心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

西本智実&ミッシャ・マイスキー

2010-11-27 09:42:34 | Weblog
 今週はブログの更新をお休みする予定でしたが、きょうの土曜日は朝ゆっくりして出かけることにしたので、少しだけ追記することにしました。

 きのうの夜、仕事帰りにザ・シンフォニーホールであった指揮者・西本智実さんのコンサートに行きました。チェリストのミッシャ・マイスキー、ラトビア国立交響楽団とのジョイントです。お目当ては、もちろんドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調、マイスキーの素敵な演奏を楽しみました。
 ステージ側の席を予約していました。オーケストラを斜め後方から眺める位置で、目の前には打楽器の3人の奏者がいます。改めてオーケストラに占める打楽器の役割を思いました。ティンパニーは結構出番があるのですが、大太鼓やシンバルは3楽章のうちのほんの一瞬です。それでも、7種類のバチを使い分けて演奏にメリハリをつける。その緊張感。楽器のひとつひとつに大きな役割があることを思いました。
 指揮する西本さんとは後方斜めから向き合う場所でしたから、演奏のときは、西本さんの指揮を眺めていました。オーケストラのなかでの指揮者の存在、機能....。実は、きのうは夕刻まで経営品質のお勉強会に顔を出していました。そこで何度となく「会社の理念は?」「目的は?」「ゴールは?」という問いかけを強いられていました。隘路に迷い込んだとき必ず振り返るべきこと。右往左往しながら大きな方向性は見失わないこと.....。演奏の最中に、ふと昼間のことが浮かんでは消えていきました。オーケストラという人の集団を組織行動と重ね合わせて眺めていました。遠大な交響曲で一回しか出番のなかった若き打楽器奏者、しかし出番が近づくと全身を使ってドン!と1回だけ太鼓を叩く。その1回の太鼓の音が、曲全体に緊張感を与える。同様に、楽器のひとつひとつを眺めていると、楽器の持ち味を存分に発揮している。そうして交響曲というひとつの世界を形成している。どんな立派な指揮者がいても、どんなに独りで頑張っても、できるものではない。考えさせられました。

 曲の方は他に、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲、チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」、最後はショスタコーヴィッチの交響曲第5番ニ短調。それにアンコールで2曲。日常のもやもや感、イライラ感を忘れさせる時空間でありました。淀んだ脳味噌に快い刺激を与えてくれた演奏会でした。
 さて、きょうは午後、数か月かけて地域、行政、商店街などと共催で準備してきたシンポジウムがあります。400名の中ホールが満席になることを祈っておきましょう。
コメント

秋の京都・東山界隈

2010-11-23 11:42:39 | Weblog
 きのうからの雨もあがり、雲間から朝の陽が差すそんな秋の祝日、きょうは「勤労感謝の日」です。その由来は「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあうとする日」(広辞苑)なのだそうですが、ウィキペディアによれば「農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭の日が、第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたもの」で、私が生まれる2年前の1948年(昭和23年)に公布・施行の祝日法で制定されたとのことです。五穀豊穣を祈り収穫に感謝する、農業国家・日本の文化風土を思いますが、現在の日本農業は環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)で揺れ動いています。それも時代の流れなんでしょう。でも、心の拠り所まで見失ってしまうようなことはしてほしくありません。

 さてさて、一昨日の日曜日は家内と二人で秋の京都・東山界隈を散策しました。考えてみると、ずいぶんな距離を歩いたことになります。10か月ほど前に足首を骨折した家内の、その後の完治を思わせる歩きぶりでした。以下、写真を交えて時系列に思い起こしてみましょう。
 午前9時50分出発、京阪電車神宮丸太町駅についたのは11時20分頃でした。そこから丸太町通りを東に歩いて行くと、熊野神社があります。金戒光明寺があります。20分ほど歩いて白川通りに出てすぐのところに、昼食を予約していたお店がありました。「岡崎・つる家」に到着です。門の前で番頭さんから「○○さまですか」と温かいお出迎えをいただき、さすがに2年連続してミシュラン三ツ星のお店と納得。長男君の配慮で美味しい京の懐石料理をいただきました。(下の写真は、葉付かぶら風呂吹き。柚子味噌でいただきました)


 そう2時間ほどいたでしょうか。午後2時前にお店を出ると、なお東に向かって歩きます。鹿ヶ谷通りを南に下って第一ポイント、永観堂禅林寺に到着です。なんと観光客の多いことか。人の波を縫うように境内に入ります。でも、モミジの紅葉のなんと美しかったことか。

 なお南に下ると、南禅寺。紅葉ツアーのお決まりコースです。何十台もの観光バスが連なります。ここでお気に入りの場所は、やはり水路閣。琵琶湖疏水事業の一環として明治23年に竣工した水路橋で、西欧技術が導入して間もない頃、日本人の手だけで設計・施行された土木構造物なのだそうです。なにやらローマの時代の水路を彷彿とさせますが、こんなところにも日本の近代化をめざす明治時代の息吹を感じます。

 南禅寺を出ると、人ごみを避けて裏道を散策しながら円山公園方向に向かいます。三条通りから神宮通りに折れて、少し歩き疲れたので青蓮院門跡前の喫茶店パビリオンコートで一服。美味しいコーヒーをいただきました。そのあと、知恩院の三門前を通って円山公園についた頃には、もう4時を回っていました。


 ふだんなら、それで帰途につくのですが、軽く食事を済ませると、この日はもう少し足を伸ばして、臨済宗高台寺のライトアップを見ることに。その高台寺、陽も落ち夜になったというのに、観光客の数は増えるばかりです。暗闇のなかに紅葉の色彩が浮かび上がります。方丈前庭には、イタリアの映像デザイナー、フランチェスコ・サリッゾーニさんによる幽玄の世界がひろがります。でも、こんな風景は、暗闇に独り、あるいは二人で、時間を忘れてぼんやり眺めているのが良いですね。人の多さに少し興ざめでした。


 以上が2010年、京の紅葉風景のひとコマです。今年は例年になく紅葉が美しいのだとか。きょうの休日も、京都は観光客で賑わっているのでしょう。かく言う私は、学生時代から京都に入り浸っていながら、観光客と同じ目線で京の紅葉を眺めたことが、実は一度もありませんでした。なにかふだんとは違う視点で京都・東山界隈を散策した気分でした。

コメント

明治期の息吹を思う

2010-11-21 09:24:39 | Weblog
 私の住む街は紅葉まっ盛りです。木の葉が赤や黄色に染まり、それが陽に照らされて輝いて見えます。でも、それもつかの間の喜びでしょうか。1週間もすれば静かに散っていきます。そんなことを考えながら、今朝もいつも通り、愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。
 そのとき、独りのご老人に出会いました。にこやかに朝のご挨拶を交わしました。その方、実は先日まで大会社を率いていた方です。リタイアされたご様子で、会社経営という呪縛からやっと解放されてほっとされているようにお見受けしました。いつも拝見していた厳しい顔とは雲泥の差で、ほんとうに優しい人間味のある表情が素敵でした。素晴らしい出会いでありました。

 そういえば先日、親しい友人と一献傾けたとき、こんなことを話しあったものです。どうも最近、日本の政治はおかしくなっている。政権交替で少しは期待をしたけれども、恰好ばかりで政争に明け暮れている。だからまともな政策判断ができていない。では、もう一度野党に頑張ってもらおうかといっても、こちらも頼りない。何かが狂いだしている。いっそ、明治の時代にまで遡って、近代日本の原点を見つめ直す必要があるのではないか。....お酒の勢いで、話はどんどん過激になっていきました。
 これまで日本の歴史にほとんど関心のなかった私ですが、9月初旬に玉岡かおるさんの小説に出会って以来、徳川幕府から明治維新そして大正、昭和に至る日本近代化の息吹のようなものに惹かれています。そんなこともあって、なんとなく友人の意見がすんなりと私の心に入ってきたのでした。

 そんな折、先週金曜日の夜、NHKハイビジョン特集「鴎外の恋人~百二十年後の真実~」を見ました。明治の初期、森鴎外がドイツ留学中に出会った少女“エリス”、その実像は謎に包まれていたようですが、最近になってその子孫に出会い、恋人“エリス”の実像が明らかになったというドキュメンタリー番組でした。ちょんまげをしていた時代からそう遠くない明治の初めに、人の心と考え方がどのように変わっていったのか。残念ながら帰国した鴎外は、跡を追って横浜までやってきた15歳の少女“エリス”を、帰国に追いやります。生涯、心の片隅に置いていたとしても、その選択は今の時代で考えれば保身、時代が許さなかったとしても酷ではありました....。
 激動の明治の時代に思いを巡らしながら何やら後味の悪さを抱きつつ、翌土曜日の夜には、こんどは家内の勧めで、NHK総合テレビの「スペシャルドラマ 坂の上の雲 アンコール 第1回「少年の国」を見ました。明治を舞台にした司馬遼太郎の小説をベースにしたドラマです。こちらもついつい最後まで見てしまいました。
 最近、山本七平さんの「渋沢栄一近代の創造」を読んでいますが、昔の言い回しが多いこの種の日本語が苦手で、未だ650頁の半分も進んでいません。悪戦苦闘しながら文字と映像の両方から明治の息吹を探ろうとしている自分に気づきます。100年あまりを経た現在、政治体制ばかりでなく組織運営自体が難しくなっている。良い言葉で言えば、価値観の多様性ということなんでしょうが、そのベースとなる精神的な拠り所を喪失してしまったところに、なにやら大きな問題があるようにも思います。考え過ぎかもしれません。いずれにしても今年は、森鴎外が処女作「舞姫」を発表して120年目にあたるのだそうです。

 さてさて今日はこれから京都に出かけます。公私ともに右往左往している間に、なんと今年は私も家内も結婚記念日を忘れていました。それに気づかされたのは、先日長男君から贈られてきた食事ギフト券でした。そんな次第で、きょうは紅葉まぶしい京都の秋を満喫してきます。なお、次の日曜日は、早朝から夕刻までぎっしり予定が詰まってしまったので、ブログの更新はお休みにします。その代わり明後日の祝日に、京都の紅葉風景をご報告できればと思っています。
コメント

不易流行

2010-11-14 09:38:07 | Weblog
 中国大陸からやってくる黄砂のせいでしょうか。なんとなく遠くが霞んで見える秋の朝早く、いつもどおり愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。すると、木々の葉っぱが明るく輝いています。そろそろ紅葉の季節を迎えたんだと思います。

 先日、出張した際、街かどの古書店で外国の使用済み絵葉書を2枚手にしました。1枚は1909年の、もう1枚は1917年の消印。およそ100年前の誰かの直筆の絵葉書ですが、絵柄がすてきだったので、ついつい買ってしまいました。でも、こんなものまで流通するのですね。個人情報保護が叫ばれるなかで、それを超えて絵柄、デザインが優先されたのでしょうか。きょうの日曜日の朝は、NHKラジオ第一の「音楽の泉」を聴きながらのブログ更新です。今日のテーマは「-フォーレの“レクイエム”-」。皆川達夫さんの優しい語らいが心を和ませてくれます。

 先週1週間は、けっこう過密な日程をこなしました。合間に外出することも多かったので、デスクに座ると次の仕事の資料を確認して、また出かける、会議に出る。余計な仕事はいったん机の中でお休みをいただいて、とにかく目先の仕事を片づけていく、そんな日々が続きました。
 週末の金曜日には、夕刻、和歌山市内で開かれた会合に出席しました。5時15分、南海電車の和歌山市駅頭に立つと、既に陽は落ちて夜の風情。でも何か騒々しいのです。見上げると、駅ロータリーに立つ大きな2,3本の樹木に驚くほど多くの小鳥たちが群がっていて、その鳴き声が低周波のように耳元の響くのです。もう少し頑張れば和歌山城の森の中に寝場所はあるはずなのに、こんな繁華街の樹木の中に集まるなんて。餌が豊富だから?それとも騒々しい環境のなかで妙な安心感を味わっているから?。とても不思議な風景でした。

 やっと迎えた週末の土曜日は、昼過ぎまで仕事をしたあと、とあるシンポジウムに参加しました。最近、柄でもなく「まちづくり」のお手伝いもしていて、地域・行政・商店街・企業一体となって進めている関係で、平田オリザ先生のご講演はぜひ聴きたかったのです。といっても、あまり専門的なことは判りませんが、それでも「画一化する地方都市の風景」「文化による都市の再生」「文化の自己改善能力」といった言葉のなかに、前のめりになり勝ちな私に何某かの気づきを与えてくれたように思います。感謝です。
 会場に向かう電車の中で、山本七平著「渋沢栄一近代の創造」を読んでいました。そのなかに「不易」「流行」という言葉がありました。「不易は詩の基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。共に風雅の誠から出るものであるから、根元においては一つである」(広辞苑)。時代の変革期にあって「変わるもの」と「変わらないもの」とを考えることの大切さを述べたものです。平田先生のお話ともだぶって、妙に納得したものです。
 このシンポジウムでは、パネリストの方々の発言も心に残っています。人口の年齢構成の変化を前提に、これからはリタイアした方々の「お金と時間の使い方」が問われる時代になるのだと。お金はある、時間もある、そんなシニアの方々に生きがいを感じられるまちづくりが必要かも。

 ちょっぴり温かい心を胸に帰宅すると、6月に行われた中学校還暦記念同窓会の記念アルバムが届いていました。なつかしい写真に皆の感想文が綴られています。慌ただしいなかでふと我に返る、そんな時間に、やはり私のアイデンティティのようなものをぼんやりと考えました。ちなみに私の感想文は、「私の携帯には、いま、勾玉のストラップが付いています。出雲市駅のお土産店で買いました。日本人が初めて表現しようとした原初的な形、ものづくりの原点を思います。それが、古き良き時代の思い出と重なります。先日は、ありがとうございました。昔の面影がすぐには思い出せず失礼をいたしましたが、いま、記念写真を眺めていると、ふっと昔の風景と共に蘇ります。皆様との良き思い出を胸に秘めて、残された人生を全うします」。来年は後厄記念とかで京都に集まることになりました。

コメント

古書の醍醐味

2010-11-07 09:39:00 | 古本フェア

 11月最初の日曜日は、曇り。時々雲の合間から青空がのぞく、少しひんやりした朝を迎えました。もう1、2週間もすれば紅葉の季節なんでしょうか。そうそう、先週、このブログを更新後、JR阪和線快速急行で和歌山市に向かいましたが、なんと関西国際空港を遠くに望む熊取駅近くで、「ただいま小動物に接触したため、安全点検のため停車しています」との車内放送がありました。その後、小動物が猪であったことが判りました。こんなところまで猪たちが山から下りてきたのかと。今年は山の実が少ないのでしょうか。可哀そうな気もします。

 さて、先週は、週初めと終わりに東京出張が重なりました。秋の空気が漂う、そんな東京の街を歩きました。そのうち、神保町界隈に出かけた際は、なんと神田古書店街最大のイベントと言われる「第51回東京名物神田古本まつり」の真っ最中でした。神保町から駿河台下までの靖国通りに、古書の市が立ち、学生からお年寄りまで、そう私のような背広姿のサラリーマンも仕事の合間に訪れている様子です。私も仕事が始まる前の1時間、ぶらぶらと物色して歩きました。
 そこで手にしたのは、左手のピアニスト・舘野泉氏のエッセイ集「ひまわりの海」、それから塩田潮著「最後の御奉公~宰相・幣原喜重郎」の2冊。おまけに、岩波書店の「新・哲学講義=知のパラドックス」も。
 なかでも思い入れの深いのが「最後の御奉公~宰相・幣原喜重郎」でした。別に日本現代史に関心があったわけではありません。ただただ、幣原喜重郎という人物と最後の御奉公という見出しに惹かれたのでした。その昔、私の田舎の離れには妙な文字の書が飾ってありました。大きな字で「温厚」という文字が書かれ、その横に小さく幣原喜重郎の著名がありました。その絵を小さい頃から当たり前のように眺めて育ってきました。父の客が来ると、いつもこの書のことが話題になるのを横で聞いてた記憶があります。その幣原という人がどういう人物なのか。歴史の教科書以外あまりよく知らなかったのです。
 もうひとつは「最後の御奉公」という言葉。この言葉は私も最近よく使います。でも幣原さんとは取り巻く状況が全く異なりますが。
 帰りの新幹線の中でぱらぱらめくっていくと、幣原さんは外相などを勤めたあと10年余り政界を退いていたところ、隠居生活に入る寸前、請われて総理大臣に就任された。その決断にあたって幣原さんは「最後の御奉公」という言葉をお使いになりました。その言葉どおり、日本国憲法の草案をまとめて1年足らずで吉田茂にバトンタッチされたのでした。
 一方の私は、一般的な定年年齢までは精いっぱいお勤めをしようという意味で最後の御奉公を使っていますから、比べること自体失礼なお話ではあります。どうも最近、還暦を過ぎると、どうしても最後の御奉公を意識してしまいます。若い方々にバトンタッチする時期の、初老の「思い」なんでしょうよ。きっと。
 なにはともあれ、古書店というのは意外な出会いをもたらしてくれるものです。幣原さんは大阪は門真村の農家の生まれだったとか。門真と言えば、いまは世界に誇るパナソニックの街なのですが、明治の頃は田園風景が広がっていたようです。幣原さんは、明治の初め大阪では唯一の英学校に通い、その後、東京帝大に進み、外交官をめざしました。それにしても江戸城の明け渡しがあって1年余しかたたない明治2年(1869年)に、オランダ人によってここ大阪に舎密局という理化学の学校が創設されたというから驚きです。その後、この学校は大阪英語学校となり、学制改革で大阪専門学校と名を変え、さらに日本唯一の官立中学校となり、第三高等中学校となります。大阪城の西隣の大手門界隈にあった学校は、その後なんと京都市左京区の吉田山に本拠を移します。これが京都大学の起源だとか。時代の変わり目の躍動感のようなものを感じます。

 帰りの新幹線のなかで聞いたNHKラジオ、番組名も人の名前を覚えていませんが、何気なく聞いていると、古書店巡りを趣味と標榜される方がお話になっていました。高じてイギリスはロンドンまで古書を求めて旅をされたというから驚きです。古書には、真新しいインクの匂いこそありませんが、少し色褪せた頁をめくりながら、人の温もりを感じます。この本を手にした方を想像しながら、しかし私は私なりにこの書物に向かっている、その意外性、巡り合わせを心地よく感じながら、時間の流れと人の思いを温めます。時間に振り回されない自分の時間を、そこに見つけます。これぞ古書の醍醐味でしょうか。
 
 2回目に東京に行ったときは、市ヶ谷駅近くの釣り堀に真昼間から釣り人がちらほら。仕事を終えて帰る頃には背広姿のサラリーマンの姿もちらほら。趣味なのか、仕事に疲れての息抜きなのか。なんともよく判らないのですが、ビジネスの街・東京での意外な風景に、大都会のもつ不思議を思ったものです。
 そんなこんなで週末を迎えた昨日は、午前中、外で打合せを済ませると、職場に入り、出張中に溜まった仕事の整理。メールへのご返信、親書へのご返事。そして来週の仕事の段取り。自分なりのシナリオを描いて、やっと1週間が終わりました。私の最後の御奉公も、あと数年です。

コメント