心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ひと足早く「お花見」

2016-03-26 22:31:58 | Weblog

 今朝、ムスカリの花が咲いているのを見つけました。ことしは小ぶりですが、それでも我が家の庭に春を告げる花のひとつです。そうそう、昨年清荒神さんにお参りに行った際に連れて帰ったクレマチス3種も、寒肥が効いたのか、2年目の春を迎えて伸び盛りです。花芽も確認できるまでになりました。 そんな春の日の昼下がり、ゴンタ爺さんは明るい窓辺で夢の中。ときどき足を動かしているのは、お散歩をしているつもりなんでしょう。きっと。でも、実際のところ、お散歩は完歩が難しくなってきています。コースを変えて距離を縮めようかどうしようか思案中です。
 ともあれ、ここ大阪も23日に桜の開花宣言がありました。これでいっせいに花ひらくのかと思いきや、急に肌寒くなってきて小休止です。そんなわけで、大阪城界隈の山本能楽堂で、ひと足早く「お花見」をいたしました。この日のお題は「なにわの歳時記・桜景色編」。演目は「吉野天人」でした。山本能楽堂に伺ったのは今回が初めてでしたが、ざっと見て1階は120席前後のこじんまりした桟敷席でした。そのうえ舞台の高さも低かったので、能楽を間近で楽しむことができました。
 前座で、作家・玉岡かおるさんの「さくらのお話」があり、吉野山の千本桜が能舞台に充満したところで「吉野天人」は始まりました。天人の美しい着物と所作、非日常の時間の流れ、笛や鼓の凛とした音の世界が目の前に広がります。初心者の私にとっては、そういう空間に身を置くことで全身で感ずる(鑑賞する)しかありません。不思議と背筋がしゃきっとしたものでした。
 その日の観客の多くは私を含めてお年寄り、それも大多数は女性の方々でした。でも、桟敷席の一画にブルガリアからやってきたという若者たちのグループの姿がありました。
 ところで先の連休は、予定どおり、京都市美術館で開催されている「モネ展~「印象、日の出」から「睡蓮」」に出かけました。これまでも、いろいろなモネの作品を観てきましたが、やはりほっとします。
 この日は家内のご希望で、お隣の京都国立近代美術館で開催中の志村ふくみさんの企画展にもおじゃましました。帰りがけに美術館の案内パンフレットを眺めていたら、「友の会」のことが載っていました。入会金3千円(年額)で、常設展は何回観ても無料、企画展は1回だけ無料、そして大阪・中之島の国立国際美術館の常設展、企画展も同様の特典があるのだと。さっそく入会手続きをいたしました。たっぷりあるであろう日々の過ごし方の第一歩になりそうです。
 さてさて、きょうは話題が盛りだくさんです。実は先週、孫君と約束したことがありました。魚釣りです。そんなわけで、朝、孫長男君を連れて神戸市立須磨海づり公園に行ってきました。何十年ぶりでしょうか。むかし子供たちを連れてよく出かけたものです。..........逃がした魚は大きいと言いますが、確かに20センチクラスのガシラを目の前で海面に落としてしまい、クーラーの中には孫君が釣り上げた小さなお魚一匹という釣果に終わりました。それでも、孫君は楽しそうでした。私も、視界を妨げるものがなにもない風景の中に身をおいて深呼吸でした。

 須磨と言えば、平安時代の末期に「一ノ谷の戦い」があったところです。釣台から西を見ると、遠くに本州と淡路島をつなぐ明石海峡大橋が見えます。東には遠くにぼんやりと大阪平野を眺めることができます。..........とは言え、この時間になると身体がギシギシと痛みます。歳を顧みずに少し頑張り過ぎました。明日は、ぼんやりと過ごすことにいたしましょう。

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心に汗をかく

2016-03-19 23:03:09 | 古本フェア

 暑さ寒さも彼岸までと言いますが、昼と夜の長さが同じになる春分の季節を迎えました。ここ大阪は、淡い小雨が舞いつつも、午後には春の陽が街を覆う、そんな週末でした。庭の片隅では、山野草のひとつケマン草が柔らかな春の陽を浴びて芽生え、よく見ると小さな花芽まで確認することができます。
 ところで今週半ば、珍しく講演とトークセッションに臨みました。他のお二人が業界筋ではあまりにも著名な方だったため、気遅れしなくもなかったのですが、自然にというか無理やりというか、とにかくひとつのシナリオを思い描きながら、気持ちの良い時間を過ごすことができました。
 その後の懇親会で、某社の社長さんから「(実務家の立場で)”心に汗をかいた”お話しでしたね」との労いの言葉をいただきました。「心に汗をかく」。良い表現だなあと思いつつも、いざ調べてみると辞書にはありません。ならばと「汗をかく」を調べると「懸命に努力する。目的達成のために汗をかく」と広辞苑。「額に汗する」は「 一所懸命に働く」の意味。なにはともあれ、「心」に拘わり続けて四半世紀、長い仕事人生にひとつのけじめをつけることができたのは幸いでした。5月には別の場でお話しをする機会があるようですが、今夏のリタイアに向けて着々と「心」の準備にとりかかることにいたします。
 そんな週末のきょうは、午前中で仕事を終えると、不思議な開放感に誘われて、関西古書研究会主催の「弁天町ORC200古本祭」に向かいました。以前から知っていた古本祭りですが、覗いたのは今回が初めてです。場所はJR大阪環状線「弁天町」駅を降りてすぐのところ。長い間大阪に住んでいながら、環状線の内回りに乗る機会は滅多になく、西九条駅ではUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に向かう乗り換えでごった返していました。
 ことしは近隣の古本祭制覇をめざしています(笑)。来月に入ると環状線京橋界隈での「ツイン21古本フェア」、下旬には四天王寺春の古本祭り、5月に入ると京都・春の古書大即売会と続きます。無造作に買い込むことは避けたいのですが、きょうも小泉八雲の「仏領西インドの2年間(上・下)」と橋本治著「小林秀雄の恵み」、やや衝動買いでありました。
 というわけで、3連休の初日の土曜日は静かに終わろうとしています。そして明日は、京都市美術館で開催中の「モネ展」にでかけ、その足で知恩院にお参りです。明後日は、長女と孫たちを連れて、家内の両親のお墓参りです。何事もなく当たり前のように時間が流れていくことに感謝しなければなりません。

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愛犬ゴンタ爺さんの入浴

2016-03-12 21:59:08 | 愛犬ゴンタ

 だんだんと日が長くなってきました。1日の始まりとなる最寄りのバス停も、数ヶ月前に比べるとずいぶん明るくなりました。それに合わせて道端の草木が動き出します。1年でもっとも生命(いのち)を感じる季節です。
 我が家のお庭も、アケビの花は満開だし、クリスマスローズも一斉に花開きました。この花は健気に下ばかり向いていますが、指を添えてお顔を拝見すると、なんともお美しい表情をしています。ハーブや山野草の芽も顔を出し、毎週草木の成長が楽しみな季節です。そうそう、先週は、クヌギの原木2本に椎茸の種駒を打ち込みました。
 ところで、きょうは久しぶりにゆったりとした1日を過ごしました。ゴンタ爺さんと朝のお散歩が終わると、1週間ぶりの入浴です。最近は、立っているのも危ういので、浴室内でも身体を支えてあげないとすぐに横たわってしまいます。その分時間がかかりますが、温かいお湯をかけながらシャンプーで丁寧に洗ってあげます。最後に全身をタオルでぐるぐる巻きにして浴室の外に出ます。
 身体が乾いて、やっとひと息。以前は部屋中を走り回っていましたが、今はほんの少し歩くことができる程度です。横たわってしまうと立ち上がれません。それを良いことに、私の膝から離れようとしません。食が細くなっているので、ずいぶんやせ細ってきているのが気になります。
 落ち着いたあとは屋外の陽だまりでブラッシングです。全身に心地よい刺激を得て、時々懐かしい若い頃の表情を見せてくれるのが、せめてもの慰みです。こうして、ゴンタ爺さんの入浴は終わります。

  さてさて、今週は、津本陽著「巨人伝」を読み始めました。南方熊楠の生き様を小説にしたものですから寝っ転がって読み進むことができますが、なにせ500ページもの大著です。気長にページをめくっていことにいたしましょう。 
 そんなわけで、今夜は、めずらしくベルリーニの歌劇「ノルマ」をご鑑賞であります。ケルトの巫女と、敵対するローマ帝国地方総督との禁じられた恋に纏わる悲しい物語です。このDVDは、2001年3月、イタリア・パルマ王立劇場のライヴ映像です。ということで、本日のブログ更新は早々に終えることにいたします。

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早春の淀屋橋界隈を歩く~水の都の古本展、適塾

2016-03-05 22:14:26 | 古本フェア

 第七候啓蟄初候「蟄虫啓戸(ちっちゅうこをひらく)」とは、よく言ったものです。長く冬ごもりしていた虫たちが動き始める季節。確かに先週来の寒さも和らぎ、きのうあたりはコートも要らない暖かさでした。我が家の庭では、ことし少し遅い感じがしますが、クリスマスローズがやっと咲き始めました。そして、驚くなかれ、アケビの花芽が動き出しているではありませんか。春3月。日に日に暖かくなっていくのでしょう。
 さて、ここ数週間、並行して読み進んでいた2冊の本を読み終えました。そのひとつはダンテの「神曲」。時は今から600年前のイタリアでのお話です。政争にやぶれフィレンツェを永久追放されたダンテが放浪の旅に出ます。....「気がつけば人生は半ば。見わたせば暗き森深き。道らしき道のひとつすら無く」「踏み行けば、行く手を塞ぐ獣たち。ただ恐ろしげに牙をむく。わかる言葉も理もなくて、私の足は後ずさる」「何故振り返る、何故戻る。至福の山を何故求めぬ。山がそこから始まるものを」....。
 こうしてダンテは、生きているにもかかわらず、古代ローマの大詩人ウェルギリウスの霊の案内で「地獄」「煉獄」を、若くして死んだ恋人ベアトリーチェの案内で「天国」を巡ります。地獄では、生前の罪を嘆く霊が蠢く。見るも恐ろしい地下の世界が現れます。最も重い罪とされる悪行は「裏切り」で、裏切者は永遠に氷漬けとなる。一方、煉獄は悔悛の余地のある死者が罪を償う霊の世界。亡者は煉獄山で生前になした罪を浄めつつ上へ上へと登り、浄め終えるとやがては天国に到達するのだと。ドレの押画が生々しく迫ってくる、なんとも不思議な物語でありました。
 もう1冊。それは鶴見和子著「南方熊楠・萃点の思想」でした。こちらは通勤電車の中で読み終えました。こんな調子で、ここ数ヶ月、空き時間は読書三昧です。少しずつ世の柵(しがらみ)から解き放たれていくに従い、この種の本を、ある種の驚き、新鮮さをもって読み進むことができるから不思議です。
 きょうは午後、職場の催しがあって本町界隈にでかける用事があったので、その前に中之島の大阪市中央公会堂で開催中の「第7回水の都の古本展」を覗いてきました。

 規模は大きくはないのですが、春を迎えて最初の古書即売会です。中央公会堂の2階の会議室に6店舗の古書が並びます。半時間ほど眺めて手にしたのは、文豪の世界(3)「ダンテ」と、南方熊楠のひととなりを記した津本陽著「巨人伝」の2冊。......これをさげて次に向かったのは、公会堂から歩いて10分ほどの所にある緒方洪庵の「適塾」でした。長い間、大阪にいて、ここ適塾を訪ねたのは初めてのことでした。
 細長い町家風の住居。大学時代、下鴨神社界隈にあった京町家の下宿を思わせるこの学塾に、江戸の末期、すぐれた若者たちが集まり、蘭学、医学を学んだ。十分な文献もネットもない、今とは比べものにならない学習環境のなかで、西洋医学を学ぶ若者たちが蘭学を学び、医学知識を身に着けていく。思いました。なんのために英語を学ぶのかが曖昧になっているところに、今日の英語教育の問題がありそうです。展示資料をみていると、緒方洪庵の和訳は細部にこだわらない意訳のようで、言葉の端々ではなく大枠でその真意をつかむやり方だったよう。でも、いいじゃないですか。こういうところに時代を見つめる大きな視点があるように思います。
 ........なんて偉そうなことを言っていますが、きょうはいろいろと学ぶことの多かった早春の一日でありました。

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