)。
 そのカレッジは1月の3週目から「古典文学」がテーマです。初回は源氏物語の「桐壺」、次いで「夕顔」。今月に入って「若紫」「葵」と続きます。午前と午後の各2時間、合計4時間にわたって読んでいきますが、古文の読解力に乏しい私は四苦八苦です。それでも、千二百年も前の物語なのに今と変わらない人の心の在り様に苦笑いでした。
 源氏物語の合間を縫って「平家物語に見られる歌謡と芸能」、能楽師さんによる「隅田川」の連吟と仕舞3曲の実技披露もあり、このところ頭の中は平安の世界。ほぼ同時代を生きた空海(774年~835年)と紫式部(970年~1019年)の二人を身近に感じる今日この頃です。
 と言いながら、週の初めには伊丹市のAI・HALLであった演劇「さよならだけが人生か」を観に行きました。平田オリザさん主宰の「青年団」第76回公演で、1992年に初演された作品の再演でもありました。
 私が初めて演劇という世界を覗いたのは10数年も前のことです。お仕事で知り合った照明デザイナー・石井幹子さんが関与された三島由紀夫の『サド侯爵夫人』でした。ご招待されて、わざわざ大阪から上野の東京国立博物館まで観劇に行ったことがありました。演劇に関わる知人がいて、その演出によるブレヒト没後50年『コーカサスの白墨の輪』を観に行ったこともありました。いずれにしても「演劇」は、私の日常とは異なる世界であることに変わりはありません。
 今回は、最近何冊かの本を読んでいる平田オリザさん(大学で演劇理論を教えていらっしゃるので先生と呼ぶべきかもしれませんが)の演劇の世界を体験したくて出かけました。午後1時40分開場、300席ほどの薄暗い演劇ホールに入ると、鉄パイプを組み立てた舞台の上では、既に2人の役者さんが演じ始めています。2時の開演までずっとそんな状況が続きますが、定刻になると簡単な挨拶のあとそのまま劇の世界に。舞台は工事現場の飯場。登場人物は遺跡が発見された工事現場で働く従業員、ゼネコンの社員、遺跡の発掘作業のためにやってきた学生たち、そして文化庁の職員。およそ2時間の間、人の出会いと別れをテーマに場面が進んでいきます。
 演劇というと、役者の大仰な所作とセリフに違和感を感じてしまいがちですが、この作品は違います。普通の自然なトーンで淡々と進んでいきます。なのに登場人物の存在感、個性が妙に気になります。工事関係者の人間模様、学生たちの心の彩、遺跡にまつわる縄文人の怪.....。あとは皆さんで感じ取ってください、ということなんでしょう。帰りの電車のなかで、その余韻を楽しんでいる私がいました。
 帰りがけ、平田オリザ関連書籍の特設売場で「下山の時代を生きる」(平凡社新書)を手にしました。言語学者の鈴木孝夫氏との対談です。その中に平田さんの「現代口語演劇理論」という言葉が出てきます。鈴木さんが源氏物語に触れ、「相手が誰なのか、よほど人間関係とか当時の上下関係を知らないとわからない。人称代名詞を使っていないから」と、日本語がもつ妙に触れます。「会話」と「対話」の違い......。日本語を相対的に見つめる平田さん独特の演劇の世界が垣間見えるようです。
 この日訪れた伊丹市立AI・HALLは「現代演劇の専門劇場」がキャッチフレーズです。4日間にわたって6公演行われ、うち2公演には平田さんによるポストパフォーマンストークがあったようです。残念ながらそれは聞き逃しました。それでも平日の午後だというのに老若男女さまざまな年齢層の方々が演劇を楽しみにお越しになっていました。根強いファンがいることを知りました。

 城崎温泉のある豊岡市の城崎国際アートセンターで芸術監督も務めていらっしゃる平田さん、2年後をめどに劇団「青年団」の拠点を東京から豊岡市に移し、自らも引っ越したい意向のよう。これこそ地方創生のお手本です。国内外でご活躍の平田オリザさんの今後に期待したいものです。

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