心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

寒い冬にひと息

2013-01-27 09:26:35 | Weblog
 週末、出張から帰ると、愛犬ゴンタが独り寂しくお留守番をしていました。奥さまがお友達と一緒に1泊2日の山陰カニ旅行にお出かけだったからです。そんなわけで、久しぶりに深夜のお散歩に出かけました。空には小雪が舞っていました。ゴンタの黒毛の背中には見る間に小雪が舞い降りてきて惨めな姿に。でも、ご本人はいたって元気、嬉しそうに見えました。日本海側には寒気団が押し寄せているとか。それに比べて、ここ大阪は朝から冬の日差しが眩いばかりです。庭ではヒヨドリやスズメやシジュウカラが入れ替り立ち替りやってきます。きょうは、内田光子さんが奏でるショパンのLPを聴きながらのブログ更新です。

 その夜、雑用をすませて部屋に戻ると、さっそく録画しておいたBS「クラシック倶楽部-舘野泉ピアノ・リサイタル~左手の音楽祭から~」を再生しました。演目は、吉松隆作曲「タピオラ幻景Op.92」、松平頼暁作曲「Transformation」、そしてcoba作曲「記憶樹」でした。いずれも左手のための曲です。館野さん自身お話しになっていたように、決して右手が不自由だからということではありません。ひとつの音楽表現として左手のピアノ曲が、そこにはありました。目を瞑って聴いていると、その奥深さ、広がり、何よりもひとつひとつの音の存在感というのか、そこにある風景に溶け込んだ音のひとつひとつが目の前を通り過ぎていくような、そんな音の輝きを思いました。また、映像からは、館野さんご自身のお人柄も伝わってきました。心の底に新しい活力が芽生えるような、そんな満足感がありました。

 ところで、先週、広島出張の出がけに新大阪駅で村上春樹の代表作「ノルウェイの森」(上巻)を手にしました。舞台は1969年、私の学生時代と重なります。ストライキ、ドイツ語、レコード店のアルバイト.....。主人公のワタナベくんが直子さんが入所する京都市北区の療養施設に行ったとき、携えていたのはトーマス・マンの「魔の山」でした。直子さんと聴いたレコードの一枚はビル・エヴァンスのWaltz For Debbyでした。
 この作品、底流にビートルズの「ノルウェイの森」が流れているような気がします。当たり前のように出てくる性描写に些か違和感を覚えながら、でも、少し距離をおいて作者の真意、描く風景を探ろうとしている私がいます。帰りの新幹線のなかで読み終えました。

 新大阪駅に舞い戻り、「下巻」を手にして、ふと雑誌コーナーに目をやると「芸術新潮」2月号が置いてありました。ふだん手にすることのない雑誌ですが、表紙に小林秀雄の顔写真。特集は「小林秀雄~美を見つめ続けた巨人」でした。今年、生誕111年、没後30年なのだそうです。
 小林秀雄は、私の読書遍歴からすれば、やや異質な存在です。だらりと伸び切った頬をぴしゃっとぶたれるような、小林作品には私をそんな気持ちにさせてくれる不思議な力があります。明治35年(1902年)生まれということは、私の両親と同世代にあたります。ぶたれた記憶はありませんが、精神的な自立を促された感はあります。心の中でぼんやりと繋がっているのかもしれません。

 そうそう、京阪百貨店で開かれている「関西らんフェスタ」を覗いてきました。会場には丹精込めて育てられた様々な洋ランが所狭しと並んでいました。即売会場も大勢の愛好家で賑わっていました。近年、出張が多く世話をする時間もありませんが、美しい花々を眺めていると、仕事のことも何もかも忘れて心和むひとときを楽しむことができます。お店の方に伺うと、洋ランは手をかけすぎてもダメ、放置してもダメ、とか。リタイアしたら、洋ランづくりに本格的に取り組むことにいたしましょう。
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週末の夜に村上春樹とグールドを聴く

2013-01-20 09:50:57 | Weblog
 先週の土曜日から、夜にNHKラジオ(第2放送)の番組を録音しています。それは「朗読」の時間です。月から金の毎夜15分の放送をまとめたもので、1月は村上春樹の「遠い太鼓」です。
 昨年の夏、集中的に読んだ村上作品ですが、何冊か読み進んだところで立ち竦んでしまいました。村上春樹っていったい何者?その後は、小説ではなく、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」や「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」といった、ご本人の肉声を記したものを、暇にまかせてぱらぱらめくっていました。

 番組の紹介によると、「遠い太鼓」には村上作品に共通するエッセンスが散りばめられてあり、独特の人間観察、島での借家さがし、港があり丘があり教会がある島の風物、小説家・村上春樹の一日の過ごし方、アジアとヨーロッパとの接点の地・・・・・・などを36回にわたって朗読する、とあります。「ノルウエイの森」などを執筆した1980年代後半の頃です。それらの作品を村上さんは、日本ではなく、イタリアやギリシャで執筆されたよう。一人の同時代人としてのお付き合いが、再び始まろうとしています。

 さて、長い間、仕事人生を過ごしていると、週末の夜が唯一の息抜きになります。ほっとする瞬間でもあります。そんな1月半ばの週末の夜、私はDVDで映画「グレングールド~天才ピアニストの愛と孤独」を見ました。その映画の冒頭は、紅葉に染まった山々や湖を上空から追うという場面から始まります。そこにグールドの肉声が流れます。

どんな形であれ音楽家を自認するなら独創性がなければならない
オリジナリティーが前提だ
音楽のない生活など考えられない
音楽は私を世俗から守ってくれる
現代の芸術家に与えられた唯一の特権は世俗から距離をおくことだ
私の活動はメディアのない19世紀では難しかった

 人との交わり、世俗の煩わしさに距離をおいて、後年はコンサートを止めレコーディングなどメディアを存分に活かした音楽創作に集中した彼の、あの生き様を象徴的に語るものでした。グールドを温かく見守ってきた友人、恋人たちのインタビューも交えて、グルードの人となりが表現されたドキュメンタリーの秀作でした。
 楽譜をいったんバラバラに分解し、そのうえで独自の音楽観をもとに作品を再構築していきます。言えば、このデカルト的な手法がグールドの音楽創作の原点にあります。楽譜と対面しながら、その「意味」を徹底的に問います。目の前にあるひとつの事実、形をどう見つめ、どう表現していくべきか、彼は徹底的に考えます。
 
 グールドのLPに、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13<悲愴>」があります。小さい頃によく聴いた曲のひとつです。他の奏者が演奏する「悲愴」とは全く違います。そうなんだ。これがグールドなんだと。久しぶりに、ピアノを開いたときの、あの独特の匂いを、遠い記憶の中から思い出しました。

 そうそう、先週の日曜日、梅田の名曲堂さんで館野泉さんのLPを見つけました。「シベリウス・ピアノ小品集」です。今週の火曜日にはBSプレミアムで舘野泉さんの「ピアノ・リサイタル~左手の音楽祭から~」が放映されます。録画予約をしておきましょう。
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タマネギと人間

2013-01-13 09:20:58 | Weblog
 今朝の朝日新聞読書欄に館野泉さんの写真を見つけました。なんだろう、と眺めてみると、読書の蟲だった館野さんが19歳の頃に古本屋で見つけたフィンランドのノーベル賞作家シランパアの小説「若く逝きしもの」を中心に北欧の心をご紹介になったものでした。この本、筑摩書房・絶版とあります。古本屋巡りの目的がひとつ増えました。今日は、館野さんの北欧抒情シリーズCD「パルムグレン:ピアノ曲集」を聴きながらのブログ更新です。

 さて、先週末、広島から最終の新幹線に飛び乗って、新大阪駅に着き、地下鉄御堂筋線に乗って、私鉄に乗り換えて、やっと我が家が近づいたと思ったら、人身事故の発生でダイヤが大混乱。ようやく最寄り駅に到着すると、こんどは深夜のタクシー乗り場に人の波。ずいぶん待たされて、やっと帰還したら、どっと疲れが.......。そんな帰りの新幹線の中で、鞄の隅に入れていた平田オリザさんの「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か」を再読していたら、こんなくだりで目が留まりました。

「科学哲学が専門の村上陽一郎先生は、人間をタマネギにたとえている。タマネギは、どこからが皮でどこからがタマネギ本体ということはない。皮の総体がタマネギだ。人間もまた、同じようなものではないか。本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。」

 演劇の世界では、この演じるべき役割を「ペルソナ」と呼ぶのだそうです。「仮面」という意味と、personの語源となった「人格」という意味が含まれていて、仮面の総体が人格を形成するのだとか。難しいお話ですが、なんとなくわかるような気もします。
 そういえば昔、私とは何か、私は誰か、なんてことを考えた時期がありました。山陰の小さな町に育った私にとって、都会で暮らす私は異邦人でした。海外にでも出ようものなら異邦人どころではありませんでした。社会に出て、様々な方々と出会う中で、その出会った多くの方々のお蔭で今の私があることも重々承知はしていますが、でも、ふっと我に返ると、こんなんじゃない、なんて思う私がいました。結婚し、家族ができ、お父さんになり、お祖父さんになっても、何人もの私と、私は向き合いながら生きてきたような気がします。そんな私が、この文章を読んで思ったこと。それは、様々な場面で様々な振舞をするすべての私が「私」なんだろうと。今日の私と、明日の私が違ったっていい。ブログを綴る私と、職場の私が違ったっていい。いや、むしろ、その両方、すべてが私なんだと。そんなことを大阪に向かう夜の新幹線の中で思ったものでした。

 そういえば、新年早々のブログで、今年の御神籤に「あわてさわぎ心乱れると災いこれより起こる事あり心静かにしなさい」とあったと書きました。でも、だめですねえ。先週の会議では、相応のポジションにある方の、あまりにも無責任な発言に怒り心頭。声を荒げてしまいました。おお怖。今年は静かににこやかに過ごそうと思っていましたが、いやはやこの先が思いやられます。大きく息を吸い込んで、深呼吸、深呼吸。
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読み始めと聴き始め

2013-01-06 09:46:49 | Weblog
 2013年初めての日曜日。生駒山の空が朱色に染まる頃、つまり日の出前の、手先が悴むほどの寒さの中を愛犬ゴンタとお散歩に出かけました。ふだんは遠くに見える生駒山が、その山肌までくっきりと見える、そんな素敵な風景が私は大好きです。

 『雪にたえ 風を しのぎて うめの花 世にめでらるゝ その香りかな』。お正月、初詣に行った近所のお寺で引いた御神籤、今年は『中吉』とありました。「初めは憂き事あれど後 吉深く歎き悲しまず身を慎んでおれば後は万事多いのまゝになります あわてさわぎ心乱れると災いこれより起こる事あり心静かにしなさい」と。何やら意味深な言葉が並びます。歳相応の見識をもって事に当たれということなんでしょう。心してこの1年を過ごしたいと思います。

 2013年の読み始めと聴き始め.....。年末に孫たちを迎えに最寄駅へ行ったとき、本屋さんで時間待ちをしていて楽しそうな新書を見つけました。劇作家で大学教授でもある平田オリザさんの「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か」(講談社現代新書)です。平田さんには数年前、あるシンポジウムでお話を聞いたことがあります。何かしら私が日頃接している方々とは違う視点をお持ちで、私にとっては気になる存在でした。
 ページをめくると、世の中でコミュニケーション能力という言葉がヒステリックなほどに使われているが、では「コミュニケーション能力とは何ですか」と問い返して、きちんとした答えが返ってくることは少ない、という言葉にまずは目が留まります。企業や教育現場も近年こぞって若者の「コミュニケーション能力」を問題視するご時世です。
 もうひとつ気になる言葉。それは「ダブルバインド」。ふたつの矛盾したコマンドが強制されている状態を意味する言葉のよう。「わが社は社員の自主性を重んじる」と言いながら、相談に行くと「そんなことも自分で判断できないのか」と言われ、しかしいったん事故が起こると「なんでもきちんと上司に報告しろ。なぜ相談しなかったのか」と叱られる。支社に権限を委譲しながら一方で本社に報告がないと立腹する図に似ています。その現実は現実として受け止めながら、しかし私自身の振舞も含めて再点検が必要だろうと思ったものでした。
 ご自身の体験型コミュニケーション教育、ワークショップを題材に、「伝える」ことの本質に迫るものでした。コンテクストの「ずれ」、コミュニケーションデザインという視点。戯曲づくりを教材にして医療コミュニケーションまでも視野に入れる取り組みに、なにやら大きな時代的課題をいただいたような気がします。

 お正月に立ち寄ったCD店では、ブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」を買いました。演奏はバーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニック、ピアノはグレン・グールド。1962年4月6日、カーネギーホールでの録音です。この演奏会のことは、以前ご紹介した村上春樹の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」にも登場します。グールドのテンポ設定にどうしても納得のいかないバーンスタインが、開演前に聴衆に向かって「今日のテンポはグールド氏のテンポ」ですと、ユーモアを交えて説明した伝説のライブ演奏で、このCDにはそのスピーチも収録されています。グールドのインタビュー録音もあります。
 
 ソニー「BEST CLASSICS 100」に収録されている1枚で、特典としていただいた卓上カレンダーにはグールドの写真が掲載されていました。2013年の聴き始めも、やはりグレン・グールドになってしまいました。

 話は変わりますが、年末、家族総勢11名の団体さんで白浜温泉に出かけました。孫たちはアドベンチャーワールドでパンダにご対面、大人たちは温泉を楽しむ、そんな気楽な小旅行でした。泊まったのは旅館でもホテルでもありません。発泡スチロールでできたメルヘンチックなリゾート型施設「とれとれビレッジ」。2人部屋から6人部屋まで幾種類かのドームハウスがあって、フロントも、レストランも、温泉も別棟。家族連れで賑わっていました。夜遅くまでワイワイガヤガヤと楽しい時間を過ごしました。帰りには近くの市場で新鮮な海の幸を求めましたが、そのせいもあって今年のお正月はずいぶんお酒をいただきました。(笑)
 さあて、残り少ない仕事人生、2013年の第一歩を踏み出すことにいたしましょう。
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