心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

自粛期間はラジオやレコード三昧。晴耕雨聴??

2021-04-29 14:47:49 | Weblog

 緊急事態宣言が発出されて5日、前半はお散歩に行ったりお買い物に行ったりしたほかは遠出をすることもなく(当たり前ですね)、ひっそりと静かに過ごしました。それでも、じっとしていられない性分なので、花壇の手入れをしたり庭木の剪定をしたり草むしりをしたりで、それなりに普段使わない筋肉を使って気持ちの良い汗を流しました。
 ところが昨日から少しひんやりした雨の日が続きます。春の雨を浴びて草木たちはまんざらでもないご様子ですが、私は自粛期間中でもありますので、毎日の感染者数に一喜一憂しながら、自宅で静かに過ごしています。そんなわけでいつもより1日早いブログ更新となりました。
 長椅子に横たわってまず手にしたのは、第1章「古代の神々」まで読んでベッドの横に置いたままだった「日本人の心 神と仏のあいだ」(角川書店)でした。古本市で出会った30年近く前の本ですが、五木寛之、田中優子、松岡正剛、門脇禎二、小松和彦の対談を通じて、風の音、木の音、神のおとずれ、古代のうたげ....と論を広げながら古代の神に迫っていく世界に惹き込まれていきます。そして第2章は「神と仏のあいだ」。ぼんやりと日本人の「こころ」が浮かび上がってきます。
 そういえば先日、実家の義姉から電話がありました。神の国「出雲」と違い全国一番のコロナ感染者数を数える大阪のこと。互いに健康を確かめあうことになりました。
 そんなある日、新聞のラテ面を眺めていたら、TOKYOFM系列の「Kiss FM」で19:00から「村上RADIO」が放送されるのを見つけました。「花咲くメロディー特集」とあります。
 ラジオのスイッチを入れると、村上春樹さんの軽快な語りに合わせて、ワーウィック、ビーチボーイズ、カレン・カーペンターとエラ・フィッツジェラルド。趣を変えてジャズ歌手のメル・トーメ、トレインチャ・オーステルハウス。ついでエイドリアン・ベイカー。そしてMFQ(モダンフォーク・カルテット)の演奏と続き、最後はジャズ・ギターのジョン・スコフィールドが演奏する「我が心のジョージア」。なんだか若返った気分になりました。
 来月からは毎月最後の日曜日の夜に放送されるのだそうです。要チェックです(笑)。

https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

 ラジオといえば、NHKラジオ「ラジオ深夜便」の午前4時台の「明日への言葉」。さすがに就寝中のことゆえ、ホームページにある「聞き逃し」コーナーから先日放送された社会学者・上野千鶴子さんの「旅立ちもおひとりさまで」を聴きました。本で読む上野先生とはひと味違ったお人柄に触れるのもラジオならではのこと。自粛期間中は静かな夜を共に過ごします。
 この番組は毎日午後11時から翌朝5時までの間、アンカーの道案内で様々な話題を提供してくれる長寿番組です。騒々しい昼間の番組と違って、終始静かに流れる語りにほっとひと息です。
 「ラジオ深夜便」に出会ったのは何十年も前のことでした。縁あって1か月ほどヨーロッパ6か国を歩き回ったあと帰国した夜、時差ボケのために寝つけない真夜中に出会いました。日本にいることを実感したものでした。

https://www4.nhk.or.jp/shinyabin/

 気分転換に近所の本屋さんにも出かけました。そこで目に留まったのが雑誌「BRUTUS」の特別編集号です。何週間か前に平積みされている雑誌の中に、若い頃のグレン・グールドが愛犬と一緒に写った写真が表紙を飾る雑誌がありました。それが雑誌「BRUTUS」でした。一度も見たことのない雑誌でしたが、今回は「ブルータス初めてのクラシック音楽入門」と銘打って「増補改訂版」として並んでいました。家にお連れしました。
 今でもグールドの人気は衰えていないということなんでしょう。若者の間でも根強い人気があるのだとか。最近、ちょっとご無沙汰していたグールドです。お薦めのLPレコードの中からハイドンの「後期6大ピアノ・ソナタ集」をレコード棚から取り出しました。
 きょうは終日、雨が止みそうにありません。家内は階下で衣類の断捨離に励んでいます。私は、ネットで外付けHDDをご購入。溜まりに溜まった写真データの整理を進めます。

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いつか来た道。時間に追われ、コロナに追われ。

2021-04-23 23:16:31 | Weblog

 1週間が経つのが早いです。あっという間です。こんな調子で、人生終わってしまうのでしょうか。現役の頃はリタイアしたらあれをしようこれをしよう、なんて甘い夢を描いていましたが、齢を重ねるごとに緊張感を持続することができなくなってきて、それでも気持ち的には現役時代を引きずっていて、いろいろ手を出してしまう。だめですねえ(笑)。
 今朝、レモンの木でアゲハチョウの幼虫が葉っぱを食んでいました。我が家の庭もいつの間にか若葉に覆われています。その横で昨年末にお正月用に買った葉ボタンがぐんと成長して花を咲かせ種ができそうな気配です。気がつけば季節は春から初夏に向かって駆け足です。なんとなく落ち着かない日々が続きます。
 そんなある日、食卓にテッセンと小さなバラが飾ってありました。園芸店でひ弱そうな苗を格安で売っていたので連れて帰ったものですが、きれいに咲いてくれました。大事に大株に育てていきたいと思っています。
 さあて、今週は何をしたんだっけ。......日曜日は山本能楽堂の能講座に行ってきました。今回のテーマは平家物語巻十に登場する「藤戸」。備前の国、藤戸の合戦で功をなした佐々木盛綱にまつわるお能です。馬でも渡れる海の浅瀬を教えてくれた漁師を口封じのために殺した盛綱を憎む漁師の母親の嘆き、でも最後は盛綱の回向によって漁師の亡霊が成仏するというお話しです。地図で現在の藤戸の位置を確認したあと、講師(能楽師)の先生の謡を聴きました。清々しい日曜朝のお能講座でありました。
 月曜日はお家でゆっくり(でもありませんが)。火曜日は水彩画教室に出かけました。朝、淀屋橋から梅田方面に歩いていると、先日までガラガラだったPCR検査センター(2980円)に長い行列ができていました。それも40代以下の若い方々が圧倒的に多い。出勤前に受検しておこうということなんでしょうか。ここ大阪は毎日千人前後のコロナ感染者が出ています。世相を反映しているひとつの現象です。
 水彩画教室は午前10時から正午までの2時間です。緊急事態宣言が発出されるだけでは休講しないけれども、公的な施設が閉鎖ということになると休講になるという事務連絡がありました。なんとなく慌ただしくなってきました。
 それでも、この日は先日来挑戦している能「井筒」の一場面を絵葉書を見ながら描いていきました。先生から細やかなところをいろいろ指摘されながら、一作目はひとまず完成(?)。来週から2作目に入りますが、緊急事態宣言が発出されたので、さあて来週の教室はどうなることやら。
 そして水曜日、木曜日と講座運営のお手伝いに顔を出し、きょうは午前中、月1回のフランス文学講座を受講しました。それが終わると、緊急事態宣言期間の講座がすべて休講になったので、皆さんへの連絡に追われてこの時間。あっという間に一日が終わってしまいます。
 そういえば、この日曜日にフェスティバルホールに出かける予定だった祝祭大狂言会2021が、緊急事態宣言の発出で本日中止が決まってしまいました。致し方ありません。今年もコロナに振り回されそうな予感がします。とりあえず2週間ほどはゆったりまったりの時間を過ごして英気を養うことにいたしましょう。

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孫次男君のピアノ発表会~お爺さんはカメラマン

2021-04-16 10:51:11 | Weblog

 先日、最寄り駅でバス停に向かうエスカレーターに乗ろうとしたら、駅前のビル群の上に美しい虹が架かっていました。七十二候でこの時季は「清明」と言い虹始見(にじはじめてあらわる)、つまり虹が初めて架かる頃なんだそうです。桜が散ったあと私を取り巻く風景は少しずつ初夏に向かっています。今朝、お散歩でお不動さんに寄り道すると、境内の樹木が初々しい若葉に覆われ、その袂にはツツジの花が咲いていました。日々刻々と季節は動いています。
 そんな春のある日、市内のホールで孫次男君のピアノの発表会がありました。演奏曲はギロックの「フラメンコ」とバスティンの「闘牛士」。スタンウエイのピアノに向かって流暢に弾いている姿を、お爺さんは1台のカメラで動画を、もう1台のカメラで静止画と忙しく動きまわりました。なかなか上手いと思うのは爺バカだからでしょうか。力まず自然体でピアノを楽しんでいる孫次男君の姿に笑みがこぼれます(笑)。
 今朝は、内田光子奏でるモーツァルトのピアノ協奏曲第21番を聴きながらブログの更新です。
 例年だと発表会のあとは長女一家と食事会をするのですが、コロナウイルスの感染拡大が懸念される昨今です。早々に別れ、近くの図書館に寄って帰りました。そこで手にしたのは石井正巳著「ビジュアル版:日本の昔話百科」です。
 最近ほとんど目にすることのない昔話ですが、科学主義とは異なる空想、幻想の世界に惹かれてしまいます。本を開くと、浦島太郎、猿蟹合戦、花咲か爺、一寸法師、牛若丸などがずらり並んでいます。それらの原典としての絵巻や絵図の数々。日本の文化、民俗学の底流をなす昔話。昔の人々がどういう思いで語り継いできたのか興味津々です。
 年老いて一日中緊張感を維持することが難しくなった昨今、布団に潜り込んで開く「日本の昔話百科」。小さい頃は両親や近所のお爺さんによく話を聞きました。小泉八雲の怪談もそうです。当時は信じ切っていました。

 今週から、今期の水彩画教室が始まりました。日頃の忙しさにかまけて家でじっくりと描き上げる余裕がなく、なんとなく中途半端になっていて思うように上達しません(-_-;)。今期の私のテーマは「お能」です。手元にあるお能の絵葉書を見ながら能楽師の姿を描いてみたい。ところが能面の表情が書けません。たかだか4,5㎝ほどのお面の表情を描くのが難しいのです。目や口元の描き方ひとつで能面全体の表情ががらりと変わります。2時間の講座のうち40分を費やしましたが、うまく描けませんでした。テーマが難しいのか、腕の問題なのか分かりませんが、もう少し挑戦してみたいと思っています。

 挑戦といえば、きのう、今週から始まった講座の運営会議がありました。コロナ禍にあってオンライン授業のことが話題に。でも、誰も術を持ち合わせていません。止めとけばよいのに、ついうっかり「やってみましょう」と言った者がおりました。私です(-_-;)。私の悪い癖です。さっそく帰りにZOOMの本を一冊連れて帰りました。
 ZOOMによるオンライン講座やシンポジウム参加は経験がありますが、発信する側は初めてです。とりあえず手持ちのPCや簡易WEBカメラを使って仕組みを体感してみる。使えそうなら必要最小限の機材を揃える。そんな遊び心でやってみることに。
要するにボケ防止の一環ということです。でもねえ。大阪に緊急事態宣言以上の強烈な指針でも出ようものなら動きようがありません。自粛期間中のお遊びということにしておきます。

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板東俘虜収容所の「春」

2021-04-09 11:09:03 | 四国遍路

 早朝、「歩き遍路」に出かけるとき、自宅近くのバス停でバスを待っているとウグイスの声が聞こえてきました。うっすらと朝日があがってこようかという頃です。耳をすませば聞きなれない小鳥たち、全部で6種類ぐらいの小鳥たちが、私の門出を見送ってくれました。所々に小さな森が残るとはいっても都会地は都会地です。こんなにたくさんの小鳥たちが人間と一緒に暮らしているとは。なんとなく嬉しい旅立ちでした。

 さて、「歩き遍路」を終えて早や1週間が経ちました。ひとつの目標を達成した余韻に浸りながら春のひとときを過ごしました.....。
 ところがどっこい。またぞろコロナさんのご登場です。ここ大阪では、あれよあれよという間に千人に迫る勢いです。ついついヨーロッパのロックダウンの街の風景を思い出してしまいます。この先、千人どころか二千人、三千人と増えていかないだろうかと心配は尽きません。お手伝いをしているシニア向けの講座も、来週から新学期が始まりますが、さあてどうなることやら。....1ヵ月前の予定では今日9日、次男君夫妻が孫娘を連れて帰ってくる予定でしたが、これも急遽取りやめです。

 そんななか、今週は山本能楽堂の「たにまち能」を観てきました。演目は、2月と3月の能活講座でテーマになっていた「羽衣」と「西行桜」。狂言は「土筆」。桜の季節にふさわしい舞台でした。今月は下旬に「祝祭大狂言会2021」もあります。私にとって4月は伝統芸能月間でもあります(笑)。
 さてさて、前回触れなかった鳴門市のドイツ館のことについてお話ししたいと思います。4月1日、結願を終えたあと第1番札所の霊山寺にお礼参りを済ませた私は、歩いて15分ほどの所にある鳴門市ドイツ館に向かいました。
 そこは第一次世界大戦で日本軍の捕虜になったドイツ兵の収容所(坂東俘虜収容所)があったところです。パンフレットには、こう記されています。

「第一次世界大戦が始まると、日本も参戦しドイツ兵の租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。敗れたドイツ兵約5000人が捕虜となり、日本各地の収容所に送られました。その内、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1000人が1917年から1920年までの約3年間を坂東俘虜収容所で過ごしました」


 今はドイツ村公園になっている収容所跡は、山と田畑に囲まれたところに広がっていました。兵舎レンガ基礎遺構や給水施設跡、製パン所跡、池などが点在し、ちょうど桜が満開の季節に園内を独り静かに歩いていると、桜花を覆う微かな音に交じって兵士たちの賑やかな声が聞こえてきそう。そんな思いがこみ上げてきました。
 上池まで歩いていくと、この施設で亡くなった11名の戦友を祀ったドイツ兵捕虜合同慰霊碑が建っていました。池の向こうの遠くの風景を眺めながら、異国の地で亡くなった方々に思いを馳せました。
 ドイツ村公園から歩いて数分のところに鳴門市ドイツ館があります。板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵たちの日々の様子や地域の人々との交流の模様が展示されています。
 俘虜の多くが志願兵(元民間人)だったので、職業も千差万別。家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など多士済々。資料館には、そうした職人たちの手になる品々が展示されてありました。印刷されたチラシやパンフレット、日用雑貨、工芸品など。
 オーケストラや合唱団によるコンサートが定期的に開かれていたようですが、圧巻はベートーヴェンの交響曲第九番がこの鳴門の地で、アジアで初めて全楽章演奏されたこと。演劇やスポーツ、講演や学習会なども催されていたようです。
 2年半ほどの滞在中に、敗戦国ドイツは莫大な賠償金を課せられ国が疲弊していました。すっかり日本に馴染んだ方もいらっしゃったようで、60数名の方々は本人の意思で日本に留まったとも記されていました。
 バウムクーヘンで有名なドイツ菓子店「ユーハイム」は、収容所にいたカール・ユーハイムさんが、明治屋で技術者として働いたのち開業したものだとか。またアウグスト・ローマイヤーさんは、帝国ホテルでハム・ソーセージ職人として働いたあと銀座でレストラン「ローマイヤー」を開いたのだそうです。
 収容所というと暗いイメージだけがつきまといますが、ある意味で日本とドイツとの絆を深める場にもなったようでした。そんな思いを胸に、四国を離れました。

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1200km「歩き遍路」を結願して

2021-04-02 15:23:59 | 四国遍路

 コロナウイルスに振り回されるなか、私の四国八十八カ所遍路の旅は、めでたく結願の日を迎えることができました。思い返せば4年前の秋、トラピックスの四国八十八ヶ所遍路の旅(全12回)バスツアーを終えて3ヵ月後のこと。車窓から時々見かけるお遍路さんの黙々と歩く姿に何故か心を惹かれ、当初は1200キロもの道程を歩き通せるのか不安でもありましたが、行程を15回ほどに区切って行ったり来たりする「区切り遍路」というものがあることを知り、歩き始めました。
 「歩き遍路」の良いところ。それはバスに乗っていては味わうことのできない四国の風景を体感できること、バスツアーという時間の制約に縛られることなく自由気儘に気に入った所で立ち止まることのできる身軽さ、そして宿でお会いする方々との出会いと語らい.....。
  コロナのために昨年1年間はほぼ棒に振ってしまいましたが、今回は第86番札所・志度寺、87番札所・長尾寺、そして88番札所・大窪寺を巡りました。長尾寺から大窪寺に向かう途中にあった前山ダム河畔の「おへんろ交流サロン」でいただいた「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」には、こう記されています。
 「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1200kmを完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に、四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します」
 四国の自然、文化、人との触れ合い。これが「歩き遍路」の醍醐味です。道すがら多くの方々にお声をかけていただきましたし、「お接待」もしていただきました。おうどんをいただいたり、お菓子や果物、ドリンク、硬貨までいただきました。そして爽やかな朝のご挨拶。本当にありがとうございました。
 結願を終えて最後のお遍路宿となった大窪寺門前「八十窪」さんでは、夕食時に88歳になる宿のお婆さんとお話しをさせていただきました。4年ほど前、不規則運転を繰り返す前の車の悪戯のため、運転していた車が事故を起こしてしまいました。再起不能とまで思われた大怪我から無事生還されたお元気なお婆さんです。今も眼鏡なしで新聞に目を通していらっしゃいました。
 さすがに今は車の運転は卒業されていますが、聞けばこれまでに22回も歩き遍路を結願されたのだとか。それも1回目はなんと18歳。戦死されたお父様を弔うのが目的だったようです。終戦直後の貧しい時代です。米1合で1泊させてもらいながら歩いたそうですが、お米が尽きると、野原で食べ物を見つけながら野宿をしてお遍路を続けられたのだとか。
 大正時代に24歳の若さで出かけた高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)を彷彿とさせるお話しですが、その後、門前に宿を構え、ご主人に先立たれたあとも一人で切り盛りされてきました。今は加古川に嫁いだ娘さんが単身赴任(娘さんの言葉)で女将さん役を果たしていらっしゃいました。その夜は、結願を祝って赤飯まで炊いていただきました。
 なぜ、人はお遍路に出かけるのか。88カ寺を巡って未だ般若心経ひとつまともに唱えることができないほど宗教心に乏しい私ですが、四国の空気感が私の心を捉えて離さない。12番札所焼山寺のきつかった「へんろ転がし」(山歩き)、青い太平洋を横目に23番薬王寺から24番最御崎寺に向かって炎天下延々と続く国道を1日をかけて歩き通した先に見えた室戸岬、高知市内の牧野富太郎植物園の中にあった雨の31番竹林寺、砂浜を歩いた入野松原を経て38番金剛福寺(足摺岬)、愛媛県に入ると松尾峠、柏坂峠を超えて宇和島、松山へ。ここからは瀬戸内海を眺めながら香川県をめざし、75番善通寺、84番屋島寺などを巡って辿り着いたのが88番札所の大窪寺でありました。下の記念写真は若いお遍路ガールさんに撮っていただきました(笑)。
 猛スピードで走り去る車の横を歩くのは怖いので、極力、昔の遍路道を選んで歩いたのも良い経験でした。最後のお遍路でも、車道の脇にある小さな「旧へんろ道」の印を見つけては藪の中に入っていきました。そこには昔ながらの遍路道がありました。イノシシやマムシ注意の看板はよく見かけましたが、幸いにもお目にかかったことはありません。一度、お猿さんに会っただけでした。
 そんなお遍路の旅を振り返りながら、前山おへんろ交流センターでは、お茶とお菓子のお接待をいただきながら、女性スタッフの方としばし歓談。私の番号が641号とあったので、起算日を聞くと昨年7月からだと。協力組織の会計年度の関係で毎年7月から1年間の累計になりますが、これまで多い年は3000人を上回っていたとか。それがコロナの影響で激減しています。ある遍路宿でオランダからやってきたというシニアの女性とご一緒したことがありますが、今は外国人(特に欧米系が多い)の姿はありません。
 最終日、志度駅から坂東駅までJRで移動し、第一番札所である霊山寺にお礼参りをして、長かったすべての行程は終了いたしました。その後、鳴門ドイツ館を訪ねましたが、そのことは次回にお話しさせていただきます。

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