心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

2010年を振り返る

2010-12-26 21:56:08 | Weblog
 年も押し詰まった先週半ば、庭木のお手入れをしていただきました。隣地の境に立つ、実のならないビワの樹を強剪定してほしいとお願いしましたが、庭師の方から「先端に花が咲いていますよ」と。家内が確かめると、数か所に花房が伸びて開花していました。いったい何年待ったことか。忘年会続きで夜遅く帰宅して嬉しいニュースを聴きました。

 さて、ことし最後の土曜日は、関西在住の高校の同級生20名が集いました。42年ぶりの再会です。お昼にお初天神界隈の居酒屋で懇親会をして、その後は2次会に行く者とボウリングに行く者に別れ、夕刻再び全員が淀屋橋に集合して中之島で開催中のOSAKA光のルネサンス2010と御堂筋イルミネーションを楽しみました。それだけでは別れがたく、ついに3次会へ。....そんな楽しい1日を過ごしました。

 還暦を迎えて過去を振り返る余裕が出てきた、ということなんでしょうか。仕事人も専業主婦も、それぞれの人生を歩んで42年、童心(?)に返って語り、笑い、歩き、酔っ払いました。
 この年代になると、両親が他界し田舎には家だけが残るケースがあります。年に何度か帰省してお墓の掃除をしたり。でも、自分の墓はどうするのか。仮に関西にお墓を設けても、核家族の進むなかで子供たちが私たちのお墓の面倒まで見てくれるのか。そんな悩みをもつ友人もいます。いまの生活を捨てて田舎に帰ると言っても、家族で意見が一致するのはなかなか難しい。このことは、裏を返せば、田舎の衰退に拍車がかかろうとしているということです。
 田舎という枠を超えて現代日本の抱える課題でもあります。要するに、日本という国が来るべき未来にどう立ち向かっていくべきかという根源的な問題に突き当たることになります。成長戦略の底辺に流れる時代認識に間違いはないか。奇しくも、多様性を考える言論誌「Kotoba」第2号の特集は「”脱成長”の経済を生きる」でした。
 今年もあと5日で幕を閉じます。年初の家内の骨折事故に始まった2010年、初詣の御神籤は「大吉」でした。私にとっては「還暦」という区切りの年でもありました。還暦の意味を広辞苑で調べると「60年で再び生まれた年の干支に還える」とあります。田舎で暮らした18年、その倍以上を過ごした京都・大阪での生活。両親をはじめ多くの方々にお世話になりながら、時の経過とともに他界されていくことの淋しさ。大きな流れのなかでの立ち位置を考えると、自分自身の存在のなんとちっぽけなことか。60年という時の流れを重く感じた1年でした。さあ、人生の終盤戦を迎えて、再度、姿勢を正したい、そんな思いを強くもっています。

★ご訪問に感謝します★
 このブログ「心の風景」も、2004年12月に開設して以来、本日で2208日を数えます。その間、多くの方々にご訪問をいただきました。ありがとうございました。
 とは言え、ブログというものは、ときにコメントをいただくことはあっても、ある意味では一方的な情報発信のツールであり、言えば個人の思いの垂れ流しと言っても過言ではありません。ブログの功と罪が問われる所以です。そのことに、なんども気づきながら、私は性懲りもなく綴ってきました。
 私にとって「心の風景」は、ある時期からその意味が揺れ動いていることも、承知しています。毎週のように日曜日の朝の短い時間のなかで、自分の心のなかに思い浮かぶことをただただ文字に変換するという行為は、心と文字表現の距離感を縮める鍛錬になりました。だから、あまり文章を飾ることはしなかった。それが仕事上の瞬発力を鍛えることになりました。
 一方では、仕事に疲れ、思考が硬直化したと感じたとき、意識して自らに距離を置こうとした。通常であれば心の病になってもおかしくないほどのプレッシャーのなかで、平常心を保てたのは、このブログのおかげであろうと、そんな自己分析もしています。いずれにしても自分本位のブログであることに変わりはありません。
 実は残念なことに、今夏、職場を去った方が経営陣を批判するブログを立ち上げました。名指しこそされなかったけれども私に対しても辛らつな批判をされたことがありました。そのときほど、ブログというものの持つ功と罪を強く意識したことはありません。目に見えぬ大衆に向かって一方的に批判の論陣を張ることの恐ろしさ。ブログを舞台にした議論は炎上こそすれ正当な議論が出来る場ではありません。悲しい出来事でした。やはり、面と向かって、相手の目を見つめて、相手の心の機微にも配慮しながら論を展開するのが正道でしょう。
 そんな次第で、一時期、ブログ「心の風景」をいったん閉じようと深刻に考えた時期がありました。ただ、還暦にしてなお幼稚性が抜けきれない状況のなかで、いまこの時期に幕引きするほどに自分の心が充実していないもどかしさもあります。そんな次第で、目障り、耳障りというお叱りを覚悟しながら、なお当分の間、継続してみることにいたしました。右往左往している初老の戯言とお受け取りいただければと思います。
 それでは皆様、どうか良い年をお迎えください。

コメント

甲府周遊の旅

2010-12-23 11:57:04 | Weblog
 先週の土曜日は、1泊2日の日程で長男君が暮らす山梨県甲府市に行ってきました。往路は、先陣の家内とは別行動なので気楽な独り旅でありました。朝8時前に家を出ると、新幹線に飛び乗って名古屋へ。そこで中央線に乗り換え、特急ワイドビューしなの7号で一路塩尻をめざします。時間にしておよそ2時間。中山道や木曽川に沿って走る車窓から、久しぶりに眺める森の景色に見入っていました。


 お昼頃に塩尻駅につくと、今度は東京・新宿行の特急あずさ16号に乗り換えます。ここから甲府までは1時間あまりですが、この沿線には諏訪湖があります。


 実は、我が家の先祖様は何百年も昔、この諏訪湖地域から西に移動し、江戸の時代に奥出雲に定着した由。そんな訳で今でも田舎には諏訪神社があります。私にとって今回の甲府周遊の旅は、ルーツを訪ねるという意味合いもありました。で、車窓からまだかまだかと諏訪湖を心待ちにしていたのですが、琵琶湖に慣れ親しんだ私にとって、諏訪湖の規模は意外と小さいものでした。また、列車と湖の間には市街地が横たわっていたために、特段の感激をいだくでもなく車窓を流れて行ってしまいました。

 とは言え、木曽路からつづく一帯を眺めていると、森の元気さを感じます。特に落葉樹の森は、落葉が終わり陽の光をさえぎるものがありませんから、樹木の根元にまで陽が注ぎます。落葉が次の年の肥やしになる。こうして木々が成長していくのです。都市周辺の森が力をなくし、生命力が減退し、ナラ枯れなどが取りざたされていることを思うと、たいへん新鮮に感じたものです。そのうえに、木曾川の澄んだ水の流れ、ほんとうに大事にしたい日本の自然風景でした。
 そうこうするうちに甲府駅に到着です。駅前には長男君一家に家内が加わり私をお出迎えです。家で一服すると、次のお目当て、それは山梨県立美術館でした。ここにはバルビゾン派の農民画家であるジャン・フランソワ・ミレーの絵が常設展示されているのです。「種をまく人」(1850年)、「落ち穂拾い、夏」(1853年)などなど。孫娘の手をひいて館内を見て回りました。美術館前から遠くに富士山が見えました。なんとなく自分たちの位置感が判りました。夕刻には、温泉宿に全員集合して、郷土料理を肴に美味しい地酒を楽しみました。もちろん、温泉は露天ぶろに。1年の疲れを癒すことができました。

 翌日は、まず甲府城跡舞鶴城公園を散策、一番高い所から甲府盆地を鳥瞰します。西に雪をいただく甲斐駒ケ岳、白根3山が、南にはもちろん富士山が聳えます。まさに周囲を山々に囲まれた盆地に甲府の街は広がっていました。その後、サントリー登美の丘ワイナリーへ。明治42年(1909年)の開設から数えて100年、こんなところにも明治の人々の進取の精神を思いました。ワインのなんと美味しかったことか。でも、1本数万円もするワインは庶民には手がでません。お手頃なワインをお土産にしました。そうこうするうちに昼食の時間です。美味しいお蕎麦に舌鼓、それだけではありません。長男君お薦めのB級グルメ、鳥のもつ煮までいただき満足でした。




 ここまでは順調でしたが、帰途につく間際になって、中央線で人身事故があってダイヤが相当乱れているとのニュース。急遽、復路のコースを身延線に変更しました。特急ワイドビューふじかわに乗って2時間ほどでしょうか。富士川沿いに富士山を眺めながら静岡をめざすローカル線です。


 こうして長い長い1泊2日の甲府周遊の旅は終わりました。休む間もなく翌日から仕事、月、火、水と過ぎて、きょうやっとお休みの1日となりました。そろそろ2010年の振り返りをしなければなりませんが、これは次の日曜日にとっておきましょう。
コメント

ワルティ堂島の閉店

2010-12-12 08:42:45 | Weblog
 きのう土曜日は、いつものとおり午前中職場に顔を出して翌週の準備を済ませると、久しぶりに大阪・梅田界隈におでかけでした。お目当ては、年内で休店するJAZZ&クラシック音楽専門店「ワルティ堂島」さんです。大阪駅前第一ビルの地下、JR北新地駅から少し歩いた所にあります。秋になって休店宣言をされて、12月は全品50%オフの在庫一掃セールなのでした。愛好家としては、嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちです。この夏閉店したHMV天満橋店に次いでの大型店の店じまいとなりました。

 お店の棚には、もう4分の1しかCDがありません。11月(30%オフ)からセールをやっていたようですから、相応の品は人の手に渡ったのでしょう。でも、根気よく探していると、ありました、ありました。孤高のピアニスト、グレン・グールドのCDです。「イマージュ」「シェーンベルク作品集」「R.シュトラウス:オフェーリア」「シルヴァー・ジュビリ・アルバム」など。すべて2枚組で、一部はLPレコードとも重複しますが、それでも手が動いてしまいました。店員さんにお願いして、これらのCDが入っていたグールドの写真満載の紙箱(写真中央)もちゃっかりいただいて帰りました。

 この日はこれで終わりませんでした。帰り道になんとなく立ち寄った古本店で、オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」(宮沢淳一訳)が、なんと2,500円(定価4,800円)で並んでいたのです。こちらもいただきました。とにもかくにも、師走を迎え仕事の方向性もほぼ見えてきた気安さからか、グールドの世界に浸った週末となりました。もちろん、昨夜は夜遅くまで私の部屋にはグールドのピアノが鳴っていました。

 ところで、先日、甲府にいる長男君から家内に「どうやら二人目ができたらしい」との電話がありました。母親が少し体調をくずしているとも。つわりなのでしょう。1人目のときもそうでした。年末を迎えて長男君も仕事が忙しく、1歳を過ぎた娘の面倒をみていられないらしい。すると俄然、お祖母さんの出番です。明後日から1週間ほど子守りにでかけることになりました。
 ですから、今週は10カ月ぶりに独身生活を謳歌することになります。幸い、2月に起きた家内の骨折入院の時期と違い、今は年末です。毎日のように忘年会が続きます。食事の心配はなし。唯一、愛犬ゴンタのお散歩だけは欠かせませんが、星の輝く冬の夜のお散歩は苦にはなりません。そういえば、ちょうど1年前、金星探査機「あかつき」に搭載されたプレートに私も名前を刻んでいただいたのでした。「貴方の星の旅人になる」と。でも残念ながら遠い宇宙に飛んでいってしまいました.....。
 昨晩、家内と話し合ったのですが、実は今週の土曜日、私も1泊2日の日程で山梨県甲府市に出かけることにしました。長男君宅はこの夏、引っ越しをしたようですから、物見遊山といったところでしょうか。近くの温泉宿を予約して親子水入らずの年末のひとときを過ごすことにしました。もう少しゆっくり滞在したいところですが、週明けの月曜日には重要な会議があります。その他やたら行事が目白押しです。残念ながらトンボ返りになります。
 そんな次第で次回のブログ更新は、おそらく23日の祝日になるだろうと思います。だんだん忙しなくなってきました。2010年も、あと20日ほどです。
コメント

人との出会い

2010-12-05 09:44:04 | 愛犬ゴンタ

 久しぶりの休日の朝、愛犬ゴンタとお散歩が終わると、美味しい珈琲をいただきますが、その担当はいつも私の仕事です。豆を挽いてお湯を注ぐと芳しい珈琲の香りが食卓に漂います。そしてゆったりとした時間が流れます。

 庭さきでは愛犬ゴンタが朝食をぺろりと平らげています。このゴンタ、10日ほど前の11月23日に11歳の誕生日を迎えました。人間齢に換算したら80歳にも手が届きそうなお歳です。やや毛の艶が衰えたかなぁと思いつつ、少しでも長く生きてほしいと思っています。【写真の右肩は生後5カ月当時のゴンタ】

 ところで、白洲正子さんの「遊鬼(わが師 わが友)」を開くと、まず「何者でもない人生 青山ニ郎」と題する小論があります。文中、白洲さんは青山さんの言葉を引用します。「美なんていうのは、狐つきみたいなものだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、美しいものがあるだけだ。ものが見えないから、美だの美意識だのと譫言を吐いてごまかす」。どきっとする内容です。読み進むと、「ほら、コップでもピンと音がするだろう。叩けば音の出るものが、文章なんだ。人間だって同じことだ。音がしないような奴を、俺は信用せん」と。そんな青山さんに骨董の真髄を学んだ白洲さんのエッセイです。
 叩いて音の出る人。なるほどなあと思います。バーチャルな世界とリアルな世界の区別が曖昧になって、ものの本質がぼけてきている。それを綺麗な言葉でごまかしてしまう。そんな人が最近多くなったような気がします。

 先週の土曜日にシンポジウムを開きました。4名のパネラーのお一人に神戸の商店街から個性的な方をお招きしました。行動派の彼の発言は他の方々とは全く異質な立場であったため少し心配しましたが、逆に心地よい緊張感が会場に漂い、全体を引き締める役を果たしてくれました。同質な人間同士で、ああでもないこうでもないと議論をしても堂々巡りになってしまいます。消化不良のまま時間がすぎてしまいがちです。こんな基本的なところに企画する人間の度量が試されているのだろうと思ったものです。
 その数日後、こんどは商店街の役員の方々と懇親の場をもちました。そこでお会いした女性の役員さん、これまた楽しい方でした。そのままスーツを着て東京丸の内界隈を闊歩しても全く不自然ではない雰囲気のこの方、話し出すと生粋の大阪弁でした。といっても別に豹柄の服を来ているわけではありません。言葉のひとつひとつにきちんとした論理があって、かつ笑いがある。男性陣に交じって論陣を張っていらっしゃる。地に足のついた物言いに、これでこの商店街も安泰、と思ったものです。このお二人とも、叩けば響く、音の出る方々でした。

 話が変わりますが、先週の日曜日、故郷の関西の会に出席しました。昨年に続いて2回目ですが、今回は世話役の一人だったため、早起きをして8時には会場となっているホテル入り、その後、みんなで資料やお土産の袋詰めなどに汗を流しました。動きまわっている間に、いつの間にか受付開始時刻の11時に。250名あまりの参加者をお迎えをしました。
 総会という儀式が終わると、いよいよ懇親会ですが、会場のあちらこちらで旧交を温める人の輪ができます。そんななか私も高校の同級生数名に出会いました。1人、2人と仲間が集まってきます。そんな次第で、還暦を迎えた今年は年内にもう一度、関西にいる同級生を集めて懇親会を開くことにしました。やはり還暦というのは、人生のひとつの区切りなのかもしれません。【写真はアトラクションの神楽のひとコマ】
 今年もあと1カ月を切りました。きょうは、このあと1時間もすれば孫君がやってきます。街の餅つき大会があるのです。

コメント