愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良市、須川町上須川の棚田

2010年09月30日 | 棚田景観

奈良市の東方、大和高原の北端近くの大柳生から京都府境の笠置町に抜ける県道47号線で須川ダム横の相和小学校前の交差点を左折、県道184線を成りに暫く行くと

左手一面に棚田が広がっている。

木津川支流の白砂川其のまた枝流の源流域、小さな流れを挟み込む穏やかな斜面いっぱいに棚田が見事な弧を描いている。

県道184線右手斜面、棚田をはさんで対面する斜面に上須川の民家が点在、この辺りの民家は大きな屋敷を構えた家が多く棚田の正面斜面上に有る民家などは棚田の点景としても嬉しい風情をかもし出している。

この丘陵斜面を三方から取り囲むように配された棚田はせり出す方向も三方向に向かっていて其の造形美は素晴らしい

青田の夏の日、黄金に色づき始めた晩夏の頃、モノクロ調になってしまって沈黙の棚田、どれもこれも美しくて懐かしい景色です。

 

 それぞれの対面斜面から見る。

撮影2010.6.27ー8.27 その他


愛媛県、内子町五十崎(いかざき)泉谷の棚田

2010年09月29日 | 棚田景観

目くるめく谷底に向かって斜面を駆け下りる棚田、斜度の大きな谷沿いの斜面一杯に100枚足らずの棚田が広がる。

来るたびに思うが四国の山間集落は何故あんなにも険しい山肌にしがみ付いて居るのだろうか??、平家落人伝説の村も多いと聞くがなんとなく納得できる話です。

余程のことでもない限り好き好んでこんな山奥の斜面に隠れる様に集落を作る事などないだろう。

隠れ里という言葉も有るが此処はまさしく隔離里の感が強い。

此処は愛媛県のほぼ中央部、山深き内山盆地内にある中心的な町である内子町の中心から約12km、松山道内子五十崎ICより県道56号線で約15分途中泉谷棚田の表示板どおりに山道に入って約5分弱、やっと集落らしい佇まいが見え出したと思ったら、急に目の前に棚田がが広がりそのまま集落の最上部へと至る。

此処は山深い山中にぽっかり空いた穴のような土地、周りからは見ようとしても見えないだろう、棚田の淵を取り巻く道路の最上部左脇には小さな水車小屋のような休憩施設とトイレに駐車スペース。

標高470m、4haに、95枚の水田を殆ど転作や耕作放棄も無く5戸の農家で耕作、維持管理しているという。

此処の棚田は急角度の斜面に造られた棚田のため一段ごとの段差も比較的大きく、斜面に沿って綺麗な弧を描いている。

訪れたときは、今年の暑くて長い夏から急激な秋への変化の日、朝から大荒れの雨が上がった夕方近く、棚田の半分以上で刈り入れが終わり、刈り入れ前の棚田は黄金色に波打っています。

紅い曼殊沙華や稲架も所々に見られまさに絶景、日本の秋の原風景を眺めているようです。

勿論日本の棚田100選にも選定されている。

 

こちらは集落の麓、北表付近の棚田です

撮影2010.9.23


高知県、梼原町神在居(ゆずはらちょうかんざいこ)の棚田

2010年09月28日 | 棚田景観

四万十川の源流域に有る天空の町の棚田として期待が大きかっただけにちょっと期待ハズレの棚田でした。

前回紹介の宇和島より遥か1時間30分、国道320号線を道なりに東進、途中R197に乗換さらに東進、愛媛から高知県に入り梼原町役場を越えると目的地の神在居集落は目と鼻の先。

風早トンネルをくぐって棚田の表示板通りに左の山道を登ると直ぐに坂本龍馬脱藩の道の表示、あの司馬遼太郎の「街道をゆく」梼原街道で紹介された龍馬脱藩街道の通る村。

この標識から少し登ると高台に茶堂が在ってそこから棚田が一望出来る。

ここから見る棚田はちょうどその下を風早トンネルが通過する一種独特な景観ですが規模も千枚田と云う割には大きくなく圃場整備も行き届き直線的な棚田に成って居て少し物足りない感は否めない。

 谷向いの神在居の集落に入るとかなり急な傾斜で集落の上部から俯瞰すると黄金の波がR197号線めがけて大きく弧を描き駆け下りる景観が美しい。

ここは標高凡そ 600m、四国の山中集落ではお決まりの様に山の斜面に石垣を築き棚田を設けて集落が点在するがここでもその石組みが美しい。

しかし、もう昔ながらの茅葺き屋根も、新しい都会風の住宅にとって変わってしまって懐かしい景観としては半減・・・。

とにかくここは町の中心からのアクセスも良くその分、俗化も早いのだろう??

棚田100選に選定された棚田、それより僕にはこの集落の「神在居」と云う名称が気にかかる。

撮影2010.9.23


宇和島市遊子(ゆす)水荷浦の段畑

2010年09月27日 | 棚田景観

今回は棚田ではなく棚畑。

京都を朝4時半に出て、此処に着いたのが9時ちょっと前、約4時間の長丁場、しかし四国も近くなった。

宇和島市街を抜け県道37号線で三浦半島へ途中県道345号に乗換え遊子(ゆす)水荷浦と入っていく、宇和島市街から約30分、集落へ下る峠」から小さな魚港越しの丘陵一面に城壁を思わすような石組みが飛び込んでくる。

ここ水荷浦はその名も示すとおり水を荷物として大切に扱われ、この地区から嫁に行った女性は、実家に帰るときには水を天秤棒につるして土産として持ち帰ったなどというような話が多く残されていて、水が乏しいため水を荷って運んできた浦で、“水荷浦”と称されたようです。

そのため棚田ではなく棚畑、それも水をそれほど必要としないサツマイモや、ジャガイモなどを耕作しているようです。

小さな漁港の裏山は昭和30年頃までは全山棚畑で埋め尽くされていたようですが、今は写真の通り部分的では有りますが自然の山野にかえっています。

漁港の前にある駐車場から見上げる棚畑の石組みは壮観で見事としか言いようがないほど、しかしここまでするのかと云う気がするが、それは部外者の勝手な言い分、裏を返せばここまでしなくては食料も得られず,生をつなげなかったのだろう。

棚畑の幅は約1m強、段差約1.5m、訪れた時はちょうどジャガイモの植え付けが始まる手前、棚畑は殆どむっくり出しの畑地で見事なまでに一木一草たりとも生えていず,見事なまでに整備されていた。

 

それというのも、草などを生やしておくと雨水が溜まって石垣の崩れる原因になるからという、特殊な道具を使って石組みの草はすべて取り除くそうです。

棚畑には道路がめぐらされ頂上まで歩いて登れる様に成っているが、上部より見下ろす棚畑の急斜面には目も眩みそうで思わず後退してしまう。

農作業中に足を踏み外して大怪我をするなんてことはないのだろうかとちょっと気にかかる・・・。

今は荷物を上げるためのモノレールも点けられこれでも随分楽に成っているだろうなあ・・・。

確かにこれは耕して天に登るのたとえ通りをえにしたような景観には違いない。

なんとも美しい、けれどもそれだけでは済まない何かを感じる。

 

 

撮影2010.9.23


奈良市、都祁吐山(つげはやま)町の棚田

2010年09月26日 | 棚田景観

ここまで奈良市内とはちょっと驚き、奈良市の最南端宇陀市との境界辺り、国道396号線がそろそろ香酔峠の登り坂に差し掛かるろうとする西側一帯に広がる棚田です。

大合併に拠り奈良市に吸収されたが、つい5年ほど前にはまだ山添群都祁村、独自の文化を育んだ古代国家「闘鶏国」(つげこく)を築き、以後大化の改新によって「都祁郷」となり、中世には伊勢や伊賀などに通じる交通の要所として栄えた土地柄、今でも大和高原地域の中心部をなしている。

またこの吐山は野生鈴蘭の南限の群生地として知られ,その群生地の前にも棚田が広がり豊かな里山の景観を醸しだしている。

一方、貝ヶ平山、香酔岳山麓より流れ出す笠間川源流部の谷間深くにも棚田が形成され、隠れ里の感が有る。

谷の奥には大凡10軒弱の民家があり、ここでも大和棟の民家がえも言われぬ点景として懐かしい景観をかもしだしている。

奈良では、一谷毎に棚田が広がる感がある。

撮影2010.8.15-2009.9.26


奈良、平群(へぐり)町白石畑の棚田

2010年09月25日 | 棚田景観

平群は生駒山系の東斜面と其の東のに連なる松尾丘陵の谷間に開けた生駒市街から連なる平群谷と呼ばれる地域で、長閑な田園地帯とともに今は斜面に新興住宅が広がっています。

そんな松尾丘陵の南端辺りの山中に小さな白石畑と言う集落があって、大きくは無いが棚田が有ると云うことを、最近になってグーグルアースを眺めていて見つけた。

今までこの松尾丘陵を横断できる道は存在しないと思っていたので少しびっくり、平群の南端、椿井(つばい)から松尾丘陵を横断してちょうどあの法隆寺の背後辺りに出る道路があって、白石畑はちょうど其の中間辺り、20軒ばかしが軒を連ねるの小さな集落です。

椿井から約10分程も山道を駆け上ると急に開けた白石畑の小規模ながらも良く整備された棚田、其の奥に大和の民家が見え隠れする。

集落で道は大きく蛇行、直ぐに集落を裏から取り巻くような新しい道路に出るが、其の道路わきにも小規模ながら良く整備された棚田が広がっている。

 

 此処から一気に駆け降りるとちょうど法隆寺の裏辺りに出る。

撮影2010.8.28


奈良、宇陀市深野の棚田

2010年09月21日 | 棚田景観

此処は奈良と三重の県境集落、国道165号線からは室生口大野を通り越し見え県内に入って、秋の紅葉で有名な赤目滝近くの矢川、鹿高神社脇をUターン気味に左手山手に入って行く。

 

林道紛いの狭隘な道を10分程も駆け上がると突如道路が新しく良くなり目の前に棚田と集落が現れる。

集落は凡そ30軒ばかりか?このような山中にしては大きく、此処室生区深野は日本の里100選に「ササユリ守る県境の里」として選定されている。

集落はそこそこ高いのか高台から東の方を望めば、棚田越しに名張の街並みがかすんで見える。

棚田は集落全斜面に広がり、斜面の所所に民家が散在していてなんとも素晴らしい景観です。

どの棚田も手入れが良く行き届き転作耕作放棄も少なく見事で、青田の中に有る萱葺き覆いの赤いトタン屋根がなんとも見事名コントラストを見せてくれます。

集落の中ほどには神明神社と長楽寺の濃い緑が聳えて、いかにも懐かしい山里の雰囲気が良い。

ただ少し棚田の区画整理が進みすぎて、棚田の良さが半減していると感じるのは、写真を撮るものの勝手な欲目だろうが・・・。

撮影2010.7.28


奈良、宇陀市額井(ぬかい)辺りの棚田

2010年09月20日 | 棚田景観

大和高原を其の北端辺りの柳生から、中央部に位置する名阪国道針IC を越え、南端部に聳える額井岳の山裾へ至る国道369号線を、僕は大和高原ハイウエーと呼んでいて交通量も少なく、快適かつ長閑な景観が楽しめる僕好みの道路のひとつです。

額井岳は通称大和富士とも呼ばれている秀麗な三角錐の山で、其の南面には棚田がいくつも広がっている。

国道369号線が香酔峠を越え急な下り坂を蛇行を繰り返しながら下りきると玉立橋東詰交差点、そこを左折、直ぐに眼下に広がるのが赤瀬の棚田、ちょうど前回紹介の玉立の棚田とは国道を挟んで対峙しているような格好です。

道路から見下ろすと棚田の中に、鎮守春日神社の森と赤い鳥居が見える。

神社付近から玉立橋東詰交差点を見る。

此処を東に進むと額井の集落、集落は道路を挟んで上手と下手に分かれるがこの道路が出来るまでは一体であったことがたやすく想像できる。

上手に民家は4~5軒、一番奥には十八(いそは)神社が鎮座しており、そこから見る棚田越しの室生の山並みはこの上もなく美しい。

写真でも解るように棚田は所どころ畑地となり転作されている。

一方下部の棚田は新興住宅地が押し寄せていてどうにもこうにも絵になり辛い。

また秋の深まった頃には別の顔を見せてくれる。

 

これより集落を横切り戒場方面に林道のような細い道を進んでいくと山部赤人の墓だとされる古びた五輪塔があり、直ぐ横の谷間にも棚田が広がっている。

大きな弧を描き斜面を下る棚田は美しい、此処は榛原区山辺三

撮影2010.6.5-8.15 他


奈良、宇陀市榛原区玉立(とうだち)の棚田

2010年09月19日 | 棚田景観

こkは僕が奈良の奥、宇陀方面や吉野、大台方面に向かう時いつも通る道筋に有り、気に成りつついつもやり過ごしていた所です。

それと云うのも国道369号線と、大宇陀方面に向かう県道?との分岐点、玉立橋東詰交差点から右折した跨道橋の下に有り、車の窓越しに見る棚田の景観は素晴らしいものだが進入口が何処に在るのかも解らず終いだった。

グーグルアースで調べて見ると、棚田は玉立橋を中心に鳥見山麓より流れる香酔川に沿うように上流にも広がって居て、集落はその玉立橋を車で通過している分には全く存在すら感じさせない隠れ里です。

玉立と書いて「とうだち」、どうしてこういう読み方をするのかは解らないが集落内には玉立山青龍寺と云う古刹が在って境内には龍穴神社が鎮座している。

集落内への進入は玉立橋東詰交差を直進した直後、交番が右手にあるのでその道を大きくUターン気味に右折して集落へと入って行く。

香酔川の谷は狭く棚田はその谷川に沿うように幅狭く上流から下流へと一筋に下っている。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/58/43198a70f89476674886912d90736623.jpg

しかし何と行っても秀逸なのは玉立橋上から下流を眺めた棚田模様でなんとも捨てがたい。

下流方面から見た棚田。

撮影2010.5.16ー2010.8.15


奈良、桜井市与喜浦の棚田

2010年09月17日 | 棚田景観

国道165号線は長谷寺の参道ををかすめる様に通過するとしばらくはゆるい上り坂となり、それを登り切ると左手に見えるのが与喜浦の集落。

長谷寺は大和川支流の初瀬川渓流の西側斜面に在って対面する山が与喜山、与喜山は天神山とも呼ばれていて与喜天満神社が有る、又、与喜山暖帯林として国の天然物に指定されている。

そんな与喜山の南端に在るのが与喜浦集落で,それを過ぎた辺りの両側一面に棚田が広がり長閑な景観を醸しだしているが国道は車の量も多くスピードも出ていて簡単に道路脇に止めるわけにも行かない。

集落と目と鼻の先に櫻井浄水場が在って進入口は道路も広く、一時停車には持ってこいなのでそこに駐車してゆっくり撮影が出来る。

国道南側の近鉄線路と国道を挟んで北側の棚田はその中央を流れる吉隠川に沿って一面に

広がっていたものであろうが、今は国道がその真中をぶち抜き通過している。

棚田は200枚前後であろうか耕作放棄田なども少なく良く整備されて居て美しく,青田や黄金色の田がに波打っていた。

撮影2010.8.18


奈良県桜井市、白河(しらが)の棚田

2010年09月16日 | 棚田景観

 国道165号線の名刹長谷寺の少し手前(橿原方面から行くと)初瀬小学校の手前に左山手に入り込む比較的新しい道路がこの白河集落への進入路。


ちょうど長谷寺の一本西に当たる沢、初瀬山と巻向山が作り出した谷間だろうか??道路の奥には20軒ばかりの民家が巻向山の斜面に点在している。




棚田は大きく二箇所に別れ巻向山南東斜面に拓かれ、集落は殆棚田上部に位置している。




乘田神社(ひきた)神社辺りから見た棚田





中段からの棚田


集落手前の棚田は鎮守の乘田神社(ひきた)神社斜面から200m程の緩斜面に広がり、上段の棚田は耕作放棄が目立つ。





 下段、白河川沿いにも・・・。


この集落も三方を山に囲まれたドンツキ谷間集落、こんなと所にこんな集落が有ったなどと云うことさえ最近まで全く気がつかなかった。





片や一方は、民家が棚田見下ろせる上段斜面に点在して居て素晴らしい棚田の景観を醸しだして居る。




とわいえ、ここは市街地からも遠くなく、棚田の中腹には新しい家も建ったりしていて限界集落ではないことを主張しているようです。




棚田は民家から見下ろす谷間に大きく広がりを見せるが、ここでも耕作放棄田が目立ちます。


この辺りの枕言葉が隠国(こもりく)で有るように、人知れず深い歴史の中に有る棚田なのだろうと思って見たり。



撮影2010.8.28


奈良、桜井市、狛、岩坂の棚田

2010年09月15日 | 棚田景観

奈良にはこうしたひっそりと隠れる様に、まるで外界と隔絶したような集落が何箇所存在するのだろうか??


ここも市街地からは真近、前回紹介の出雲集落の対面、しかし国道165号線からは全くその存在すら伺うことは出来ない。


出雲集落の東外れ、櫻井東中学の横手を通る道路がこの集落への進入路、近鉄の跨道橋のしたをくぐり一気に山手に向かう谷筋斜面に民家が点在、どこからどこまでが狛集落なのか岩坂集落なのかも余所者の僕には見極められない。


棚田は谷間を流れる狛川の細い流れに向かって両斜面に点在している。



この谷の一番奥、岩坂集落を見下ろす様に広がる棚田は規模も大きく整備も行き届いているが最上部までは行きつけなくて全体写真は撮れなかった。








この谷の中段には休耕田を利用したひまわり畑と駐車所、農作物の無人直販店が有ってこの谷間集落は意外と余所者に対してもオープンの様な気がする。



下段の棚田が秀逸、なんとも言えぬ山里の景観を見せてくれる。



青田の棚田越しに見える遠くの高台には大和棟の民家、そこに行き着く道路はくねくねと曲がりながら登りえも言われぬ景観を醸しだしている。



正しく日本の原風景、ちょっと絵葉書過ぎる様な気もするが・・・・。




この狛も韓国の高句麗を思わせる地名でお寺にひっそり掲げられていた掛け軸が高句麗王のものだったと云うことが最近に分かったという。


日本の原風景は多分韓国のそれと全く同じではないのかだろうか・・・・・・。



撮影2008.1.26 and 2010.8.14


奈良、桜井市、白木(しらき)の棚田

2010年09月14日 | 棚田景観

白木は深い山の中、大和高原の中心、名阪国道、針インターより車で約20分程,ぐるぐると林道のようなハードな道を行くドン尽き集落。


此処は長谷寺の奥の院だとされる滝蔵権現の有る滝蔵集落よりどんどん奥に突き進む、こんな所に良くも集落があったものだと思うような山中にぽっかり開いた天空の村


白木(しらき)という地名はなにやら古代朝鮮の「新羅」を思い起こして興味深い。



集落内の道路


こんなドン突集落に余所者が入り込むのは滅多に無いこと、怪訝な目で見られるのは仕方ないが、そんな時には出来るだけ地元の人に声をかけるようにしている。


声をかければ結構気さくに話は進むし疑念も消し去ることが出来る。



この集落は結構広く、集落内には細い道路があちこちについていて何処をどう走っているのか良く解らない。




集落の民家が途切れ、細い農道を奥へ奥へと進むと小さな谷沿い一面に棚田が広がる。




今年の長雨で棚田のあちこちで土砂崩れが起きたのか?あちこちで土嚢で補強した跡が生生しい。 


撮影2010.8.14



奈良、桜井市出雲の棚田

2010年09月13日 | 棚田景観

国道165号線は奈良県橿原市と三重県津市とを結ぶ地方主要道で、奈良方面から進むと左手、大和高原山地と右手、宇陀室生山系の谷間を縫って走る。

沿道近くには大神神社(おおみわじんじゃ)、長谷寺、室生寺など全国的にも有名な古社寺が見られますが、何処か田舎風情を一杯残した懐かしい気分にしたれる道です。

橿原方面から最近開通したばかりのバイパスが旧165号線と合流してしばらく行くと左手に有る集落が出雲の集落。

出雲集落の中ほどには十二柱神社が鎮座しており、この境内には垂仁天皇の命を受けて出雲国の豪族だった野見宿彌(ノミノスクネ)は大和国に赴き当麻蹴速(タイマノケハヤ)と相撲を取り勝者となったのは有名な話で、この境内には野見宿彌の供養五輪塔が建つ。

境内に有る野見宿彌の五輪塔と狛犬の台座を持ち上げる相撲取り人形

また野見宿彌は、埴輪や須恵器など土器の製作に長けていたともいわれ、当時貴人とともに殉死する風習をヒトガタ埴輪に変えさせたと云われ、この出雲集落にはその流れを汲むという

出雲人形が現在でも作られ長谷寺の土産物屋で売られているようです。

当然、出雲の地名はそういう所以によることは想像に難くない。

集落の旧街道に入って直ぐUターン気味に斜面に登るわき道を行くと直ぐに棚田の広がる農道となり、上部まで登って見下ろすと全面の棚田が見渡せる。

所どころ、転作や耕作放棄は見られるが比較的良く棚田の美しさが残っている。

この日はこの棚田で急な夕立に出会って早々に車の中に身を隠した。

十二柱神社の境内はまた「武烈天皇泊瀬列城宮跡」伝承地とされていている。

撮影2010.8.14and 2008.2.2


福井県高浜町、日引(ひびき)の棚田

2010年09月12日 | 棚田景観

此処、何ヶ月も近場の棚田ばかりを廻っていて、日本海側、海の見える棚田のこともちょっと気になる成るので思い切って出かけて見た。


去年此処に来たときはすっかり刈り入れも終わった10月中旬、今年はまだ黄金に実る棚田を見たいと訪ねてみたが、やっぱり刈り入れはすっかり終わっていて期を逸してしまった感は否めない。



それでも稲架はまだ残っていてちょうど脱穀作業中の棚田も見れて自分に納得させておいた。


来年こそはも少し早く来ないとなあ・・・・。



此処は京都府舞鶴湾を包み込む半島部の反対側、福井県高浜町、日引(ひびき)の半農半漁集落で漁港と棚田が共存していて風光明媚な所です。


アクセスもそれほど悪くなく社会実験で無料化に成った舞鶴若狭道舞鶴東IC からくねくね山越え県道772号線で約く20分ほど。


海岸沿いで気候もそう厳しくないのか?暮らしにくくは無いのだろう、廃家など全く見当たらず、のんびり豊かな集落のように見える。



県道は集落の遥か上部、山肌を走り、棚田は其の道路から海岸沿いの集落辺りまで一面に広がっている。 





県道からの見下ろした棚田(上の2枚は去年のもの)


 


 


集落は舟屋(左の小屋)と稲架が見られる集落内道路 


 


稲架越しに見上げる棚田 


撮影2010.9.11and 2009.10.11