愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

滋賀県多賀町 萱原((かいはら))集落

2013年12月31日 | 街道街並集落 景観 

   

湖東北部、山間集落の多い多賀町に在って、比較的過疎化も緩やかで民家も多く、限界には至って居ない。 

集落は琵琶湖に注ぐ犬上川の上流域、犬上ダム湖直下の谷間集落。

君ケ畑方面より県道34号線で下って来ると、廃村「大萩集落」の手前で大きく左折、冬期通行止めの看板の有る道をそのまま進めば、犬上ダム湖を越へ萱原に出る。

下流側から犬上川沿いに来ると比較的道路も良く、バスも通って居る様です。

そんなバス停広場にはこの地に伝わる昔話の主人公、ニジョウボン(二丈坊)と呼ばれる大きな木偶が睨みを効かせて居る。

周囲を山肌に囲まれた集落は約100軒ばかりの民家が建ち並び、こんなドン突き集落にしてはいかにも大きいのは何故だろう??・・・・。

グーグルアースで眺めて見ると茅葺き屋根に見える民家が数多く見えるが、現地に行くとこの通り 。

一見茅葺き屋根に見えた民家には悉く覆い屋根が掛けられ、茅葺き屋根は皆無でした。

それでも山間僻地の集落には懷かしい景観が色濃く残って居ました。

撮影2010.11.27


奈良県宇陀市 諸木野(もろきの)集落

2013年12月30日 | 街道街並集落 景観 

諸木野集落は、室生谷とその西側、国道369号線が走る榛原谷?を隔てる三郎岳西側斜面に軒を連ねる。

グーグルアースを覗いて居ると、何軒もの茅葺き民家らしき建物が見える事も有り、訪ねてみた。

集落はまるで隠れ里、国道369号線の解り辛い諸木野への進入口より、林道を車で10分近く・・・・、突然視界が開けて集落に入る。

この地はその昔、諸木野宿と言われ、伊勢本街道が通り、八軒もの旅籠や関所も設けられて居たらしい。

しかし現在は鄙びた山間集落、画像に写って居るのが集落の殆どで民家は10軒ばかし・・・。

大きな大和棟の民家や切り妻屋根の建物も見えるが、その全てに覆い懸けが施されて居ました。

しかし隔絶されたようなこの山間集落の景観は、捨てがたい懐かしさを残し、郷愁を掻き立てるには充分過ぎる。

撮影2013.5.3


和歌山県かつらぎ町 平(大久保)の茅葺き民家-2

2013年12月29日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

前回紹介の茅葺き民家とは集落の辻を挟んで対峙するように建つ。

この屋敷を一段下がった畑地に、赤い実を一杯付けた渋柿の老木、その奥にまるでお誂えの様に茅葺き屋根の納屋。

なんとか持ち堪えてると云う程の風情が堪らなく良いと・・・・・・

方角をずらしてみると・・・・なんと正面は骨だけの骸骨状態・・・・・、このまま朽ち果てるのを待って居るのだろうか??

上部屋敷の茅葺き屋根もどことなく歪みが来ているような・・・・。

今度来た時にはこの母屋も、下の納屋も、跡形もなく消えてるかも???

いくら景観を愛でたところで、それでこの集落の腹は満たせない。

撮影2013.12.4


和歌山県かつらぎ町 堀越の茅葺き民家-2

2013年12月28日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

堀越観音境内より見渡すと色付いた柿畑の奥に茅葺き屋根の妻が真正面に見える。

堀越集落で、古民家を利用した古民家カフェ「月空(つきそら)」さん。

堀越観音に登って来るまではどうも見落として居たようです・・・・。

四方周りの棧瓦葺き下屋に、入母屋茅葺き屋根を載せた一般農家の建物。

僕が訪れたのは月曜日、この店は週末土日と祝日のみの営業でその日は誰も居ない留守状態でした。

多分元々農家だったのを軽く改装、茅葺き茶屋として営業している様です。

こういう形ででも残って貰えるのは嬉しい限りの茅葺き民家です。

撮影2013.11.12


和歌山県かつらぎ町 平(大久保)の茅葺き民家

2013年12月27日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

かつらぎ町「串柿の里」、最後の茅葺き民家は堀越集落より谷を挟んで対面する大久保集落で見掛けた。

これは背後の柿畑より撮った一枚・・・・・採り残された哀れ柿に茅葺き屋根は似合い過ぎ。

「串柿の里」として一番行き易く、かつ有名な平集落を経由、軽四1台がやっとの様な林道を大久保集落へと向かった。

やっぱりここも「天空の里」、堀越集落には及ばないながら標高約530m、集落から見下ろす景観は素晴らしい。

大久保集落は山肌に拓けた斜面3段程に分かれて約30軒。

集落内を縦断する道路に面して茅葺き民家。

両妻側を大きく突き出した入母屋の葺き降ろし屋根が素朴で美しい。

僕の記憶に残る我が家の隣家もちょうどこんな風だった・・・・そろそろ葺き替え時も間近に迫っていそうで行末がちょっと心配。

目の前の串柿棚越しにも茅葺き屋根の民家・・・。

しかし葺き替え時期はとっくに過ぎてブルーシートが痛々しい。

撮影2013.12.4


和歌山県かつらぎ町 堀越の茅葺き屋根(堀越観音)

2013年12月26日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

堀越集落を代表する「堀越観音」の茅葺き庫裡(寺務所?)。

長く険しい集落への道を登りきった集落入口、左手高台に建つ堀越観音、正式名称はと検索したが、寺号や山号も無く「堀越癪観音」だという。

所謂ここは宗派を持つ寺院ではなく、村の観音堂の類らしいがそれにしては規模は大きい・・・・。

駐車場から参道を登ると公孫樹の大木と山茶花の老木越しに茅葺き屋根が見える。

観音堂前の大公孫樹にはしめ縄、その奥に茅葺き入母屋の三角妻が格好良い。

寺務所取いえども民家そのままの佇まい、縁先には談笑用のお茶の用意・・・・・

この佇まいは庭先に赤い柿の実が実る山里の農家そのもの・・・、ただ傍らの郵便ポストは集落の中心だということを示して居る。

撮影2013.11.12


和歌山県かつらぎ町 堀越の茅葺き民家

2013年12月25日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

堀越観音で名の知れた「串柿の里」四郷では最高峰、標高約650mの堀越集落で出遭った茅葺き民家。

前回紹介、神野集落より南へ一山越えた燈明岳南斜面、広がった柿畑を前に十軒にも満たない民家が軒を並べる。

その殆どが、こうした茅葺き屋根に覆い懸けしたもので、40~50年前にはどこの里山でも見られた懷かしい景観を彷彿とさせて呉れる。

そんな山裾高台に、茅葺き屋根に大きな「棟覆い」を掛けた民家を見つけた。

正面茅葺き屋根の半分近くが覆い屋で隠されて居るとは言え、それでも茅葺き屋根が残って居るのは嬉しい限り。

赤い覆い屋根の離れ家、半分茅葺きを残した主屋、脇の串柿棚と、赤い実をいっぱいに付けた柿の木・・・・宙を走る電線がいかにも煩わしい気がしますけど・・・これが現実。

かど先までお邪魔してみると、葺きおろしの茅葺き屋根と下屋の素朴な感じが何とも嬉しい懐かしさを感じさせて呉れました。

撮影2013.11.12


和歌山県かつらぎ町 神野の茅葺き民家-2

2013年12月24日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

昨日紹介の神野集落入口、登り坂に新しくコンクリート擁壁を設えた上に建つ、まだ新しい茅葺き民家。

NET地図で調べて見ると一般民家ではなく「風来坊」と言う田舎料理店だった様です。

1970年代の古い地図を見てみるとこの土地には確かに茅葺き民家らしき建物が有り、下屋は改修され、真新しくなったのだろう・・・。

この地域に多い破風口の小さい入母屋を載せ、棟と裏屋根は略式のトタンで葺いて居る。

この家の脇、斜面を登った小さな神社から眺めた茅葺き屋根はやっぱり絵になる景観でした。 

撮影2013.11.12


和歌山県かつらぎ町 神野の茅葺き民家

2013年12月23日 | 茅葺き屋根(同)和歌山県

「吊るし柿の里」として知られる、和歌山県かつらぎ町四郷地域には茅葺き民家とそれに似合う干し柿棚が見られそうなので出かけて見た。

かつらぎ町四郷地区は大阪府和泉市や河内長野市と境を接する「葛城和泉山系」の南面する山塊にポツポツと集落が有る「天空の里」・・・・。

中でも、ここ神野集落は大阪河内長野市の秘境、滝畑と背中合わせのかつらぎ町最奥地にあり、海抜600mばかりの斜面に植えられた柿畑の中に、10数軒ばかりの民家が軒を寄せ合う、正しく「天空の里」。

集落の最奥、正楽寺の境内脇に入母屋葺き降ろしの茅葺き民家がある。

柿畑と串柿棚を目の前にし、石垣積みの屋敷には茅葺き主屋、白壁土蔵、離れ屋など3~4棟が建つ。

正面、串柿棚より見た葺き降ろし茅葺き屋根は見事に美しい・・・・。

遥か串柿の「天空の里」でこんな素晴らしい景観に出逢えた事に感謝感激。

ちなみに、この茅葺き民家は平成24年11月25日、TV旅番組「遠くへ行きたい」に登場した串柿民家のようです。

撮影2013.11.12


名張市奈垣  国津神社不動明王磨崖仏

2013年12月22日 | 石仏:三重

名張市の南方山中、奈垣国津神社境内脇に露出する大岩に刻まれた不動磨崖仏。

奈垣は比奈知湖と青蓮寺湖に挟まれた県道693号線沿いにポツポツ軒を連ねる鄙びた農山村、わずかばかりの棚田が谷川沿いに広がって居る。

集落のすぐ近くにまで山肌を削った大新興住宅団地が押し寄せているが、この谷間は全くどこ吹く風・・・・、時間が止まったような景観を今に残している。

集落の奥へと続く道筋沿いに奈垣国津神社が鎮座、一昔前には幽玄の地だったろうに??、この奥にゴルフ場が出来、道は広く新しくなり、神社もそれなりの姿に成って居る。

境内崖下、細いたにがわ沿いに突き出した大岩に、それこそ漫画の様な不動明王が刻まれて居る。

どこからどう見ても褒められたものでは有りませんが・・・・像高60cm、火焔光背や剣索も備え、それなりの姿には成って居ます。

稚拙な素人彫り感の拭えない像容ですが、今でもしっかり信仰の対象として信仰されて居るようで微笑ましい。

撮影2012.4.8


名張市 青蓮寺墓地の一石六体地蔵石仏

2013年12月21日 | 石仏:三重

前回紹介の青蓮寺近く、正面に新興大団地を見渡す高台に青蓮寺集落の墓地が在り、ここにも一石六体地蔵石仏が有る。

この近辺、どこの墓地に行っても見ることが多い一石六体・・・・この墓地では阿弥陀や地蔵の小石仏を脇に山形自然石に刻まれていた。

整形した正面の中央に長方形を彫り下げ、中にこけしの様に単純化された六体地蔵を刻み出して居る。

単純素朴な分、味わい深いものも感じられる・・・。

撮影2012.4.8


名張市 青蓮寺三十三観音板碑

2013年12月20日 | 石仏:三重

青蓮寺川を堰止めた青蓮寺湖の近く、真言宗醍醐派の古刹「多宝山地蔵院青蓮寺」境内に立つ三十三観音石仏。

青蓮寺は、ダム湖西側の小高い山頂(丘?)に境内を構え、大きな丸団扇の様な樹形の楠が聳えて居るので良くわかる。

境内から見下ろす景観は鄙びた山里を満喫でき、のんびり癒しの時間を過ごせる事間違いなし・・・。

集落を見下ろす境内片隅に3~4体の石造物と、この一石三十三観音石仏が無造作に立ち並んで居る。

三十三観音石仏は、頂部を駒形状の整えた高さ約1.2m板石状花崗岩の正面に西国三十三所観音を刻み出す。

五列六段、最上部に三観音をそれぞれ舟形の中に刻み出し、一石三十三観音として居る。

江戸時代中期、享保12年(1727)建立・・・・・、当時西国巡礼にはとても旅立てなかった山村の地にも西国三十三観音の功徳が喧伝され、その功徳に少しでもあやかろうと、建立されたのだろうか??

撮影2012.4.8


名張市長瀬 不動寺の六地蔵石幢

2013年12月19日 | 石仏:三重

上長瀬国津神社の下流約1.5km、国道より少し入った長瀬集落、不動寺に立つ六地蔵石幢。

不動寺は真言宗豊山派に属し、以前は隣に鎮座する国津神社と境内を一にしていただろう古刹です。

この境内には「不動寺のカヤ」と呼ばれる榧の巨木が在り、以前にも訪れ、石幢も撮影したのだが上長瀬に来た序でに再度撮影、ここにUPします。

榧の巨木の木陰、境内登り口脇、境内端に他の石造物と並び建って居る。

石幢は高さ2mばかりの石灯篭型、中台に載る六角龕部六地蔵が刻まれて居る。

龕部に長方形型を彫り、中に像高25cmばかりの六体地蔵を中肉彫りで刻み出して居る。

しかしどう見ても稚拙で、定型化略式化されたその像容からは中世までは遡れない。

撮影2012.4.8


名張市上長瀬 国津神社の石仏

2013年12月18日 | 石仏:三重

名張市の南郊外、曽爾山系を縦断する国道368号線沿い、上長瀬国津神社境内の上長瀬庵に安置されて居る大きな石仏さん達。

上長瀬は木津川に注ぐ名張川のずっと上流域に在り、山間僻地の小規模な棚田を前に懷かしい景観の集落です。

蛇行する名張川右岸、旧道脇に国津神社が有り、境内脇に集会所を兼ねた上長瀬庵と呼ばれるモダンな小堂が建ち、石仏を安置して居る。

扉を開け中に入ると正面に三体の石仏・・・・向かって右から一石三十三観音石仏、中央には阿弥陀立像、左端には、ちょっと妙な笠塔婆。

一石三十三観音石仏は高さ2mばかりの舟形の中に五段六列、その上に三仏を配置し三十三観音として居る。

最上部には略式の天蓋、最上部中央には西国一番札所「那智山青岸渡寺」の如意輪観音・・・・

各尊はそれぞれ蓮台に載る高さ約20cmばかり、所々に欠落は有るものの保存状態も良さそう・・・

左端には三十三観音石仏を示唆するような笠塔婆・・・・

正面下部には「奉納 西国三十三所祈願礼 貞亨元年(1684)八月十日」と刻まれ、また、元禄二年(1689)銘を持つ、伊賀市青山別府の「十王石仏」と同作風により、それより少し先立つ造立だと思われる。

一方中央に立つ阿弥陀石仏は・・・

高さ2m足らずの舟形自然石の正面を鏨痕を残して彫り下げ、うちに1m足らずの阿弥陀立像?を厚く刻み出す。

この石仏は火災に遭い、殆ど頭部のみを残し無残な姿似成っています。

頭部には頭光背、穏やかで端正な顔立ちは、おそらく室町期中期前の匂いがします。

首の断裂跡がいかにも痛々しいが、尊顔だけが無傷に近いのは、奇跡だとしか言い様がない。

上長瀬の昔話に行者堂が火事に成ったと言う行が有りますが、その火事の犠牲者かも・・・。

撮影2012.4.8


宇陀市榛原 額井(ぬかい)の青面金剛石仏

2013年12月17日 | 石仏:奈良

最近になり思い出し、大宇陀からの帰り道に寄ってみた庚申さん。

もう7~8年前にはもっと大きなお堂で、もっと賑やかに祀られていた様な気がする。

今でも新しくなった小さな祠の軒先には布製の庚申猿がぶら下げられ、それはむかしのままなのだが・・・・

額井の集落は大和富士と呼ばれる額井岳の南面山裾、十八(いそは)神社より眼下に連なる棚田沿いにポツポツ民家が建ち、素晴らしい山里の景観が広がる。

その棚田中段辺りの道路脇に庚申堂が有る。

七年前に撮影したもの・・・今回はお堂が小さくなった分付属物は無くなった。

独特な像容の青面金剛石仏は、室生寺の軍茶利明王篠楽の青面金剛石仏などと共通な、江戸時代中期の享保12年(1727)刻銘、及び同作風を持ち、同作者の手に拠るものだと考えられて居る。

その、どの像を見てもユニークさに溢れた漫画の先駆でも有るかの様です。

撮影2006.11.24