愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

素盞雄神社の大銀杏

2006年04月29日 | 風物:陵墓
奈良県下最大の銀杏といわれている素盞雄神社の大銀杏は、雄株であの銀杏が成ることはない。

 訊ねて見るとその根幹の大きさに驚嘆するほかない。

 いつもそうだが植物の持つ生命力にはただただ脱帽・・・。

 

素盞雄神社は名刹長谷寺の対面、初瀬川をはさんだ丘の中腹にあり、ここから眺めた初瀬の桜は絶景である。




 樹高40m、樹齢約800年、目通り幹周り7.15mの堂々としたイチョウである。県の天然記念物に指定されている。
 近づいてみると迫力は十分で、秋の黄葉がさぞや見事であろうと思われる。




 この辺りは、長谷寺の傍であり観光客も多いので路上駐車と言う訳にもいかず、 すぐ傍の長谷寺の駐車上に駐車するしかない。




 車を駐車場に預けると長谷寺と反対側に大きな公孫樹の梢がすぐに見えるので迷うことはない。




 小さな境内に見事な巨体のこの公孫樹がひときわ大きく秋の黄葉のころに是非もう一度訪れてみたい

 撮影2006・4.15   

場所はここ

宇陀市 額井(ぬかい)の子安地蔵

2006年04月27日 | 石仏:奈良
昨日アップした、額井(ぬかい)の勧請縄のすぐ近く山手に向かう道路が旧道と分かれる旧道側に少し入ったところ。



道路際の石垣の上に子安地蔵堂とかかれた小さなお堂があって、その中にこの磨崖石仏が安置されている。

安置されている岩は幅5m高さ3mの安山岩の巨石で、中央に船形光背を深く彫り窪め 像高60cmの地蔵立像を半肉彫りにして、周囲の岩肌に千体小仏を浮き彫りにしている。



中央の地蔵石仏は鎌倉後期の作で、蓮弁も美しく、時代をよく表している。

周囲に浅く浮き彫りされた千体小地蔵は摩滅がひどくほとんどわからない。

堂内には小石仏や五輪塔の残欠などがたくさん置かれていて、 清掃も行き届き供花なども真新しく、今も信仰篤いことが良く判る。

2006.4.1 撮影

場所はここ。

宇陀市額井(ぬかい)十八(いそは)神社の勧請縄

2006年04月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

今日は難しい読み方の続くところ。

額井は、国道369号線の王立橋の信号を東に入って5分ぐらい、最初に見える集落。


十八神社からの眺め

 額井岳(標高816m)は室生火山群に属し、その山容の美しさから「大和富士」と称され、そのふところに抱かれて額井の集落がある。



 その集落の産土神として鎮座している十八(いそは)神社の勧請縄は、額井集落の勧請場と呼ばれるところの欅の大木から約50mほど先の勧請杭のあいだに渡されている。


勧請場の大欅

 近所を通りかかったおばあちゃんの話だと、元は勧請川が流れていてその上に渡されていたという。

 しかし今、その川は無くこの勧請縄だけがこうして毎年架け代えられている。


後方に見えるのが額井岳

 以前に訪ねた、小夫(おおぶ)の勧請縄によく似ているが、縄の中心には、竹筒が御幣に巻かれて吊り下げられている。

 この竹筒には五穀が入れられており、集落の安寧と五穀豊穣を願って渡されているのだろう。



 しかし、よく見るとこれは♂のシンボルではないのかなあ?? 子孫繁栄と、五穀豊穣をズバリあらわしているように思えるのだが??    
撮影2006.4.01

 場所はここ

三多気の桜

2006年04月25日 | 風物:陵墓
三多気は三重県の津市と、市町村合併して今年の四月から津市美杉町となった、旧美杉村にある。

 国道369号線で奈良県再東端の御杖まで行き、そこから368号線にと進行すると約10分程度で奈良県と三重県の県境に差し掛かる。

 369号線は旧伊勢本街道沿いに走る道路で、途中旧街道を進めば懐かしい街道筋を走ることも出来る。

 美杉の三多気はこの県境からすぐのところ、国道より北方に山道を登ってゆく。



 僕がここを訪れた3月23日は散り初めの桜が小雨にはらはらとと舞う、あいにくの日だったが、観桜客は少なくない。

 下記は三多気桜保全協力会のパンフより・・・・・・

 名勝三多気のさくらは、三多気蔵王権現の御神木として、参道に植えられたのが始めで約1080年の歴史があります。

北畠氏が伊勢国司になるにおよび、三多気権現その祈願所として保護したので最盛期には、国司の館まで延々8キロも連なっていたと伝えられています・・・・・・ としており・・・



昭和17年名勝に指定されたときの調査では山桜の古木約2000本とありますが・・・・。

 現在では約500本の桜がこの参道の奥に有る真福院まで続いている。



 鄙びた山里の棚田に写る山桜、かやぶきの屋根に舞う花びら、煙る山に対峙する小さな桜花。



 ここの桜は日本の源風景を思い起こさずにはいられない。



 若者の二人連れがこの桜並木に妙によく似合うのは何故だろう??

 撮影2006.4.23

場所はここ

仏隆寺の桜

2006年04月24日 | 風物:陵墓
宇陀市榛原から国道369号線を東に走り、高井で左折、室生寺に向かう古道を標識に沿って10分程進むと仏隆寺に着く。

門前には駐車場もあって、無料なのがうれしい。



 辺りには民家も少なく、鄙びた山里の古刹と言うのがそのまま当てはまるたたずまいであるが、ここも観光客が多いのか整備されすぎてる感は否めない。

 仏隆寺は850年、空海の高弟 堅恵(けんね)により創建された古刹で、室生寺の南門として末寺の関係にある。



 門前の石段途中にある「仏隆寺の桜」はヤマザクラとエドヒガンの雑種であるモチズキザクラの一型で、学術的にも貴重なものとされている。


 
樹齢900年、樹高16m、根元幹周7.7mと記される奈良県下最古最大のこの桜は、高さ2mほどのところから分岐した11本の枝を大きく四方に広げ、散り初めとはいえ、その姿は圧巻であった。



 ただ、三脚を持った迷カメラマンばかしが、いやに目につく 。 奈良県

指定天然記念物。

撮影日は2006.4.23

 場所はここ

的野、大照寺跡の桜

2006年04月23日 | 風物:陵墓


的野、大照寺跡は、、布目ダムより布目川沿いにで遡ること約10分。



的野の集落が、布目川の右側に見えると県道から旧街道に進んでいく、途中Uターンするように崖道を登ること約300メートルで道路脇の崖の上から桜の花の枝垂れているのが見える。



 この道は離合困難な細い道なので、そのまま桜の下をくぐりぬけ、少し登ったところに駐車スペースが確保されていた。



僕が行ったのは4月22日午後、満開が過ぎ、風が吹くたびに桜吹雪になっていた。



 観桜客は
僕のほかに誰も居ず、この桜を思う存分ひとりじめに出来て大満足。

 

ここの桜はエドヒガンの枝垂れ桜で、幹周り約3メートル、樹高10m、樹齢約360年。

 今は廃寺となったあとにこの桜と「大照寺跡」の石碑が立っているだけです。

場所はここです。

都祁上深川墓地の桜

2006年04月22日 | 風物:陵墓
都祁の上深川へは、名阪国道小倉インターで降りて、県道を北上すれば5分ぐらいでついてしまう。

 この桜は、3月の中ごろこの地に石仏行脚をした時にその大きさに驚いた樹で、近所の人に聞いたところ桜の樹で4月20頃に開花する、と言うことでした。



 先週も初瀬へ出かけたついでに寄ってみたのですが一輪も咲いて居なかった。 今日、ちょっと咲いてるかは不安ながら出かけてみたら、なんとこの通り・・・。



 ただいま満開、名残の桜が見事に咲き誇ってました。

場所が墓地だけに鼻の下で騒ぐ人が居るわけでもなく、わざわざ見に来る人もなく 県道を走る車を止めて携帯で撮影してる人を何人か見かけた程度でした。



 墓地一杯花を開けた姿はやっぱり圧巻でした。
 枝垂れ桜のように風邪に揺れる風情は無いものの、枝振りが良く幹の太さも圧巻で,花付もすこぶるよい。

今年奈良県の天然記念物に指定されたそうだが、現在は掲示板、案内板の類は何もありません。

 大和高原の中に在って、もっとも名残の桜であると思う。


場所はここ

戒長寺の、お葉つきいちょう

2006年04月21日 | 風物:陵墓
昨日紹介した戒場神社と同じ境内にある戒長寺にはお葉つきいちょうの巨木がある。



 お葉つきいちょうとは、葉のふちに種子(ギンナン)をつける珍しいもので、これは、二股にわかれた軸の先の胚珠を乗せている部分が伸びだして葉になるために起こるといわれています。



 この現象は、植物の進化発生を示すもので学術研究資料として、きわめて貴重なものとされているそうです。



 ここ、戒長寺のお葉つきいちょうは、目通り4m、樹高30mあり、樹勢はきわめて良好だということです。



 幹の下枝付近には樹瘤がたくさん垂れ下がっていて、このいちょうがかなりの年月を生きてきたことを偲ばせるが、樹齢は不明だとしています。

 奈良県の天然記念物に指定されている。

2006.4.1 撮影。

戒場神社の朴(ほう)の木

2006年04月20日 | 風物:陵墓

戒場神社のある戒長寺には、宇陀市の榛原山辺から北側の山手に登ること約2km、寺の真横まで車で乗りいれることが出来る。



 戒場神社は戒長寺の鎮守社であったのだろう,同じ境内の中に在って今でも神仏が混在している。

 朴の木は、拝殿と本殿の間、玉垣の前の一角にどっしり根を下ろしている。 樹齢、約500年、幹周り6.5m、 樹高15.5m 根元の風格は只者でない。



 樹齢はたいしたことがなさそうだが朴の木の巨樹は珍しく、全国最大クラスだといわれています。



 しかし、根元に大きな空洞があり,樹勢も余り良好には見えないが、毎年五月にはその大きな花をつける。

 しかし、現在手付かずの状態で今後が心配されるけど、「やはり野に置け蓮華草・・・・」かも???。

又、花の咲く頃行ってみよ・・。


 撮影は、2006・4・1 場所はここ

大津市 逆さ観音

2006年04月19日 | 石仏:滋賀

逆さ観音は大津市と草津市の境界辺り、草津川の源流域に有る大津市の上桐生から少し上流に遡ったところに有る。

上桐生の草津川沿いに大津市のレクレーションゾーンが整備されていてハイカーや家族連れが多く、おおきな駐車場も併設されており、案内表示等にも困ることはない。



その駐車場から、遊歩道を、小川沿いに歩くこと約15分でこの石仏に出会うことが出来る。

この石仏付近も整備が行き届きすぎてるきらいがあって、野の仏としての趣には足りなさを感じてしまう。



この磨崖石仏は元、山の尾根道ぞいに在ったらしいが、下流のオランダ提の築造時(明治22年完成)に石材の不足を補うためにこの磨崖仏の一部削り取られ、後にバランスを失い、山からづり落ちて逆さになったものらしい。



石仏は3m四方以上も有る花崗岩に像高1.4mの阿弥陀如来坐像と両脇に観音、勢至菩薩を刻んだ阿弥陀三尊磨崖石仏で、鎌倉初期の像立だとされています。



菩薩の一体が石材不足の犠牲になって体部半面をかなり破損欠如していますが、鎌倉期石仏の堅実優美な像様は失われておらず美しい。

しかし、いつの世も権力者のやることは身勝手なもんやなあ・・・・・。

場所はここです。

長谷寺の春

2006年04月17日 | 風物:陵墓


平安時代の初瀬詣でも有な、長谷寺は初瀬山の中腹に本堂があり、仁王門から本堂へは、ながい登廊の石段をのぼって行く。



登廊の両側に植えられている牡丹の寺としても有名で、西国三十三箇所観音霊場の根本道場とも言われている。

 長谷寺は、大和高原が落ち込んだ南西端に辺り、僕が車でよく走るルートなので寄ってみました。

 都祁から初瀬に抜ける県道は、丁度長谷寺の門前を通って国道165号線へとつながっている。



 初瀬川の対岸の小高いところから長谷寺を見ると見事に桜が咲き誇っていた。





牡丹でも有名なのだがこの桜の長谷寺も見逃すことの出来ない景色です。



 桜だけでなく、木蓮や、さんしゅう、などもいっしょに咲き誇って、まさに花の御寺 という感がする。





 3月15日雨にもかかわらず登廊を登る参拝者は絶え間ない。



場所はここ

又兵衛桜

2006年04月16日 | 風物:陵墓
大阪夏の陣で活躍した後藤又兵衛の屋敷跡に咲く。

 又兵衛は戦いに破れここ大宇陀の地で僧侶になり、姓を後藤と名乗っていたそうです。

ここは、最近宇陀市となった大宇陀本郷、訪れたのは4月15日花冷えの雨が降りしきる土曜日。



 冷たい雨の中にもかかわらず付近の道路は誘導員が出て、てんやわんやの大騒ぎ、おまけに臨時の駐車場まで出来ていて「はい1台500円」なり・・・・ 桜以外の日ならここらはいつでも路上駐車OKだけど。

 ここはやっぱり有名なだけ有って車も人も集中していた。

 樹齢300年、幹回り約3m、高さ約13m・本郷の滝桜という別名で呼ばれているように花の小さいしだれ桜です。



枝振りも良く又屋敷跡の石垣の上から滝のように花びらが風に舞う様は圧巻ですが余りにも人が多く、冷たいあめのなかでも在ったので早々の引き上げました。

 

しかし名所には必ず仰々しい三脚を担いだカメラマンが何人もいて我がもの顔にビューポイントを独占しているのはいただけない。



それと地元の観光協会の肝いりなのか目玉の観光資源なのかも知らないけれど余りにも整備されすぎていて、鄙びた良さがなくなっているのは寂しい。

場所はここ

瀧蔵神社の権現櫻

2006年04月15日 | 風物:陵墓

権現桜は樹齢約400年、幹周り3m、樹高4m、江戸彼岸系の枝垂れ桜で、滝蔵神社の社務所の石垣より主幹をはみ出し咲き誇る姿は、周りの風景ともうまく溶け合っていて実に美しい。



滝蔵は桜井市と言えども大和高原のかなり行きにくい場所に有るので観桜客も限られており、心いくまで花を眺めていることが出来る。



おまけに今日は雨の中の観桜で、きょうは10人程度の人にしか逢わなかった。

上方の石垣から降り注ぐような小さな枝垂れの桜はそよぐ風に瀧のようにゆれていた。




八房杉

2006年04月15日 | 風物:陵墓

掲示板によると・・・・ その昔、神武天皇が大和平定の際、菟田の高城に陣営を張られたときに植えられたものと伝えられる杉の巨木です・・・・とある。



今年、町村合併で宇陀市となったその中心地、榛原から伊勢方面に向かう国道166号線で菟田野佐倉地区内に入ると右手に「八つ房杉」のおおきな看板がめに入る。

 看板どうりに車を進めるとやがて櫻実神社の杜の前につく。



 ここを訪れたのは3月25日、そのときは神社の改修工事で、あちこちに建築資材や土木機械などが置かれていて静かな山里の鎮守という雰囲気ではなかった。




 境内に入るとやっぱり目に付くのがこの巨木で、天然記念物の石柱がたっている。 名前の通り、根元から八本の幹に分かれていて、僕たち見慣れている杉とは程遠い樹形をしている。



 樹齢、約1500年、樹幹9m、樹高14m。 しかしあちこちにワイヤー張り、大きな幹は鉄材で支えられ、全身創痍という状況です。

 樹木医も入って手厚く保護されているとはいえ、かなりの老体は隠しきれづ、自力だけでは、立ってもいられないような姿でした。



しかしその巨大さや、樹形の異様さは見るひとに感動与えずにはおかない。 昭和7年に国の天然記念物に指定されている。

 場所はここ

桜井市 西法寺 地蔵石仏

2006年04月13日 | 石仏:奈良

滝蔵集落東はずれの小高い丘の上に西法寺がある。



 その石段の参道脇にこの地蔵石仏が立っておられる。

像高1.8mの壺形光背を背負い高肉された彫りされたその顔はどこか近所で良く見かけるような顔立ちでした。



天文十年(一五四一)鎌倉中期の像立、元は東ふもとの三谷にあって上の地蔵と呼ばれていたと言う。



また、県道脇の滝蔵神社に登る参道口には、小さな地蔵堂の中に舟形光背を背負った如来石仏があった。