心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

旅と風景

2009-03-29 09:58:33 | Weblog
 あと2日もすれば、4月を迎えるというのに、このところ肌寒い日が続いています。ぽかぽか陽気に誘われて、オーバー着用を終了したのに、この寒さ。でも、いったん着用を止めた以上、少しばかりの寒さに負けてはと、ここ数日、痩せ我慢です。街のあちらこちらで桜花が咲き始めていますが、寒い分、ことしは長く楽しむことができそうです。
 ところで、先週半ば、博多に日帰り出張しました。2年ほど前に出かけたときもそうでしたが、広島を過ぎ、山口、下関と進んでいくと、車窓に綿のような真白い雲が浮かんでいるのに気づきます。雲なんて大阪でもどこにでもあるではないか。いや、このあたりの雲は違うのです。晴れ渡った空に、柔らかな雲が浮かんでいます。手で綿をちぎったような、そんな真白い雲が浮かんでいます。
 大阪で見る雲は、どことなく平面的で、表情が平淡。なぜだろうと、ぼんやり考えました。海や川が近いのはどちらも同じです。ふと思ったのは山、森林の存在でした。たくさんの水を樹木の下に蓄えた森から、ほどよく蒸発して、雲を形成していく。そんな自然の循環を考えました。大阪湾でも淀川でもなく、森の存在。それが、綿あめのような雲を形成していく。そう言えば、小さい頃、田舎で見た雲と同じです。
 出張の目的は、九州大学伊都キャンパスであった会合に出席するためでした。博多駅を降りて、地下鉄に乗り換えて、天神、大濠公園、姪浜と駅を過ぎていくあたりから、車窓には長閑な春の博多湾を眺めることができます。この大学は、博多市内の複数のキャンパスを伊都地区に統合する一大移転事業を推進中で、最近の経済不況が嘘のようでした。博多湾の西、糸島地区周辺は、1800年ほど前、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記される古代国家「伊都国」が栄えたところです。遺跡群を縫って工事が進んでいました。そんなキャンパスで経済団体の会合があったのでした。
 子供たちにとっては春休みの季節です。いたるところで親子連れの姿を見かけました。そう言えば、私が初めて長旅をしたのは幼稚園の頃でした。父親に会うため、母親と一緒に大阪にでかけたときでした。ちょうど今ごろの季節でした。当時は新幹線はありませんでしたから、1日仕事でした。夕闇迫る頃、車窓から街を眺めていると地面にお星さまがいっぱい見えました。驚いて母に告げると、母は笑いながら説明してくれました。「あれはお星さまではないよ。街の灯りだよ」と。列車は少し高台を走っていましたから、おそらく眼下に広がる神戸の街の灯りが子供には星のように見えたのでしょう。百万ドルの夜景とはよく言ったものです。
 旅、それは人の心に多くの思い出を残します。日常から少し遠ざかり、大袈裟に言えば、異文化の世界に私たちを連れて行ってくれます。旅を通じて、わたしたちは、大きくなってきたし、これからもそうなんだろうと思います。常に、新しいものに遭遇することの楽しさを忘れてしまったら、そこで人の歩みは立ち止ってしまう。そんなことを考えました。


【写真説明】
1.職場の入口にある桜の花が咲き始めました。
2.九州大学伊都キャンパスから博多湾を望む。遠くに博多市内がぼんやり見えます。
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春の連休に還暦祝

2009-03-22 10:04:46 | Weblog
 久しぶりの3連休。金曜日は愛犬ゴンタと一緒に日向ぼっこをしながら、ゆったりとした時間を過ごしました。だからでしょうか、ムスカリの花が玄関口のフラワーボックスで花芽を伸ばし開花しているのに気づきました。このムスカリ、昨秋、ご近所の方に球根をいただいたもので、我が家では初デビューです。一見、ブドウの実のように見えるので、別名ブドウヒアシンスとも言われます。花言葉は「通じ合う心」「失望」「失意」「絶望」「寛大な愛」「明るい未来」。何だかよくわかりませんが、明るい未来を運んでくれることを願っておきましょう。
 お彼岸の土曜日は、長女一家、家内の妹夫妻と一緒に義父のお墓参りをしました。併せて、義妹の旦那が満60歳の還暦を迎えるのを機会に、「還暦祝」の宴をもちました。ものの本によれば、還暦とは60年で再び生まれた年の干支に還ることから行われる儀式で、赤ちゃんに還るという意味から、魔除けの色の「赤いちゃんちゃんこ」や「赤頭巾」を身に付け、長寿を願ってお祝いをするのだそうです。
 おそらく昔の人たちは、こうして人生の節目節目に、過去を振り返り未来を見つめたのでしょう。それだけ「時」というものを大事にしていた、とも言えます。いや、「心」を大事にしているということなんでしょうか。天変地異や戦争に対する恐怖に慄きながらも、生きる道を見出していく直向きさのようなものが伝わってきます。
 そういえば最近、「おおらかさ」という言葉が気に入っています。国の政治経済の動向をみていると、いや、そんなに大上段に構えなくとも、日々の営みのなかで、私たちは小さな事柄に振り回されすぎていないか。だから、全体が見えにくくなっていないか。時代の大きなうねりのようなものが見えなくなってはいないか。そんな気がします。卑屈にならず、もっとおおらかに、心を開いて物事を見つめる「心のゆとり」のようなものがほしい。そんな気がしています。
 ともあれ、予約しておいたお店に全員揃ったところで、お祝いの儀式。家内がおもむろに「赤ちゃんちゃんこ」を取り出すと、みんな大笑いでした。義妹夫婦には、私の子供たちの入学、卒業、就職と機会あるごとに成長を祝ってくれました。最近は、孫君にまで。だから、子供たちにとっては良き叔父さんでもあります。まずは、感謝の心を込めて乾杯。美味しいお酒をいただきました。そういう私も、還暦がもう目の前に迫っていますから、他人事ではありませんが。
 そうそう、1カ月ほど前から気になっていたバス停近くの大きな柳の枝先が、このところの温かさで柔らかい緑色の花芽に変わりました。春の陽を全身に浴びて嬉しそうです。公園の桜の枝には、5つ6つの開花を確認しました。ひと足早く、我が街の「開花宣言」です。こうして一気に春に突入していくのでしょう。季節の移り変わり、そして人の歩みの節目。一人の小さな存在も目には見えない地球界のなかで生かされていることに気づきます。連休3日目のきょうは、あいにくの雨模様ですが、春の3連休を締めくくるには良い休日になりそうです。...と書き終えたところで、目の前の窓に、明るい春の陽光がちらりと輝きました。
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3月病??

2009-03-15 09:39:46 | Weblog
 3月に入って、なんだか雨の日が多いような気がします。うっすら晴れ間が見えたかと思うと、天気予報どおり、いつの間にか曇天が広がって雨。でも、きょうの日曜日は違います。少しひんやりはしていますが、快晴です。庭先のチューリップが大きく育って蕾も見えてきました。ブルーベリーの蕾がふくらみ、金木犀の枝先には新芽が伸びてきました。寒い季節を終えて、いよいよ「春」を迎えます。
 ところで、長く人事の仕事をしていますと、この時期は何となく「きつい」のです。だから、寝つきも悪い。この1カ月ほど、枕元のラジオはつけっぱなし状態。ベッドに横たわっても眠れないので本を取り出して斜め読み。ラジオのスイッチを入れると、NHK「ラジオ深夜便」の時間。ぼんやりと聞いていると、遠く地方の方々とアンカーとの心温まるトーク。ときには海外の方々のレポートもあります。でも、たいがいは、途中で眠ってしまいます。眠りが浅いから、3時頃には眼が覚める。うとうとしていると4時のニュース。そして「こころの時代」が始まる。5時のニュースを聞いて、うとうとしながら6時のニュース。毎日、毎日、浅い睡眠で朝を迎えます。ちょっと病的かもしれませんね。
 それでもなんとか、新年度に向けて大きな山場を越えて、少しは落ち着くのかと思いましたが、なかなか。やはり事態は深刻?。でも日中は元気なので、いっこうに疲れを感じません。もうこんな仕事はしたくないと思っていた6年前、やっと解放されたのに、2年前に舞い戻ってしまいました。今は、最後のご奉公と割り切ってはいますが、どうなんでしょうねぇ。
 話はがらりと変わりますが、先日、大阪・中之島の堂島リバーフォーラムで開かれた「大阪・北ヤード ナレッジキャピタルトライアル2009」をのぞいてきました。この催し、平成24年に街開きをめざす大阪駅北地区再開発事業のトライアルイベントで、「技術と感性の融合」をテーマに、ITとロボット、デザインなど多彩なコラボレーションプロジェクトの実演・展示が目白押しでした。立体映像、多言語音声翻訳、食事支援ロボットなどなど。
 そのなかで、なぜか心に残ったのが「完全制御型植物工場による次世代の野菜生産と販売マーケティング戦略」でした。時代を先取りした意欲的な試みであることは判っているのですが、なぜか私には手放しで喜べなかったのです。さんさんと降り注ぐ太陽の光を全身に浴びることもなく、計算つくされた環境のなかで育つ野菜の姿をみて、なぜか可哀そうに思いました。それを食する人間もまた、可哀そうに思いました。
 いま、我が家の狭い水槽には、大きな熱帯魚が2匹います。アマゾンの大河に生まれておれば、もっと自由に泳ぎ回ることができただろうに、人間のエゴに翻弄されて人工的な狭い世界に閉じ込められている。しかし、彼らは広い世界を知らないから、深刻ではないのかもしれませんが、これが彼らの「生命の存在」だとしたら、これまた可哀そう。同様に、人工環境のなかですくすくと育った野菜を「美味しい」と食することに、何かしら違和感・抵抗感がぬぐえないのです。春を前にして、花粉症という病気が流行っていますが、田舎育ちの私は罹ったことがありません。私が子供の頃は、こんな病気はなかったように思います。現代人の抵抗力を弱めている何かがある。でも、そんなことばかり考えていたら、満足な食事ができないという現実もある。悩ましい限りです。また眠れなくなるかも(^^♪

※さてさて、きょうの日曜日は、午後からご出勤なのであります。今週後半の3連休まで突っ走ることにしましょう。
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鶴見曼荼羅との出会い

2009-03-08 10:25:30 | Weblog
 きょうは震度2の地震で目が覚めました。この時間帯の体感地震は、やはり一瞬にして大都会を崩壊させた阪神大震災のことを思い出させます。と同時に、人間の非力さもまた思います。
 ところで、先週触れた「鶴見和子の世界」(藤原書店)は、「コレクション鶴見和子曼荼羅」(全9巻)の完結を記念して1996年に刊行されたものです。多くの方々がお書きになった各巻の解説、月報その他を1冊にまとめてあり、鶴見さんの人となりを、共に歩んでこられた方々の目を通して表現されてあります。その数、実に63名に及びます。
 なぜこうも関心をいだくのか。ひとつには、この63名のなかには私が著書を通じて出会った方々が何名かいらっしゃること。そして何よりも、これまでなんとなくバラバラに読みすすんできた柳田國男、南方熊楠と鶴見和子の思想的な連関性。学生の頃よく読んだ政治学者の丸山真男、鶴見俊輔(和子さんの弟)らと協働された「思想の科学」グループの先見性と熱い思い。学者でもない私にとっては、学問としてではなく「人の生き方」を問うものとしての存在感が迫ってきます。
 川勝平太氏の「内発的発展論の可能性」と題する小論があります。通勤電車のなかで読みながら、なんとなく頭の中から離れなかった言葉に「他律」「自律」「無律」があります。鶴見さんのエッセーに登場する言葉なのですが、「鶴見が示した興味深い生命の三つの態様.....。他律の例として管理社会の組織人としての生き方があげられ、無律とは眠っているとき、ボーッとしているとき、あるいは夢を見ているときの状態....。他律には批判的ながら、無律には直観の働く世界としての価値を認めている....。自律の対概念は通常他律とされがちであり、自律と他律の対照をいうのはたやすいが、無律というコンセプトを出したのは鶴見の卓見」。私のような凡人には、その真意を知る由もありませんが、しかしながら、なぜか納得してしまう。そんな鶴見さんの世界に惹かれるのです。
 昨年の夏、ダニエル・レビンソンの「ライフスタイルの心理学」(講談社学術文庫・南博訳)を読みました。上下2巻で600頁近いものでした。読み終わって、私自身の60年近い歩みをエクセルに書き込んでみました。すると、仕事人生が大きなウエイトを占めている反面、意外と「児童期、青年期、そして成人への過渡期」が薄い。「老年への過渡期と老年期」への道筋が全く見えてこない。そこで私は折を見て、その表にもっと大きなスケールで時代状況を併記していきました。もちろん、生れる前に遡って。そして今回、鶴見さんの歩みを並べてみました。すると、1950年代の生活綴り方運動(この言葉はぼんやりと記憶があります)あたりで重なり、プリンストン大学で学位をおとりなった1966年以降は、私の学生時代、社会人時代と並行して様々な活動をされている時期が重なっていることが判りました。果たしてその時期に「私はいったい何を考え、何をしていたのか」。ずしんと迫ってくるものがあります。それは単なる回顧趣味ではありません。老年への過渡期を経て老年期に向かう現在の立ち位置にあって、私にある種の課題を問うものでありました。今のままではリタイアと同時に、私は生物的な老人になってしまう。そうじゃあないだろう、もっと人間としての「生き方」があるだろう。最近、そんなことを考えるようになりました。そう考えると、人生、なかなか捨てたものではありません。
 そんな次第で、今後数年をかけて「コレクション鶴見和子曼荼羅」全9巻を読破することにいたしました。先日、第1巻「基の巻(鶴見和子の仕事・入門)」をAmazonで購入しました。1冊が五千円から7千円もするので、中古品購入です。相当分厚い本ですから、気長に、年1~2冊のペースで読み考えていきたいと思っています。
 昨夜は、美味しい島美人のお湯割りをいただきながら、NHKドラマスペシャル「白洲次郎」第二話を見たあと、深い眠りにつきました。そして震度2の地震で目覚めた。何かの因縁かもしれません。
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NHKドラマスペシャル「白洲次郎」

2009-03-01 10:07:54 | Weblog
 昨日そして今日は、ここ大阪も晴れやかな朝を迎えています。明るい朝の陽ざしを楽しみながら、シベリウスのピアノ小品を楽しむ。1週間の疲れが癒される時間です。
 昨日の土曜日は、久しぶりにお休みをいただきました。でも、なんとなく慌ただしい1日でした。朝はいつも通りに目覚めると、孫君の体調が思わしくないから来てくれと。ところが家内は午後でなければ時間が空かない。午前の部は、私が馳せ参じることになりました。その孫君、最初はぐずぐず言っていたのに、いつの間にか笑顔に変わり、絵本をもってきて読んでくれとせがむ。おもちゃを持ってきては、私に見せてくれました。どうやら、体調の方は大騒ぎするまでもなさそうです。
 午後は家内にバトンタッチして、私は自宅へ直行です。造園会社の方に庭木の病害虫駆除をお願いしていたのです。この会社、インターネットで見つけたのですが、若い造園技師の方が立ちあげた会社で、ホームページを見て、その心意気が気にいって以来、毎年、剪定と病害虫駆除をお願いしています。
 そうこうするうちに、午後も4時をまわり、もうひとつのアポイントは宅急便でした。この日は、特注の品が到着する日でありました。なんということはありません。鹿児島の本格焼酎「島美人」の35度が1ダース届く日でありました。25度ではなく35度であることに、この焼酎の味わいがあります。ある小料理屋さんでいただいて、気に入って、百貨店のお酒売り場で特注したのでありました(^^♪。
 こんな具合で慌ただしい(?)土曜休日は終わりましたが、最後にもうひとつ、久しぶりに予約していたテレビドラマがありました。NHKドラマスペシャル「白洲次郎」です。白洲正子さんのことは何冊かの著書を通じて、ある程度承知していましたが、連れ合いの次郎氏のことはあまり詳しくありません。一昨年の秋、どういうわけか北京に向かう空港内の書店で新潮文庫「プリンシプルのない日本」を購入し機中で読んだこと。その後、昨年の暮れにNHKラジオ「日曜カルチャー」で4回にわたって放送された「白洲次郎 ~その生き方と素顔~」を聴いたこと、そんな程度ですが、なるほど時代の変革期にそれなりの存在感を示した方ではありました。白洲夫妻は戦争への足音とともに、いったん田舎に引っ越し農業に勤しむのですが、何度か登場する「カントリージェントルマン」という言葉を興味深く思いました。
 この白洲夫妻が活躍したのは大正から昭和の時代です。正子さんは若い頃、アメリカの学校に学んだ経験があり、帰国してしばらくして次郎氏に出会っています。おそらく当時の日本にあっては少し前を歩いていた女性なんでしょうか。でも、小さい頃から「能」に惹かれ自ら舞うことができました。ドラマでその場面を見ながら、ふと、いま読んでいる本「鶴見和子の世界」を思い出しました。鶴見和子さんは戦前戦後に米国大学に学ばれた日本を代表する社会学者のお一人ですが、和服を自然に着こなし、時には娘道成寺を舞って場を和ませる術を身につけていらっしゃたようです。私が生まれたばかりの頃1950年代は生活綴り方運動に参画され、後に水俣調査にも意を注がれた方ですが、私には柳田國男と南方熊楠をつなぐ水先案内人のような存在です。仕事とは全く無関係でありながら、しかし一人の人間の生きざまを問う意味で、鶴見和子さんの著書は、私の中では極めて大きな存在感をもっています。いずれまた、お話する機会があろうかと思います。
 .......机の前の窓の外には、柔らかな青空が広がり、庭の木々も生気を取り戻しつつあります。今日のブログは、あちらこちらに揺れ動いた内容になってしまいましたが、これも心地よい「春」の陽気のせいにしておきましょう。
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