近江源氏を祖に、佐々木氏の別家、京極氏の菩提寺「徳源院清滝寺」に約600年亘る京極氏の歴代宝筐印塔が一同に会している。
古式の鎌倉塔から江戸時代の近世塔まで上段下段と岐れその数約35基が居並ぶ姿は、京極氏の栄枯盛衰と相まって圧巻です。
清瀧寺は弘安九年(1286)、京極氏の初代氏信が建立、東海道本線柏原駅、西へ約1km、清滝集落のドン突き山裾に閑静な佇まいで建っている。
墓地は本堂裏、山裾の斜面を二段に分け周囲を白壁土塀で取り囲んでいる。
一段高い上段の白壁土塀を背に向かって右から始祖氏信(うじのぶ)を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む、歴代当主の墓碑宝篋印塔が18基が横一列に並び建つ。
これは22代、高豊(たかとよ)が寛文12年(1672)境内に三重塔を建て、付近に散在していた墓を菩提寺のここ集めたと言われて居ます。
右端、永仁三年(1295)銘を持つ京極氏始祖氏信(うじのぶ)の墓碑宝篋印塔。
京極氏の家名は氏信が京都、京極高辻の地に宿所が在ったことによるとか・・・・。
下段には左から19代あの大河ドラマ「江(ごう)」、浅井三姉妹の次女「初」を娶った京極高次(たかつぐ)の石廟や木廟が並び建つ。
石廟内、高次の墓碑宝篋印塔・・・・、江戸時代初期、笠の隅飾りはそっくり替えっている。
これは24代、京極高矩(きょうごく たかのり)の墓碑宝篋印塔。
下段、廟無し墓碑宝篋印塔。
とても詳しくは書き切れません・・・。
殆どが国の史跡や県の史跡に指定され、兎に角圧巻、一見の価値有り。
撮影2011.8.15