心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

師走の土曜休日

2015-12-26 23:08:08 | Weblog

 師走の土曜休日の朝、コーヒーをいただきながら、きょう1日の動きを考えます。まずは今年最後の子ども会廃品回収の日。溜まった新聞・雑誌、ダンボール類を束ねます。そのあとは、私の部屋の大掃除。そして家中の窓ガラス拭き。これがきょう私に課せられたお仕事でした。
 その合間に、散髪屋さんにも行きました。自転車で10分ほどのところにあります。お店に着くと、すでに10人ほどがお待ちです。ポケットに入れてきた村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終えた頃、「32番さん」とお声がかかりました。
 小説では、リストの「巡礼の年」の第一年「スイス」の8番目、郷愁「ル・マル・デュ・ペイ」が流れています。散髪の最中、頭の片隅にぼんやりとそれが流れています。久しぶりに読んだ村上春樹の世界。これが今年最後の読み納めでした。
 今年は高野山に出かけたためか、「思想」としての仏教というものに目覚めた一年でもありました。そんな折、朝日新聞出版社が週刊「日本の名寺をいく『仏教新発見』」を刊行しました。創刊号は「法隆寺」、2号は「興福寺」です。時々お寺をお参りしますが、予備知識がゼロの私にとっては気づきも多く、考えさせられることもしばしばです。いずれ四国八十八箇所を巡る「お遍路さん」を思案中の私としては、楽しい本との出会いでした。
 まず私を惹きつけたのは、宗教学者・山折哲雄さんの創刊号「発刊の言葉」でした。「新しい人生を発見する旅へ」と題した文章には、こんなくだりがあります。「人生50年の時代は、働きづめに働いて、気がついてみると死が足下にやってきていた」「だから、死生観といえば足りた」「ところが、人生80年、90年になると、そうはいかない。ゆっくり近づいてくる老いと病いと死をじっとみつめることになる」「死と生に代わって生と老と病と死が緊急の課題になってきたのである。生老病死観にもとづく新しい人生モデルが必要になってきたということだ」と。先日、京大iPS細胞研究所の山中伸弥先生の講演のなかで、「平均寿命」と「健康寿命」のお話を伺いました。平均寿命と健康寿命の差をどう生きていくか。それが今、問われているんでしょう。
 夏の終わり頃、65歳になったということで市役所から成人用肺炎球菌ワクチンと歯の定期検診のご案内が届きました。放置していたのですが、家内から急かされ、11月になって久しぶりに歯医者さんに行きました。小さい頃は歯医者さんが嫌いで、大きな虫歯もギリギリまで直さずにいたほどでしたが、「お歳の割には丈夫な歯ですね」と若い歯科医師さん。でも、通い始めるとなんともご丁寧に隅々まで治療をしていただきます。歯石の除去に始まり、数本の奥歯の治療が終わると、親不知歯の処置。続いて上の前歯2本。以前、忙しい時期だったので応急措置的に治療していたものを、今回は差し歯にしました。入れ歯とどう違うのか解りませんが、とにかく自分の歯ではありません。 これで終わりかと思いきや、年明けの日程のご相談がありました。まあいっか。リタイアまでに直せるものは直しておこうと気を取り直しています。肺炎球菌ワクチンの方は、2月の癌定期検診の際にお願いしています。
 そんな具合で、2015年という年も残すところ5日。例年だと本棚の整理やらなにやらで忙しない年の瀬なのですが、なんと今年は次男くんの結婚式が控えています。仕事の関係でこうなってしまったようですが、それでも大勢の友人・知人が集まってくれるのだとか。我が家も孫まで含めて11名+親戚関係が勢ぞろいです。その勢いで、年末年始の我が家は孫を含めて13名の大所帯になります。なにやら家内手作りの「十二支」の賑わいですが、布団を数セット加えてなんとか民宿的な受け入れ体制を整えました。
 こんなとき役立つのが家庭菜園です。ここに来て食べごろの野菜とミカンがふんだんです。孫たちに収穫していただきましょう。今年も豊作の大レモンは、お風呂に浮かべましょう。そして騒々しくなる前と後は、たっぷりと音楽を楽しむことに。先日、アナログレコードをハイレゾにするオーディオインターフェイスを新調しました。まだ録音編集ソフトの要領が理解できていないので、ぼちぼち極めることにいたしましょう。........なんともお気軽な年末年始休暇ではあります。

 きょう掃除をしているときに見つけた「ジン」をベースに、めずらしく「ジンライム」を作ってみました。この味、学生時代に出入りしていた京都・木屋町のカクテルバーを思い出させてくれます。「多崎つくる」君の影響でしょうか。そんな次第で今夜は趣をかえて、ヨーロピアン・ジャズ・トリオの「ベスト・オブ・クラシック」を聞きながら、クリスマスプレゼントでいただいたショール(フィンランドの織物ラプアンカンクリ)を羽織ってブログ更新をしています。
 考えてみれば今年最後の更新です。いつもながらのご挨拶になってしまいますが、この1年、性懲りもなくブログ「心の風景」をご訪問いただき、初老の独り言に貴重なお時間を浪費させてしまいました。m(_ _)m
そして、ありがとうございました。皆様には、良いお年をおむかえください。

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父の遺した洋書

2015-12-19 23:18:20 | Weblog

  早朝に出勤する癖がついているためか、最近はまだうす暗いうちに出かけることになります。電車の乗り換えプラットホームで、やっと生駒山の山頂に朱色の朝日が顔を出します。でも、あと数日もすれば「冬至」。1年で最も昼が短く、夜が長い日です。冬至を過ぎれば、徐々に明るさをましてくることになるんでしょう。といっても、こんな生活もあと半年です。
 そうそう、先週の日曜日、庭の木に鳥が止まっていました。ヒヨドリでしょうか。ツグミでしょうか。寒くなると野鳥が活発に動き回ります。名前も知らない小鳥たちが自由奔放に飛び回っています。
 さてさて、今週の大事件は自宅PCがネットに繋がらなくなったこと。前日までなんの問題もなかったのに、急に繋がらなくなりました。そういえば、Windows 10に無償アップグレードした時も調子が悪く、いろいろ弄っている間に繋がった経緯があります。何をやってもダメ。しかしノートパソコンは難なく繋がります。やはりデスクトップパソコンに問題あり、というところまでは理解できても、打つ手がありません。
 翌日、ITベンチャー企業を経営している東京の甥に助けを求めました。 いわく、「Windows 10への無償 upgradeは予想どおり、いろいろな所で不具合が発生している」「私は upgrade instal なんて怖くて使えないのでclean install しています」と。いずれにしても「LAN driver が正しく install されていないのが原因」だとか。素人にはよくわかりませんが、とにかく指示どおり、「無線LAN adapter の Windows 10 用最新 driver」をダウンロードして、事なきを得ました。ネットにどっぷり浸かっている初老にとって、ネットとの断絶は人生の終わりを思わせました。(笑)
  さて、今週のお題は、またしても広岡浅子です。でも、少し別の視点から。実は、きょうの朝、本棚を眺めていたら父が遺してくれていた何冊かの洋書が目にとまりました。なにげなく手にとったのが Ernest W. Clement著「A HANDBOOK  OF MODERN JAPAN」(1903年出版)でした。ぱらぱらとめくっていくと、13章「THE NEW WOMAN IN JAPAN」に、なんと広岡浅子のことが記載されているではありませんか。そして、日本女子大創設のことまで紹介されています。
 裏表紙の内側には、父が長崎高等商業学校(現:長崎大学)に在学中の1920年6月28日の英文字が踊っています。昔、父が学生時代にシェークスピアの英語劇を演じていたときの写真を見たことがありますから、なにやらダブってみえてきます。
 広岡家は両替商から大同生命と発展していきますが、父も大学卒業後は東京に移り、長くF銀行に勤めたあとY信託銀行に移り、70歳まで東京、京都、大阪で金融機関一筋に働いてきました。戦時中は家族を田舎の実家に疎開させ、自らは単身で仕事人生を全うしたことを思うと、やはり私とは違う世界に生きた人だったんだろうと。.....1冊の本との出会いが、長い長い歴史の足跡のようなものを思わせました。
 著者のアーネスト・クレメント(1860年-1941年)をネットで調べてみると、 アメリカ・北部バプテスト派信徒宣教師として1887年来日。「東京中学校(のちの東京学院)の教頭を経て、1903-10年東京学院(関東学院)の院長。さらに、新渡戸稲造に招かれて第一高等学校で16年間英語を教えた」「日米協会の副会長として日米文化の交流と親善に尽力」とありました。 また一柳満喜子がアメリカ留学をしたときにお世話になったのがアーネスト・クレメント夫人だったことも分かりました。満喜子が宣教師ウイリアム・メリル・ヴォーリズと結婚したこと、その国際結婚を後押ししたのが浅子であり、浅子の娘・亀子が結婚したのが満喜子の兄・恵三(のちに大同生命2代目社長)だったこと。 浅子が日本女子大学の創設に関与したことも含めて、アーネスト・クレメントが広岡浅子に関心を寄せたのは容易に推察できます。まあ、こんな具合で本とネットで縦横に想いを広げることができるのは、なんと楽しいことか。

  そんなことをしているうちに、今年もあと2週間になってしまいました。今日は午後、仕事の関係でグランフロント大阪にでかけていましたが、なんと人の多いことか。年末宝くじ売り場にもたくさんの行列ができていました。かく言う私も先日、1セット10枚だけ買って、奥様にプレゼントしたばかりです。

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フランツ・リストのピアノ曲「巡礼の年」

2015-12-12 23:20:47 | Weblog

 「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」「第3年」で構成されるピアノ曲「巡礼の年」。フランツ・リストが20代から60代までの間に断続的に作曲してきたピアノ曲をまとめたものだそうです。その曲を、2年前に初めて聞きました。きっかけは村上春樹の「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」でした。本屋さんに平積みされた単行本を手に取りながら、文庫本になるのを待って、とりあえずCD「巡礼の年」を聴くことにしたのでした。
 この歳になってなぜ村上春樹なのか。100ページほど読み進んで、そんなことを思いました。ほとんどの作品には若い青年が登場します。両手からこぼれ落ちそうな可能性に満ち満ちた青春のひとこま。現実の世界を距離をおいて見つめる青年がいます。不思議な不思議な世界。文庫本を眺めながら、すくなくとも読んでいる時間、私は古き良き時代の扉を開きます。決して戻ることのない世界をさ迷います。
 「雨月物語」をきっかけに古典の世界に足を踏み入れたのも、村上春樹の「海辺のカフカ」がきっかけでした。そういえば、NHKラジオ第二に「朗読」の時間があります。ちょうど昨日、全15回にわたった柳田國男の「遠野物語」が最終回を迎えました。「遠野物語」全119話のほぼ全部、「拾遺」からは天狗・山男・山女・オシラサマなどの話を、井上倫宏さんが朗読しました。毎日月曜日から金曜日の9時45分から15分間の放送なので、録音をしておくのですが、一日の終わりベッドに入って部屋の電気を消したあと、ぼんやりとその朗読を聞きます。現実とは少し距離をおいたところに別の世界が広がります。
 いま聴いている「巡礼の年」は、ラザール・ベルマンの演奏です。「第1年:スイス」では、ウィリアム・テルの聖堂、ヴァレンシュタットの湖で、パストラール泉のほとりで、嵐、オーベルマンの谷、牧歌、郷愁、ジュネーヴの鐘、と流れていきます。若い頃に訪ねたことのあるジュネーブの街がぼんやりと浮かんできます。「第2年:イタリア」になると、婚礼、物思いに沈む人、サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ、ペトラルカのソネット第47番、ペトラルカのソネット第104番、ペトラルカのソネット第123番、ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲、と続きます。
 話は変わりますが、先日、かつての上司の告別式に参列しました。この春にお会いしたときはずいぶんお元気そうだったのに、その後体調を崩されていたご様子でした。経済団体のお仕事も多かったので、各界の方々がお越しになりました。この秋は、お世話になった経済団体のトップの方もお亡くなりになりました。この方とは仕事のほか何度か本屋さんでお会いしたことがありますが、そのときばかりは秘書を介さない自由人としてのお姿に惹かれたものでした。このほか昭和を象徴する方々が今年も何人かお亡くなりになりました。新たに登場する者あれば退場する者もいる。なにやら時代の移り変わりを思います。
 昨日は職場の忘年会がありました。師走の金曜日、梅田の繁華街は夜遅くまで賑わっていました。あと半月もすれば2015年も幕を静かに閉じます。お正月を前に、先日、庭木の選定作業をしていただきました。そろそろ孫たちにクリスマスプレゼントの手配をしなければなりません。こうして小市民的な年の瀬も静かに通り過ぎていくのでしょう。

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ロボットとの共存社会

2015-12-05 22:45:36 | Weblog

  週末を迎え、今週を振り返ります。今夜はグレン・グールドのLPからバッハの「インヴェンションとシンフォニア」を選びました。このジャケットが気に入っています。と、のんびりしたことをお話していますが、12月、師走を迎えて心なしかせわしなさを感じます。でも、そんなに急いでどこに行く?半月ほど前、ある経済学者の方からスローシティなる言葉をいただきました。元はと言えば、スローフード、スローライフ活動が進化したものらしいのですが、まさに「そんなに急いでどこに行く?」です。この夏、高野山に行ったとき、お寺の掲示板にあった「ゆっくり生きよう。行きつく所は同じ」という言葉を思い出しました。
 でも、時代はどんどん進化しています。3日の日本経済新聞朝刊で「日本で働く人の仕事」「AI・ロボ代替可能49%」というショッキングな記事に目がとまりました。野村総合研究所の予測のようですが、10~20年以内にそうなるのだと。代替可能な職業として、IT保守、経理事務、行政事務、建設作業、タクシー運転、警備、スーパー店員などが例示されてありました。
 ちょうどその3日に、私は仕事の関係で東京ビックサイトで開催中の国際ロボット展を覗いていました。驚いたのは、やはりロボット、AI技術の進化でした。産業用ロボット、サービスロボット、癒しロボット。それぞれに目を見張るものがありました。生産ラインでの指先の精緻な動き、農業用ロボットからレスキューロボットまで。単純にして精度が求められる作業は、思ったよりも早く普及するのかもしれません。 生活支援、介護ロボットもずいぶん進化しています。子供の頃に漫画で見た未来社会が、もう目の前に現れようとしています。

 先日配布された市の広報誌に、50年前の街の写真が掲載されていました。なんと田畑が広がっていました。古き良き時代の日本の原風景が、いまや住宅街に変身しています。少子高齢化の時代。労働人口の減少が囁かれるなかで、ひょっとしたらそれをロボットが補完してくれるかもしれません。高度経済成長期に大都会に雪崩込んだ団塊の世代も姿を消す頃には、都市の住宅街は空家だらけ。そのうち100年前の風景に逆戻りするかもしれません。大都会に里山の復活です。ある人は時給自足の生活に喜びを感じるかもしれません。
 今週は経済界の集まりで、京大iPS細胞研究所の山中伸弥先生のお話を聴く機会がありました。高齢化の進展に伴って増える神経難病や関節疾患などの治療薬開発への活用に汗を流していらっしゃる先生の奮闘ぶりを実感しました。平均寿命と健康寿命のお話がありました。平均寿命は世界有数の国になったとはいえ、健康寿命との間(差)をどう生きていくか。ひとつの課題です。先生の研究成果が待たれるところです。
 話はがらりと変わりますが、きのう本屋さんで村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が文春文庫として平積みされているのを見つけました。さっそく買って帰りました。小説は文庫本しか買わない主義です。通勤電車内で立っていても読めるのは文庫本しかありません。村上春樹さんの小説は久しぶりです。
 実は現在、クルト・リース著「フルトヴェングラー(音楽と政治)」を読んでいるのです。1ページ上下2段組で300ページ。相当の文量です。岩波新書「フルトヴェングラー」に触発されてのことですが、ナチズムが吹き荒れたドイツでの非政治的人間の有り様を考えたいと思いました。没頭しようと思っていた矢先に村上春樹との再会となりました。
 興味関心は尽きることがありません。これが途切れるようなことがあったなら、生きることの終わりなのかもしれません。きょうも一日、レコードを聴きながら、そんなことを考えていました。そんな最中、年末に結婚する次男くんからのメール。来年、横浜に転勤だと。母親思いの彼のこと、断っていたようですが、ビジネスの世界はそう甘くはありません。次のステップに向けて仕方ないのでしょう。大阪生まれのお嫁さんだけが気がかりです。でも、彼女のこと。大丈夫でしょう。と、こんな話、だれに向かって言っているんでしょうね?????????????
 今日のトップの写真は、近所の公園の大きな池で、水の中に潜って小魚を採る練習していた幼鳥の勇姿です。決定的瞬間は撮れませんでしたが、まわりの親鳥たちが温かく見守っていました。

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