きのう23日は、愛犬ゴンタの誕生日でした。14歳になります。ヒトの年齢に換算すると83歳だそうです。次男君が家内と一緒に貰いに行ったときは、両手に乗るほどの子犬でしたが、よく頑張って生きてくれました。当初、室内にいましたが、家内の足に噛みついて大騒ぎになって以来、やむなく屋外で生活してきました。しかし、寄る年波には勝てません。シニア犬の仲間入りを機会に、今秋から部屋の中に入れています。大きなゲージを用意してあげましたが、落ち着かないようなので、慣れるまでの間、様子をみています。
さて、先週は東京に出張しました。いつものように早めに家を出ると、午前10時半頃には東京駅に到着します。仕事は午後1時からですから、久しぶりに神保町を散策しました。まずは、巌松堂を覗き、次いで小宮山書店に入ります。以前に比べると、美術・デザイン系に軸足を移しつつある感がありますが、奥の階段をのぼって3階(文学・哲学・世界史・キリスト教・日本史・仏教・地方史)に直行です。
帰りがけに手にしたのは、応地利明著「世界地図の誕生」でした。大航海時代に誕生した地図史上の傑作「カンティーノ図」。人々は世界をどう認識し、地図に描いてきたのか。そんな帯の謳い文句が気に入りました。地図から知る思想性、芸術性、科学性、実用性。いろいろな古地図を見ながら、なんだか楽しくなります。眠れない夜に紐解くにはもってこいの本でした。
突拍子もなくこんな本に関心を寄せたのは何故?実は、その前日、つまり月曜日のことですが、経済団体主催の会合で、ブータン王国から来日中のブータン国立研究所長のダショー・カルマ・ウラ氏の講演「国民総幸福度(GNH)によるブータンの国づくり」を聞いて、少し現実離れした世界を彷徨ってみたかったからでしょうか。通訳を介した2時間に及ぶ講演は、ここ数年モヤモヤしていた私の理解不能な曖昧さに一筋の光を当てるものでした。現代の日本人が忘れかけていたもの、古き良き時代。そんなことがじわりと全身に充満していくのを覚えました。
このブログを開いて、来月で9年近くになります。折に触れて綴ってきた「大切なもの」「置き忘れてきたもの」、そういうものがブータンという国にはあるような気がしてなりません。物質文明を享受しすぎた現代人の心の落ち着きどころが、ひょっとしたらそこにあるのではないか。
文化、価値観の在り様。講演資料には、幸福度について4つの「柱」が示されています。「持続可能かつ公正な社会経済発展」「我が国の脆弱な山岳環境の保全」「伝統文化の保護と振興」「良きガバナンス」の4つです。これをさらに詳しく解き明かす9つの「指標」には、「生活水準」「健康」「教育」「生態系の健全性」「文化」「精神的幸福」「時間の使い方」「地域社会の活力」「すぐれた統治(民主主義・平等・正義)」が示されています。
「足ることを知る」。今の私の生き方とは正反対の生活が、そこにはあります。ハイレゾ音源では得られない、単調ではあっても自然の空気が充満した国土、私たちはそんな人の生き方を忘れ、右往左往している。様々な人為的行為が専門分化してしまい方向音痴に陥っている。それを誰でも判りやすい「幸福度」という視点から見渡そうとするおおらかな価値観。「長寿とはただ漫然と齢を重ねることではない。活力をもって、なによりも楽しむ。常に自分自身に問いかけること.......。」そんなお話しに頷くばかりでした。
週末の仕事帰りに、阪急梅田駅の紀伊国屋書店で4冊の本を買い求めました。岩波新書「ブータンに魅せられて」、ブータン王国ティンレイ首相講演録「国民総幸福度(GNH)による新しい世界」、「ブータン王国の国民総幸福度(GNH)政策~仏教思想はどのように活かされるか」、「幸福の国ブータンに学ぶ『幸せを育む生き方』」です。
今週も、USBオーディオの話題から。古いノートパソコンに少し手を加えました。メモリーの増強です。2008年発売のPCなので、さすがに純正のメモリーは販売終了です。ネットであれこれ探してマニアの方のサイトにたどり着き、そこで紹介されていたアイ・オー・データのメモリーを、先日、アマゾンから取り寄せました。こんな他愛なことでも音が良くなるんですね。不思議で興味深い世界です。
今日は、1週間前の朝日新聞に紹介された海上自衛隊東京音楽隊の3等海曹・三宅由佳莉さんのCD「a prayer」を聴きながらのブログ更新です。
といっても、今は土曜日の真夜中、あと少しで日曜日になる時間です。きょうは、街のふれあい祭があって、来春小学1年生になる年長組の孫長男君たちが歌と合奏を披露するというので、でかけてきました。校庭では屋台があったり、フリーマーケットがあったり、玉入れ遊びがあったりと、催し物も盛りだくさんでした。孫次男君も、小さいのに校庭をぺたぺたと歩いている姿に自然と笑みがこぼれます。
そんなわけで、今夜は孫長男君が一人で我が家にお泊りになりました。代休で月曜日もお休みのようで、2泊3日の計画のようです。なので、いつものブログ更新がこの時間帯になってしまいました。明日は、秋の京都に連れていく予定です。
ところで、先週は、久しぶりに広島に長居をしました。週末帰阪して、愛犬ゴンタと夜のお散歩に出かけたら、石垣の片隅で何やら私を見つめる獣がいました。狸さんです。3メートルほど近づいても逃げようともせず、じっと私を見つめていました。ポケットからスマホを取り出しカメラに収めました。暗がりだったせいか、うまく映っていませんが、寒い季節を前に、我が街の狸さんも、元気に暮らしています。
そうそう、週の初め、新大阪駅の本屋さんで雑誌「中央公論」12月号に目が止まりました。特集記事は「壊死する地方都市」です。「2040年、地方消滅。極点社会が到来する」という中央公論らしいショッキングな見出しが踊ります。日本の人口動態を、識者の切り口から改めて眺めると、やはりその深刻さを思います。なるほどと思ったのは、「出生率が上がっても子どもの数は増えない」という現実です。「出産適齢期の女性人口×出生率」という算式を持ち出すまでもなく、出生率が1.41から2.0に伸びたところで、20代、30代の女性人口の減少を考えば、決して手放しで喜べるものではないというわけです。だから深刻なわけです。
短絡的な政策立案以前の、文化の在り様にまで切り込まなければならないのではないか。都会と地方。それは上下関係でも主従関係でもありません。それぞれの良さを理解しながら時代に流されない知恵の発揮が求められているんでしょう。私がかつて訪ねた鹿児島市や甲府市では、その土地その土地の文化度の高さを思ったものでした。どんなに小さな田舎町でも同じです。ところが、文化そのものが人為的に破壊されている現実もあります。市町村合併です。かつて明治の時代に問題になった神社合祀令をエコロジーの問題として取り上げた南方熊楠のことは、このブログでも何度か触れたことがありますが、それと同じようなことが現在も起こっています。鎮守の森が潰されるように、その土地の歴史と文化が、効率的な行政単位の中に組み入れられることによって、逆に埋没してしまった。結果的には、地方の文化を破壊してしまった。私は、そんな気がします。
その上に、人口問題が被さってしまうと、小さな町が消滅するのは時間の問題です。東京一極集中で地方の中核都市が危ぶまれるとなると、いったいこの国はどうなるのか。都会は、確かに便利です。たくさん情報が集まってきます。人が集まってきます。みんなが楽しそうにしています。美術館だってコンサートホールだって、ひとつやふたつではない。でも、どうなんでしょう。何か大切なものを置き忘れてはいないでしょうか。日本人の立ち位置、アイデンティティーそのものが問われているような気がします。それなのに、グローバル人材なんていう言葉がもてはやされている。どうなんでしょうね。.....何をそんなに焦っているの。もっとゆっくりと歩こうよ。もっとゆったりと話そうよ。もっとおおらかに生きようよ.....。
孫君の寝顔を覗きながら、まだまだ残された道はあるようにも思います。そのために、私に何ができるか。「解は現場にあり」。理屈や高尚な理論で済む話ではありません。もっと泥臭い、草の匂いのする、人間臭さ。地べたに張り付きながら考えていくべきなんでしょう。きっと。歩いて初めて気づくことも多々あります。自分の足で、その村や街を体感してみる.....。
おっと、思い出しました。若い頃に読んだ金井壽宏先生の「踊る大捜査線に学ぶ組織論入門」。「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ」。昔読んだ本ですが、考えてみれば、私の仕事人生を支えていた本だったような気がします。
先週、USBオーディオのことに触れましたが、その後、CDの解像度を上回るというハイレゾ音源(High Resolution=高解像度)を、e-onkyo musicからダウンロードして聴いてみました。すると、オーディオ装置が120%の力を発揮したような、それほどに素晴らしい音の空間が広がりました。当分の間、暇を見つけてはPCを弄ってみたいと思っています。きょうは、ハイレゾ音源による「飛騨高山ヴィルト―ゾオーケストラコンサート2013」を聴きながらのブログ更新です。
ところで、神戸・元町駅界隈を歩いていたとき、妙な街路樹に出会いました。コンクリートで固められた道端の狭い所に、目いっぱい身体を張って生きていました。地面の下が窮屈なら地上に広がるしかない。街路樹の悲しい一生を思ってしまいました。阪神淡路大震災にもめげず、神戸の街を見つめ続けています。
そんな三宮界隈で乗ったシティループバスの巡回コースには、新神戸駅前も入っています。山陽新幹線を何度も往復しているのに、新神戸駅に降りたことがありません。もちろん駅ビルを地上で眺めたのは今回が初めてでした。ということは、三宮、北野異人館と新神戸駅とは目と鼻の先。その先には神戸港がある。....なんとなく地理感覚が蘇ってきます。
40年も大阪に住んでいても、電車、バスで時々行く天満橋界隈と大阪駅の位置関係に、時々混乱することがあります。天満橋から徒歩で帝国ホテルに行ったりすると、やっと位置関係が判ったりします。交通手段に依存し過ぎると、こうした空間の掴み方が鈍くなるのでしょう。
その昔、足かけ17年をかけて日本全国を歩き回って日本地図を作った伊能忠敬の「地図展」を見に行ったことがあります。昔は庶民の移動は徒歩でした。山の位置と川の位置、鎮守の森を目印に、自分の立ち位置を空間的に把握できていました。9月に出かけた生野銀山ウォークでは、生野峠まで歩くと、遠くに山が開け、姫路の方向がなんとなく見えてきます。そんな地理感覚が鈍ると方向音痴になってしまいます。時代を見つめる視点まで鈍ってしまいます。
少し横道にそれますが、NHK大河ドラマ「八重の桜」第45回(襄の遺言)を見ていて、襄がスイスで体調を崩し、遺書のような手紙を八重に送ったシーンがありました。......待てよ。襄は欧州ではなく神奈川県大磯の旅館で亡くなったはず?少し気になったので、長く本棚で埃をかぶっていた岩波文庫「新島襄書簡集」(同志社編)を取り出しました。先週は、この文庫を鞄に入れて出張の合間に読んでいました。
明治17(1884)年8月16日、欧州旅行中の襄42歳のときに妻新島八重に宛てた手紙を読むと、
「アンドロマートと申す處に参り、3日程度逗留。四方は雪山にして日中温度は67度なり。此處よりサンゴタールの峠迄運動致候に、少々病気にかかり、車にてアンドルマートに戻り、去る8日同所より、またゴシネンに到り、鉄道にてフルーエレンに到り、それより汽船にて四列湖を渡り、ただいま逗留致居り候ローゼルンに着し、ここに加養のため5、6日逗留の積りに候。」
襄の手記には、「此の坂を登ること一里半、予の呼吸は次第に切迫し始めた。最早進むことができない。予は後方(一独逸人)にとり残された。しかも、なお辛うじて十歩に一憩しながら、ついに頂上にまで達した。然るに、食後容態は益々悪化して、寸歩も動くことができなくなった。そこで翌日までホテル・プロサに滞在することにした。午後になって余は容態が甚だ危険であることを感じ、或は此の世における予の最後が、まさに逼ってきたのではないかと思われた。いよいよ呼吸が切迫して来たので、予は此の苦しい中に、次のような遺言をしたためた。」とありました。彼が歩いて峠を越えようした気持ちが判るような気がしますが、体調が芳しくない頃のアルプス越えが堪えたんでしょう。
こんな手紙もあります。「ミラン(ミラノ)と申す一大都会に参り候。汽車にて乗る事5時間半。所はイタリア北方の、もっとも大にして美麗なる市府に候。ここに最も有名なるものはドームと申す一の大なる寺院なり。イタリアの境をこえ、スイッツルランドの境に入り候ひしに、その国は欧州無雙の山国なれば、鉄道の山に登るに、甚だ面白き工風を為し、グルグルと輪をなし、低きより高きに至る。又輪をなして高きより低きに下る。実に工術の進歩せしを見るに足る。」
今の欧州を彷彿とさせるものがありますが、当時の日本は、新橋・横浜間に鉄道が開業して間もない頃で、まだまだ政争冷めやらぬ時代でした。襄が鉄道から眺めたアルプスの山々にどれほど感激したことでしょう。蒸気機関車が誕生して、人の移動手段が徒歩から鉄道、車に移行していく新しい時代を迎えた頃のことです。
そうそう、先週の「八重の桜:紀行」で、襄が欧州に旅立った港街・神戸の街並みが紹介され、前日に乗ったばかりのシティループバスが映っていました。また、襄が欧米旅行中に完成した同志社英学校最初のレンガ建て校舎「彰栄館」も映っていました。9月に今出川キャンパスにおじゃました際、たまたま撮った写真がありましたので、それも添えておきます。
注1:文中に掲載した書斎の写真は、新島旧邸にある襄の部屋です。4年前に見学した際に撮影したものです。
注2:落ち葉とどんぐりの写真は、きのう孫君と一緒に近くの公園で拾ってきました。そろそろ紅葉の季節を迎えます。
11月最初の日曜日、お空はどんよりとした雲に覆われ、なんとなく静かなお目覚めでした。きょうは、ミッシャ・マイスキーのチェロ、マルタ・アルゲリッチのピアノで、ストラヴィンスキーの「イタリア組曲」、プロコフィエフの「チェロ・ソナタハ長調」を聴きながらのブログ更新です。
いつもと違うのは、USBオーディオによる再生です。実は、サイトウ・キネン・フェスティバル松本Gigでの大西順子トリオの演奏が素晴らしかったので、テレビ録画音声をデジタル音源に変換しようと、右往左往しながら辿りついたのが、これでした。
まずは、眠っていたDELL社製ノートパソコンを取り出しました。突然のご指名に驚いたWindowsXPの再登場です。あと半年の命とは言え、とりあえずWord、Excelなど不要なソフトはすべて消去し、身を軽くしてオーディオ機能に特化しました。
次に、DAC(Digital to Analog Converter)なる装置をPCとオーディオとの間に接続します。デジタルをアナログに、アナログをデジタルに変換する装置ですが、これがまたひと苦労です。マニアックな装置だったためか、USBドライバーをダウンロードしなければなりません。英文のサイトから手探りで探し出しましたが、どうもうまくいかない。いろいろ弄っているうちに、PCが認識はしてくれましたが、まだ本調子ではありません。もう少しお勉強が必要のようです。
指南役は、小島康著「超PCオーディオ入門」(アスキー新書)です。初めて知ったのですが、音楽をデジタル化するときのCDの解像度には一定の限界があったよう。アナログのLPレコードが今なお愛される理由がそこにありました。それがPC技術の進化で変わりつつある、ということです。
確かに、音のレンジの広さというべきか、臨場感というべきか、CDとは様変わりです。それでもデジタル特有の冷たさ、これはアンプのせいかもしれません。あの、温かい真空管アンプとの組み合わせが必要なのかもしれませんが、そこまで凝るわけではありません。とりあえずWindowsXPの再登場に乾杯、ということにしておきましょう。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、きのう土曜休日は、神戸市立博物館で開催中の「プーシキン美術館展フランス絵画300年」を覗いてきました。JR三宮駅に到着すると、六甲山とは反対方向に、つまり海に向かって歩いていきます。途中、大きな三宮センター街、三宮商店街を横切り、さらに南下すると、洒落たブランド会社のビルやらが立ち並ぶ、かつての外国人居留地界隈に入ります。そんな街並みの一画に神戸市立博物館はありました。
フランスの印象派、ポスト印象派のコレクションから、ルノワール、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、マティスなど66点が来日です。小林秀雄「ゴッホの手紙」を思い浮かべながら、ゴッホの生きた時代を見て歩きました。
そういえば、今朝の朝日新聞朝刊に「アート守り、日ロの架け橋」との見出で、プーシキン美術館総裁のイリーナ・アントーノフさんが秋の叙勲で旭日重光章を受章との記事がありました。私が生まれる5年も前の1945年から68年間、美術館に勤務し、ソ連崩壊の危機にも世界屈指の美術館を守り抜いた、とあります。その情熱に脱帽です。
さて、この日は美術鑑賞が終わると、さてどうしよう。いつもの行き当たりばったりの珍道中の始まりです。まずは、目の前にとまったシティループバスに乗りました。モスグリーンのレトロなバス、1乗車250円で、北野異人館街から三宮、旧居留地、南京町、中突堤、ハーバーランドを巡回、車内ではガイドさんが観光案内までしてくれます。乗り降り自由の1日乗車券を650円で販売していましたが、初老の夫婦は1周1時間をのんびりとバスで巡りました。
まさに観光客気分でしたが、南京町でバスを降りると、商店街巡りです。そして最後に元町駅高架下の、昭和の香りが漂う細長い商店街へ。古書店あり、中古レコードCD店あり、古いおもちゃ屋あり。いずれ1日をかけてこの商店街で物色しようと思いますが、洒落た旧居留地とのギャップを思いました。