愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

堀仏寺(クルブルサ)址,四面石仏

2010年10月30日 | 韓国 石仏:史跡他

南山を下った後、どうしようかという事になって、それならと昨日自転車では周り切れなかった、慶州市街東方の金剛山西麓に有る堀仏寺址石仏まで走らせて貰った.

後にも2~3廻りたいところはあったが、こちらの山は殆ど車がはいらないので一つ一つ訪ねて廻るのに時間がかかってしょうがない。

オマケに右も左もわからずハングルも話せず、こちらに居るときの3倍ほどの時間がかかる。

此処はタクシーが山道の石畳参道を登り石仏の目の前まで行ってくれた、こっちは参道ぐらい歩いてみたかったけど・・・、しゃべれないと色々マズイ。

掘仏寺(クルプルサ)というう妙に意味ありげな名前はその字でも示すように『三国遺事』の次のような説話に基づいているという・・・・・。

<新羅第35代景徳王(742~765)が柏栗寺の近くまで出かけると地中から念仏の声が聞こえて来るので掘ってみると仏像の彫刻された大石が現われ、王は四方仏が出てきたところに寺を建て、「地中から仏を掘り出した」という意味で掘仏寺と名づけた。>

その新羅の時代に創建された掘仏寺(クルブルサ)は、かつて新羅仏教のメッカとして栄えましたが現在は数体の仏像と寺院址に残るこの石仏のみとなっている。

石仏は日本では見ることの出来ない特異な形式で高さ約3mの大きな岩の東西南北に9体の仏像と菩薩像を彫刻した一種の四方仏です。

四方仏は四方浄土を象徴するもので、大乗仏教の発達とともに当時盛行した信仰形態の一つで主に西に阿弥陀如来、東に薬師如来、南に釈迦牟尼仏、北に弥勒仏をまつったとされている。

正面西面の阿弥陀如来は胴体だけを岩面に彫刻、頭部は別石に彫刻、組み合わせた特異な構造、左右脇侍菩薩は大岩とは別の独立した石で造った後に両脇に立てると言う特異さです。

南面には釈迦三尊仏と思われる彫刻が在ったのですが、左側の菩薩の全体と本尊仏の頭部は日韓併合時代初期に切り取られて行方知れずになっているようです。

日本のどこかに眠っているのかも???

 東面には左手に薬盒を持った薬師如来坐像が中央に大きく一体だけ。

北面には何故だか二菩薩像が彫刻され、左側一体の頭部は欠損している。
西面、正面に当る如来像と菩薩像、下は如来像頭部です。

撮影2010.10.17

MAP


南山、三陵渓谷の石仏-2

2010年10月28日 | 韓国 石仏:史跡他

前回紹介した石仏坐像辺りから道は険しくなり、ヒイヒイの思いで運転手ガイドに着いて歩くのが精一杯。

高さ10mばかりの岩山上半部に刻まれたちょっとユニークな磨崖石仏です。

顔つきもさることながら彫方もユニークで、顔面と体躯はレリーフ調薄肉彫り、他の台座や光背は線彫りで蓮台の上に坐す如来形石仏です。

世俗的な顔容で全体的に腫れぼったく丸顔、半眼で団子鼻、唇は厚くタラコ唇、いかにも親しげな石仏です。

石仏の前からはこんな景色、黄色く見えるのは刈り入れ前の田んぼです。

全般的な彫刻様式や世俗化された顔の表現などから、新羅末期または高麗初期の作品と推定されているようです。

ここより急な登となって上禅庵の庵へと続く・・。

こんな山奥の小さな庵にも法灯を守り続けている聖職者が住まいしていてちょうどハイカーの休憩場所にも成っている。

この三稜谷一番の石仏はさらにこの庵の背後岩山を登った上の岩壁に光背ごと彫り出し、その前面に高肉彫りの釈迦如来を刻んでいる。

頭部は鮮明に良く仕上げられているが体躯は荒削りで線彫り様式、像高7m、この三稜谷一番の大きさを誇る磨崖釈迦如来坐像です。

表情豊かな顔、丸い眉毛に半眼の目、口は強く閉じられ全体的な彫刻手法から見て、統一新羅時代の後期に造られたものと見られているようです。

ここから見る景色はさらに絶景、案内人運転手は優雅に携帯、こっちはヘトヘト休憩中。

しかしこの先頂上に着いてその先、やっぱりハングルが読めない,喋れない哀しさ、案内人はどんどん先へ、どうも最初に打ち合わせたのとは逆の方に向いてるような??

こっちは又、近くの石仏でも寄ってから目的地の葺長寺址に向かうものだと、たかを括っていたがその気配もなくどんどん逆方向に下って行く。

ここで言わなきゃと地図(日本語の)を指し示して言って見るがあとの祭り、もうここからでは遠くてダメだと言わんばかり、無理強いも出来ないのでケンチャナヨと引き下がった。

通り一遍のツアー旅行ならいざ知らず、マイナーな自由旅行では電子辞書か、せめて道路案内ハングルが読めるぐらいにはしておかないとどうにもならない事を痛感する。

仕方が無いのでそのまま幹線ハイキング道をトボトボ下る。

下り道でもう1箇所見つけた石仏、これでなんとか今回は我慢しよう。

この磨崖仏には最近に成って「太和九年乙卯」の銘が見つかり新羅時代の835年に造立されたものと判明した。

 

正面には、左手、薬師如来と右手、如来型坐像、右側の岩にはやはり薬壷を持つ薬師如来坐像、薄肉彫りの簡略化した彫方です。

この後,鮑亭横の登山入口まで下って南山登山はボチボチ、チンタラで約三時間半。

撮影日、MAP共に前回に同じ。  


慶州 南山三陵谷の石仏

2010年10月27日 | 韓国 石仏:史跡他

 いよいよ南山でも一番石仏が集中しているという三稜谷に沿って登る南山登山の始まりです。

この日は前日にホテルで手配して貰った登山案内も兼ねた個人タクシーを一日借りきりました。

とにかく一日込々の120000ウオン、日本円では10000円強、それが安いか高いかは解らないけれど、広くて谷筋の多い南山、ハングルの解らない夫婦2人では覚束無いと思った。

お互い片言の日本語と片言のハングル、行き違いも少しは有ったけどまあこんなもんだと・・・、次回は少しハングル勉強しようかな???。

,南山三稜谷の登山道始まり辺りは素晴らしい松林が広がり、土曜日で天気も良いせいか、ハイカーも多く見かけた。

最初に出会った三陵谷如来石仏坐像です。

1964年8月に東国大学の学生たちにより、現在地約30m南側の地中で仏頭がない状態で発見されたと云うことで、まだ探せば仏頭が出てくるかも??

次に出会った磨崖観音石仏、このまま日本で出逢っても何の違和感もないほど・・。

 

口元には少々紅が残っている様にも・・・。

ここまではらくらくハイキング。

小さな山の様に見える大岩の表面二箇所にそれぞれ三尊仏が線刻されていて圧巻の大きさ。

前方の岩には中尊の如来と立ち姿の二体の菩薩。

 

 

奥の岩には坐像の三尊仏,あわせて線刻六尊仏と呼ばれているようです。

ここまで歩き始めて約45分、登り約半分。

次に見えたのはこの石仏坐像、殆丸彫りに近く、大きな光背を背負った如来型石仏で

 統一新羅時代の8世紀後半から9世紀前半に作られたものだと考えられています。

ここまで前半としてUP.続きは又後ほど。

撮影2010.10.17

MAP


慶州,南山拝里(ベリ) 三尊石仏

2010年10月27日 | 韓国 石仏:史跡他

南山東麓から西麓に廻って最初に訪れた石仏。

ここは南山中最も石仏が集中している三稜渓谷登山道の入り口、三仏寺に隣接している小高い台地の覆堂に安置されている。

元は現在地から少し登った斜面に倒壊していたものを1923年に復元したものだそうで、もともとこのような三尊形式の石仏で有ったのかは定かではないとか?

写真でも解る様に中央には釈迦如来を思わすような堂々とした体躯の如来石仏立像、それぞれ左右には菩薩型石仏が安置されている。

中尊の如来型石仏もさることながら特に左手の菩薩石像はその彫刻も素晴らしいく、童子を思い浮かばせる様な幼い笑をたたえ、少し首をかしげているようにも見えてなんとも微笑ましい。

中尊は像高226cm、右手は施無畏印、左手は与願印を結び、光背は肉厚の仏身にふさがれている。 もとの台座は失われ、現在の自然石の台座は復元の際に製作されたようです。

向かって左手の菩薩像は像高、2.3m、胸飾・臂釧・瓔珞などの装飾も素晴らしく、光背にも5体の化仏が彫刻されている。

台座も唯一当時のものだそうです。

向かって右手の菩薩像、像高は右手の菩薩像にほぼ等しい。

彫刻様式などから3像とも三国末期7世紀の作品と推定されているようです。

これほど大きな丸彫りに近い石仏が7世紀には彫られていたという事実と、それがほぼ完全な形で残されていたと云うことには驚かされました。

近くの拝里三稜。

撮影2010.10.17

MAP


慶州南山 仏谷(ボチョゴル)石龕仏坐像

2010年10月26日 | 韓国 石仏:史跡他
この石仏の有る仏谷は、南山の山裾が東方から北方の回りこむ辺り の斜面の山道を15分ばかり歩いた所、突然現れる巨石の突起部に舟形光背状の穴を穿ち、その奥壁に厚肉彫り石仏??が座している。
 
一目見た時これが石仏かと思うほどの庶民的な親しさのが感じられる顔立ち、チマチョゴリを纏ったような様ないで立ちで「仏谷のオバサン」と親しく呼ばれているようです。
 南山に数多く残された石仏の中でも一番古いと考えられ、保存状態も最も良いとされています。
結跏趺坐したその姿から石仏だと言われればそうなんだろうけど??、僕たち日本人の常識破りの姿です。
こうした構造は他では見られないそうで、二重の蓮弁が支える台座に座るこの石仏は統一新羅時代8世紀後半の作と思われ、阿弥陀如来と推定されたりもするが、印は衣の中に有ってどうも良く解らない石龕仏です。
撮影2010.10.17

慶州 南山弥勒谷(ナムサンミルクゴク)石仏坐像

2010年10月25日 | 韓国 石仏:史跡他

南山東斜面の、昨日紹介した塔谷磨崖像群の有る集落より直ぐ南隣の集落「ケツ村」をどんどん奥に進んだ斜面に最近再興成ったと云う菩提寺がある。

道は険しいながらもタクシーが何とか門前まで行ってくれてラッキー、一作日レンタサイクルで探したときには見つからずじまいに成っていた。

三聖閣という真新しい仏堂の左高台に端麗で慈悲感あふれるこの弥勒如来坐像が蓮台石盤の上に坐している。

我が奈良當麻寺金堂にある国宝「弥勒坐像」の原型としても知られるこの石仏はいかにも優雅で口元の微笑も日本人好み。

像高約2.5m、堂々とした丈六仏で統一新羅全盛時代の造立にしては風化も少なく保存状態もこの上ない。

舟形二重光背にも雲形模様,化仏等の細かい細工が施されているのがはっきりと確認出来る。

裏側に回ると光背裏面には薄肉彫りではあるが薬師如来坐像が刻まれてるのが見える。

慶州の古刹では当たり前の様に有る三層石塔がここでも見られた。

撮影2010.10.17

MAP


慶州 南山塔谷磨崖彫像群

2010年10月24日 | 韓国 石仏:史跡他

南山の北端キョンジュ市街に近い東斜面の古寺脇に有る大岩に彫られた磨崖彫像群で、この様な類のものは日本では見かけない。

小さな集落の奥から谷筋に沿って延びる車が1台通るかどうかのような山道を行くと、結構大きな空き地が有って其の奥に民家のような建物。

車をこの空き地に置き建物の奥に進むと小さな崩れかけたような玉龍庵が有り其の左脇手斜面に直立する黒っぽい大岩におびただしい数の仏像や塔などが彫られていて驚かされる。

高さ約10m、幅約30mの大きな岩壁と周囲の岩に仏像・菩薩像・塔をはじめ飛天像や樹木など合計34点が絵画のごとくに描写、彫刻されていて、其の一つ一つを克明捉える事もできないし、まして詳しい説明など僕には出来かねる。

ただ何と云っても圧巻は正面両脇に彫られた七重と九重の塔と、其の中央に座す天蓋をもった如来形石仏。

薄肉レリーフですが痛みも少なく、塔の下には雌雄一対の獅子像が刻まれている。

正面は北面になるそうですが、斜面を右手、東面に廻れば仏像と菩薩像をはじめ、木の下で禅を組む僧侶像と神将像・飛天像など、最も多くの彫刻が配置されている。

斜面を登りきると岩の頂上付近、岩から少し離れて三重石塔、南面になる岩には少し荒削りで彩色跡の残る三尊仏坐像と菩提樹。

少し斜め右前方に別石で如来形立像と思われる丸彫り石仏、頭部から顔半面が欠損、左手を腹部においているので女性からは、お産のカミサマと信仰されているらしい。

最後斜面を下り西面には如来坐像を中心に左右にそれぞれ樹木が彫刻され、上部には飛天も見える。

南山の数多く有る石仏としてはちょっと異例な石仏のようです。

此処は南山石仏でもラクショウだった。

 撮影2010.10.15

MAP


慶州 良洞里村 (ヤンドンリマウル)

2010年10月23日 | 韓国 石仏:史跡他

せっかく、慶州まで来たのだから、ちょっと無理してでも此処はなんとしても訪れておきたかった。

韓国通の知り合いに紹介してもらったあちらの人に無理を云い、慶州市内から車で約1時間弱かかるこの良洞里民俗村 に案内してもらった。

村自体ががユネスコ世界遺産に登録されている韓国朝鮮時代の典型的な両班村でもう日本では失ってしまった懐かしいふるさとの匂いも感じることが出来る。

まるでタイムスリップしたような佇まいとわたる風のにおいは遥か昔僕が物心つき始めた頃の農村を彷彿とさせてくれる。

村は150軒余りの瓦家と藁葺屋根が混在した農村で、特に丸みを帯びた藁屋根にはなんとも云えない郷愁を感じてしまう。

石をはめ込んだ土塀、其の上の草屋根・・・。

日本で言えば何に当るのだろうか??中には大きな石碑の様なものが祀られていた。

子供は何処でも一緒、かわるがわる中を覗き込んでいる。

 

此処は観稼亭、「穀物が良く育って子孫が無事成長するように・・・」とか??

観稼亭付近の高台より・・・・向こうに見える立派な建物は香壇(ヒャンダン)

 

香壇(ヒャンダン)は高級官吏が母親の為に建てた別荘のようなものか??。

瓦屋根民家と藁屋根民家、この集落は豊かな集落だと思った。

集落の一軒で手作りお菓子を買って食べた、10個入り、3000ウォンだったかな??

此処は心水亭(シムスジョン)と呼ばれる東屋。

集落は時間が止まったような懐かしさを見せてくれる。

片田舎の農村だった僕の生まれた土地がそのまま甦ってきたような・・・そんな音とそんな匂いのする空間でした。

撮影2010.10.15

MAP


慶州(キョンジュ) 仏国寺(プルグクサ)石塔、他

2010年10月23日 | 韓国 石仏:史跡他

慶州(キョンジュ)に行ったら誰もが訪れるであろう仏教遺跡で世界遺産にも登録されている。

この日も生徒の修学旅行か子供が一杯、日本で言えば奈良の法隆寺???。

近くのコーロンホテルに宿を取っていたのでホテルから歩いて朝一番の参拝となった、ホテルからは約10分、ちょうど良い朝の散歩。

朝8時と云うのにこの有様・・山門前

手前、蓮華橋・七宝橋

こちらは、青雲橋・白雲橋

参道を約5分、仏国寺と言えばこれらの写真。

 

左脇に廻れば鐘楼・・・・

その脇には一時日本がもち帰ってたという石幡??

壮大な伽藍も豊臣秀吉の文禄の役で石造物と金銅仏を残してすべて灰塵に化したとか。

極楽殿とその内部。

その後再建は続くも荒れ果て今の姿に再建されたのは二〇世紀も後半になってからだとか・・・・・。

三層石塔と多宝塔は灯籠を挟んで極楽殿の前に並び建つ。

もう旅行シーズンなのか修学旅行の子供でごった返す境内

三層石塔は創建当時のもの。

こちらは多宝塔。

唯一ここだけで見られる珍しい形式のもの。

元々、塔の四方に有ったという唐獅子、残りの三体は占領中に日本が持ち帰り行方知れずだという・・・。

この前に立つ日本人はどんな顔で見れば良い??

撮影2010.10.14

MAP


影池(ヨンジ)石仏

2010年10月22日 | 韓国 石仏:史跡他

掛陵(ケヌン)の近くに石仏が有るのでついでに寄って見た。

近くに影池という用水池が有ると云うけど石仏付近からは見渡すことが出来なかった。

六角台座の上に六角柱其の上に円盤蓮台を載せ、舟形光背を背負った丸彫りの如来形石仏が座している。

風化に拠る痛みがひどくて風貌も定かでない。

この石仏には仏国寺の石塔を刻んだ夫と妻の切ない恋物語(韓国のページですが)が伝えられて居る。

撮影2010.10.14

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慶州(キョンジュ) 掛陵(ケヌン)の石造物

2010年10月21日 | 韓国 石仏:史跡他

キョンジュに着いて二日目、仏国寺前からタクシーを拾って行って来た。

此処は南山と吐含山両聖山に挟まれた盆地に広がる田園地帯の一角、松林に囲まれたキョンジュでは何処でも見られる土饅頭の陵墓です。

新羅第38代の元聖(ウォンソン)王の陵墓だと伝えられていますいて、墳墓を守るように参道?両側に建てられた武人、文人、石獅子と、墳丘の囲石の十二支神像の石造物が目を引く。

陵墓に向かって左側の石造物・・・武人文人ともに西域人の風貌をしているのが良く解る。

こっちは右側、獅子の顔も武人文人の顔も、右と左では微妙に違う

墳墓側より入り口側を見る。

墳丘と十二支神像の一部。

撮影2010.10.14

MAP


慶州南山神仙庵(シンソナム )磨崖石仏

2010年10月20日 | 韓国 石仏:史跡他

昨日UPした七仏庵磨崖石仏の背後に切り立った岩山の頂上、花崗岩壁に彫られた菩薩形磨崖石仏です。

取り敢えず画像のUPです。

石仏は頂上に突起した岩の左面に・・・・、登りは険しく1歩踏み外すと間違いなく命を落とすような場所もある。

安全設備などなにも無いのでヤバイことこの上ない。

しかし出逢えた時の感激はひとしお・・・。


慶州、南山(キョンジュ、ナムサン)七仏庵(チルプラム)の磨崖石仏像

2010年10月19日 | 韓国 石仏:史跡他

韓国、慶州へ古代日本の一つのふるさとを訪ねてみたいと行ってきた。

慶州について3日目の朝、前日普門湖リゾートエリアで借りたレンタサイクルで仏国寺近くのホテルを7時半に出発、近くの棚田を巡りつつ南山東麓に有る統一殿を目指す。

2日目にこちらの知り合いに下調べでこの辺りは廻ってもらって居たので何とか記憶のみで此処まで到着、ホテルを出てから約1時間半、普段乗りなれないチャリで尻が痛くて往生する。

 南山里三層石塔 

念仏寺三層石塔

此処から南山洞三層石塔や念仏寺三層石塔を見つつ自転車で田舎道を集落の果てるところまで走って車止めの有る山道に自転車を置きいよいよ山歩き。

此処から熟年夫婦がなれない山登りと云うより山歩き、歩き初めて約40分フウフウ云いながら最終石段も何とかクリアーして小さな山寺の小さな境内に着いて目に飛び込んでくる七仏庵(チルプラム ???)の磨崖石仏像 。

とにかくのんべんだらりの初老夫婦にとってはキツイ山歩き、全く意味不明のハングルにハングル言葉、わかるのはアニヨンハセヨとカムサミダ・・、これだけでは手に負えない南山石仏探訪。

とにかく、どっ疲れの後の七仏庵(チルプラム ???)の磨崖石仏は感激、感動、感歎・・・・、難しいことはとにかくとして、此処は確かに古代日本の1つのふるさとに違い無いと確信できた一瞬でした。

 

まずは写真だけでもUPしておきます。

本体三尊石仏

前立ち四方石仏

南方

北方

西方

正面東方

撮影2010.10.16

MAP


奈良、室生区向渕(むこうじ)の棚田

2010年10月12日 | 棚田景観

いつも通りなれてる大和高原の南東端に有る小さな山里の向淵。

知らない人なら一体何処の山奥だろうと思うほどの隠れ里、多分この県道が通じるまでは全く深い山里だったに違いない。

名阪国道が大和高原南北の中央辺りを切裂く中央辺りに有る針インターから国道369で南へ約10分、外の橋という三差路の信号を左折、長閑な田圃と山道を約10分、急に視界が広がり下り坂となって向渕に到着する。

あの古刹、女人高野として有名な室生寺と同じ旧室生村に在って、国道165の通る谷を挟んでいずれもふかい山の中で対峙するかの様な位置関係に有る。

国道165号線、室生口大野駅付近から県道28号線で入って来ても小さな峠を越えて急に目の前が広がる盆地が向淵、初めて此処を訪れるとまるで日本のふるさと、桃源郷にでも見える長閑かな山間集落です。

周囲を大和高原の山々に囲まれ、棚田の真ん中を切り裂くような、この県道28号線が無かったらまるで忘れ去られたような所です。

向渕は其の南方の山中に余り知られることなく潜む竜王伝説のある竜王淵が、集落の名前の由来を物語っているようです。

針方面から来ると集落の手前で、左に曲がり、新設道路で集落内に入りどんどん進むとやがて道は途絶えるように細くなりますがこの辺りから見る景観が素晴らしい。

対面斜面から広がる棚田が県道の通る谷を挟んでこっちの斜面にも広がり、集落の家並みが点在して見える。

県道を挟んで北側集落より南側斜面を見ると斜面の棚田は耕作放棄田が目立つ

此処は比較的交通アクセスも良く、集落も棚田も程よく整備されていて気持ちが良い。

 

 こちらは南側斜面から北側を望む。

撮影2010.7.18  2010.8.15


愛媛県松山市九川(くがわ)の棚田

2010年10月11日 | 棚田景観

この奥、高縄山山頂付近に有る高縄寺に千手杉を見に行った帰り、余りにも見事にヒガンバナが咲き誇っているので撮影してみた棚田です。




高縄寺より石ケ峠の分岐を左手に取り、高度をどんどん下げていくと山から盆地状に開けたところが九川集落。




小さな小川沿いに県道178号の狭い道路を挟んで畦道に真っ赤なヒガンバナを咲かせた小規模な棚田が有る。




国道317号線から分かれた県道178号で山に分け入り約5分ほどでこの九川集落に着くがやっぱりここでも石積みの棚田が咲き出したヒガンバナと良く溶け合っていて実に美しい。




山中棚田の刈り入れは、やっぱりここでも早くすっかり済んでいて、棚田越に見る萱葺き屋根を覆うカラートタン屋根が点景として美しく見える。


撮影2010.9.24