きょうは今月から始まった公開講座「音楽の楽しみ」を受講してきました。心斎橋にあるスタジオ風の小さな会場に70人余りが集い、第1回目のきょうは、新進気鋭の若手声楽家(ソプラノ、アルト、テノール、バリトン)&ピアノのアンサンブルで、バッハ、モーツアルト、メンデルスゾーンなどの歌を楽しみました。演奏者と受講者との距離が近い、そんな一体感に溢れた雰囲気が気に入りました。
その行き帰りの電車の中で、歩き遍路のことを綴った辰野和男氏の「四国遍路」(岩波新書)を読んでいました。この本、1年前に読んだことがあり、このブログでも「からだで感じることを大切にしたい」(2016年5月21日)の中で紹介しています。
実を言うと、昨年7月から毎月1回のペースで出かけてきた四国遍路の旅(バスツアー)が、6月には結願の予定なのに、いまひとつ達成感らしきものが沸いてこないのです。さてさてどうしたものか。そんなわけで、昨年出かける前に集中的に読んだ四国遍路に関する本を、いま読み返しています。知識としてのお遍路ではなく、この10カ月の間、実際に肌で感じたお遍路の旅を思い返しながら、読み返しています。
〇お遍路の基本は、二本の足を交互に動かして前に進むことだ。三百数十万年前、人間が人間になったときのもっとも原初的な動詞、つまり「歩く」ということを日々の営みの中核にすえることから、お遍路は始まる。
〇歩き続けるうちに、歩くことをおろそかにした現代人がいかにして距離感覚を壊してしまったのか、ということに気づく。
自動車による距離感覚、新幹線による距離感覚、飛行機による距離感覚.........。移動手段によって異なる距離感覚が、「歩く」という身体機能としての距離感覚を限りなく退化させてしまってはいないか。それがために全身機能のどこかに変調をきたしてはいないか。
〇歩くことで自分を磨く。自分に向き合う。周囲を見直す。そういう修業の大切さを住職は説いた。それはつまり、大自然のなかに身をおいて、自分の既成の殻を激しく突き破ってゆくことなのだろう。
ここまでいくとある種の精神論になってしまいますが、でも、距離感覚の喪失が、ものを見つめる視点に揺らぎをもたらしてはいないか。刹那的な現象が垣間見える世の中で、時代を見つめる座標軸そのものが揺らいではいないか。そもそもバスを利用した四国遍路に一定の限界があるのではないか。行く先々で長い参道を歩き、何段もの石段を登っていったとしても、千数百キロの道のりからすれば、歩いたことにはならないほどの僅かな距離でしかない。......そのあたりに、なにがしかの不足感が見え隠れしていそうな気がしています。
先日、京都の阪急嵐山駅から新大阪駅まで50キロの道のりを独りで歩いた知人がいました。10時間かかったのだそうです。健脚揃いの昔の人なら、もっと短い時間で移動できたのでしょうが、それはともかくとして、彼は「歩く」ことで距離感覚を蘇らせることができたと言います。これを基本に、馬に乗れば何時間かかるのか。舟に乗れば何時間かかるのか。蒸気機関車に乗れば何時間かかるのか。生身の人間の距離感覚を軸に、他の交通手段との比較を通じて自分の立ち位置を知ることになります。こう考えると、私はまだまだ修行が足りませんねえ。
先日は京都のウォーキング協会主催「比叡山麓・石積みの門前町と湖畔ウォーウ」(健脚コース16キロ)に出かけてきました。午前9時、JR比叡山坂本駅前を出発して、若葉萌える湖北の里を歩いて一路西教寺へ、そして日吉大社へ。そこから古い街並みを南下して唐崎神社へ。昼食休憩のあと琵琶湖湖畔を北上して出発地点に戻る、そんなコースでした。
大津市の坂本界隈は、空海と同時代に生きた最澄が生まれたところです。門前町というだけあって、街のあちらこちらに小さなお寺やお宮があります。この地独特の石積みが、古い街並みに調和して、なんとも落ち着いた雰囲気を漂わせていました。
水の温む季節ともなると、湖畔には釣りを楽しむ人がいます。大学のヨット部が帆を広げて出航していきます。なんとも長閑な春の風景が広がっていました。
「歩く」と言えば先日、「街歩き」企画第2弾として、中之島から船場に至る三休橋筋をぶらり散策しました。参加者は総勢24名。まずまずの出足です。お目当ての中之島図書館(1904年)と綿業会館(1931年)では、担当の方に建物の生い立ちを詳しくご説明いただき、館内を案内していただきました。街歩きの途中に立ち寄った船場ビルディング(1924年)では、内庭を囲むように事務所、雑貨店やギャラリーが入居していて、まさに「使い込まれたモダンビル」といった風情。戦争を生き延びた明治・大正・昭和初期の建築物、しかも今なお使われている現役の建物に、人の温もりと歴史の重みを感じたものです。
きょうも、あっちに行ったりこっちに行ったりと落ち着きのない文章になってしまいました。それでも「歩く」という路線から外れないように留意したのですが、どうなんでしょう。カテゴリーは「ウォーキング」に設定しました。できれば暑くならないうちに、比叡山坂本から比叡山に上り、反対側の吉田神社に抜ける山道16キロを歩いてみたいと思っています。