愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良市旧田原村 長谷町(ながたにちょう)の茅葺き民家

2014年03月31日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良市旧田原村の南端、鄙びた山間集落「長谷町」に唯一残された茅葺き民家。

奈良市街方面から来ると旧田原村の中心、田原小学校手前の交差点を右折、約3kmも南進すると天理市山田町と境を接する「長谷町」に着く。

良く通る道だが今まで全く気付かなかった・・・・それもその筈、田原方面から走って来ると屋敷の裏側を正面に見る事に成り、写真の様な覆懸け屋だけを観る事になり振り向きもしなかった。

しかし今回、集落の鎮守「日吉神社」奥の山中にある「塔の森」へ行っての帰り道、いつもと逆方向へ走ると目の前に大和棟茅葺民家。

近頃よく見掛ける正面茅葺き裏屋は覆懸け・・・・計算通りには行かないだろうが、葺き替え材料や手間代の事を考えるとこれもしょうがない。

両妻に窪み高塀を設け、両翼に落棟・・・・・・母屋の茅葺き屋根は最近葺き替えられたのだろう??揺るぎない美しさを見せていた。

撮影2013.7.13


奈良市旧田原村 茗荷町松本家住宅

2014年03月30日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良市、旧田原村の茗荷町に残っている松本家住宅。

奈良市街、奈良公園の奥、春日原生林の南端、県道80号線で峠を越えると旧田原村、豊かな里山の景観が広がる。

そんな中心部に近い茗荷集落の中程、大きな屋敷を構えた大和棟の茅葺き民家が松本家住宅。

母屋正面を南に向け、東側には長屋門と土蔵を配し、中庭を配した南側は低い植栽ので垣根としている。

奈良市文化財のページに拠ると文久3年(1863)の建築、大規模で上質な大和棟(やまとむね)の建物で、近世末の庄屋層の民家の姿をよく伝え、奈良市東部地域を代表する民家として貴重。

また田舎の名家では良くあるように、明治6年(1873)頃から大正頃まで郵便事務が行われ、現在も玄関口に当時名残の窓口が残っていて珍しい。

桁行20.8m、梁間9.4m、切妻造段違、茅(背面銅板)及び桟瓦葺、四面庇付、桟瓦葺。

平成14年3月4日奈良市文化財指定、現在「田原やま里博物館」にも登録されている。

撮影2013.7.13


奈良県 香芝市の茅葺き民家

2014年03月29日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

新しく建てられたのか改修改造され新しく見えるのか?、端正で現代風に見える大和棟風の茅葺き民家。

前回紹介した香芝市穴虫の程近く、豊かな集落の家並の奥に隠れるように建っていた。

表は長屋門を現代風にアレンジした玄関口・・・・狭い中庭の奥にこの端正な母屋が建つ。

茅葺き屋根は小規模ながら大和棟風、棟押さえには角材の千木を載せ、上に細い丸太棒をかけ渡している。

これも現代風アレンジなのだろう・・・・。

しかし周りは建て込み、これ以上の撮影ポイントは見いだせなかった。

撮影2013.6.29


奈良県香芝市 穴虫の町並

2014年03月28日 | 街道街並集落 景観 

奈良県南西部、新興住宅地として発展著しい香芝市に残る古い集落「穴虫」の町並み。

グーグルマップで何度か確かめ、茅葺き民家が何軒か残っていると訪ねてみたが既に全てに覆いが懸けられ茅葺き屋根は皆無。

しかしその町並みは一瞬時代錯誤に陥りそうな佇まい・・・古き豊かな集落の面影をそのままに残し伝えていた。

この地は、二上山の北を越え、河内から大和に入る古代の主要道の穴虫越えに沿う集落。

集落内は狭い道路が入混み、大きい屋敷が道路の両側に建ち並んでいる。

何とも豊かに見える集落・・・・これは特産として、研磨用の金剛砂用いた研磨布紙や砥石製造業が穴虫を中心として行われていたことに依るものらしい。

そのせいか農村集落にも係わらず、細い道路に沿って商家の形態をした建物が多く残り、一種独特な街並み景観を醸し出している。

何とも豊かな農村風景も共有しているが、街並みのあちこちに歯抜けの様に更地が存在しているのはちょっと気がかり・・・・。

撮影2013.6.16


奈良県葛城市 竹ノ内街道の茅葺き民家

2014年03月27日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

難波から飛鳥へと通じる日本最古の官道、竹ノ内街道沿いに軒を連ねる「竹ノ内集落」、坂道にたった一軒残った茅葺き民家。

竹内集落は河内から二丈山を竹ノ内峠で越え、大和に入って最初の人里、かつて宿場としても栄え、古き良き景観を今に伝えて居る。

懐かしい家並みの中を旧竹ノ内街道を峠方面に登って行くと集落の最奥近く、一層登りがきつくなった坂道途中にこの茅葺き民家が有る。

母屋の茅葺き屋根は葺き替えられて間もないのか?バッチリ決まって揺るぎない。

棧瓦葺き下屋に両妻共に落棟を突き出した大和棟茅葺き屋根を載せている。

棟仕舞は瓦葺、高塀も備わり申し分ないコントラスト、向かって右側落棟の白壁には家紋が入れられ、意匠的にも洗練されている。

向かって左側の落棟には煙出し館、下屋は平入り、歴史を感じさせる重厚な玄関戸や出格子もちょっと出来過ぎ感が有る程スキがない。

今から8年前、2006年にこの地を訪れたときには、もう一軒茅葺き民家が残っていたのに今回訪れた時には綺麗さっぱり消え去り、現代風な建物が建って居た。

撮影2013.6.16


奈良市五条町 旧田中家住宅(昔の暮らし館)

2014年03月26日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

昨日の「田舎料理草ノ戸」より北へ直ぐ、県道9号線唐招提寺入口信号、北東角に建つ都跡(みあと)公民館用地に移築された茅葺き民家。

元は東大寺西方約1kmの法蓮南町にあった「法蓮(ほうれん)造り」と呼ばれる奈良市指定文化財、「旧田中家」茅葺き民家を平成2年現在地に移築復元された。

法連造りは町屋風の農家建築、江戸時代の法蓮村は、市街地である奈良町に隣接する農村で、農家は町家のように奥行きが深い宅地に隣の家と軒を並べて建ち、正面には町家のように「法蓮格子」と呼ばれる丸太の格子を設けたのも特徴だった。

旧田中家は「法連造り」の現存最古のもので現在の法蓮町には全く現存しない。

正面と背面には棧瓦葺きの庇(ひさし)を出し、両妻部は切妻屋根とし、焼板張りとしている。

入り口から入る光はザシキとニワ(ドマ)を仕切る土壁を照らし、ニワに設けられたカマドのうち一番大きな釜はカマクドサンと呼ばれ大切にされて居た。

撮影2013.6.29


奈良市六条町 茅葺き屋根(田舎料理-草ノ戸)

2014年03月25日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良市西の京、薬師寺近く、田圃の中に建つ「田舎料理草ノ戸」の茅葺き屋根。

道路側駐車場越しに見る母屋と入口門の茅葺き屋根は2006年5月、30年ぶりに葺き替えられ、今年で8年目・・・・まだまだしっかりしている。

西の京で明治時代に建てられた茅葺き民家を昭和45年に現在地へ移築し、田舎料理「草ノ戸」としている。

早苗の戦ぐ背に落棟煙出しの大和棟が良く映える。

向かって左側妻は入母屋造り、右側妻側から見る屋根と左妻側から見る屋根は全く違う様に見えるが、共に美しい。

撮影2013.6.29


奈良県大和郡山市 矢田町の茅葺き民家

2014年03月24日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

チャリで出掛けた大和郡山方面、市街北端矢田丘陵裾野集落で見つけた茅葺き民家。

付近は小規模な棚田の奥に小さな集落がポツポツ離れ建つ、昔ながらの景観を良く残す里山地域。

そんな集落の一つ、なだらかな緑の山裾に抱かれるように大和棟の茅葺き民家が見える。

しかし近づいてみると、最早棟飾りは全て無くなり母屋自体も風前の灯火・・・

隣地にに現代的な住宅が建てられ最早茅葺き本屋は戸締めのもぬけのからの様でした・・・。

もう一年近く前の撮影なので現在はどうなってる事やら??

撮影2013.6.29


桜井市 初瀬の丸彫り地蔵石仏:見廻り(みかえり)不動尊/他

2014年03月23日 | 石仏:奈良

初瀬の北端、村外れ、旧街道脇の地蔵堂に安置されている丸彫り地蔵石仏。

長谷寺の門前を越え、県道を道成りに北進、小さな在所を抜ける旧道に入ると左手高台に最近改修された真新しい地藏堂があり、脇に石造物が並び立っている。

地蔵堂の正面は目の細かい格子戸で殺され、いつもの様にコンデジのレンズだけ差し入れての撮影、おかげで正面のワンポイント撮影しか出来ません。

この地蔵は一石丸彫り、総高1.3m像高1mの定形地蔵立像、共石の蓮華座の上に立ち、二重頭光背を負っている。

像容は少し貧弱で力強さには欠けますが、丸彫り石仏の多くが江戸期以降の造立が多くを占める中、この地蔵立像は室町後期の造立と見られ貴重です。

堂外傍らには、高さ約50cmと小さいながら、これも室町後期の阿弥陀坐像石仏。

この先県道を100mも進むと、左手に何やら曰く因縁有りそうな木立と岩崖が有り、見廻り(みかえり)不動尊の説明板が見える。

高い岩肌上部、それもコケ類がまとわり付き、殆ど何が刻まれて居るのかも解らない始末・・・・・・。

像高1m足らずの不動明王が刻まれているようですがサッパリ、一度誰かが洗浄でもしてくれないものだろうか??

説明板には弘法大師云々と成って居ますが・・・・像容からは室町末期の造立だとされて居る様です。

撮影2012.4.14


室生 下笠間墓地蔵石仏

2014年03月22日 | 石仏:奈良

昨日と同じ下笠間墓地の棺台の前に立つお迎え地蔵さん。

集落を見下ろす小高い丘の上、墓地入口に棺台が置かれ、対面する簡素な覆屋に小石仏を従えるように祀れて居る。

中央に祀られた地蔵石仏は総高約1m強、舟形光背を負い二重蓮台の上に立つ定形地蔵立像。

地蔵立像は寸足らずの幼児体型中肉彫り、蓮弁は室町後期の特徴を良く表している。

光背右側下部に永禄二年(1559)の銘があり室町末期の造立。

ちょっと苔の掃除でもすればもっと目映え良く成るだろうに。

撮影2012.4.29


室生 下笠間墓地一石六体地蔵

2014年03月21日 | 石仏:奈良

集落を見下ろす小高い丘の上に、この地方に多い両墓制の墓地があり、その一角に野晒しの可愛い一石六体地蔵が置かれて居る。

下笠間は以前、このページの茅葺民家でも何度か取り上げた僕のお気に入りの場所・・・・・。

小高い墓地丘の頂上には山桜の老大木が有り、隠れた桜の名所として知られて居る。

老山桜の根元から一段下がった樒の根元に隠れるように写真の様な一石二段六躰地蔵と小石仏が置かれて居る。

頂部を少し山形に加工した板石状自然石表面を、枠取りした二段の方形を彫り下げ、中に三体づつの六体地蔵立像を中肉彫りで刻み出している。

総高70~80cm、六体共に形式化簡略化の進んだ像容・・・・

まるでちょっと笑顔のこけし人形を上下に並べ、草深い辺鄙な山里の野仏を地で行く素朴さが嬉しい。

山桜の老大木根元にも小石仏や古い墓石の集積。

撮影2014.4.29


三重県 名張市 薦生(こもお)桜堤の石仏

2014年03月20日 | 石仏:三重

石仏自身は敢えて取り上げる程のものでは有りませんが、石仏を取り巻く景観が素晴らしいのでUPしておきます。

上流、名張市街方面より下ってきた名張川は、ここ薦生(こもお)辺りで大きく左巻きに蛇行、集落を囲む左岸、桜堤の北端、薦生橋の畔に祀られて居ます。

散り染の桜が少し残った4月15日、界隈の花見も兼ねてこの地にも足を伸ばした。

高さ約1m足らずの花崗岩自然石の表面を整形、ちょっと物足りない舟形光背を彫り下げ、中に像高50cmばかりの地蔵立像を中肉で刻み出している。

その像容は近世仏に多い力量のない貧弱なものですが、この石仏も暴れ川の犠牲者を悼んで造立されたものでしょうか??

撮影2012.4.15


名張市赤目町長坂 地蔵立像線刻磨崖石仏(赤目地蔵)

2014年03月19日 | 石仏:三重

時期が悪かったのか?時間が悪かったのか??多分それより撮影技術が不味く、どうにも見辛い線彫りの地蔵磨崖仏。

赤目48滝で知られる赤目峡谷の直ぐ下流、渓谷を流れる滝川左岸遊歩道脇、ちょうどキャンプ場対岸辺り、斜面から突き出した岩塊に子供のイタズラっぽい線彫り石仏。

写真が不味くてさっぱりですが・・・・像高1mばかしの錫杖を持つ定形地蔵立像。

室町後期の特徴ある蓮座に立ち、素朴ながら手馴れた彫りで形の崩れた江戸中期以降のものとは一線を隔している。

撮影2012.4.30


名張市赤目町 柏原墓地一石六体地蔵

2014年03月18日 | 石仏:三重

名張市、壇墓地の傍ら、地続きに有る墓地の一石二段六地蔵。

ここが柏原墓地だと言うことは地元民でない限りは解らない・・・それと言うのも柏原集落にはちゃんと別の墓地があります。

それと言うのも合併の繰り返しで(あざ)名の無くなってしまったしまった集落がもう一つ在ったようです。

小さな墓地内、緑が一段と濃くなった一画に普通の墓石と同じように並んでいます。

ちょっとオーバーハング気味な、縦長板石状花崗岩自然の表面に三体づつ、二段重ねで六体地蔵として居てちょっと珍しい。

六体の地蔵はそれぞれ独立した舟形光背を彫り沈めた中、中肉彫りの立像としてで刻み出している。

総高約1m弱、江戸中期頃の造立だと思われるが、像容は思いの外しっかりしている。 

撮影2012.4.29


名張市夏美 積田(つむた)神社の石仏

2014年03月17日 | 石仏:三重

積田神社の長い参道入口脇にずらっと並べられた石仏です。

青蓮寺ダムより流れてくる名張川と、比奈知ダムよりの名張川が合流する地に鎮座する積田神社は、南都「春日大社奥宮」と称される古社

当然この古社にも神宮寺なるものが有り、参道脇の石仏もその遺物なのだろう・・・・。

一同の中一番目立つのがこの地蔵石仏、具象性に欠けますが、半肉彫り地藏石仏としては珍しい坐像です。

向かって左側の石仏さん、錫杖がまるで相合傘のようにディフォルメされ、何故か顔が削ぎ落とされて居ます。

向かって右側にはこの地方独特の地蔵と背光五輪塔の双体仏??

その隣には延宝五年丁巳(1677)月輪内に勢至菩薩の種子「ア」陰刻した二十三夜供養塔

全て江戸中期頃の造立。

撮影2012.4.15