愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山城の神社・・・八幡市内里・内神社(うちじんじゃ)

2017年01月31日 | 神事:行事:寺社: 仏像

 

<南面する拝殿本殿に続く杜の入口にある石鳥居>

八幡市内里集落の西外れ、三方を農地に囲まれた緑濃い鎮守の杜に鎮座・・・延喜式久世郡の内神社に比定される古社です。

境内へは専ら集落に接するこちらの脇鳥居、脇参道の方から入っている。

社伝では、山城内臣の死後に祀ったのが創建とされ、中世には春日宗像神社と称して現在地の南東600m付近の「小字古宮」に大永年間(1521~28)まで内神社があって、天正年間(1573~92)に現地に遷ったと伝えている。 

古宮にしても現鎮座地にしても木津川に近い平低地に有り、延喜式内の古社の鎮座地としては相応しくなく、おそらく美濃山(内里の西南丘陵)に鎮座していたのではと言われている。

寛保三年(1743)に建築された本殿は平成15年に再建・・・祭神:山代内臣(やましろうちのおおかみ)・味師内宿禰 (うましうちのすくね)

旧本殿は京都府の登録文化財として本殿横に置かれている。

撮影2015.8.5

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山城の神社・・・八幡市岩田里・石田(いわた)神社

2017年01月23日 | 神事:行事:寺社: 仏像
 
 
 木津川右岸サイクリングロードを通るたび、見下ろす一面田圃の中のこんもりした緑の鎮守杜に鎮座する・・・いかにも小学唱歌の「村まつり」の歌詞を彷彿とさせる佇まいです。
 
 
八幡市の東南端、木津川堤に近い八幡市「東岩田集落」東外れの農道より田圃の中を長い参道が続き、鎮守杜への入口に石鳥居が建つ。
 
 
さほど大きくない鎮守杜の境内、その正面奥に拝殿
 
 
拝殿奥に漆喰塀に囲まれた神域内に本殿が建つ・・・しかし普段は拝殿入口が施錠され本殿を真正面から拝することは出来ない。
 
 
 祭神不詳ですが一説には『磐裂神(イワサク)』とありますが確認できません。
 
撮影2015.8.15
 
 

山城の神社・・・八幡市上津屋・石田神社(いわたじんじゃ)

2017年01月16日 | 神事:行事:寺社: 仏像

 木津川左岸、流れ橋に近い堤防直下の鎮守杜に鎮座する石田神社(いわたじんじゃ)・・・この神社は木津川の対岸にある城陽市の上津屋にも氏子が居り、往古この集落が木津川を挟んで存在していた。

 社伝によると大宝二年(702)、隣村の内里の山中に現れた素義鳥(すさのお)神を上津屋の地に祭祀、創建・・・当地が度々木津川の水害に見舞われ、素義鳥(すさのお)神と同体の「牛頭天王」が疫病に対する守護神として信仰を集め、「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」と称されてきた。

現在の本殿は、嘉永四年(1851)の造営、拝殿も同時期のものですが、享保二十年(1735)の再建時に葺いた刻銘入り鬼瓦を屋根に載せています。

現在、神輿蔵となってる建物は、もと宮寺の福泉寺のもので、その脇に建つ十三重の石塔は南北朝時代の作と考えられ、貴重な石造遺品として知られて居ます。

 

撮影2015.8.5


山城の神社・・・八幡市岩田・式内「石田神社」(いわたじんじゃ)

2017年01月10日 | 神事:行事:寺社: 仏像

木津川左岸、八幡市の南東端「岩田」地域の府道22号線と第2京阪道間に広がる田園地帯の鎮守杜に鎮座する。

延暦6年(787・奈良末期)山階(やましな)の石田神を久世郡石田荘に遷座するようにとの神託があり当地へ勧請したと式内石田神社明細帳にあるが詳細不明。
 

江戸時代には「御霊社」と呼ばれていたが、明治6年(1873)に村社に列し、同22年(1889)に御霊社から石田神社へ改称、久世郡の式内社である石田神社(イワタ)に比定されている。
 
 
祭神は五十日足彦命(イカタラシヒコ)で、垂仁天皇の第五皇子・・・命の後裔氏族・石田君がその祖神を祀ったのが始まりとも推測される
 
 
当社は江戸時代には御霊神社と呼ばれ、平安時代の朝野で畏れられた御霊神八座の一宮田麻呂」祭祀していたらしいが現在では不詳。
 
 
末社として水神社を祀ります

撮影2015.8.15

 
 

 


山城の神社・・・玉津岡神社

2017年01月04日 | 神事:行事:寺社: 仏像

木津川左岸東方、井手台地、上井出集落背後山裾に鎮座する「玉津岡神社」

集落中程から続く長い石段参道を登って行くと一の鳥居をくぐり左手に、かっては「玉津岡神社」と密接な関係に有っただろう古刹「地蔵院」が有り、その脇に二の鳥居、それを潜って少し登ると広く開けた高台の境内に至る。

玉津岡神社神社の創祀は古く、飛鳥時代540年、下照比賣命が兎手(いで)玉津岡南峰(現在地付近、下津磐根とも)に降臨し、祀ったことに始まるという。

また、奈良時代、731年、井堤左大臣・橘諸兄は、橘一族の氏神として井手郷美津梨に椋本天神社を創建したと伝えられ、玉岡社、椋本天神、玉岡春日社などと呼ばれて居た。

数多く並ぶ摂社の一つにこの地に縁深い橘諸兄(たちばなのもろえ)を祀った橘神社があることでも知られている。

 

 現本殿は、江戸時代、1687年の造営で、檜皮葺、春日造、極彩色、京都府登録文化財に指定され、椋本神社(元天神社)の本殿を移築したといわれている。

 こんな山里に在って歴史の重厚さを感じられる佇まいです

撮影2013.3.20