心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

室内楽&ワールドミュージックを楽しむ

2017-05-27 21:00:32 | Weblog

 5月もあと僅か。愛犬ゴンタが亡くなって10か月が経過しようとしています。そんな我が家の唯一のペットは熱帯魚さんです。水槽には、グラミー、エンジェルフィッシュ、そしてプレコの3種7匹が仲良く暮らしています。そのうちプレコ君は、家に来たときは5センチほどでしたが、いまではご覧の通りずいぶん大きくなりました。餌の時間になると、グラミー、エンジェルフィッシュが競い合って食べる傍らで、プレコ君は落ち着いたものです。いつも水槽のお掃除を手伝ってくれます。だからわたしも、毎週欠かさず水環境の維持に努めます。
 さて、内外34団体(うち日本は5団体)が競った大阪国際室内楽コンクール&フェスタ。3年に一度開催されるコンクールですが、各部門で第1位に輝いた披露演奏会が、大阪城公園に隣接する「いずみホール」でありました。
 フェスタ部門(楽器編成自由)で金賞に輝いたのは、ロシアのデュオ・プロコフィエフ・ダヴティアン(ロシア)でした。これまで聴いたことのない、スチール弦と丸い共鳴板を持つロシアの弦楽器「ドムラ」と、ロシアのボタン式アコーディオン「バヤン」という楽器で、豊かな音楽の世界を楽しませてくれました。
 第2部門(木管五重奏・サキソフォーン四重奏・金管五重奏)の第1位はザイーハ四重奏団(サキソフォーン五重奏=フランス)、第1部門(弦楽四重奏)の第1位はアイズリ・クァルテット(アメリカ)でした。いずれも将来の活躍が期待される若手演奏家の門出を祝う演奏会でした。
 「いずみホール」は今回が初めてでした。2階のバルコニー席を含めて821席と中規模のホールですが、クラシック専用ホールと謳われるだけあって、音響も良く、ヨーロッパ風の内装を含めて室内楽には最適な素晴らしいホールでした。運営母体が住友生命福祉文化財団だからでしょうか、この日のコンサートはシニア料金(60歳以上。正規料金の半額)が設定されていました。こんなコンサートが増えるとよいのですが。(笑)
 そうそう、おととい受講した音楽特別講座のテーマは「クラリネットの楽しみ」でした。クラリネットと言えばクラシックを思いがちですが、「ワールドミュージック」という副題がついています。この日はアメリカのジャズから始まり、南米のショーロ、ボサノバ、そしてヨーロッパのミュゼット、ジプシースイング、中東のクレズマー、最後は日本のジンタ、ちんどん、ジャズと続きました。クラリネットとギターの若手奏者と一緒に世界一周をした気分でした。
 クラリネットと言っても、その起源はずいぶん古いのです。先月のカレッジでは笛の生い立ちについてお勉強をしました。骨笛、角笛、土笛、ブリキ笛、葦笛、リード笛、木笛....。こうした笛の歴史の延長線上にクラリネットはあります。
 今回の音楽特別講座を聴いていると、同じクラリネットでも、国によって地域によって、曲の雰囲気が微妙に違います。まさに土着の文化「多様性」を感じました。薄っぺらい概念化思考が土着の精神をひ弱にしていく時代です。ジプシースイングを聴きながら、ヨーロッパに押し寄せる難民の姿を思い出しました。それを拒む保護主義。さあてどうなんでしょうね。(下の写真はネット上の画像素材からお借りしました)
 話は変わりますが、きのう仏像鑑賞会のため奈良に向かおうとしたら、最寄り駅で電車が全面的にストップしていました。人身事故のためです。1時間ほど待たされたあげくやっと動き出したのですが、ダイヤは大幅に乱れ、ついに集合時間に間に合わなくなってしまいました。奈良国立博物館の「快慶」展を楽しみにしていたのですが、残念。今回は参加を断念しました。(-_-;)
 そのまま家に引き返すのも勿体ないと思い、予定を変更して、京橋はツイン21のアトリウムで開催中の中古レコード展「第5回TWIN21ディスクセール」(26日~31日)に向かいました。主催はなんと、私が広島勤務時代におじゃましていた広島市の中古盤専門店GROOVIN’さんでした。アナログレコード、CD、DVDなど10万点の品揃えです。いろいろ見て回って、LPレコード8枚とCD6枚をお持ち帰りでした。音楽講座に触発されて最近聴く機会が増えたハイドン、メンデレスゾーン、フォーレ。グレン・グールドの「バード&ギボンズ作品集」も。CDはすべてマルタ・アルゲリッチでした。
 というわけで、終わってみれば音楽一色の楽しい一週間でした。一方で、電車の人身事故について新聞記事は、32歳の男性の自殺を仄めかしていました。まだ若いのに、どうにでもなる年齢なのに、自分を追い込んでしまった。悲しい出来事でした。ご冥福をお祈りします。
 来週は3カ月検診が待っています。2カ月前に受けたがんドックで、またも3年ぶりに大腸がん検診に黄信号(精密検査)がつきました。その相談も兼ねてでかけます。歳相応のことですから、こちらはのんびりしたものです。

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クラリネット五重奏を聴きながら

2017-05-20 23:01:39 | Weblog

 連日、お天気の良い日が続きます。そんな初夏の庭は若葉が繁り、花が咲きます。ことしの発見はオリーブです。何年か前に小さな苗をいただいたのですが、冬の終わりに地植えにしたところ、初めて開花の兆しです。うまく結実したらよいのですが......。
 そんなある日、家内から「あした淡路島に行かない」と。数日前に四国遍路の道中に通過したばかりでしたが、あまり熱心に誘うので断り切れず(笑)、でかけることにしました。すると家内、ネットと電話を駆使して行先を決めていきます。淡路島は家内の父親の実家があるところですから、それなりの思い入れもあるのでしょう。建築家の安藤忠雄さんが設計したというウエスティンホテル淡路でフレンチを楽しみ、隣接する淡路夢舞台に点在する「奇跡の星の植物園」や「スイスオルゴール展」などを見て回り、最後は「あわじ花さじき」に立ち寄って帰る、そんなプランができあがりました。
 思いついたときにふらりと出かけることができるのも、一線を退いたからできることですが、気持ちの良い一日となりました。
 ところで、今週のカレッジでは谷崎潤一郎について学びました。細雪、春琴抄など多くの作品がありますが、わたしはこれまで一冊も読んだことがありません。なので興味津々で授業を受けました。でも、途中からなにか違和感のようなものを覚えてしまいました。いま芸能界を騒がすゲス不倫といったら叱られるかもしれませんが、知人の妻を含めて3人もの妻を娶り、自由奔放に生きた人となりが、どうも釈然としないのです。
 考えてみれば、森鴎外もドイツ留学中にドイツ人女性と同棲し子をもうけながら帰国、日本まで追いかけてきた女性に縁者がカネを渡して追い返しています。かの小林秀雄も、中原中也の妻と同棲をしたことがありました。その時々の自分の情念に忠実だったという意味で、それが作品を生む原動力になっているという見方もできないではありませんが、どうも明治時代の殿方は女性にだらしがないようです。どうなんでしょう?わたしには谷崎の作品を手にとって読もうという気持ちが湧いてきません。
 最近、あれやこれやと出かけることが多かったので、今週はできるだけ家にいて静かに過ごそうと努めました(笑)。エンドウ豆の収穫をしたり、花壇の草抜きをしたり、本を読んだり、レコードを聴いたり......。
 レコード棚から取り出したのはモーツアルトとブラームスの「クラリネット五重奏」、加えてワーグナーの「クラリネットと弦楽五重奏のためのアダージョ」でした。演奏はウィーン八重奏団員の面々です。作曲した時季は違うようだけど、柔らかな若葉が眩しいこの時季に聴くのも良いです。それに、若い頃にクラリネットと遊んだことがありましたから、なんとなく古き良き時代の頃を思い出します。来週の音楽講座は「クラリネットの楽しみ」です。
 でもねえ。初夏を迎えて日に日に景色が変わるこの時季です。じっとしていられない性分です。きょうは孫君たちを連れて須磨海釣り公園に出かけてきました。強烈な暑さを覚悟したのですが、海上は意外と涼しく穏やかな微風につつまれて孫君たちのお相手ができました。ちなみに釣果はカサゴ3匹。
 来週は、コンサート(いずみホール)、音楽講座、仏像鑑賞会(奈良)そしてカレッジと続きます。今回から3回にわたって美術講座があります。私に絵心があるとは思えませんが、とりあえず画材一式を揃えました(笑)。

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若葉萌える涅槃の道場へ

2017-05-13 22:52:11 | 四国遍路

 四国八十八カ所遍路の旅もあと2回、涅槃の道場「香川県」入りを果たしました。4月のウォーキングでは最澄の生まれた大津を歩きましたが、今回は空海が生まれた善通寺が舞台です。関西に近いこともあって、1泊2日の行程で以下の12カ寺を廻りました。

   第六十六番札所・巨鼇山雲辺寺(三好郡池田町) ご本尊は千手観世音菩薩
 第六十七番札所・小松尾山大興寺(三豊市山本町)ご本尊は薬師如来
 第六十八番札所・七宝山神恵院(観音寺市)      ご本尊は阿弥陀如来
 第六十九番札所・七宝山観音寺(観音寺市)      ご本尊は聖観世音菩薩
 第七 十 番札所・七宝山本山寺(三豊郡豊中町)   ご本尊は馬頭観世音菩薩
 第七十一番札所・剣五山弥谷寺(三豊郡三野町)  ご本尊は千手観世音菩薩
 第七十三番札所・我拝師山出釈迦寺(善通寺市)  ご本尊は千手観世音菩薩
 第七十二番札所・我拝師山曼荼羅寺(善通寺市)  ご本尊は大日如来
 第七十四番札所・医王山甲山寺(善通寺市)    ご本尊は薬師如来
 第七十五番札所・五岳山善通寺(善通寺市)    ご本尊は薬師如来
 第七十六番札所・鶏足山金倉寺(善通寺市)    ご本尊は薬師如来
 第七十七番札所・桑多山道隆寺(善通寺市)    ご本尊は薬師如来

                                           
  まず初めにお参りしたのは、四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある雲辺寺です。歩いて登ったら大変だろうなあと思いながら、100人乗りのロープウェイに乗って山頂をめざしました。道々、五百羅漢の歓迎を受けながら本堂と大師堂にお参りしましたが、こんな高いお山のてっぺんによくも立派なお寺を建立したものだと、ただただ驚くばかりでした。
                                           
                                           
                                           
 次に向かった大興寺では、山門を入ったところにあった樹齢1200年余りのカヤの木(イチイ科の常緑針葉樹)のお迎えを受けました。境内に向かう石段は、いったい何人の人々がお参りしたのかと思うほどにすり減っていて、お遍路の歴史の重さを知ることになります。帰りがけに山門を見ると、お寺の外の田圃ではそろそろ田植えの準備です。長閑な風景に心が和みました。
                                                           
                                             
 観音寺と神恵院は琴弾公園内の琴弾山の中腹、同じ境内にありました。聞けば、もともと神恵院は琴弾八幡宮の別当寺だったけれども、明治初年の神仏分離令で、観音寺境内に移されたのだとか。観音寺の本堂、大師堂をお参りしたあと、近代的な建物の中にある神恵院に向かうことになります。
 そうそう、この日、白衣を着た外国人の若い男女を見かけました。わたしよりも上手に般若心経を唱えていらっしゃる姿をみて驚きました。
         
                                              
                                              
   五重塔の平成大修理を進めている本山寺は、四国八十八カ所の中で唯一、馬頭観世音菩薩を本尊としているお寺です。菩薩についてはまだまだ不勉強な私ですが、農耕、馬が関係ありそうで、境内には2頭の馬の立像が立っていました。
 以上をもって1日目のお参りは終了です。この日は瀬戸内海に面した丸亀市のホテルで泊まりました。
                                              
 2日目は朝7時半に宿を出て、弥谷寺をめざしました。このお寺、空海が幼い頃に修行したところのようですが、なんと本堂までの石段の数、530余。深い森の中に分け入るように嶮しい石段が続きました。石段の横には苔むした石仏、途中に大きな観音様がお出迎えでした。
                                           
                                               
  聞けば、この弥谷山はその昔、頂上周辺が「姥捨山」だったそうです。食べるにも困る時代、薄暗い森の中、子に背負われた年老いた方々の終の棲家となり、山全体に死者の霊が宿っていると言われます。途中に出会った大きな観音様が、温かい心ですべてを包み込んでいらっしゃるということなんだろうと思いました。
 大師堂の奥には、空海が幼少の頃に学問をしたと言われる「獅子の岩屋」があり、大師の像と、その父母の像が安置されています。本堂から大師堂へ向かう途中の岩壁には、大師が刻んだと言われる「磨崖仏(まがいぶつ)」があります。  
                                                
   真魚(幼名)こと空海は、774年、屏風ヶ浦、現在の善通寺界隈で生まれました。そのため、空海に関わるいろいろな伝説が今も生きています。次に訪ねた出釈迦寺は「捨身ヶ嶽の奇跡」で知られるお寺です。真魚7歳の頃、「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じたところ、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめたのだそうです。信じるか信じないか......。
                                                 
 四国霊場で最も古い推古四年(596)に創建されたのは曼荼羅寺です。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建されました。空海が亡き母玉依御前の冥福を祈るためにこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のことだったそうです。「唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました」というお話しがありました。

                                                 
 雨の少ない香川県は、昔から水不足と闘ってきた歴史があります。そのため、至る所に大きな溜池を見かけます。こうした溜池を築いたのも土木技術に長けた空海の時代です。甲山寺は、数ある溜池のなかで最も大きい満濃池の改修した821年に建立されたのだそうです。空海は、薬師如来を刻んで奉納しています。
                                                
 真言宗善通寺派の総本山である善通寺。総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内に驚きました。京都の東寺、和歌山の高野山と並ぶ弘法大師・空海の三大霊跡のひとつです。

                                                
 本堂(金堂)には高さ3メートルにもおよぶ薬師如来像があり、薄っすらと眼を開いて私たちを見つめていらっしゃいました。それを身近で見上げながら般若心経を唱えていると、これまで感じたことがない高揚感が全身を走る、そんな感覚を覚えました。四国遍路の旅で初めて感じたことでした。
 ここの御影堂(大師堂)の地下には、暗闇の中、法号を唱えながら大師と結縁する「戒壇めぐり」という道場があります。わたしは高野山でいちど体験したことがありますが、引き返すわけにもいかず、真っ暗な空間を同行二人、前に前に進んでいくことになります。

                                             
                                             
 ここで昼食休憩です。善通寺と言えば饂飩、金毘羅宮の参道沿いにある饂飩屋さんで美味しい饂飩定食をいただきました。
 次に向かったのは金倉寺です。奈良時代に地元の豪族・和気道善が建立したお寺です。本堂前には大きな数珠が下がっていて、それを下に引くと上から何個かの数珠がぱちぱちと音を立てて落ちてくる仕掛けになっていて、なんとも清々しい気持ちになります。
                                            
 今回の打ち止めは道隆寺でした。仁王門をくぐるとこんな案内板がありました。「眼なおし薬師さま」。ご本尊さまは弘法大師御作の薬師如来の胎内に開祖道隆公御作の薬師如来を納めた二体薬師さま、眼なおしの薬師さまとして全国で有名な薬師さまです。本堂、大師堂とお参りしたあと、先達さんに案内されたのは「潜徳院殿堂」でした。「当山薬師如来さまの御慈悲により眼病平癒した京極公は医学を学び特に眼科の名医、町名尽きるも我が魂魄を道隆寺に留め領民を救おうと請願される」と。徳島を巡っていた時にも同じようなお寺がありましたが、わたしも白内障の初期段階です。平癒を信じて御札を奉納させていただきました。
                                               
 今回の遍路の旅のお相手は、82歳のお爺さんでした。バスの座席も隣同士、ホテルの部屋も一緒でした。そのお爺さん、20年前に定年退職後、歩き遍路を含めて11回も四国八十八カ所を巡っていらっしゃいました。わたしにとっては大先輩になります。お持ちの経本はぼろぼろ状態ですが、それでも大切に扱っていらっしゃる。聞けば、高野山を含めていろいろなお寺で修行をされている由。わたしなど足元にも及びません。前職は銀行務め、なんと私の父と同じ会社でした。
 夕食後は、ご持参のお酒をいただきながら、いろいろなお話しをさせていただき、たくさんの気づきをいただきました。早朝4時にはお目覚めになって、いわゆる「朝のお勤め」をされていましたが、人それぞれにいろんな生き仕方があることを学ばせていただきました。
                
 これぞ一期一会の醍醐味と言ったらよいのでしょうか。今後いつお会いできるかわかりません。固い握手をしてお別れをしました。そして私のリュックの中には、購入したばかりの真新しい経本「奉納四國八十八カ所」が入っています。

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近江八幡漫遊の旅~ヴォーリズ建築&水郷めぐり

2017-05-07 21:10:27 | 歩く

 ゴールデンウィークの半ば、京都市勧業館みやこめっせで開かれた「春の古書大即売会」を覗いてきました。主催する京都古書研究会が創立40周年ということで、なかなかの賑わいでした。この日、わたしが手にしたのは、メレル・ヴォーリズ・一柳著「東と西の詩集」、福岡伸一著「フェルメール 光の王国」、白洲正子著「西国巡礼」の3冊でした。
 そのうち、英文併記の「東と西の詩集」(近江兄弟社)は、ヴォーリズの死後に編纂されたものでした。ヴォーリズといえば明治38年(1905年)、英語教師として来日し、滋賀県近江八幡の商業学校で教鞭をとり、その後伝道、建築、教育、医療、事業(メンソレータム)と多岐にわたって活動した人であり、昭和39年(1964年)、7年間の病床生活を経て83歳で亡くなるまで「隣人愛」を貫いた人でありました。その命日が、きょう5月7日です。
 わたしのヴォーリズとの出会い。それは関西を中心に全国にボーリズ建築の名を馳せた人であり、医薬品メンソレータムの販売をてがけた近江兄弟社の設立に関与した人であり、同志社大学カレッジソングを作詞した人であり......。そうそう、2年前のNHKテレビの朝ドラ「あさが来た」の主人公・廣岡浅子の娘・亀子と結婚した一柳恵三の妹・満喜子と結婚した人でもありました。そんな断片的な情報のなかでぼんやりとした接点がありました。
 数年前、広島勤務の時に、ヴォーリズ記念病院ホスピス病棟の日常を追ったドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日~」を見て感動したことも強く心に残っています。そのことは2013年12月1日付の記事「人の幸せってなんでしょう」でも少し触れています。(下の写真は小さな山の麓にあるボーリズ記念病院)
 そんなこともあって、ゴールデンウィーク後半の一日、ヴォーリズが残した建築物に触れるため、近江八幡市にでかけました。朝7時半に家を出て、JR近江八幡駅に到着したのが10時過ぎ。地図を片手に街歩きです。まず向かったのは池田町洋風住宅街。ウォーターハウス(旧ウォーターハウス邸)、吉田邸、ダブルハウスなどを見て回りました。
 次に向かったのは、ヴォーリズ建築第1号のアンドリュース記念館(旧YMCA会館)と旧八幡郵便局舎、そしてヴォーリズ記念館(ヴォーリズ私邸)とヴォーリズ学園ハイド記念館。運よくウォーターハウスとアンドリュース記念館の2館は特別公開をしていました。
 ヴォーリズは米国コロラド大学を卒業していますが、建築を専門的に学んだことはありません。ガイドブックには、「建築をキリスト教精神の表現と捉え、住む人、使う人のことを最優先に考えた」と記されてあります。「簡素ではあるけれども豊かなデザインと親しみやすく包容力のある空間を有している」とも述べてあります。専門的なことは分かりませんが、なにかしらほっとする空間を随所に感じたあたりに、ヴォーリズ建築の真髄のようなものがあるのでしょう。
 せっかくここまで来たのだからと、昼食を済ませると、重要文化的景観選定第1号といわれる「近江八幡の水郷めぐり」に向かいました。市街地から乗り場まではけっこうな距離がありましたが、穏やかな陽気に誘われて、歩くことに。この日ばかりは家内も気持ち良さそうに歩いていました。
 琵琶湖からは少し奥まったところにある「西の湖」がその舞台です。昔はいくつもの島を結ぶ足として活躍した「手こぎ舟」に乗って、およそ1時間、ヨシキリの囀りをまじかに聞きながら、まったりとした時間を楽しみました。
 近江八幡漫遊の旅は、まだまだ続きます。次に向かったのは日牟禮八幡宮です。その界隈に、もうひとつのヴォーリズ建築であるクラブハリエ日牟禮館(旧忠田邸)があります。でも、家内は建物よりもクラブハリエに関心がありそうです。バームクーヘンなどの洋菓子で有名なお店で、大勢のお客さんで満員でした。ずいぶん待たされましたが、ここで小休止です。
 そして最後は、ロープウェイで八幡山(272メートル)山頂に登って近江八幡全景を眺めることに。このお山はその昔、豊臣秀次が築城した城の跡ですが、いまはその菩提を弔う村雲御所瑞龍寺があるだけです。
 ずいぶん欲張った近江八幡漫遊の旅でしたが、なにかしら心地よい疲労感が充満した一日でした。それは近江八幡の落ち着いた佇まい、隣人愛を基調とするヴォーリズの人となりに建築作品を通じて触れたためなんでしょうか。3年前に記した「人の幸せってなんでしょう」というテーマを、いま改めて問い直すことにもなりました。

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お上りさんの『東京見物』(その2)

2017-05-03 23:07:13 | 旅行

 世の中はゴールデンウイーク真っ最中です。私の場合は毎日がゴールデンウィークなのですが(笑)、世の流れに負けじとお休みの計画を立てました。お上りさんの『東京見物』第二弾です。往復航空運賃と3泊4日のホテル代込みで、新幹線の往復運賃よりお安いチケットを購入してのお出かけでした。家内が見つけたのですが、ホテルも不足感はなく、いったいどうなっているんでしょうね。
 初日は、羽田から明治神宮に直行しました。前回、都庁の帰りに寄ろうとおもっていたのですが、時間がなくてスルーしたところです。原宿駅を降りると、都会地でありながら小鳥がさえずる鬱蒼とした森の中に吸い込まれていきます。樹木が強剪定されることなく自由に気持ちよく枝を広げています。京都御所とは異なる自然の風景が気に入りました。お参りしたあと、代々木駅から両国のホテルに向かいました。
 ホテルで一服したあと、両国界隈を散策して、勤め帰りの長男を両国駅にお出迎えでした。深川もんじゃ焼きをつつきながら、久しぶりに親子3人で夜遅くまで呑み語らいました。彼もこの4月から新しいポジションについたようで、仕事のこと、家庭のことなど、いろいろ話してくれて、ついついお酒の量が増えてしまいました。
 翌日は、両国界隈で開催されていた「にぎわい祭り」を覗いてみました。その開会式を眺めていると、まずは地元の方々全員で、春のうららの隅田川~。滝廉太郎の「花」を合唱されていました。ここ両国は隅田川沿いに位置する墨田区なのでした。
 この日は両国国技館の内部が公開されていて、200円払うと土俵、支度部屋、お風呂など細部にわたって見学ができるまたとない機会でした。いろいろ見て回ったあと、お相撲さん手づくりの「ちゃんこ」もいただきました。お相撲さんと言えば、街を散歩していたら、いくつかの相撲部屋が目に留まりました。時津風部屋、出羽海部屋、井筒部屋、春日野部屋....。朝早くから厳しい練習の声が響いていました。
 午後は、ネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築として知られる赤坂迎賓館を見学しました。西洋の宮殿に負けじとつくられたのでしょうが、室内のシンプルにして豪華な装飾に日本らしさを感じたものです。
 建物が世界文化遺産に登録された国立西洋美術館では、昨年神戸でお目にかかった松方コレクションの作品に再会したほか、特別展「スケーエン デンマークの芸術村」を見て回りました。気持ちの良い空間が気に入りました。美術館は通常写真撮影禁止なのですが、この美術館では常設展(一部禁止の作品もあります)の作品は撮影可とありました。お気に入りの作品を何枚も撮影しました。
 この日最後のプログラムは、お台場クルーズでした。これは私のリクエストでしたが、船上から豊洲市場を眺めながら、都政、都議会の無責任体質が気になりました。でも、最終的に決めるのは東京都民です。私は遠くから眺めるしかありません。
 3日目の朝は、ホテルの近くにある旧安田庭園を散策したあと、上野駅に向かいました。計画では長男一家および次男一家と合流する予定でしたが、長男一家では二番目の孫が熱を出し、次男一家では次男が熱を出したというので、今回は長男と孫娘のみ同行しての国立科学博物館見物となりました。それにしても、その展示企画のスケールの大きさには驚きました。科学に関心のある者であれば1日見ていても飽きないほどの迫力がありました。
 また、1931年に竣工した日本館(旧東京科学博物館本館)の建物も素晴らしいものでした。ネオ・ルネサンス様式で、天井と窓のステンドグラスが気に入りました。
 博物館を見終わったあと、不忍池弁財天をお参りして、長男の自宅に向かいました。運よく孫君の熱も下がったようで、夕方にはみんなで食事にでかけ、孫3人を囲んで楽しい時間を過ごしました。
 いよいよ最終日ですが、午前中は予備日としていたところ、早朝のテレビニュースで亀戸天神の藤の花が話題になっていたので出かけました。ホテル前からバスに乗って30分ほどでしょうか。まさに行き当たりばったりの珍道中ですが、大勢の人出で賑わっていました。
 庭園から遠くに東京スカイツリーを望むことができました。東京タワーと違ってスカイツリーが東京下町のシンボルタワーになっていることがよく判ります。3泊したホテルの窓からもスカイツリーを眺めることができました。見る場所、見る時間で異なる表情を見せるスカイツリーの存在感を思いました。
 こうして3泊4日の東京見物は終わりました。それでもなお、上野公園の東京国立博物館、東京都美術館、上野の森美術館など見たい所はたくさんあります。また機会をみて出かけることにいたします。
 さてさて、ゴールデンウィークも後半に突入していますが、あとは近場でお茶を濁す、いやいや小さな発見を楽しみたいと思っています。

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