愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

名張市 井手の茅葺民家

2014年12月20日 | 茅葺き屋根(同)三重県

名張市の小さな里山集落に残された大きな茅葺き民家。

新興団地を遠くに眺める名張市の西端、隣県奈良の旧室生村に近い山裾の鄙びた里山集落。

斜面集落の中程、周りを白壁腰板塀で取り囲み、大きな屋敷の中に立派な伊賀型茅葺き主屋が堂々と建って居る。

田舎では良く見かける・・・表には家庭菜園をつくり、脇には離家や土蔵を配しいかにも上層農家だったことを窺わせる佇まい。

この主屋の棧瓦葺き函棟はいかにも立派で大きく、これほどの函棟には殆どお目に掛からない。

どの方向、遠くからでも目の前でも充分味わえる里山の茅葺き民家がやっぱり嬉しい。

近くには抜け殻と化したこんな哀れな覆懸け家が有ったりして、侘しさを増幅させるのだが・・・・。

撮影2014.2.12


伊賀市 諏訪の茅葺き民家

2014年12月13日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀上野からの帰り道、車の窓越しにちらっと見えた茅葺き屋根の家。

それこそ一昔前には何処にでも有る一般農家だったのだろう・・・小川の畔にこじんまり建っている。

妻側に棟を交差させるような形で新しい2階屋を建て、古い小さな茅葺き屋根を残している。

下屋は2階屋を新築する際に改造したのか?、アルミサッシュなどが入りまだまだ新しいが、茅葺き母屋は随分痛々しく、そろそろ何とかしなくては成らない時期が来ている。

撮影2014.1.23


伊賀市上野相生町 武家屋敷旧入交家(いりまじりけ)住宅

2014年12月12日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀上野城下、 町中に今も残る茅葺き屋根の武家屋敷。

上野城主「藤堂家」に召抱えられた家臣「入交勘平」の茅葺き屋根の武家屋敷を伊賀市が平成13年に公有化し、現在三重県指定有形文化財「入交家住宅」として一般開放されて居る。

伊賀上野城から南に約500m足らず、旧武家屋敷群の雰囲気が残る「上野相生町」にある。

何とも難解な「入交家」は長宗我部氏に仕えた土佐藩の家臣であったが、関ヶ原の合戦以後「藤堂高虎」に召抱えられ、伊賀上野に住み着いたという・・・。

<長屋門を入った中庭から・・>

後、宝永年間(1704~1708)に入交勘平が一家を興し、寛政年間(1789~1800)に拝領した武家屋敷が今に残るものだそうです。

この茅葺き母屋は、平成13年(2001)に公有化した当時、赤い鉄板で覆われて居たようですが、後、解体復元工事で元(現在)の姿にに戻された。

建物の説明は下部の説明板で・・・・・

古い歴史の上野城下にも、もうこの一軒を残して茅葺き屋根は全く見当たらない。

撮影2014.1.23


伊賀市 一之宮の茅葺き民家

2014年12月11日 | 茅葺き屋根(同)三重県

それと知り、気を付けていれば車窓から見えるかも知れない茅葺き民家。

名阪国道「伊賀一之宮」IC直ぐ近く、しかしこの大きい屋敷にもう人影のを見る事はない。

遠くから見ればまだまだ充分住めそうだし、周りに民家も少なからず有り、アクセスも悪くは無いのに・・・

いつからこのような抜け殻状態なのかは判らないものの・・・・・建物は人が住まないと傷みが加速度的に速くなる。

まだ今の内なら軽い修理で古民家レストランとしてでも再生出来そうだが・・・・

帰りがけ車に乗ってバックミラーに映った茅葺き屋根も充分に良いものだった・・・・。

撮影2014.1.23


名張市美旗 初瀬街道の茅葺き民家

2014年08月15日 | 茅葺き屋根(同)三重県

名張市東部、美旗の田園地帯を抜ける旧初瀬街道に残って居た茅葺き民家。

田圃の中を突き抜けるように行く旧初瀬街道脇に軒を連ねるように続く新田集落は江戸時代、藤堂高虎により開墾された文字通りの農業集落であると同時に初瀬街道沿いの宿場街でもあった。

そんな集落の殆ど南外れ、集落の途切れる辺りに小さな入り母屋造り、茅葺き母屋を載せた民家が残っていた。

街道に向かって平入の民家は表を棧格子で設え、どこか一般農家とは違う趣が窺える。

やっぱり手入れがイマイチ行き届かず、もはや葺き替え時を迎えてる。

一方茅葺き民家の少し手前、伊賀の地域産業、伝統的工芸品に指定された「中内組紐工房」の一風変わった館が有り・・・・

「堤側庵(ていそくあん)」と名付けられた館をギャラリーとして開放、様々なジャンルの作家を紹介されて居る様です。

伊賀組紐の生産拠点として財をなされた名残の民家でしょうか・・・・・

商家の建物としても母屋上に楼閣があり、こんな片田舎に在って、ちょっと風変わりな建物でした。

撮影2013.8.4


伊賀市 千歳の茅葺き民家

2014年08月14日 | 茅葺き屋根(同)三重県

見捨てられ、朽ちるに任された立派な伊賀型箱棟を持つ茅葺き屋根。

玄関先で声をかければまだ今にも家人が元気に出てきそうな・・・・

庭の夏草は刈り取られまだ家人が完全に寄り付か無くなった訳では無さそう・・・

伊賀市南東部、名阪国道脇の小さな集落。

たった一軒残された茅葺き民家もここまで荒れてしまってはお終い。

僕がよく訪れる草深き片田舎ではこうして荒れるに任せた懐かしい茅葺き民家のなんと多いことか・・・

もはや箱棟が砂上の楼閣に見え今にも崩れ落ちそう??

撮影2013.8.4


名張市 安部田の茅葺き民家

2014年08月13日 | 茅葺き屋根(同)三重県

僕が子供の頃に育った家の周りはこんな茅葺き屋根ばかりが並んでいて、そんな茅葺き屋根を葛屋(くずや)葺と呼んでいた。

国道165号線、奈良県境に近い三重県名張市安部田で見かけた茅葺き民家。

軽四トラックと小型スクーターが仲良く玄関先に並び、世代差の大きい家族が同居してるのかと?微笑ましい・・・。

生活感あふれるこんな民家も近頃では物珍しくなって居る。

ステータスの茅葺き屋根じゃなく、肩肘張らないありのままの茅葺き民家は、僕の住む山城ではもう30年ほど前には悉く姿を消した。

若い人も住まわれて居る様だが同敷地に別棟で現代風建物も建っている。

簡素で小さな片田舎の農家風情を彷彿とさせてくれる景観でした。

撮影2013.8.4


伊賀市 旧阿山町の茅葺民家

2014年06月08日 | 茅葺き屋根(同)三重県

 

 伊賀市郊外、旧阿山町の中心地近くに残された茅葺民家。

県道49号線、阿山中学校付近の峠道から、見え隠れする一軒の茅葺屋根。

県道から入ってすぐ、鄙びた旧道脇に建つ寄棟茅葺母屋に桟瓦の箱棟を載せた伊賀型茅葺民家。

 この旧道峠道にもかってはこんな農家風茅葺民家が建ち並んで居たのだろう・・・

現在、この家も農家では無さそうだが・・未だ農家の香りを色濃く残している。

しかし茅葺屋根は相当痩せこけ、葺き替え時を迎えて居るようだが?この先どうなる事やら・・・・。

目の前に棚田もあって良い景観には違い無いのだが。 

撮影2013.11.5


伊賀市 予野の茅葺き民家

2014年04月02日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀市予野、県道沿いにあり、NETでも何度か見かけた事のある茅葺民家。

伊賀市南部郊外、県道687号線沿いの田圃の中に単独で屋敷を構えて居るのでよく目立つ

見る方向によっては長閑な集落の家並を従える様に凛々しく建っている。

いわゆる伊賀型茅葺き屋根の典型・・・

寄棟茅葺き屋根に大きな棧瓦の箱棟を載せ、

片妻にせり出した棧瓦葺き下屋の上に被さる様に茅葺き寄棟妻が乗っかて居る。

よく整えられ、手入れの行き届いた玄関口は母屋屋根の傷みの少なさと共に、この民家がまだまだ健在で有り続ける事を証明してるかの様です。

緑濃い田園風景の中に建つ茅葺き母屋の民家は、そのままで絵になる存在です。

一昔前にはそんな民家がいっぱい並んで居たんだろう・・・

撮影2013.7.13


伊賀市 丸柱の茅葺き屋根(廃屋)

2014年01月23日 | 茅葺き屋根(同)三重県

前日と同じく丸柱の県道を走って居て、茅葺き屋根が一瞬見えたので立ち寄ってみたら・・・・

もう既に、こんなにも凄まじいあばら家・・・・・多分もう何年も放ったらかし。

肋骨も剥き出し、今や建物としての機能は全く果たせず・・・・ただただ哀しい風景の一部としてだけ存在している。

そばには錆び付いたトタン懸け屋も放ったらかし。

茅葺き屋根を追いかけてると良くぶつかる風景ですが・・・・・やっぱりちょっと滅入ってしまいます。

撮影2013.5.5


伊賀市 丸柱の茅葺き屋根(長谷園なが谷母屋)

2014年01月22日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀焼のふる里、丸柱の長谷製陶の自宅主屋で有ったろう??茅葺き屋根の民家。

伊賀市丸柱は陶器の町「信楽」となだらかな桜峠でその境を接する長閑な里山地域・・・・・そんな国道422号線や、それに続く県道674号線沿いには登り窯やその煙突があちこちに望め、ここも陶器の町だと云う事が実感できる風景が広がっている。

中でも、県道から少し右手に入った「長谷製陶」は伊賀焼窯元でも独特な存在感を持ち、良く知られている。

工場は広い敷地を持ち、その「登り窯」や大正館と呼ばれる旧事務所などには訪れる観光客も多い。

そんな一画に、予約制で創作料理を出す「なが谷 母や」と呼ぶ、大きい茅葺き母屋の旧長谷家住宅が有る。

予約をして食事した訳では無いのですが・・・それとお願いして庭先からバシャ・・・、手入れは良く行き届いているものの庭木が多くて全体を撮影するのは困難でした。

築200年と云われる桁行の長い大きな寄棟茅葺きに、桟瓦の箱棟を載せた伊賀型民家。

天保三(1832)年の創業、七代目だと言われる当主は現在会長職・・・・、しかしこの屋敷はどこか豪農庄屋風??

撮影2013.5.5


三重県伊賀市下柘植 上市場の民家

2014年01月21日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀市東端の旧柘植町で偶然見付けた茅葺き民家。

「大和街道」は古い集落を縫うように、「関宿」で東海道から分岐、加太(かぶと)峠を越え伊賀をぬけ、奈良へと続く街道・・・・。

そんな、下柘植上市場「大和街道」の小さな辻に伊賀型茅葺き屋根の民家が建つ。

街道側は低い板塀で目隠し、少しイレギュラーにカットした寄棟妻が見え、軒庇には真新しいBSアンテナも取り付けられ、若い人の住んでる気配が窺われる。

表に廻れば車と、陶器のオブジェが並べられ、ここは陶磁工房の母屋の様にも思える。

屋敷裏側から見ると大きな瓦葺き箱棟に樋(とい)付け、雨水を集めて地上に落としている。

どこかの茅葺き屋根でも見かけた記憶もあるが・・・・、これはきっとそう古くない装置だろう??。

撮影2013.5.5


三重県伊賀市 玉瀧の茅葺き民家

2014年01月20日 | 茅葺き屋根(同)三重県

 

伊賀市、旧阿山町玉瀧地区の中心部、玉瀧交差点近くに残って居た茅葺き民家。

玉瀧は旧阿山町の最北東端に位置し、小高い丘陵となだらかな棚田の織りなす鄙びた日本の原風景が色濃く感じられる田舎・・・・、僕などはこの景観の中に自分の身を置く度に強い充実感を覚える。

なだらかな斜面を登っていくと生垣越しに片妻入母屋、片側に独特な膨れ妻を持つ茅葺き屋根が見える。

田舎では当たり前の屋敷だが右手には納屋、左手には新しい離れ屋、中央に一際大きい主屋が建つ。

正面入り口辺りから・・・、良く手入れされた庭先奥の母屋は四周を桟瓦葺きの下屋に・・・・・、向かって右手に一段高い桟瓦の落ち棟を設け、その上に右妻を独特な、落ち棟に被さる様に突き出した妻を持つ茅葺き屋根を載せている。

左妻は寄せ棟と変わりな無いほどになだらかな稜、小さな破風を持つ入母屋・・・・棟仕舞いは丸竹の組み合わせ。

この屋根もそろそろ葺き替え時期を迎えて居る。

撮影2013.5.5


三重県伊賀市 槙山の茅葺き民家(茅葺槇山窯博物館)-2

2014年01月19日 | 茅葺き屋根(同)三重県

前回紹介の茅葺き民家より少し西、甲賀信楽寄りの集落西端、、右手山裾に隠れる様に建つ茅葺き民家。

付近に建つ旧茅葺き民家も覆い懸けはしているものの、既に廃家と化してしまっている。

その奥になんとか持ち堪てる様に建ちつくす茅葺き民家・・・・・・ここは「茅葺槇山窯博物館」として、古い茅葺き農家を改造、居間に作品を展示し、隣接する工房も見学できる様ですが??

なんのアポイントも取らずにここを訪れた時には御主人が留守・・・・表周りから建物を撮影させてもらった。

小さな伊賀型茅葺き屋根に板屋根の庇を突き出し、懐かしい田舎農家の佇まいそのもの・・

しかし哀しいかな、母屋の茅葺き屋根は苔蒸し、もう限界に近く行く末が案じられる茅葺き屋根でした。

撮影2013.5.5


三重県伊賀市 槙山の茅葺き民家

2014年01月18日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀市「旧阿山町」、なだらかな棚田の中に屋敷を構える一軒家の茅葺き民家。

伊賀市「旧阿山町」を切り裂くように進む県道49、50号線沿い、鄙びた棚田の里山域、古式豊かな式内「真木山(まきやま)神社 」参道近くに建っている。

この屋敷は以前の持ち主が売りに出し、大阪からこの地に移り住んだ今の主人がこの茅葺き民家を改造、僕が伺った時には「手打ち蕎麦処」の専門店に成って居た。

昼を過ぎ、客も遠のいたのか主人がちょうど庭の手入れしていたので、一声掛けて撮影させてもらった。

その時名刺まで戴いたのだが、何処へやってしまったのか見つからない・・・・そんな訳で店名すら解りません。

 裏側、棚田越しに見る伊賀型箱棟茅葺き屋根は、揺るぎ難い美しさを見せて居る。

撮影2013.3.23:2013.5.5