さて、ことし最後の土曜日は、関西在住の高校の同級生20名が集いました。42年ぶりの再会です。お昼にお初天神界隈の居酒屋で懇親会をして、その後は2次会に行く者とボウリングに行く者に別れ、夕刻再び全員が淀屋橋に集合して中之島で開催中のOSAKA光のルネサンス2010と御堂筋イルミネーションを楽しみました。それだけでは別れがたく、ついに3次会へ。....そんな楽しい1日を過ごしました。
還暦を迎えて過去を振り返る余裕が出てきた、ということなんでしょうか。仕事人も専業主婦も、それぞれの人生を歩んで42年、童心(?)に返って語り、笑い、歩き、酔っ払いました。
この年代になると、両親が他界し田舎には家だけが残るケースがあります。年に何度か帰省してお墓の掃除をしたり。でも、自分の墓はどうするのか。仮に関西にお墓を設けても、核家族の進むなかで子供たちが私たちのお墓の面倒まで見てくれるのか。そんな悩みをもつ友人もいます。いまの生活を捨てて田舎に帰ると言っても、家族で意見が一致するのはなかなか難しい。このことは、裏を返せば、田舎の衰退に拍車がかかろうとしているということです。
田舎という枠を超えて現代日本の抱える課題でもあります。要するに、日本という国が来るべき未来にどう立ち向かっていくべきかという根源的な問題に突き当たることになります。成長戦略の底辺に流れる時代認識に間違いはないか。奇しくも、多様性を考える言論誌「Kotoba」第2号の特集は「”脱成長”の経済を生きる」でした。
今年もあと5日で幕を閉じます。年初の家内の骨折事故に始まった2010年、初詣の御神籤は「大吉」でした。私にとっては「還暦」という区切りの年でもありました。還暦の意味を広辞苑で調べると「60年で再び生まれた年の干支に還える」とあります。田舎で暮らした18年、その倍以上を過ごした京都・大阪での生活。両親をはじめ多くの方々にお世話になりながら、時の経過とともに他界されていくことの淋しさ。大きな流れのなかでの立ち位置を考えると、自分自身の存在のなんとちっぽけなことか。60年という時の流れを重く感じた1年でした。さあ、人生の終盤戦を迎えて、再度、姿勢を正したい、そんな思いを強くもっています。
★ご訪問に感謝します★
このブログ「心の風景」も、2004年12月に開設して以来、本日で2208日を数えます。その間、多くの方々にご訪問をいただきました。ありがとうございました。
とは言え、ブログというものは、ときにコメントをいただくことはあっても、ある意味では一方的な情報発信のツールであり、言えば個人の思いの垂れ流しと言っても過言ではありません。ブログの功と罪が問われる所以です。そのことに、なんども気づきながら、私は性懲りもなく綴ってきました。
私にとって「心の風景」は、ある時期からその意味が揺れ動いていることも、承知しています。毎週のように日曜日の朝の短い時間のなかで、自分の心のなかに思い浮かぶことをただただ文字に変換するという行為は、心と文字表現の距離感を縮める鍛錬になりました。だから、あまり文章を飾ることはしなかった。それが仕事上の瞬発力を鍛えることになりました。
一方では、仕事に疲れ、思考が硬直化したと感じたとき、意識して自らに距離を置こうとした。通常であれば心の病になってもおかしくないほどのプレッシャーのなかで、平常心を保てたのは、このブログのおかげであろうと、そんな自己分析もしています。いずれにしても自分本位のブログであることに変わりはありません。
実は残念なことに、今夏、職場を去った方が経営陣を批判するブログを立ち上げました。名指しこそされなかったけれども私に対しても辛らつな批判をされたことがありました。そのときほど、ブログというものの持つ功と罪を強く意識したことはありません。目に見えぬ大衆に向かって一方的に批判の論陣を張ることの恐ろしさ。ブログを舞台にした議論は炎上こそすれ正当な議論が出来る場ではありません。悲しい出来事でした。やはり、面と向かって、相手の目を見つめて、相手の心の機微にも配慮しながら論を展開するのが正道でしょう。
そんな次第で、一時期、ブログ「心の風景」をいったん閉じようと深刻に考えた時期がありました。ただ、還暦にしてなお幼稚性が抜けきれない状況のなかで、いまこの時期に幕引きするほどに自分の心が充実していないもどかしさもあります。そんな次第で、目障り、耳障りというお叱りを覚悟しながら、なお当分の間、継続してみることにいたしました。右往左往している初老の戯言とお受け取りいただければと思います。
それでは皆様、どうか良い年をお迎えください。