心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

梅雨の季節の出来事

2014-06-29 20:49:31 | Weblog

 晴れ間が見えるのに雨が降ったりやんだりと何となく嫌な季節ですが、きょうも先週に続いて、まずはプッチーニの「蝶々夫人」の話題から。
 先週訪ねた長崎市のグラバー園にある旧リンガー邸には、もうひとりのオペラ歌手、喜波貞子展「時空を越えて蘇った蝶々夫人」が常設されていました。
 日本に生まれ、日本に育ちながら、日本ではあまり知られていないオペラ歌手、喜波貞子は、17歳で単身ミラノに行き、大正11年に「蝶々夫人」でデビューして以来、昭和28年に引退するまでヨーロッパの舞台で活躍したプリマドンナでした。今回もYouTubeからSPレコードの音源(美しき天然<唱歌>)を探し出しました。

 

 ところで、話題はがらりと変わりますが、先週、東京にいる長男君から電話があって、三人目の孫が出来そうだと。奥さんの悪阻がひどいので手伝いに来てほしいという悲鳴でした。さっそく、家内が立ち上がりました。そのため、先週は久しぶりに独身生活を謳歌しましたが、週末に無事帰阪したその夜遅く帰宅すると、なにやら台所でごそごそ。みると、梅干しつくりの準備をしていました。なかなかお忙しいお方ではあります。
 そして、この土日には、長女の孫君たちがお泊りにやってきました。二人ともじっとしておれない世代です。初老の夫婦のテンポとなんとなく違います。私の部屋にやってきては、すべてが物珍しそうで、あれやこれやと引っ張り出しては興味津々のご様子でした。マンション住まいのためか、階段が珍しそうで、孫次男君は上がったり降りたり。まだまだ足元がしっかりしているわけではないので、ひやひやしながら見つめるお祖父さんでありました。
 雨上がりの畑に出ては、キュウリ、ナス、トマト、大葉の収穫を楽しみました。小学1年生の長男君は、既に夏休みの計画を立案中。そんな季節になりました。琵琶湖でキャンプがしたい。海釣り公園に行きたい。自然との対話を考えている様子でした。うまく日程があえば、どこかに連れて行ってあげましょう。
 と、ここまではいつもどおりのブログ更新ですが、実は、孫君たちを無事送り出した直後、東京の甥から電話がありました。姉急逝の知らせでした。ブログ更新作業を中断し、すべての段取りをすませると、この時間になっていました。
 父の命日を過ぎたばかりのこの時期に、私の姉が亡くなりました。明治生まれの両親の末っ子に生まれた私にとっては、普通の母親に近しい年齢でもあったのでしょう。小さい頃は姉のことを「お母さん」と呼んでいた時期があったと、姉はよく話していました。幼稚園の送り迎えも、よく姉がしてくれたとか。もう少しで80歳にも手が届こうかという歳でありながら、スイミングに通い、仲間とボランティア活動に勤しむ、そんな姉でした。その姉が、両親の元に旅立って行きました。

 

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雨に濡れたグラバー園

2014-06-22 20:46:23 | Weblog

 この土日、長崎に行ってきました。ご当地でご活躍の社友の方々の年に一度の宴に来賓として出席するためです。88歳にしてなお元気な方もいらっしゃいます。皆さんそれぞれにこの地の発展に尽くされ、リタイア後もなお努力を惜しまない心意気に頭が下がる思いがいたしました。

 そんな長崎出張でしたが、きのうは少し早く到着したので、雨のなか、大浦天主堂とグラバー園を散策しました。美しい紫陽花の歓迎を受けながら、歩く歩道で一気に旧三菱第2ドックハウスに到着です。2階のベランダから長崎港を一望したあと、丘を下っていくと、移築された旧長崎高商表門衛所に出会いました。明治から昭和初期にかけて日本の経済分野の高等教育をになった官立の高等商業学校(現長崎大学経済学部)のことですが、実はそこは明治生まれの父が学んだ学校でした。記念碑の一画に添えてあった創立当時の写真を眺めながら、かつて父がこの門をくぐっていたんだと思うと、なんだか不思議な気持ちになりました。
 次に立ち寄ったのは、「祈りの泉」と言われるところ。そこには、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手、三浦環の像がありました。歌劇「蝶々夫人」つながりでしょうか、プッチーニの像と一緒にならんでいました。歌劇が大好きだった父、所蔵していたSPレコードの中に三浦環さんのSPもあった記憶がよみがえってきました。蓄音機から流れる女性の甲高い歌声を不思議そうに聞き入ったのは、私が何歳の頃だったことやら。ネットでYou Tubeを検索したら、三浦環さんの蝶々夫人がヒットしました。このブログでは初めてになりますが、そのYou Tubeを転載させていただきました。

 そのあと、国指定重要文化財の旧リンガー住宅と旧オルト住宅、その横にあった旧スチイル記念学校を見て回ったあと、旧グラバー住宅に向かいました。なんと1863年に建てられた洋館で、現存する日本最古の木造洋風建築と紹介されていました。その庭から眺める長崎湾も、すばらしい風景でした。以前に長崎に来たのは30代の頃です。当然に、このグラバー園にも来ているはずですが、晴れ渡ったグラバー園とはひと味違う、雨に濡れた、しっとりとした風情が心をなごませてくれました。  今回は、仕事の合間をぬって1時間ほどの散策になりましたが、ゆっくりと、そう半日ぐらいはぼんやりと寛ぎながら園内を楽しみたいと思います。次回は、リタイア後に家内と一緒に訪ねることにいたしましょう。

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梅雨の中休み

2014-06-15 08:47:25 | Weblog

 休日の朝、街が目覚める少し前の午前5時30分。ゴンタ爺さんと朝のお散歩をしました。今日も爽やかな一日になる予感がします。我が家の庭では、春先からいろいろな花が目を楽しませてくれましたが、そろそろひと段落です。代わって登場するのが夏野菜です。キュウリやゴーヤはしっかりしたと蔓を伸ばし始めました。トマトも、青いけれども小さな実が日増しに大きく育っています。そして昨日は、ナスの初物を収穫しました。株をしっかり成長させるためには第一子を小さくても早めに収穫するのが良いのだそうです。
 そんな土曜休日の午後、家内の百貨店巡りにお付き合いしました。阪急、阪神、伊勢丹と続くと、さすがの私も足が痺れてきます。ふだんの運動不足を実感しました。それでも、ちゃっかりクールビズのジャケットと靴をご購入でありました。そうそう大阪駅前の地下街にある小さなお花屋さんで、多肉植物でハーブの香り漂う「アロマティカス」に出会いました。観葉植物かと思いきや、なんと香しいことか。250円の値札がついていたので連れて帰りました。帰宅して調べてみると、食することも可能なのだとか。
 そんなのんびりした休日を過ごしていますが、ここで、朝日新聞が100年ぶりに連載している夏目漱石の小説「こころ」に話題を変えましょう。
 現在、「先生の遺書(39)」まで進んでいますが、主人公の青年が東京の大学を卒業して田舎に帰った場面です。今日のように大学全入時代ではないので、大学を卒業することの意味がずいぶん違っていて、親戚縁者を招待して盛大な祝宴を催す時代のようです。作品の中では明治天皇逝去により取りやめになっていますが、時代を越えて共通するものとしないものが混在するところに、ついつい心惹かれてしまいます。
 朝日新聞では、所々で作品の時代背景を解説しています。先週は「”こころ”の風景」と題して明治天皇がテーマになっていました。その前の日には漱石が英国に留学したときのことが紹介されていました。当時33歳、第五高等学校(熊本)の教授だった漱石が英国に渡ったのは1900年のことでした。この年は、かの南方熊楠が14年ぶりに英国から日本に戻った年でもあります。日本を代表する二人の巨人が、洋上ですれ違ったかどうかは別にして、そんなことを想像するだけでも歴史のダイナミズムを思います。方向性は違っても同じ時代に生きていたことを知るだけで、臨場感をもって明治の時代を眺めることができます。
 ところで、先週は久しぶりに広島市に行ってきました。2カ月余りの間に変わったこと、ひとつは姫路駅の車窓から改装なった姫路城の雄姿を眺めることができたこと。ふたつ目は広島駅前の再開発が急ピッチで進んでいたことでした。その日は、仕事を終えたあと、八丁堀界隈の古書店「アカデミイ書店」に向かいました。陽が落ちる頃には、自然と足が流川のお店に向いていました。久しぶりにママさんにご挨拶でした。
 そして今週末は長崎市に出張の予定です。グラバー邸近くのホテルが予約できたので、日曜日には空き時間を利用して長崎の街を散策してみたいと思っています。

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小雨舞う夜に楽しい出会い

2014-06-08 08:57:27 | Weblog

 ずっと快晴が続いていましたが、暦どおり水無月を迎えた途端に関西も梅雨入りしました。ひとつの法則性があるとはいえ、四季の移り変わりを肌で感じるのは嬉しいものです。朝、庭に出ると、雨に濡れた額紫陽花が花開いていました。その近くにはドクダミが咲いていました。どこにでもある花なのに、雨にしっとりと濡れた白い花にほっとひと息つきます。旧暦では第二十五候、芒種、初候。「蟷螂生」。蟷螂(かまきり)が生まれ出る季節なのだそうです。
 先週の日曜日は、孫君の運動会を覗きました。大勢の中から孫君を見つけるのは至難の技ですが、さすが両親。我が子の奮闘ぶりをカメラに納めていました。お昼を過ぎて、孫次男君がぐずぐず言い出すので、近くのホームセンターに用事があたったお祖父さんは、彼をベビーカーに乗せて子守役でした。でも、数分も経たない間に眠ってしまいました。涼しい店内でうろうろしながら、野菜の液肥やナメクジ退治の薬などを探し、そのあとペットショップなどを見て回って時間を潰しました。なんとものんびりしたものです。
 そんな先週の半ば、同業他社の方と一献傾けました。と言っても1カ月前にお会いしたばかりなのですが、馬が合うというのでしょうか。お互い一期一会ではもったいないとばかり、呑み会の日程を決めて別れたのでありました。仕事帰り、北の新地で冷たいビールをいただきながら、お互いの仕事人生を振り返り、趣味の話、ご家族の話、いろんな話をしました。なんだか数十年来の親交があった仲だったんじゃあないかと錯覚を覚えたほどです。小雨降る中、9月の再開を約して別れました。定年年齢が近くなると、こういう出会いって多くなるのかもしれませんね。
 新地には、昨夜も行っておりました。ある会合の打ち上げです。10数人ほどの出席者、様々な業界の方々でしたが、私の正面には大学のお偉い方で政治学がご専門の先生がお座りになりました。四方山話をしながら、ふと自分が政治学科を卒業したことを告げると、ゼミの先生は誰?と。脇圭平先生と告げると、なんとよくご存じで、しかもずいぶんお酒の大好きな先生であったこと、当時の錚々たる先生方の前でずいぶん厳しい指導を受けたことなど、懐かしそうにお話しになっていました。世界を飛び回っていらっしゃる先生と小さな話題を共有できたのは楽しいことでした。この日も、小雨舞うなか家路につきました。
 話は変わりますが、塩野七生さんの「ローマ人の物語」。29巻を読み終えて今は30巻「終わりの始まり(中)」を読み進んでいます。といっても、気持ちを二千年前のローマ帝国の時代にもっていくには少し時間を要します。朝夕の通勤電車だと、気持ちが高ぶった頃には目的地に着いてしまう、そんな繰り返しですが、それでも想像力を働かせながら少しずつ読み進んでいます。
 いま開いている頁は、第二次ゲルマニア戦役です。カエサルの時代から100年あまり経った時代。北から移動してくる蛮族との戦いが、映画でも見ているかのように浮かび上がります。そして、戦術と戦略の違いを、こうした歴史小説を読みながら考える。塩野さんならではの世界に惹きこまれて行きます。そんな高ぶる気持ちを抑えて職場に向かう。怖い者なしです(笑)。先週も何度かトップとやり合う場面も。リタイアまでそう長くない私だから言えることが、まだたくさんあります。それは戦術論ではなくまさに戦略論になります。
 けさの朝日新聞に、今夕、BS-TBSで、塩野七生さんと俳優向井理さんが巡る「魅惑のイタリア大紀行~ルネサンスとは何であったか」が2週にわたって放映されるという告知記事がありました。ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア、ナポリ、ポンペイを訪ねたのは、20年も前のことです。次回は、映画「ニューシネマパラダイス」の舞台になったシチリアを加えたいところです。今夜はきっちりと録画しておきましょう。

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