愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

旧五個荘町 茅葺き民家

2014年07月31日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

少なくなったとは言え、材料になる琵琶湖の葦が豊富な為かまだまだ多くの茅葺き屋根が見られる。

先日の中山道沿いから国道8号線を跨いで約200m程西へ、掘割り用水の流れる旧道沿い、長い黒板塀に囲まれ棟門の奥に大きな茅葺き母屋が建つ。

妻側の前垂れ破風飾りも見事で、その上の飾り瓦にも家紋をあしらい、家格を偲ばせている。

元は入母屋造りだったのだろうが??補修、改造を繰り返したのか?棧瓦葺き下屋と複雑に組み合わされている。

アワビの鳥威しがピカピカ光って居るけど・・・それでも何本も引き抜かれている。

撮影2013.7.21


旧五個荘町 中山道の茅葺き民家-3

2014年07月30日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

破風に蔦を絡ませ、今はなるがままに身を任せた茅葺き民家。

中山道五個荘町、昨日紹介の辻堂に対面する一角に、すっかり屋敷林に埋もれてしまった茅葺き民家が有る。

相当な名家の屋敷と見えて屋敷は広く、しかし屋敷林は伸びるに任せた手付かず状態・・・・・表門は閉じられて久しく、全く人の気配も感じられない。

後は朽ちるのを待つだけという哀しい姿の茅葺き屋根・・・・・ここまでなる前に何とか打つ手は、なかったのだろうか??。

撮影2013.7.21


旧五個荘町 中山道の茅葺き民家-2

2014年07月29日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

前回の旧片山家より旧中山道を道成に東へ約1km、そこはかと街道筋を感じさせる景観の中、一軒の茅葺き民家。

出合の辻、東北角には立派な辻堂、その奥右手に庶民の茅葺き民家・・・。

屋敷半分を焼板塀で目隠しにし・・・・

街道筋からは表玄関のみが僅かに見える。

茅葺き入母屋造りの妻側部に突き出した様な形、で棧瓦の落棟を継ぎ足して居るので、どこかしら母屋仕舞いがぎこちなく感じる。

棟には棧瓦の箱棟を載せ、格好良くまとまって居るが、大屋根の茅がそろそろ寿命を迎えつつ有る。

撮影2013.7.21


旧五個荘町 中山道の茅葺き民家

2014年07月28日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

五個荘町、旧中山道に残る立場本陣、旧片山家住宅の茅葺き屋根。

国道8号線五個荘南交差点を南に折れると、右手すぐに茅葺き入母屋造りの妻側が見える。

旧中山道に対して平入の入母屋造り、屋敷脇には金毘羅大権現の常夜灯が立ち、古の街道筋を彷彿とさせる。

 ここ旧片山家は往時、大名等も休憩した立場本陣であったと言うが、一見それほど格式高そうには見えず、上級農家のようにも見えるが・・・

表の格子戸にどこか街道筋ならではの風情を、そこはかとなく感じさせて呉れるのも良い。

最近葺き替えられたのだろう・・良く手入れされた茅葺き屋根に近江独特な破風上部に付けられた前垂れ飾りが良く似合う。

以前はすぐ近くにも茅葺き屋根が在ったようだが、付近には建物のない更地が目立つ。

撮影2013.7.21


野洲市 旧中山道の茅葺き民家(暁酒造)

2014年07月27日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧中山道、JR東海道本線野洲駅を東に、新幹線の高架下を潜ると目の前に立派な茅葺き民家。

ここは旧中山道、小篠原「暁酒造」さん、手入れの良く行き届いた大きく背の高い入母屋茅葺き屋根が聳える様に建って居る。

街道に面して妻入りに建ち、腰板白壁と格子戸の見事なコントラストに端正な美を感じる。

隣接した酒蔵の前にも犬矢来が置かれている。

建物は最近しっかり修復改装された様子・・・、棧瓦屋根も茅葺き屋根も真新しく、旧街道筋に素晴らしい景観を醸し出している。

撮影2014.7.21


守山市 大庄屋諏訪家屋敷

2014年07月26日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

滋賀県湖南、肥沃な穀倉地帯の広がる中、守山市赤野井町に残る「大庄屋諏訪家屋敷」の茅葺き母屋と客殿の書院。

本願寺赤野井別院の隣、約4000平米の敷地内に現在二棟の茅葺き屋根が残されて居る。

赤野井は諏訪家屋敷のすぐ脇、弘法大師が杖でつかれたら清水が湧き出したと言う謂れの「閼伽井(赤い)」が所以のt歴史深い土地。

その中央部に位置する諏訪家屋敷は南北朝期の暦応3年(1340年)、足利尊氏に従って信州から地頭として赴任して来た諏訪円忠に始まる。

  その子孫が代々この地方を治め、江戸時代には代官を経て大庄屋と成った名家。

屋敷脇の濠割を石橋で渡り、石垣土塀の奥から四脚門をくぐり屋敷内へ・・

正面に大きく入母屋造りの本家母屋、右手、直角に折れて離れ家書院。

書院は母屋から直角に入母屋破風を突き出し、その入口は式台とし、武家客殿の風格が窺われる。

現在守山市の文化財に指定され、近く守山市に無償譲渡されるとか??

そりゃ、とてもこの広大な屋敷と建物を維持管理するのは個人の力では限界がある様に思える。

撮影2013.7.21


奈良市 旧都祁村の茅葺き民家 

2014年07月25日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

ヒメジョオンの咲き乱れる向こうに大和棟茅葺き民家。

国道369号線、都祁吐山、山裾枝道を棚田を見下ろす高台に詰め登るとこの景観。

集落を進む在所道からは全く見えず・・・・以前にもこの辺りには来ているが気付かず終い。

斜面下部からは石垣積みの大きな納屋だけが目立って、奥の茅葺き母屋は全く見通せない。

つま先上がりにどんどん奥に詰めると大きな大和棟が目の前にある。

もうこの奥に民家は無く、もはや手入れを放棄した手付かず畑が広がるばかりで、撮影ポイントもこの1箇所だけだった。

撮影2014.7.12


奈良市 針町の茅葺き民家

2014年07月24日 | 茅葺き屋根(同)奈良県
 
 
旧都祁村もすっかり探し果てたと思って居たのに、茅葺き民家がまだ残って居た。

 柳生、山添、都祁は大和高原の大いなる田舎、田舎好きの僕には堪らない場所です。 


 大和高原の中心地??、名阪国道針IC近く、集落の家並に埋もれる様に大和棟茅葺き民家が残って居た。
 
名阪国道が直ぐ脇をすり抜けているのに、今まで気付かなかったのは背の高い遮音壁のせいだろう。


 見るからに骨組みもしっかりしていて、建物にも古さは感じ取れない・・・・たぶんこれは昭和期に新築された建物では無いだろうか。

茅葺き民家が急速に姿を消す中、茅葺き屋根も良く整備が行き届き揺ぎ無く見える。 
 
 
しかし裏側屋根はしっかり覆い懸け屋に成っている。
 
でもこれは深読みすれば、当分現行の茅葺き屋根を守り続けると言う証なのかも??

撮影2014.7.12

奈良市 大平尾の茅葺き民家

2014年07月23日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

柳生にもう一軒残っていた茅葺き民家。

大柳生から田原に抜ける県道47号線沿い、大平尾の一番奥地に手入れの行き届いた茅葺き民家が残っていた。

 山懐に囲まれ、まるで一軒家の様に見えるが・・・大きく背の高い大和棟が、ぺちゃんこに潰れた物置と対峙するように建っている。

 最近載せ変えたのだろう?真新しい大きな箱棟が大和棟の美しさを、少し失わせている

 

 多分地元の上級農家なのだろう、茅葺き母屋の周りには何棟物建物が建ち並んでいた。

撮影2014.7.12


奈良市 大柳生の茅葺き民家

2014年07月22日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

旧柳生町界隈には事ある毎に通い、まさかもう茅葺き民家を見落としているとは思いもしてなかった

 大柳生、家並越しに建つ茅葺き民家、この屋根は表通りの国道369号線からは一切見えない。

柳生は奈良市内とは言え鄙びた片田舎、国道筋の空き地に車を捨て置き、在所道の斜面を登ると・・・・

陽裏側がびっしり苔生し、おまけに一部屋根の抜け落ちた茅葺き民家が在る。

永らく手入れをしてないのだろう・・・・もはや脇の竹藪が落棟の瓦屋根を呑み込みそう。

陽当たりの良い表側に廻ると、ゴミクズを燃やす煙がたち、何やら生活感を窺う事が出来る。

しかし棟飾りの抑え木はポッキリ折れ曲がり、回復不能な程に傷んでる。

こちら側からこうして見てる分には、一寸傷んだ入母屋造りの茅葺き民家。

多分、もう次の撮影は無理だろう・・・・。

撮影2014.7.12


天理市 櫛山古墳地蔵石仏

2014年07月21日 | 石仏:奈良

大和に多い前方後円墳の濠淵堤防、夏草に埋もれる様に佇む石仏さん。

長岳寺の直ぐ南、崇神天皇陵南端外周道を道成に行くと陵が途切れ・・・・・

ちょうど東隣の櫛山古墳との間の散策道を進めば櫛山古墳の濠堤に出る。

濠堤に登り、マムシは居ないかと枯れ枝で夏草を掻き分け、やっとご対面。

この時期、特にマムシがヤバイのだが何とか無事到着、台石に腰を落としてしばし一服、邪魔な夏草をなぎ倒す。

石仏は頂部が山形に成った高さ120cm、幅約65cmの柱状花崗岩自然石の表面を荒削りに整え、鏨痕の残る舟形を深く彫り下げ・・・

中に像高87cmの定形地蔵立像を厚く半肉彫りで刻み出している。

細部まで神経の行き届いた像容は堂々としていて石仏量産以前を物語る。

室町中期の永世十一年十月(1514)の銘が確認されている。

野面の石仏ゆえ苔むすとは言え、中々良い地蔵石仏なのだが、この地に有っては殆ど見向きされる事もない。

撮影2012.5.23


天理市柳本町 専行院の石仏 

2014年07月20日 | 石仏:奈良

十年一昔と言うけど余りの変わりように唖然としてしまう。

 

先日の長岳寺五智堂にせよ、この専行院にせよ、その近代化と言うか現代化と言うか・・・、どうも一昔前のしっとりとした景観を知ってる者にはイマイチ違和感を拭えない。

鐘楼脇に一列に並べ立てられた小石仏群と、一際目を引く石棺仏。

しかし、何やら別の場所に来た感じさえしないでもない。

石棺仏は高さ121cm、幅91cmの凝灰岩製石棺材の正面に舟形を鑿痕を残し深く彫り沈め、蓮華座に立つ像高85cmの来迎印阿弥陀立像を厚肉彫りで刻み出す。

細身で特徴ある体躯や尊顔は、近く、光蓮寺跡の阿弥陀石仏に瓜二つ。

同作者の同一時期の造立だろうと考えられて居る。

一方脇に並べられた小石仏にも鎌倉期の見るべき石仏がある。

撮影2012.5.23


天理市 柳本町光蓮寺跡の石仏

2014年07月19日 | 石仏:奈良

これも再撮の再アップ、同じく天理市柳本町光蓮寺跡の石仏群です。

先日の五智堂から西へ直ぐ、建ち並ぶ旧在所の真ん中辺り、今は公民館敷地の光蓮寺跡に残された数多くの石仏群。

勿論ここで一番の見ものはこの石棺仏。

高さ113cm、幅約50cmの凝灰岩製石棺部材表面に深い舟形を彫り沈め・・・

中に蓮華座に立つ高さ54cm、特徴強い細身の来迎印阿弥陀如来を厚く刻み出している。

 

蓮台下部に六行の銘文と鎌倉時代の健治二年一月九日(1276)の紀年銘が刻まれて居る。

所謂健治型石仏と言われる所以です。

 一方建物脇に立て掛けられた石仏さんですが・・・・

 ここに見覚えのある癖の強い石仏さん。

長岳寺付近で馴染みの深い善教作の地蔵石仏だと言われて居ます。

前回UPのものはここから

撮影2012.5.21


天理市 長岳寺五智堂の石仏

2014年07月18日 | 石仏:奈良

長岳寺門前より国道169号線を挟み西へ1km足らず、風変わりな建物、長岳寺「五智堂」脇に残された石仏さんたち。

以前、10年ほど前にここを訪れた時は、五智堂奥に見える新築民家は風情ある銭湯、ちょうど入口の暖簾が石仏の借景に成って居て、それなりの風情を醸し出していた。

再度この地を訪れ、その変わり様に愕然とした・・・・

しかしその無味乾燥なコンクリートブロック前の石仏群は何一つ変わって居なかった。

この石仏群を代表する細身醤油顔の阿弥陀さん・・・。

みめ麗しく何一つ変わって居なかった。

撮影2012.5.23


天理市 中山不動池の不動石仏

2014年07月17日 | 石仏:奈良

中山不動池の、なんともぎこちなく、アンバランスな不動石仏。

中山観音堂からすぐそこの長岳寺までの間、東側、野面の一本道をブラブラ歩いて約20分・・・

山裾斜面への登り口に不動池が有り、その北畔に小さいながら立派な不動堂が建つ。

堂内中央奥には高さ1mばかりの花崗岩自然石に刻まれた不動明王が立っている。

像高約70cm、右手に利剣、左手に策の定形立像

しかしながらどう見ても釣り上がり過ぎた眉と目は、とても憤怒層のそれとは見えず、拙さだけが目立つ。

団子鼻に釣り目の、ぎこちなくアンバランスな不動明王石仏ながら、天文21年の銘があり室町末期の造立。

天文時期にはもっと手馴れた石工もいっぱい居ただろうに・・・。

帰りがけ野面道の小さなお堂には・・・

山之辺の道によく似合う地蔵さん。

ふくよかな尊顔に四等身体躯・・・・ほのぼの山の辺、野の仏。

撮影2012.5.23