愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

滋賀県 旧安土町の茅葺き民家

2013年08月31日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧安土町、桑実寺(くわのみでら)門前に建つ茅葺き屋根民家。

桑実寺は天智天皇の勅願により、藤原鎌足の長男、定恵が白鳳六年(六七七年)に創建したと伝える名古刹。

たまたま桑実寺に登って見掛けた民家です。

その門前に居を構えるこの茅葺き民家も、それなりの由緒所以の有る民家かもしれない。

桑実寺への登り参道脇、斜面に大きな屋敷を持ち、近江風の前垂れを持つ茅葺き屋根が顔をのぞかせて居る。

屋敷内への入口門にも茅葺き屋根をあしらい、建物は現代風にアレンジされた豪邸に見える。

勿論、琵琶湖湖岸に近いこの辺りでは茅葺きでは無く葭葦(よし)葺き屋根と言うことだろうが・・・・。

撮影2010.2.13


滋賀県彦根市 男鬼(おおり)の茅葺き屋根

2013年08月30日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

彦根市街から遥に遠い鈴鹿山系「霊仙山」山中の準廃村「男鬼(おおり)集落」に残された茅葺き民家

この地にも何度足を踏み入れただろう・・・もちろん夏場の車が入れる時期ばかりだが・・・

夏場だけこの地を離れた人達が旧我が家の手入れや避暑、あるいは農作業の為に帰郷する。

集落に軒を並べる10軒ばかしの民家は全て茅葺き屋根のトタン懸け、懷かしい気配をそのまま残しています。

そんな集落に一軒だけ残された茅葺き民家、僕が訪れた二年前の夏、足場が組まれて工事中の様子・・・

裏に廻って見ると見事に葺き直されて、こんな状態・・・・・。

NET検索すると、滋賀県立大学近江楽座/男鬼楽座の人達が中心になり、この民家の再生保存活動を行っているとか??。

今年も7月には表側の屋根の大部分が葺き替えられたようです。

この分だと多分来年の雪が降るまでには、葺き替えられて綺麗になった茅葺き屋根が見れるかも・・・

隣には赤錆の始まった誓玄寺が所在無さげに佇んでいた。

撮影2011.8.13


旧室生三本松 海神社参道の地蔵石仏

2013年08月29日 | 石仏:奈良

室生三本松、海神社参道脇に立つ地蔵石仏。

先日の六体地蔵よりほんの2~3分も道なりに西へ進むと「道の駅宇陀路室生」・・・・、この辺は室生三本松、旧伊勢阿呆越え街道筋。

集落は近鉄線路を挟んで山の斜面に一筋宿場の面影を残して建ち並んでいる。

道の駅から直ぐの宇陀川を越えた先には、こじんまりした三本松海神社。

国道から宇陀川を渡る参道脇には自然石を積み上げた愛宕灯篭??中央に地蔵石仏・・・・大雑把にもコンクリートの打ち放しに直に据えられて居ます。

地蔵石仏は舟形に整形した分厚い花崗岩の正面に分厚く刻まれた中型定形地蔵立像。

野の仏らしく地衣類が全身を覆って居ますが四等身の童子体形、下部の蓮座はコンクリートに埋められ、はっきりしませんが室町後期から江戸初期の造立。

中々重量感があり、それなりに手馴れた石工の手に依るものだと思われます。

撮影2012.4.29


旧室生三本松 六体地蔵石仏

2013年08月28日 | 石仏:奈良

名張市安部田から宇陀川沿いに国道165号線を室生方面に向かうと、県境ギリギリの奈良県側に岩崖を背に六体地蔵らしき石仏の刻まれて居るのがちらっと見える。

六宝地蔵尊と言う看板は有るものの・・・、結局どこをどう探しても何も解らない。

傍らに立て掛けられた手作りのローソク立てや雨傘は「サンマイ墓」の印・・・・・、もしやこの六体地蔵は古い墓への入口だったのでは無かったか?、新道が通りこんな形で取り残されたのだろう・・・・・。

一見、磨崖仏の様に見える六体地蔵は板石状の自然石に枠取りをし、一石に三体の地蔵を刻み付け、それを二つ横並びにして六体地蔵としている。

横幅約一尋(ひとひろ)程度、高さ約60~70cm・・・・

枠内に舟形を薄く彫り沈め、薄肉の地蔵を刻み出して居る。

向かって右側の一石三体・・・比較的像容は残るが、地衣類の繁殖が酷い。

こちらは向かって左側の三体、右側にも増して酷い状態。

交通量の多い幹線道路・・・ましてやこんな道端に石仏が在るとは・・・・・

撮影2012.1.7


名張市安部田 念仏寺跡の石仏

2013年08月27日 | 石仏:三重

国道165号線沿い、名張市安部田の鹿高神社脇、廃念仏寺大師堂の双仏石。

大師堂脇に自然石の六字名号碑や無縁碑などと共に並んで居る。

自然石に鏨跡の残る荒い方形彫り沈め、中にローカル色豊かな定形地蔵と合掌地蔵の二体を刻み出す。

江戸期の特徴あるデフォルメされた蓮座の上に載り、像高凡そ50cm、二体共に最早、仏の顔で無く成って居る

撮影2012.1.7


名張市赤目町 星川墓地一石六体地蔵

2013年08月26日 | 石仏:三重

この地域の墓地では何処に行っても、六体地蔵は一石とお決まりの様に置かれて居る。

前回の壇墓地から見えるほどの距離、農道を東へ突き抜けた小さな丘の斜面に星川集落の墓地が在り・・

その入口辺りに五輪塔の残欠多数と共に形の良い一石六体地蔵が横一列に居並ぶ。

星川墓地の六体地蔵は絵馬型に整えた板石に、少し窮屈そうな地蔵を横一列に並べて居る。

像容は少し手馴れて、円頭光も負い江戸期特有のデフォルメされた蓮座の上に立つ。

蓮座の下部には多行の銘が見えるが判読不能です。

これも風情の一つでしょうが??やっぱり野の仏、地衣類がしがみ付いて居ます。

撮影2012.1.7


名張市赤目町 壇墓地の一石六体地蔵

2013年08月25日 | 石仏:三重

前回紹介の丈六寺より南東へ約2km足らず、壇集落の南外れ、溜池脇の古い墓地に有る一石六体地蔵。

旧い墓地の習俗を色濃く残し、切石の棺台の向うに無縁塔・・・・、

その脇には一石六地蔵と梵字板碑。

六地蔵脇にはこの地域では良く見かける手作りの六本ローソク立て、もう転がっていた雨傘。

埋め墓の名残を残した習俗で、大和高原やこの辺りでは見慣れた景観です。

横長の自然石に横長方形を薄く彫り沈め中に六体地蔵を薄肉で刻み出す。

ここでも地衣類の繁殖がひどく像容も解らない程。

こんな素朴な六体地蔵は結構好みなのですが・・・・、どうして大和高原地域やこの辺りに集中しているのだろうか??

撮影2012.1.7


名張市赤目町 丈六寺一石六体地蔵石仏

2013年08月24日 | 石仏:三重

近鉄大阪線赤目口駅近くの丈六寺にある一石六体地蔵石仏。

寺伝に拠ると、大宝二年(702)に妙光比丘により開創され、室生寺が宝亀年間(770~781年)に開かれて以降、室生寺への四大門が設置され、その内の北門にあたる丈六寺は、平安時代に七堂伽藍を備え、室町時代まで大いに栄え続いたといわれています。

現在「真言宗東寺派」を名乗る古刹丈六寺にも、この辺りでは当たり前の様に見られる一石六体地蔵が有る。

頂部が弧を描いた様な板石に唐破風様の枠を付け、本堂脇の椿の根元に安置されている。

枠内に刻み出された六体地蔵は像高約35cm、こけしを一列に並べた様な素朴さ・・・・、名古刹でも庶民信仰のこんな石仏を見られるのが嬉しい。

一方、丈六寺と云えば、奈良時代の高僧「良弁」の供養塔と伝えられる五輪塔が有る事で知られて居る

元々、良弁の供養塔としては年代もかけ離れすぎては居るものの、名張市の文化財指定で鎌倉時代後期 正応四年(1291)年の銘を持つ。

高さ234cm、火・水輪部に欠損はあるものの、この地域では珍らしい優品で有る事に違い無い。

撮影2012.1.7


名張市 上三谷墓地一石六体地蔵石仏/他

2013年08月23日 | 石仏:三重

前述、白山神社前の道を少し奥に詰めると集落の旧い墓地が在り、その入口付近には一石六体地蔵が置かれて居る。

最近整備されたのだろう?、コンクリートブロックの無骨な基礎と囲いの中に可愛しを敷き詰め、中央に一石六体地蔵、それを囲む様に小石仏や五輪塔の残欠などが置かれて居る。

一石六体地蔵は板石状自然石の頂部を半円弧状に整形、上下を大きく空けた左右一杯の枠付きの方形に彫り沈め、中によこ一列の六体地蔵を刻み出して居る。

頂部円弧部には天涯を思わす連続蕨手紋?、中央の小さな彫り込み内にも小さな石仏

六体地蔵はローカル色豊かな稚拙な像容、いかにも野の仏然とした素朴な味わいがある。

江戸中期頃の造立だろうか・・・・。

斜墓地内に並べられた板碑や墓石の列にも・・・

六字名号と余にもデフォルメされた地蔵が並列する山形板碑・・・・頂部山形には阿弥陀三尊の種子。

他にも地蔵や、五輪と地蔵の板碑などが無造作に寝転がって居たり・・・・

こんな素朴な石仏が地中から半身のぞかせて居たりした。

撮影2012..4.8


名張市 上三谷白山神社の地蔵石仏

2013年08月22日 | 石仏:三重

ちょっと今までに見たことの無い、胸に四角い穴を穿たれた地蔵石仏。

前回に同じく名張市上三谷、前回の場所より少し奥に詰めた白山神社境内・・・・・、

片隅の小さな地蔵堂に祀られています。

身の丈70~80cmの中型定形地蔵立像ですが・・・

全体を舟形に整形した花崗岩に凡そ5cm程の枠を残して浅く彫り沈め、中肉彫りの定形地蔵菩薩立像を刻み出して居る。

面相は写実的で落ち着き、端正な像容・・・、足には近江様式の地蔵の様に木靴を履いています。

胸の楔状の穴は納経孔の蓋が外れたものと思われ、保存も良く大切に守られて来た石仏だと云う事が解ります。

舟形枠下部の線彫り蓮座や全体像から室町期を下らない時期の造立だろうと思われる??

撮影2012.4.8


名張市 上三谷の地蔵磨崖仏

2013年08月21日 | 石仏:三重

名張市上三谷、集落入口付近の広場に安置された磨崖の石仏さん。

前回紹介の矢川地蔵の前の道を五分も道なりに奥に詰めると左手斜面上に集落の家並が見える。

新道造成で邪魔に成ったのか、本来の岩面から切り離され、この地に安置、祀られて居る様です。

高さ1.5m、三角おにぎり形に切り離された岩面の上部中央に身の丈40cm程の線彫り地蔵菩薩坐像が刻まれています。

頭上に円頭光をを戴き、写真で見る限り錫杖の持たない矢田寺型の結跏趺坐する地蔵菩薩の様です。

稚拙な線彫り、良く言えばローカル色豊かで素朴な石仏・・・・この道は室生寺四大門の内、北の大門「丈六寺」から室生竜口を越え室生寺へと至る室生古道の一つだったのだろう??

撮影2012.1.7


名張市 矢川の地蔵石仏

2013年08月20日 | 石仏:三重

矢川集落の地蔵堂に祀られた地蔵石仏。

前回紹介の阪ノ下から宇陀川に掛かる細い橋を渡り、道なりに進むと矢川の集落、集落の入口辺り、大きな溜池の畔りに格好の良い百日紅の大木が在り、その根元に田舎風情の小さな地蔵堂がある。

地蔵は約1mの舟形光背を持ち、頂部に地蔵の種子の「カ」刻んでいる。

像高凡そ80cm弱、大きい蓮座の上に立つ定形地蔵・・・銘は不明ながら、江戸前中期の造立??

こんな田舎にしては手馴れた石工の作と見え、中々の像容・・・・、その頃のこの村の有り様が分かる様な気がします。

撮影2012.1.7


名張市安部田 坂ノ下の地蔵石仏

2013年08月19日 | 石仏:三重

先日紹介の坂ノ下集落入口、国道165号線交差点でまるで信号待ちをしているかの様に立ち尽くす地蔵石仏。

集落入口から見るこの道が、近く極楽寺から奈良東大寺迄続く「松明調進の道」。

地蔵石仏は国道に対面、宇陀川越しに「極楽寺」をしっかり見つめて」たっている様にも・・・・。

少しオーバーハングした細い舟形光背、凡そ等身大の像高を持つ中肉彫りの定形地蔵。

脇には真新しい「松明調進の道」と書かれた立派な道標。

光背には大きく「右ならみち」と刻まれ、旧「初瀬街道」の道しるべとして造立された地蔵さん。

全体の像容、印象から江戸時代中期の造立だと思われます。

撮影2012.1.7


名張市安部田 庚申堂の青面金剛石仏

2013年08月18日 | 石仏:三重

三重県名張、赤目近くの旧い集落で見掛けた庚申堂の青面金剛石仏。

ここは奈良県旧室生村と境を接する安部田の坂ノ下集落・・・、古より今日まで続く奈良東大寺二月堂お水取りの「松明調進」の街道筋。

坂ノ下の公民館横には廃寺となった??お堂と、その脇には小さな庚申堂。 

稚拙な像容ながら事細かにしっかり儀軌に適った青面金剛像を刻み出しています。

鶏、三猿、踏みつけられた邪気、足元両側には二童子を配し、四臂の持ち物、頂部の日月も怠りないが・・・、どう見ても顔がちょっとお粗末。

それが庚申、民間信仰のローカル色豊かなところかも??、因に総高約1m強、花崗岩の中肉彫りで中々立派なものでした。

撮影2012.1.7


宇陀市 上芳野(かみほうの)青面金剛石仏

2013年08月17日 | 石仏:奈良

菟田野芳野川(うたのほうのかわ)沿いに軒を連ねる上芳野、辻の地蔵堂脇にある庚申の青面金剛石仏。

菟田野の中心地「古市場」から東へ直ぐの新松井橋を芳野川沿いに左折、点々と建ち並ぶ下芳野の東詰め辺り・・・・、(もうこのあたりの地名は上芳野らしいが)新道と旧道の合流地点に背の低い地蔵堂が有る。

その脇の斜面に切石を組み上げ石龕を造り、庚申主尊の青面金剛石仏を祀って居る。

ここの青面金剛はまた一味も二味も違っている。

髪を逆立てて居るのですが、表現が拙く丸で地蔵の様な僧形・・六臂の内二肢は腰から直に手首が出ています。

全体的にはそれなりに見えますが奇妙な青面金剛像です。

そういえば見事に整った庚申さんなんて見たこともないような??

撮影2010.8.28