心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

枕元で小林秀雄講演CD集を聴く

2013-05-26 09:27:18 | Weblog

 きょうも鶯の囀りで目が覚めました。お隣の庭木にでもいたのでしょうか。大きな声で「ホーホケキョ」と。清々しい朝を迎えることができました。こんな目覚めもいつまで続くことやら。5月もあと1週間、6月に入れば梅雨入りの時期が気になります。

  きのうは、お昼から梅田界隈で会合がありました。少し早めに家を出て紀伊国屋書店に立ち寄りました。先月、ゴッホ展を見て、なんとなくゴッホの生き様が気になっていて、小林秀雄講演CD集第7巻「ゴッホについて」を夜な夜な枕元で聴いていました。小林さんは「鳥のいる麦畑」の複製画を部屋に飾るほどゴッホに関心をお持ちだったようで、いちど「ゴッホの手紙」を読んでみたいと思っていました。この日見つけたのは小林秀雄全作品20巻「ゴッホの手紙」でした。四六判の手軽さです。小林さんの文章には難解な言葉が所々に登場しますが、頁の下段に注釈が載っていて、それが気に入りました。
 で、予定の時間が近づいたので目的地に向かおうとしたところ、なんと開始時刻を1時間間違えていました。さあて、どうしよう。やむなくスターバックスで時間待ちをすることに。比較的静かなお店でしたので、コーヒー1杯で約1時間、時間を潰しました。もちろんお相手は「ゴッホの手紙」でした。

 日頃、大阪と広島の間を行ったり来たりしているうちに、その移動時間が私にとっては貴重な読書タイムになっていることに気づきます。ぼんやり車窓を眺めていることもないではありませんが、1時間も2時間もぼーとしているわけには行きません。かと言って仕事ファイルを開く勇気もありません。仕事の方は到着30分前から気持ちを切り替えて現地に乗り込む、それまでの間は全く別の世界に戯れる、それが私の仕事スタイルです。だから鞄の中にはいつも何冊かの本が入っています。
 先週の月曜日は、久しぶりに三重県津市に出かけました。大阪難波駅から近鉄電車に乗って奈良県を横断し三重県に入ります。その先は四日市、名古屋に通じる、そんな位置に津市はあります。三重県の県庁所在地です。大阪から1時間半ほどかかりました。

 この日、鞄に入れていたのは村上春樹の初期の作品「ダンス・ダンス・ダンス」(上)でした。「羊をめぐる冒険」に続く長編です。都会的な匂いのするこの小説、大阪の市街地を抜けて田園風景が広がる頃になると、なんとなく落ち着かなくなります。
 つぎに取り出したのは柳田国男の「山の人生」でした。山奥に潜む人が時々人里に現れて人々を驚愕させる、そんな言い伝えを収録したものですが、なんとも不可思議な、ある種悍ましささえ思わせるお話です。日常と非日常が交差する世界。私には「雨月物語」と同様に、村上春樹の世界に何かしら通底するものを感じました。
 この「山の人生」の存在を知ったのも、実は小林秀雄講演CD集でした。第2巻『信ずることと考えること』です。今年、柳田国男没50年を記念して角川ソフィア文庫が「柳田国男コレクション」を出版しました。手元にある「山の人生」は、その中の1冊です。
 私は、民族学というものを知りません。ただ、齢を重ねると回帰現象なんでしょうか、むかし近所の御爺さん(当時、90歳をゆうに超えていましたから、江戸末期から明治初期の生まれだったんでしょう)から聞いた怖いお話、不可思議なお話がぼんやり浮かんでは消えていきます。それは高尚な学理ではない。がちがちの論理でも、科学的合理主義でもない。日本のどこにでも転がっている村々の怖いお話の中に、アニミズムにも通じる人間存在の本質が隠されてるような気がしています。南方熊楠も小泉八雲も、そういう繋がりのなかで眺めていくと、なんとも楽しい世界が広がります。

 そうそう、週の半ばには、予定どおり広島に行きました。ベランダで抱卵していた鳩の巣に雛が3羽孵化していました。親鳥は餌を探しにでも行っているのでしょう。雛が静かに帰りを待っていました。本来なら窓を開けて部屋の空気を入れ替えしたいところですが、ここは我慢です......。
 きょうはグレン・グールドのピアノをぼんやり聴きながらのブログ更新になってしまいました。

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クラリネット・ソナタが似合う季節

2013-05-19 09:05:06 | Weblog

 だんだん暖かくなってくると、私はいつも部屋の窓を開けたまま眠ります。早朝の清々しい空気が漂う部屋で目覚めることの爽快感が何とも言えないのです。市街地ではあっても、生駒の山から下りてきた鶯が囀ります。

 きょうは薄らと青空が見えますが、午後には雨が降るかもしれないとか。そのためでしょうか、少し肌寒さを感じます。それでも、庭に目を凝らすと、シランの花が咲き、柑橘類の花が咲き、スダチの葉っぱにはアゲハチョウの幼虫が闊歩しています。野菜畑では、モンシロチョウの幼虫がブロッコリーの葉っぱを食い荒らし、無残な姿になっているのを発見しました。

 ところで、昨夜は行き付けの御鮨屋さんで、長女一家と一緒に次男君の送別会(?)をしました。というよりも、それにかこつけて呑み会をしたにすぎませんが、いよいよ22日には旅立つことに。気が向いたら帰ってくるとは言うものの、さあて、今度はいつお会いできることやら。でも、自分の思い通りに生きていることに、親としては満足すべきなんでしょう。きっと。その御鮨屋さんの階段踊り場に、「ごん太」という名の置物があったので写真に収めました。

 それにしても一週間が経つのは早いものです。先週の日曜日は、ブログ更新を終えたあと庭掃除をしていたら、家内が京都府立植物園に行きたい、と。前日は雨で一日中家に籠っていたので重い腰をあげました。

 京都・洛北にある京都府立植物園(総面積約24万㎡)は、大正13年に開園して90年余り経ちます。私がこの植物園に初めて訪れたのは、もう40数年も前のこと。当時、京都にいた父と、伏見にいた2番目の姉夫婦と一緒にピクニック気分で出かけました。その後、子供が小さい頃には何度か行きましたが、いつの頃からか足が遠のいていました。

 地下鉄北山駅を降りると、徒歩3分で北入口に到着です。驚いたことに、60歳以上は200円の入場料が無料(7月から70歳以上に変更)でした。そのためかどうか、お年寄りの姿が多くみられました。私も近所に住んでいたら毎日でも散歩したい、そんな植物園です。

 園内に入ると、満開の花壇が迎えてくれます。写真倶楽部の方々でしょうか、愛らしい花の前に重装備のカメラを据えて被写体を狙っています。野鳥をターゲットにするグループは大きな望遠レンズを携えて高い梢を行き交う小鳥たちの姿を追っています。

 ちょうどこの時期はシャクナゲやシャクヤクが満開でした。老若男女連れ添って花を愛でる姿があちらこちらに。結婚式を済ませたばかりの新婚さんが花壇をバックに記念撮影中でした。咲き始めたばかりのバラ園では、老人ホームに入居されている方々のグループも。ヘルパーさんの案内で車椅子の上から嬉しそうに花を愛でていらっしゃいました。
 大きな温室に入るとフクシア展が開催されていました。熱帯果樹園ではバナナやパパイアの実が熟しつつありました。
 花は人の心を和ませてくれます。次回は、孫君を連れて行きましょう。この日のスマホ万歩計は1万5千歩でした。どうも最近、出かける癖がついていけません。
 さて、きょうは、サンサーンス最晩年の作品「クラリネット・ソナタ変ホ長調」を聴きながらのブログ更新でした。先日中古CD店で手に入れった輸入盤です。演奏は、ボストン響の首席クラリネット奏者をつとめたアメリカの名手ハロルド・ライトです。  クラリネットと言えば、マウスピースに取り付けた1枚の簧(リード)によって音を出す木管楽器のことです。言えば、草笛が進化したものなんでしょう。その音の響きが心に沁みます。高校生の頃は、モーツァルトのクラリネット協奏曲が気に入って、ずいぶん練習したことがあります。でも、ずいぶん昔のことです。
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シベリウス、フィンランド。そして日本の歩み

2013-05-12 09:23:58 | 愛犬ゴンタ

 最近、愛犬ゴンタに背中を掻く癖があって、一部に傷も目立ってきたので、きのう動物病院に連れていきました。獣医さんに診てもらうと、なんと蚤アレルギーだとか。背中の毛を3分の1ほど刈って治療を施し、3種類の薬をいただきました。ついでに5種混合ワクチンと狂犬病予防の注射もしていただきました。飼主以上に治療費のかかる愛犬ゴンタですが、すでに13歳、仕方ありません。背中が無残な姿になりましたので、家内がさっそく散歩用の服を作ってくれました。今朝は、それを着てお散歩に出かけました。


 ところで、きのうは雨の一日でしたので、部屋に籠ってレコードを聴いていました。曲目は「シベリウス交響曲全集」(5枚組)。指揮は、4月14日に85歳で亡くなったイギリスの名指揮者コリン・デイヴィス、演奏はボストン交響楽団です。
 シベリウス(1865年ー1957年)はフィンランドを代表する作曲家です。愛国心を鼓舞した交響詩「フィンランディア」や交響曲第2番などが良く知られていますが、デビューしたのは支配国ロシアの弾圧が露骨になっていた1900年の頃、日本の大正時代にあたります。隣国から隣国の言葉を公用語にせよと迫られるとんでもない時代、フィンランドの人々の愛国、独立の機運が高まったのも当然でしょう。そんな時代状況のなかで、シベリウスは作品を発表していきました。


 交響曲第1番を発表した後、国内外から演奏依頼が殺到して多忙を極めたシベリウスは、憂鬱症を患ってしまいました。そこで、アペニン山脈を背にしたイタリア西海岸の保養地ラパロで静養します。私の大好きな交響曲第2番は、そんな時期に手がけられたものです。解説には「北国人のシベリウスが、冬のさなかに、陽ざしの暖かいこのラパロに滞在して、そこで明るい響きの作品を書き始めた」とあります。第一楽章はまさにそんな風景が浮かんできます。また、「秋が終わると、フィンランドはほとんど常闇の国となり、人々は自然から隔離されて、室内でじっとみずからの想いや幻想にふける」とあります。北欧の風土は、日本の雪国とも相通じるものがあります。雪国育ちの私が、シベリウスと付かず離れずの関係にあるもの、そのためでしょうか。


 さて、きょうはもう少し書き続けましょう。私にしては珍しく、今年はNHK大河ドラマ「八重の桜」を欠かさず見ています。この世に生を受けて60有余年。その90年あまり前、日本は封建制から近代国家に生まれ変わろうとしていました。そんなに古い話でもないのです。
 当時の時代環境を立体的に見つめてみようと、今年に入って2冊の本に目を通しました。1冊は、古本屋で買った「現代語で読む新島襄」(同志社編集委員会編)です。国禁を犯して函館港から出国しアメリカに渡った新島の、青年期から晩年に至るまでに書いた数々の手紙や手記、日記、写真やスケッチなどが収録されています。2冊目は中公文庫「日本の歴史19:開国と攘夷」です。こちらは600ページもある文庫ですから、読み終わるのにずいぶん日にちがかかりました。
 武士の社会にあっても、学ぶ場があり、教える者と教えられる者がいたこと。鎖国とはいえ徐々に海外の文化が流入していたこと。漂流してロシアやアメリカなどの船に助けられ異国で新しい文化に触れた者、欧米に留学した若者が既に存在していたこと。そんな時代に新島襄は2本の刀をもって出国し、1本は乗船代として船長に、もう1本は上海に着いたとき聖書を買うため船長にお金に代えてもらったこと。あとはまったくの無一文で、アメリカ・ボストンの地に降り立ったこと。そのアメリカでは、のちに津田塾大学を設立する、当時7歳の留学生、津田梅子に出会っていること...。江戸末期の日本の若者たちが、進取の精神をもって海外に出かけて行ったことを改めて知ることになりました。その基礎の上に今日の日本が存在するということです。


 先週金曜日の報道ステーションは、出雲大社で、60年ぶりの改修を終えた本殿にご神体(大国主大神)を迎える「本殿遷座祭」が営まれたと報じていました。テレビ画面には、薄暗い境内を白い布で覆われた神輿が神職に伴われて移動している風景が映し出されていました。「おー、おー、おー」という神職の声や鼓、笛の音が、何やら幽玄の世界を思わせました。
 これに対する政治学者・姜尚中さんの言葉が心に残りました。キリスト教や仏教がひとつの方向性をもって連続的であるのに対し、経典をもたない神教は、60年ごとに古いものと新しいものが入れ替わる、というよりも古いものと新しいものが時を超えて混在している独自の文化、という主旨のお話しをされていたのが印象的でした。
 ひとつの真実かもしれません。ある時点を境に、物事が、時代が、急に様変わりすることなんてあり得ません。古いものと新しいものが交差し、交わりながら、時代は動いていきます。新しいものと古いもの、あるいは右や左やという二項対立的な発想はそろそろ卒業して、新しい時代精神を再構築していく必要がありはしないか。ぼんやり、そんなことを思いました。
 きょうは、何やら理屈っぽくなってしまいましたが、近くアメリカに飛び立つ次男君への「はなむけ」の言葉?ということにしておきましょう。まあ、頑張ってきなはれ。

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1日1万歩~初老のゴールデンウィーク

2013-05-05 09:10:17 | 古本フェア

 今日は5月5日、子供の日です。しばらくすると長女が孫君たちを連れてやってきます。それにしてもこのゴールデンウィークは、事前に何も計画していなかったので、日々、スマホ万歩計を睨みながら、行き当たりばったりの、のんびりとしたものでした。
 連休の前半、孫君と地元の温泉にでかけた翌日の29日、家内が急に思い立って、午後から宝塚の清荒神さんにお参りすることになりました。途中で次男君と合流し、梅田で阪急電車に乗り換えて、いざ出発です。ここ数年、この時期にお参りに行く癖が付いてしまいました。


 梅田に舞い戻ると、大阪駅北側「うめきた」に4月下旬にオープンしたばかりの「グランフロント大阪」を訪ねました。しかし、どの階も人、人、人でいっぱい。6階あたりまで上がって人酔いしてきたので、早々に引き揚げました。この日のスマホ万歩計は1万6千歩に達しました。


 連休後半初日の3日は、京都市勧業館「みやこめっせ」に出かけました。「春の古書大即売会」です。だだっ広い会場に、京都古書研究会会員店のほか、滋賀、大阪、奈良、岡山、徳島の書店まで勢揃いの44書店が集まる、それは大きな古書展でした。あまりにも広いので、ざっと眺めるのに1時間、品定めするのに1時間もかかりました。


 その日の収穫は、河上徹太郎著「わが小林秀雄」、多田富雄著「生命をめぐる対話」、鶴見俊輔著「鶴見和子を語る」、山室静著「ギリシャ神話(付北欧神話)」、渋沢栄一著「論語講義」、月刊誌「ユリイカ」村上春樹特集号2冊など。
 最近、気になるお方の、その方の周囲の人たちが語る人物像から、人となりに迫ろうという思いが強くなっていて、ついついそんな選書になってしまいました。以前、ご紹介した季刊誌「考える人」特別付録CDで、小林秀雄さんと河上徹太郎さんの対談を聴きましたが、なんとも楽しげな対談に二人の関係が気になっていました。鶴見和子さんも同様で、弟・俊輔さんの視点からはどう映っていたのか興味津々です。
 そうそう、帰りは京都市勧業館から歩いて京阪電車の三条駅をめざしました。春の柔らかい陽を浴びながら、何年振りでしょう、鴨川の河川敷に降りて三条大橋をめざしました。のんびりとお散歩する人々、クラリネットの練習に励む人、寝っ転がっている人、おだやなか風景でした。40年前もそうでした。
 三条大橋で大通りに上がると、CD店JEUGIAを覗きました。残念なことに、CD売場がスペースも品揃えも以前の2分の1以下になっていました。でもせっかく来たのだからと、先日発売されたばかりのCD「『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で聴いたクラシック」(3枚組)を買って帰りました。村上春樹さんと小澤征爾さんの対談集は小林秀雄賞受賞作です。この日の万歩計は1万1千歩を示していました。


 そして昨日4日は、家内とお出かけでした。朝食のとき、おいしいコーヒーをいただきながら、どちらからというでもなく「どこかに出かけようか」ということになり、ネットでいろいろ調べましたが埒があかず、とりあえず奈良に行ってみようということになった次第。
 JR奈良駅に到着すると、さっそく駅の観光案内所でチラシを眺めて位置感覚をチェックします。そして三条通りを東進しました。骨董屋さんを冷やかした後さらに東進すると、南側に道幅の細い「もちいどの商店街」が目に留まりました。地図を見ると、この地域一帯を「ならまち」と呼び、お菓子屋さん、古道具屋さん、民芸屋さん、生活雑貨屋さん、手芸屋さん、機織屋さん、陶器・美術工芸品屋さん、和服屋さん、古本屋さん、漢方薬局、洒落た食事処などが軒を連ねています。観光客目当てというでもない、歴史と伝統のある風情ある商店街でした。お店を覗いて驚いたのは、比較的若い方々が主役だっだことです。接客態度も丁寧で素晴らしい商店街でした。そんな狭い商店街に観光客風の老若男女が三々五々やってきます。家内いわく「また、来よう」と。
 先日立ち寄った「グランフロント大阪」は若者たちでごった返していましたが、何かモノに対する過度な期待、熱気のようなものが渦巻いていて落ち着きませんでした。でも、「もちいどの商店街」は違いました。古いモノの良さと新しいモノへの夢のような、もっと人間的な営み、文化的な香りのようなものが感じられました。これを「不易流行」というのでしょうか。そんな印象を受けました。すれ違う若者たちの表情にも何かしら落ち着きが感じられたのは気のせいでしょうか。初老の勝手な解釈、独断と偏見なのかもしれませんが、正直そのように思いました。


 気分を良くした私たちはその後、北進して猿沢池を通って興福寺に向かいました。そこでは、東金堂と国宝館を拝見しました。やはり阿修羅像のお姿は、いつ見ても素晴らしい、心が洗われるとはこのことです。1300年も前に、この地に素晴らしい仏教文化が花開いたことを思うと、時空を超えた世界が目の前に広がります。身の引き締まる思いがいたしました。
 拝観が終わると、さらに歩を進めました。今度は奈良県庁前で100円観光バスに乗って平城宮跡に向かいました。なんともだだっ広いところでしたが、ちょうど平城京天平祭をやっていました。この頃になると足腰にガタがきそうでしたが、お祭り広場で美味しい奈良のお酒をいただいて、疲れを癒しました....。
 という次第で、この日のスマホ万歩計は、な、なんと、過去最高の1万8千歩を記録、「金賞」に輝きました。この連休を振り返ってみると、トレッキングシューズを履いてあちらに行ったりこちらに行ったり。連日1万歩を軽くオーバーしました。ふだんは5千歩をクリアするだけでもたいへんなのに、「たいへんよくできました」。

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