南山を下った後、どうしようかという事になって、それならと昨日自転車では周り切れなかった、慶州市街東方の金剛山西麓に有る堀仏寺址石仏まで走らせて貰った.
後にも2~3廻りたいところはあったが、こちらの山は殆ど車がはいらないので一つ一つ訪ねて廻るのに時間がかかってしょうがない。
オマケに右も左もわからずハングルも話せず、こちらに居るときの3倍ほどの時間がかかる。
此処はタクシーが山道の石畳参道を登り石仏の目の前まで行ってくれた、こっちは参道ぐらい歩いてみたかったけど・・・、しゃべれないと色々マズイ。
掘仏寺(クルプルサ)というう妙に意味ありげな名前はその字でも示すように『三国遺事』の次のような説話に基づいているという・・・・・。
<新羅第35代景徳王(742~765)が柏栗寺の近くまで出かけると地中から念仏の声が聞こえて来るので掘ってみると仏像の彫刻された大石が現われ、王は四方仏が出てきたところに寺を建て、「地中から仏を掘り出した」という意味で掘仏寺と名づけた。>
その新羅の時代に創建された掘仏寺(クルブルサ)は、かつて新羅仏教のメッカとして栄えましたが現在は数体の仏像と寺院址に残るこの石仏のみとなっている。
石仏は日本では見ることの出来ない特異な形式で高さ約3mの大きな岩の東西南北に9体の仏像と菩薩像を彫刻した一種の四方仏です。
四方仏は四方浄土を象徴するもので、大乗仏教の発達とともに当時盛行した信仰形態の一つで主に西に阿弥陀如来、東に薬師如来、南に釈迦牟尼仏、北に弥勒仏をまつったとされている。
正面西面の阿弥陀如来は胴体だけを岩面に彫刻、頭部は別石に彫刻、組み合わせた特異な構造、左右脇侍菩薩は大岩とは別の独立した石で造った後に両脇に立てると言う特異さです。
南面には釈迦三尊仏と思われる彫刻が在ったのですが、左側の菩薩の全体と本尊仏の頭部は日韓併合時代初期に切り取られて行方知れずになっているようです。
日本のどこかに眠っているのかも???
撮影2010.10.17