我がふる里、南山城を南北に貫く木津川左岸、京田辺市の隠れ里、高船にある五重石塔二基と板碑です。
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<極楽寺参道から振返る高船集落>
京田辺市街地より南西に約10km、山城、大和、北河内の國境、生駒山系から迫り出したなだらかな丘陵山懐にひっそりと肩を並べる高船集落がある。
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<参道より見る本堂>
京田辺方面から奈良県生駒市方面に抜ける幹線、府道65線「打田(うった)」で分岐する林道を?を約2km強、高船集落の中心部に建つ極楽寺境内に有る。
こんな人里離れた山懐集落にあっても、この集落はまだまだ健在、っみょうに暗い雰囲気がない・・・、それは都市圏に近いと言う地理的条件と冬にも雪が無いという気象条件に恵まれているからだろう???。
桃山時代の天正年間(1573~1591)に拓かれた西山浄土宗の寺院だと言うが、この寺もまた古い廃寺跡に再興された寺なのかも・・・・境内に有る石造物はそれを物語るように鎌倉期を下らない。
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本堂前方、境内片隅、木立の陰には古式なバランスの良い 五重石塔 。
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相輪や屋根石に一部欠損は見られるものの、初層軸部には月輪内に薬研彫りの金剛界四仏の種子を刻み込み、鎌倉時代後期の造立。
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正面を西に向け本堂と対峙する西面軸部の深く薬研彫りされた阿弥陀如来の「キリーク」・・・、屋根石は分厚く、軒反りも穏やかです。
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一方境内の北隅、庫裡の傍らには、ちょっと寸足らずで元七重石塔だと思われる層塔が建っている。
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相輪は途中で欠損、初段屋根石とその上部では奇妙に軒ぞりが違ったり・・・・。
軸部の四方仏の方向もずれている
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こちらが正面、二重光背を深く彫り沈めた中に中肉彫りの阿弥陀如来を刻み出している。
実際は南面しているので90度逆時計回りにずれています。
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左手、本来南面の釈迦如来坐像・・・しっかり左手が触地印。
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裏側は北方向、実際には東面の薬師如来坐像。
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最後、東側の面には北面の弥勒に変えて錫杖宝寿の地蔵坐像・・・・いずれも身の丈30cm足らず。
この規模の石塔にしてはなかなかの四方仏で、鎌倉後期の造立。
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本堂右手片隅、寺墓脇に立つ板碑。
頂部を錐先のように尖らせ、彫りの浅い二条線と小さな額を持つ。
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その直下にはもう確認もできない程薄い月輪の中、阿弥陀種子の「キリーク」を薬研彫りで刻み出している。
総高約1.8m、種子の下部には何も刻まれず、一説には未完成の板碑だとも言われている。
いずれにしても鎌倉こ後期の造立・・・・・。
この地には元、どんな寺があったのだろう??
撮影2012.5.3