心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

歩く距離感覚

2017-04-27 22:36:18 | ウォーキング

 きょうは今月から始まった公開講座「音楽の楽しみ」を受講してきました。心斎橋にあるスタジオ風の小さな会場に70人余りが集い、第1回目のきょうは、新進気鋭の若手声楽家(ソプラノ、アルト、テノール、バリトン)&ピアノのアンサンブルで、バッハ、モーツアルト、メンデルスゾーンなどの歌を楽しみました。演奏者と受講者との距離が近い、そんな一体感に溢れた雰囲気が気に入りました。
 その行き帰りの電車の中で、歩き遍路のことを綴った辰野和男氏の「四国遍路」(岩波新書)を読んでいました。この本、1年前に読んだことがあり、このブログでも「からだで感じることを大切にしたい」(2016年5月21日)の中で紹介しています。
 実を言うと、昨年7月から毎月1回のペースで出かけてきた四国遍路の旅(バスツアー)が、6月には結願の予定なのに、いまひとつ達成感らしきものが沸いてこないのです。さてさてどうしたものか。そんなわけで、昨年出かける前に集中的に読んだ四国遍路に関する本を、いま読み返しています。知識としてのお遍路ではなく、この10カ月の間、実際に肌で感じたお遍路の旅を思い返しながら、読み返しています。
〇お遍路の基本は、二本の足を交互に動かして前に進むことだ。三百数十万年前、人間が人間になったときのもっとも原初的な動詞、つまり「歩く」ということを日々の営みの中核にすえることから、お遍路は始まる。
〇歩き続けるうちに、歩くことをおろそかにした現代人がいかにして距離感覚を壊してしまったのか、ということに気づく。

 自動車による距離感覚、新幹線による距離感覚、飛行機による距離感覚.........。移動手段によって異なる距離感覚が、「歩く」という身体機能としての距離感覚を限りなく退化させてしまってはいないか。それがために全身機能のどこかに変調をきたしてはいないか。

〇歩くことで自分を磨く。自分に向き合う。周囲を見直す。そういう修業の大切さを住職は説いた。それはつまり、大自然のなかに身をおいて、自分の既成の殻を激しく突き破ってゆくことなのだろう。

 ここまでいくとある種の精神論になってしまいますが、でも、距離感覚の喪失が、ものを見つめる視点に揺らぎをもたらしてはいないか。刹那的な現象が垣間見える世の中で、時代を見つめる座標軸そのものが揺らいではいないか。そもそもバスを利用した四国遍路に一定の限界があるのではないか。行く先々で長い参道を歩き、何段もの石段を登っていったとしても、千数百キロの道のりからすれば、歩いたことにはならないほどの僅かな距離でしかない。......そのあたりに、なにがしかの不足感が見え隠れしていそうな気がしています。
 先日、京都の阪急嵐山駅から新大阪駅まで50キロの道のりを独りで歩いた知人がいました。10時間かかったのだそうです。健脚揃いの昔の人なら、もっと短い時間で移動できたのでしょうが、それはともかくとして、彼は「歩く」ことで距離感覚を蘇らせることができたと言います。これを基本に、馬に乗れば何時間かかるのか。舟に乗れば何時間かかるのか。蒸気機関車に乗れば何時間かかるのか。生身の人間の距離感覚を軸に、他の交通手段との比較を通じて自分の立ち位置を知ることになります。こう考えると、私はまだまだ修行が足りませんねえ。
 先日は京都のウォーキング協会主催「比叡山麓・石積みの門前町と湖畔ウォーウ」(健脚コース16キロ)に出かけてきました。午前9時、JR比叡山坂本駅前を出発して、若葉萌える湖北の里を歩いて一路西教寺へ、そして日吉大社へ。そこから古い街並みを南下して唐崎神社へ。昼食休憩のあと琵琶湖湖畔を北上して出発地点に戻る、そんなコースでした。
 大津市の坂本界隈は、空海と同時代に生きた最澄が生まれたところです。門前町というだけあって、街のあちらこちらに小さなお寺やお宮があります。この地独特の石積みが、古い街並みに調和して、なんとも落ち着いた雰囲気を漂わせていました。
 水の温む季節ともなると、湖畔には釣りを楽しむ人がいます。大学のヨット部が帆を広げて出航していきます。なんとも長閑な春の風景が広がっていました。
 「歩く」と言えば先日、「街歩き」企画第2弾として、中之島から船場に至る三休橋筋をぶらり散策しました。参加者は総勢24名。まずまずの出足です。お目当ての中之島図書館(1904年)と綿業会館(1931年)では、担当の方に建物の生い立ちを詳しくご説明いただき、館内を案内していただきました。街歩きの途中に立ち寄った船場ビルディング(1924年)では、内庭を囲むように事務所、雑貨店やギャラリーが入居していて、まさに「使い込まれたモダンビル」といった風情。戦争を生き延びた明治・大正・昭和初期の建築物、しかも今なお使われている現役の建物に、人の温もりと歴史の重みを感じたものです。
 きょうも、あっちに行ったりこっちに行ったりと落ち着きのない文章になってしまいました。それでも「歩く」という路線から外れないように留意したのですが、どうなんでしょう。カテゴリーは「ウォーキング」に設定しました。できれば暑くならないうちに、比叡山坂本から比叡山に上り、反対側の吉田神社に抜ける山道16キロを歩いてみたいと思っています。 

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短い期間に一変する晩春の風景

2017-04-21 11:27:29 | ウォーキング

 旧暦で「穀雨」とはよく言ったものです。地上の穀物を育てる春雨が降るころを差し、降ったりやんだりする雨のことを「春時雨」と言うのだそうです。我が家の畑では、10日前に植え付けたジャガイモの芽がしっかりと顔を覗かせています。
 さあて、今週は春の陽気に誘われて出かけることが多く、季節の移り変わりを実感した1週間でした。桜の開花も終わり、若葉が燃える季節を迎えています。
 15日の土曜日は、スポニチ主催のウォーキング「流れ橋から城陽の古墳群をめぐり春風の宇治へ」に参加しました。石清水八幡宮・頓宮を出発し、京都府久御山町と八幡市を結ぶ木津川に架かる木橋「流れ橋」を渡り、芝ヶ原古墳を経て、宇治・塔の島に至る15キロです。当日は、雨が降ったり止んだりしたため、途中休憩して昼食をとることも忘れて、一気に宇治をめざしました。初心者の私の足で3時間半かかりました。それでも、ふだん歩いたことのない風景を楽しませていただきました。

 翌日曜日、朝起きると家内いわく。「お花見に行こう」と。「どこへ」「吉野」「えぇ、そんなに遠くに。造幣局の通り抜けでもよくない」と話しは続きます。お互いに引く様子のない会話の結論は、「じゃあ、両方に行こう」でした。朝、早々と家を出て、天王寺の近鉄阿部野橋駅から一路、奈良県は吉野をめざしました。特急(座席指定)は完売だったので、急行で1時間半かかりました。
 吉野駅に到着すると、なんと都会のど真ん中のような賑わいでした。バスもロープウェイも1時間待ちのようなので、徒歩で山頂を目指します。下千本、中千本、上千本あたりは満開を過ぎて散り始めていましたが、奥千本はこれから満開を迎えるという頃。お店が立ち並ぶ通りは花見客で溢れかえっていました。美味しい「昼食」のあと、デザート(?)に「桜餅」をいただきました。さらに散策を続け、金峯山寺蔵王堂にお参りして帰途につきました。
 午後3時過ぎ、吉野を後にして一路京阪天満橋駅をめざしました。到着したのは5時前。少し早い目の夕食をとったあと、日が暮れようとする造幣局南門から入門しました。600メートルほどの桜並木がライトアップされ、八重桜をぞんぶんに楽しみました。
 これで今年のお花見は終わりと思っていましたが、週の半ばにカレッジの校外学習で出かけた京都御所では、ソメイヨシノに代わって八重桜、枝垂桜が頑張っていました。もっと早く来ていたら、もっと素晴らしい姿を眺めることができたのでしょうが、御所という空間がそれをカバーしてくれました。夕刻からはじまった呑み会が盛り上がったのは言うまでもありません。
 学生の頃、京都御所は自分の「庭」のようなものでした(笑)。この日はボランティア・ガイドさんに詳しくお話しを伺って、その歴史を再発見しました。ちなみに、次に向かった二条城は、さすがに桜はひと段落でした。 

 さて、その翌日つまりきのうは、仏像鑑賞会のため再度上洛。今回は金戒光明寺と永観堂、そして南禅寺でした。永観堂の「みかえり阿弥陀仏」(写真は永観堂のHPから引用)などを拝見させていただきました。さすがに4月も下旬を迎えようとする時季になると、風景も一変します。桜に代わって柔らかな若葉がまぶしい、そんな風景に様変わりです。
 こうして時系列に振り返ってみると、なんとも贅沢な1週間だったことが分かります。季節の変化は徐々に進んでいたのでしょうが、短い期間に一変する「風景」、地球上に生きるものの「生命力」を身近に感じ、「元気」をいただいたような気がいたします。

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春の陽気に誘われて

2017-04-14 21:17:34 | Weblog

 雨が降ったり寒くなったりを繰り返しながら、日に日に心も躍る穏やかな季節を迎えました。そんな季節は、リタイア世代の特権を活かして、比較的人出の少ない平日に出かけます。
 家内とお花見デートに出かけた先は、昨年と同じく京都府八幡市の淀川河川公園「背割堤」でした。木津川と宇治川を分ける背割堤に現れた満開の桜のトンネルは、全長1.4キロメートルにも及びます。この春オープンしたばかりの「さくらであい館」の、地上約25メートルの展望台からの眺めは圧巻でした。
 平日なのに花見客で賑わう堤には、老若男女が集い桜を愛でます。ときたま風に煽られて花びらが舞う風景は幻想的ですらありました。この「背割堤」、ある会社の「お花見人気ランキング」では、東京の目黒川、新宿御苑に次いで、堂々の3位にランクインしています。
 きのうは、春の陽気に誘われて、大阪市立大学理学部付属植物園を覗いてきました。ずいぶん立派な植物園で、1950年設立と言いますから、私と同い年になります。入口で「おすすめ観察コースと今週のみどころ」というチラシをいただいて、早春の森林樹林、花木、山野草などを見て回りました。
 メタセコイアと池と小さな小屋。あれっ?これってヘンリー・デイヴィッド・ソローの「森の生活」を彷彿とさせる風景じゃないか。そんな風景に出会います。米国マサチューセッツ州コンコードの森にあるウォールデン湖とは比較にならないほど小さい池ですが、なんとなく。
 いろんな国々の樹木が林立する森の中を1時間ほど歩いて、小休止。山肌にはモクレンやツツジの花が、足元にはカタクリやヒメイカリソウの花が、春の日差しを眩しそうに浴びていました。満開のヤマザクラやヤナギサクラを愛でながら、ここで大きく深呼吸です。
 桜といえば、毎朝お散歩するお不動さんでも、ことしは桜を満喫しました。境内の一画にある四国八十八カ寺の小さな祠にも、桜の花びらが舞っています。
 それはそうと、先月、カレッジの理科の授業で「樹木の生き方に学ぶ」というお話しを聞きました。そもそも樹木は地上部の樹形と同じほどの根が、地中深くに広がっているのだと。それを自然樹形というのだそうですが、都会の真ん中にある樹木は強剪定されて痛々しく電信柱状態になっています。街路樹の根は、アスファルト路のために行き場を失って苦しそう。だから地面を這うようになるのだと。
 ならば強剪定をしなければよいのにと思いますが、おびただしい量の落ち葉、風にまって拡散していく落ち葉は、土に帰るすべもなく「ごみ」でしかない。近隣の方々の苦情も殺到するから剪定せざるを得ない。仕方ない、仕方ない......。こうして問題を正当化し、先送りしてしまう。悩ましい限りです。でもねえ、これって人間の勝手なんだろうなあ。
 先日、大阪城公園(京橋)から天満橋まで歩いたとき、道の街路樹が切り倒されていた場面にでくわしました。これでもか、これでもかと強剪定しおきながら、最後はばっさり伐採してしまう人間の身勝手さ。悲しい現実がそこにありました。
 四国遍路の旅をしていると、何百年も経つ大杉に出会うことがあります。樹肌に触りながら、自由に歩きまわることのできない大杉の生い立ち、生きざまを思います。何百年もの間、同じ場所に立って、毎年葉っぱを繁らせながら年輪を重ねていく樹木。その存在感の大きさを思います........。
 清明の候、家の中でじっとしてはいられない季節になりました。明日はひさしぶりにウォーキングです。春の宇治界隈を15キロほど歩きます。そして次週も琵琶湖の湖畔ウォークに参加の予定です。 固い樹皮を破って若芽が顔を覗かせる大きな木々との出会いが楽しみです。

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菩提の道場を終え、次は『涅槃の道場』へ

2017-04-08 15:02:55 | 四国遍路

 小林秀雄講演CD第1巻「文学の雑感」のなかに、昭和45年8月、長崎県雲仙で5百名近い学生たちに語った「山桜の美しさ」という講演があります。小林68歳、大著「本居宣長」を著した頃にあたります。宣長の「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」の歌から始まる講演の中で、小林はソメイヨシノではなく山桜にこそ桜の良さがあると説きます。四国遍路の旅のバス車中、山々に浮かぶ山桜を眺めながら、ついつい耳を傾けてしまいます。
 柔らかな春の雨が煙る四国路、今回は菩提の道場と言われる愛媛県は西条界隈の6カ寺を巡りました。行く先々で満開を迎えた桜が迎えてくれました。

 第六十五番札所・由霊山三角寺(四国中央市)ご本尊は十一面観世音菩薩
 第六 十 番札所・石鉄山横峰寺(西条市)     ご本尊は大日如来
 第六十一番札所・栴檀山香園寺(西条市)    ご本尊は大日如来
 第六十二番札所・天養山宝寿寺(西条市)    ご本尊は十一面観世音菩薩
 第六十三番札所・密教山吉祥寺(西条市)    ご本尊は毘沙門天
 第六十四番札所・石鉄山前神寺(西条市)    ご本尊は阿弥陀如来

 まず最初にお参りしたのは三角寺でした。バスを降りマイクロバスに乗り換えて、平岩山の中腹にある境内に向かいます。鐘楼を兼ねた山門をくぐると、さっそく桜の花がお出迎えです。「小林一茶が寛政7年(1795年)に訪れたとき、『これでこそ 登りかひあり 山桜』と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所」と言われます。春の到来を喜んでいるようにさえずる鶯や他の山鳥たちと一緒に、みんなで般若心経を唱えます。
 次に向かったのは横峰寺です。こちらもマイクロバスに乗り換えて20分。山岳信仰の霊地であり修験道の道場でもある、石鎚山(標高1982m)の麓にお寺はありました。標高750メートル、八十八霊場のうち3番目の高さにあり、四国遍路における3番目の「関所」にあたります。案内看板をみると、関所とは「悪いことをした人、邪心を持っている人は、お大師さんのおとがめを受けて、ここから先へは進めなくなると言われています」とのこと。
 高いお山の上だからでしょうか、桜の季節だというのに、大師堂の前には屋根からずり落ちた雪がまだ残っていました。でも、暖かくなったら、境内の山肌に群生するシャクナゲが一斉に花ひらくことを思うと、非日常の空間が広がります。
 翌日、最初にお参りした香園寺は、驚いたことに、八十八カ寺では唯一の鉄筋コンクリート造りの大聖堂でした。安産、子育ての信仰を得て栄え、かつては七堂伽藍と六坊を整えていたそうですが、「天正の兵火で焼失、寺運は明治・大正になって復興」したのだと。
 大聖堂は昭和51年に建立されたそうです。1階は大講堂、2階に本堂と大師堂があって、600席あまりもある椅子席に座ってのお勤めでした。ここで先達さんは、般若心経を通常の三倍の速さで3回も唱えるのだと。これにはみんな追い付くことができませんでした。
 次にむかった宝寿寺は、一宮の別当寺なのに、何があったか知りませんが、四国八十八ヶ所霊場会と裁判で争い、つい2週間ほど前に霊場会「脱退」を勝ち取ったお寺でした。他のお寺では納経帳をお願いすると無料でいただく「御本尊御影」を1週間前に200円にしたのだとか。八十八カ寺のうち1枚だけないのもどうかと、みんな200円を払っていただくのですが、完全に足元をみた対応に?マークがついてしまいます。あまり良い気持ちはしません。
 八十八カ寺のうち唯一毘沙門天を本尊とする吉祥寺は、お迎え大師とくぐり吉祥天女が迎えてくれます。その横には「眼を閉じて金剛杖で穴に入れば成就す」る成就石なるものがありました。お隣の吉祥天女も下をくぐればお願い事が叶うとかで、みんなでくぐることに。で、わたしの願いってなんだろう(笑)。贅沢は言いません。
 最後は、前神寺でした。横峰寺と同じく修験道の開祖といわれる役小角が蔵王権現の像を刻んで安置したのが始まりとされ、「明治新政府の神仏分離令により寺領を没収され、廃寺を余儀なくされた。その間、石鎚神社が建立されたりしたが、明治22年に霊場として復興した」と記されています。山門では狛犬のお出迎えをうけることになります。
 そうそう、今回で菩提の道場(愛媛県)を終えますが、泊まったホテルが道後温泉まで徒歩2分のところにありましたので、夏目漱石も愛したという「道後温泉本館」に出かけました。何十年ぶりでしょうか。入浴だけなら410円、2階席、3階席の湯茶など接待付きは840~1550円という値段設定です。「神の湯」で温泉につかったあと、同宿の方と近くの居酒屋で一献傾け、松山の夜を楽しみました。
 3階建てやぐら(振鷺閣)付きの本館は、明治27年4月の竣工のためか、耐震構造に課題がありそうです。今夏にも工事に入る計画のようですが、そうなると数年間閉鎖になる可能性が高いのだそうです。入り納めということにしておきましょう。
 こうして10回目の四国遍路の旅は終わりました。次は「涅槃の道場」と言われる香川県に入ります。昨年の7月から始まったこの旅も、残すはあと23カ寺です。6月には結願の予定です。
 四季折々の四国の風景を眺めながら、無宗教を気取っていた私は、空海という人物に出会い、般若心経というものに出会い、こうした時空を超えた出会いを通じて、残された人生の生き仕方を考える「時間」をいただきました。また、四国の山間の風景の向こうに、かつての古き良き時代の風景を重ね合わせてみたり、季節ごとに別の表情を見せる山肌に心なごんでみたり。そして同宿の多くの方々と酒を酌み交わし人生を語り合い、一期一会の貴重な経験をさせていただきました。

 

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