心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

明るい春の陽光の下で

2013-04-29 09:17:47 | Weblog
 先週の前半に寒さが逆戻りしたあと、ここ数日は天候もがらりと変わり春の陽光が街を暖かく照らしています。庭の至るところに小さな命が芽生え、花が咲き、蝶まで舞っています。一日ごとに変化するこの時期、四季のなかで最も生き生きとした季節で、私の大好きな季節でもあります。

 そんなある日、広島の宿所でホウホウと鳴く鳥の声に目覚めました。7階だというのに、かなり近いところから聞こえてきます。なんだろうとカーテンを開けてびっくり、母鳩が抱卵中でありました。ベランダの隅に枝や枯葉で巣を作っています。なんとまあ、こんなところで。コーヒーを啜りながら椅子に座ってしばし眺めていました。追い出すわけにも行きません。小鳩が巣立つまでは、そっとしておいてあげましょう。それにしても巣の場所が悪い。クーラーの排水口に巣はあります。小鳩が巣立つまでの間、クーラーは使用禁止です。

 ゴールデンウィーク初日にあたる土曜日は、残念ながら広島に滞在していました。午後から会議があったからですが、それまでの暇つぶしに「ひろしま菓子博2013」を覗いてきました。場所は旧広島市民球場跡地、県立総合体育館一帯です。朝一番なら大丈夫だろうと、10時開場に少し余裕をもって出かけたのですが、入場口には既に大勢の人が並んでいました。それでも、当日券を買って30分も並べば、とりあえず会場内に入場できました。
 いろいろな施設がありました。人気は「全国お菓子めぐり館」や「全国お菓子バザール」などお菓子に触れて購入できるところで、そこはみな長蛇の列でした。私は「お菓子テーマ館」に直行しました。残念ながら会場内は写真撮影禁止でしたので、その風景をお伝えできないのは残念ですが、要するにお菓子の造形芸術展でした。鷲、鷺、桜、藤など日本画の風景がお菓子でできています。織田信長像や出雲神楽、二重塔、宮島の鳥居と神社の全景も、すべてお菓子でした。お菓子と言っても馬鹿になりません。色といい形といい、その細やかなつくりは、まさに職人芸。大きな翼をもつ鷹は、今にも飛び立とうとしています。日本の「ものづくり文化」の底力を改めて思いました。

 外に出ると、人の多さと暑さにうんざり。大山牧場の濃厚ミルクソフトクリームをいただいて、早々に会場を後にしました。メインゲートを出ると、目の前は市電の原爆ドーム前です。時間に余裕があったので、観光客が行き交う公園を散歩しました。明るい春の陽を浴びた平和な街の風景が、そこにはありました。広島で働くようになって今年で3年目です。今年から出張頻度を落としたものの、当分の間は行ったり来たりすることになります。
 そうそう、土曜日は3時間に及んだ会議が終わると、市内の居酒屋で5人のメンバーと一杯呑みました。「皆さん、お酒はお強いんですか」と尋ねると、女性陣の方々から「普通です」と。広島のお酒のなんと美味しいことか。ずいぶんいただきました。皆さん、普通ではなくて本当にお強いことが判ったのも楽しいことでした。ほろ酔い気分で最終の新幹線に飛び乗って帰阪しました。
 でも、ずいぶん酔っぱらったようで、翌朝目覚めると二日酔い状態でした。そんな日曜日の朝、家内から、孫君を地元の温泉に連れて行ってほしいのだと。本人はその気になっているとも。ぇえ?、でも出かけて正解でした。春の陽が降り注ぐ露天風呂に浸かっていると、いつの間にか酔いも醒めました。ひと風呂浴びたあと、孫君と二人で昼食をいただきながら冷たいビールで喉を潤すと心身ともにシャキっとしたものです。温泉大好きなお祖父さんと孫、これもゴールデンウィークのささやかな楽しみかも知れません。

 この連休は暦どおりです。特段の予定は立てていません。5月からアメリカ本社に異動になる次男君が出発の挨拶にやってくる程度でしょうか。で、温泉に浸かりながら孫君に尋ねました。「○○おじちゃん、アメリカに行くんだって。○○も大きくなったら海外に行くようになるのかなあ」。すると孫君、「行っても良いけど、僕、アメリカ語はまだ、Yes,I do.しか知らないから無理、無理」と。年長組の孫君、なかなか楽しい返答をしてくれます。
 きょうはグレン・グールドのブラームスを聴きながらの、一日遅れのブログ更新となりました。午後は庭のお手入れでもしましょう。
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ゴッホ展~空白のパリを追う

2013-04-21 09:58:37 | Weblog
 先日発売された村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が、発売1週間で100万部を突破したとか。昨日の朝日新聞夕刊によれば「クラシックにムラカミ特需」との見出しで、作品に登場するロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンが演奏するリストの「巡礼の年」が品切り状態なんだそうです。そういえば、私も「1Q84」を読んだとき、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を聴きました。いずれにしても、世の中の騒動が収まるまで、私は新作には手を出さないでおきましょう。と言いながら、5月6日に京大で開かれる『村上春樹公開インタビューin京都-魂を観る、魂を書く-』の聴講を申し込んでいます。抽選のようですから駄目元ですが。

 ところで4月も下旬、あと10日もすればゴールデンウィークの季節を迎えます。ツツジの花が咲き、ヤマブキの花が咲き、お隣の庭にはハナミズキの花が咲き、そうそう、春先に植え付けたばかりのライラックの花も咲きはじめました。ほんのりと清々しい香りが気に入りました。
 そんな春の週末、京都市美術館の「ゴッホ展~空白のパリを追う」を観てきました。限定された時期の作品でしたが、初期のどちらかといえば暗い感じの作品と対比させるかのように、明るく鮮やかな色彩と点描画法が美しい1986年から1988年の作品が展示されていました。

 今回の展示会を象徴する作品「グレーのフェルト帽の自画像」は、会場内でもひときわ目立ちました。何枚かの自画像と同様に、厳しい視点に目が留まります。彼の苦悩、不安が何かを訴えようとしている。そんな迫力がありました。じっと見つめていたら、後ろの人に押されてしまいました。
 でも、「サン・ピエール広場を散歩する恋人たち」の前で、ふっとひと息つきます。「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」になると、音声ガイドからBGM(サン・サーンスの「クラリネットとピアノのためのソナタ」)が流れてきて、何やら豊かな気持ちになります。強烈な色彩と濃厚なタッチと、明るく軽やかな作風が入り乱れて、ゴッホ独特の世界を楽しむことができました。
 残念ながら今回のゴッホ展は、1988年以後の作品は含まれていません。あくまでも「空白のパリ」時代です。その後の、ゴーギャンとの出会いと別離、心の病。その時々の心の在り様が映し出された作品は、含まれていません。
 自殺する直前に描いた「ドービニーの庭」に私は昨夏、ひろしま美術館で出会いました。芸術新潮2月号は、同時期に制作された「鳥のいる麦畑」を小林秀雄がこよなく愛したことを述べています。京都へ向かう電車の中で、小林秀雄が青山二郎と対談した「形を見る眼」を読みましたが、小林秀雄がゴッホという人間に関心を抱いたのが判るような気がします。機会があれば「ゴッホの手紙」に目を通してみたいものです。

 昨日は、これで終わりではありません。いつもの行き当たりばったりの珍道中でした。美術館の近くにある京都市勧業館「みやこめっせ」で「花と緑の市民フェア」が開催されているのを知ると、フラワーアレンジメントを教えている家内は興味津々です。私も山野草のコーナーを見て回りました。1時間ほどいて、気がつけば、家内は花材を、私は斑入コデマリの苗木を手にしていました。

 あとは、お決まりのコースです。知恩院にお参りです。この日は、御忌大会(法然上人の忌日法要)という行事があったようで、たくさんの参拝者が訪れていました。御影堂改修工事が行われていましたので、阿弥陀堂にお参りして失礼しました。
 この日は、神宮丸太町→京都市美術館→知恩院→八坂神社→河原町四条→三条と歩きました。スマホの万歩計は1万2千歩を記録し、久しぶりに「銀賞」マークをいただきました。身も心も健康を実感した1日でした。
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フェニーチェ歌劇場日本公演2013 (フェスティバルホール)

2013-04-14 09:45:02 | Weblog
 昨日の午前5時33分。ガタガタという揺れに目が覚めると、枕元のスマートフォンがけたたましく緊急地震速報を伝えました。即座にテレビのスイッチを入れると、もうニュース速報が流れています。時を置かず街のスピーカーから防災放送が流れ、その後には職場から安否確認の問い合わせメールが届きました。それから30分後、職場の安全確認第一報メールが届き、その後危機管理室から現状報告の電話が入りました。
 阪神淡路大震災、東北大震災を経験した私たちは、大きな学習をしました。今回の震源地は兵庫県淡路島で震度6強とのこと。情報の伝達と初期対応という意味ではずいぶん進化したように思います。備えあれば憂いなし、ということでしょう。

 そんな目覚めの悪い土曜休日でしたが、昨日は午後、フェスティバルホールのこけら落とし公演(フェニーチェ歌劇場日本公演2013)の最終日のプログラム「特別コンサート」にでかけました。演奏会形式で、ヴェルディの歌劇「リゴレット」から前奏曲、第1幕(二重唱「愛は心の太陽だ」・アリア「慕わしき御名」・合唱曲「静かに、静かに」)、第2幕(アリア「彼女の涙が見えるようだ」・合唱)、第3幕(四重唱「いつかお前に会ったような気がする」・アリア「女心の歌」)。第二部はヴェルディの歌劇「椿姫」から第2幕(アリア「燃える想いを」・二重唱「天使のように清らかな娘」・アリア「プロヴァンスの海と陸」、フィナーレ)。

 やはり本場の歌を直に聴くことの素晴らしさを思いました。オケとの息もぴったりあって、目の前に歌劇の音の世界が様々な色彩をもって現れたような、そんな素晴らしい演奏であり歌声でありました。第二部「椿姫」では、前日の歌劇「オテロ」に出演した歌手の方々も加わり歌い上げます。満場の拍手に応えたアンコールは、予想したとおり「乾杯の歌」でした。 
 新装なったフェスティバルホール(2700名収容)の音響にも驚かされました。弦楽器の響きが、金管楽器の響きが、そして歌手の声、息遣いまでもが、美しく耳に届きます。聴衆の心を魅了します。素晴らしいコンサートでした。歌劇初めての家内もオペラグラスを片手に最後まで熱心に耳を傾けていました。

 余韻を引きずりながら帰りの電車の中でパンフレットに目を通しました。今年はヴェルディ生誕200年、それを記念して水の都ヴェネツィアからフェニーチェ歌劇場が8年ぶりに来日したこと。この歌劇場は、220年の歴史の中で度重なる火災に遭うも、その度に「フェニーチェ(不死鳥)」のように蘇り、イタリア・オペラの伝統を現代に伝えてきたこと。なんと1996年にも火災で全焼し2004年に完全復活を遂げたのでした。......ヴェネツィア。ふと、須賀敦子さんの「ヴェネツィアの宿」を思い出しました。帰ると早速、須賀敦子全集第2巻を開きました。ありました。ありました。


「その夜、フェニーチェ劇場創立200年記念のガラ・コンサートがあることは、夕方、ホテルについたときに見たポスターで知っていた。でもそれ以上は読まないで通り過ぎたのだった。そういえば、晩餐のレストランに向かう途中、ずいぶんきらきらしたドレスを着こんだ女たちが、タキシードの男たちにエスコートされて石橋を渡ってくるのに出くわした」

「あの空色の星のネオンの路地を出る瞬間まで、オペラも劇場の200年祭も私のあたまにはなかったし、たとえ覚えていたにしても、音楽会の中身が劇場前の広場にスピーカーで通行人にまで分配されるなど、考えてもみなかった」

「ひとつのアリアがおわると、スピーカーは、あらしのような拍手もそのまま劇場の外につたえてきた。それにまじって、あの幻みたいだった広場の、なにかの理由で切符が買えなかった小さな群衆の拍手もぱらぱらとたしかに聞こえた。やがて、次のアリアが始まるまえに劇場のあちこちでおこる、あの神経質な観客の咳払いまでが正方形の小窓からとびこんできたころには、せめてその日のプログラムを手に入れてなかったことを悔やむほど、私はこの思いがけなく参加することになった音楽会に心を奪われていた」


 フェニーチェ劇場の広場に面したホテルに泊まった須賀さんが、そう20年前にホテルの一室で聴いたアリアを、私は大阪・中之島で新装なったフェスティバルホールで体感したのでした。運河が縦横に走る街の小道を歩いたヴェネツィアの夜が思い出されました。リタイアしたら本場の歌劇を楽しみたいものです。
 早朝の地震から東北大震災を思い、阪神大震災を思い出しながら、不死鳥(フェニーチェ)のように蘇る日本を思ったものでした。残念ながら前日の歌劇「オテロ」を観ることはできませんでしたが、特別コンサートでその一端を堪能できたのは幸せでした。指揮はチョン・ミョンフンでした。
 さて、次回は家内のたっての希望で6月下旬にある平原綾香の10周年記念コンサート「Dear Jupiter」に出かける予定です。
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私の読書生活

2013-04-07 09:58:29 | 古本フェア

 今朝、愛犬ゴンタとお散歩にでかけたときは、雲間から青空も見えていましたが、帰る頃になると小雨がぽつり、ぽつり。今では大粒の雨が思い出したように降っています。最近の天気予報は良く当たります。この雨と風で近所の公園の桜もだいぶん散ってしまいました。桜の花って、ほんとうに儚いものです。それを儚いと思う心が日本の心なんでしょう。きっと。そんな4月最初の日曜日、きょうはブラームスのバーラード集と2つのラプソディをグレン・グールドのピアノで聴きながらのブログ更新です。

 さて、桜と言えば本居宣長。本居宣長といえば小林秀雄。季刊誌「考える人」2013年春号は、生誕111年・没後30周年記念特集「小林秀雄 最後の日々」です。なんと特別付録CD「小林秀雄×河上徹太郎:歴史について」が付いています。時は1979年7月23日、場所は福田屋。「文學界」創刊500号を機会になされた対談の音源だそうですが、好きなお酒を飲みながら自由奔放な話が踊ります。ずいぶんお酒が進んでいたんでしょう。長女の白洲明子さんのエッセイ「よっぱらい」には、「父の声からお酒のまわり具合が手に取るように感じとれ、酔っぱらった姿が目に浮び、懐かしさで胸がいっぱいになりました」とありました。これは、二人の最後の対談であり、小林秀雄最後の対談と記されています。昨晩は、ウイスキーを片手に楽しい時間を過ごしました。


 そうそう、先週日曜日は大阪ビジネスパーク(OBP)のTWIN21で開催された「ツイン21古本フェア」に行ってきました。京橋駅から徒歩5分と意外に近い場所にあります。広い1階フロアには整然と本棚が並べられ、三々五々人々がやってきては品定めです。難しそうな本から趣味の本、昔の少年漫画雑誌まで多彩な品揃えでした。時間をかけてじっくりと見て回りました。なんどか行ったり来たりしながら、今回は少し奮発して4冊をお持ち帰りでした。グレン・グールドの「著作集2」、小泉節子・小泉一雄著「小泉八雲」、K.クロスリイーホランド著「北欧神話物語」、そして学芸総合誌「環」2010年夏号(特集:多田富雄の世界)です。ちなみに「環」は、雑誌のくせに1冊定価3600円もしますから、500円の古本でしか購入しません。
 こうして購入した古本は、自分なりにお手入れをした後、とりあえずベッド横の、手の届く位置にある本棚に並べます。そして、気の向くままに眺めることになります。最近、仕事の本は部屋では読まないことにしているので、眠る前のひとときが読書の時間になります。


 まず手にしたのは「小泉八雲」でした。その第一編は、八雲を温かく支えた節子夫人の「思い出の記」です。夜な夜な明治20年代の日本の世相を思い浮かべながら読みました。
 「その頃東京から岡山辺りまでは汽車がありましたが、それからさきは米子まで山また山で、泊まる宿屋も実にあわれなものです。村から村で、松江に参りますと、いきなり綺麗な市街となります」。その当時、松江から東京に向かうのは結構たいへんだったんだと改めて思いました。明治5年生まれの私の祖父は東京の学校で学びましたが、岡山までは歩いて行ったのでしょうか。それとも.....。そんな取りとめのないことを思いながら眠ってしまいました。
 この本は、松江、熊本、東京での生活を振り返りながら、八雲の人となりが綴られています。何年か前、松江のお城端にあった小泉八雲旧宅を家内と見学したことがありますから、なんとなく立体的に思い浮かべることができました。読んでいて意外に思ったのは、八雲の日本語でした。「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」。日本人以上に日本の文化に関心を寄せた八雲は、子供のような素直な心と好奇心に満ち溢れていたのでしょう。50頁足らずの小編ですが、楽しく目を通しました。
 八雲は死の直前、子供たちと夕食を共にしています。機嫌がよく、冗談などいいながら大笑いなどしていたようですが、子供らと別れ、いつものように書斎の廊下を散歩していたようですが、一時間ほどで節子夫人のところにやってきて言ったそうです。「マアさん。先日の病気また参りました」と。寝床についたあとしばらくしてこの世を去ったと記されています。そこには文筆家の八雲ではなく、一人の人間としてのパトリック・ラフカディオ・ハーンの姿がありました。
第二編は長男一雄氏の「父八雲を憶う」です。

 


 私も八雲に劣らず好奇心旺盛です。あっちを見たりこっちを見たり。何冊かを同時に、場面を変えて読み進む私の癖は直りそうにありません。おそらく仕事のストレスを本を読むことで解消しているのでしょう。
 ではリタイアしたら集中して読めるかと言えば、必ずしもそうではない気もします。それはそれでまた違った状況に置かれるような気がしないでもありません。要するに、どれだけ現実社会に向き合って生きているかどうかということだろうと思います。激動する時代環境の中に自らを置くこと。生きることに関心がなくなれば、読書も遠ざかるのではないかと思ったりしています。そういう意味で、私にとって読書は生きている証なのかもしれません。
 なんだか今日は、硬軟織り交ぜた私の読書術の一端をご紹介してしまいました。
 

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