愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

野洲市冨波(とば)の勧請縄

2008年02月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

富波と書いて「とば」と読ませるらしい。


地名と言うのは語源がどこにあるのかその地域以外の人間にとっては非常に難解なものが多い。


だからこその面白さは否めないけど・・・・・。


ここは東海道本線に平行して走る県道2号線、中の池川橋畔、2月10日近畿地方は大雪になり、この道路も多登場の車で大渋滞。



冨波甲の勧請縄



冨波乙の勧請縄


そんな中、県道と中の池川橋をはさんで冨波甲と冨波乙の勧請縄が雪の中対峙していた。


その間も距離おおよそ100m、川沿いの堤防脇にポールを建てて道きり縄としての勧請縄のように見えますが・・・・。



ここには勧請縄にちなむ伝説が残り、長和元年(一〇一二年)藤原忠重は冨波村を安土に向かって歩いていたところ、村人を苦しめる大蛇の話を聞き、


忠重はこの大蛇を退治したが、大蛇の毒気を受けて亡くなってしまい、村人はこの遺徳を偲ぶために藁の大蛇を作り村の入り口に掲げたという。


現在、冨波村は冨波甲と冨波乙に分かれており、両村で勧請吊り行事がなされ、ここでは勧請縄をジャナワといっている。 



富波甲の縄にはカナメモチを結わえてこしらえた小勧請縄で飾り縄の上には御幣がつきたてられている。


うるう年の今年はいずれもが13本で、小勧請縄を(蛇の)足と呼び、御幣は鱗とよぶそうです。




対峙する冨波乙の勧請縄は冨波甲のものを簡素化した形で造形的には、こちらの方がシンプルでより神々しく見えるのは現代人の「目」だからなのだろうか??


撮影2008.2.10


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屯倉神社の勧請縄

2008年02月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

JR東海道本線の野洲駅から程近いいところに市三宅と云うところがある。

もちろん三宅はもともと屯倉であって、いつの時代かに字だけが変わってしまったようです。

遠い遠い昔に市の在った屯倉という意味なのでしょうか??

この野洲町あたりも勧請縄の多い地域で幹線道路を走っていても見かけることがあるところです。

市屯倉の集落の少し東外れにこの屯倉神社の鎮守の森があって、ちょうど雪の降りしきる中で広い境内は厳かな空気の中で森閑としていた。

石の鳥居をくぐって境内の中央辺り、両脇の杉の木の間に一見ちょっと風代わりな勧請縄が掛けられている。

縄の中央に丸い竹笊をつり、その背後に何本もの割り竹を十字に組んでいる。

これは闖入者を防ぐバリアとしての意味を持つものに違いないのだろうけど、ちょっと不思議な形です。

竹の十字は多分ドーマンのしるしでもあるのではないでしょうか??。

両脇には梯子上の小縄が6対と7対吊り下げられそれぞれに常緑樹の小枝がつけられ、今年が閏年であることを認識させられる。

造形的にもよく整った美しさを持っている縄です。

撮影2008.2.10


長勝寺の勧請縄

2008年02月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

ここは三つ目小僧の勧請縄。


JR東海道本線と新幹線にはさまれた能登川駅東側に広がる湖東の田園地帯の中にある集落。


集落の小高い丘の上には長勝寺という古刹があってこの集落の名前はそこから来ているのだろう。



この集落の勧請縄は、集落の結界と思しき集落を流れる小川と道路が交わる所の道路上にポールを建てて頭上高く渡されている。


伊庭の勧請縄が大きな一つの輪だったのに対してこの長勝寺の縄には杉の小枝で作ったリース状のものを三つ目小僧のように縄の中央に付けている。



三つ目の上にはそれぞれ篠竹にさした御幣が立てられその下方には数多くの小縄とそれぞれに杉の小枝と小さな弊も付けられている。



雪の降りしきる中で見上げるこの勧請縄はやっぱり三つ目小僧の勧請縄としてしっかり道切りの役目を果たすべくにらみを利かせているようにも見える。


撮影2008.2.10


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伊庭大浜神社 仁王堂の勧請縄

2008年02月23日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

去る2月10日は近畿地方が何年か振りの大雪。

朝の内はそうでも無かった雪は僕がこの旧能登川町の伊庭に付く頃には激しく降りだし、野山をモノクロ-ムの世界に変えて居た。

雪中勧請縄を目にして見たいと思っていた僕にとっては絶好のコンデションだったが車での移動は大変きわまるものでした。

伊庭の地は安土城の東側に連なる田園地帯で琵琶湖野湖岸近くにある。

伊庭の地の大浜神社が鎮座する前、道路上に背の高いポールを立て、道路またいでこの一つ目小僧の勧請縄が渡されている。

雪の中の勧請縄はモノクロームの世界でいかにも厳かで神々しく見える。

縄の中央に大きな竹の輪をつくり、輪の中にドーマンの印のように格子を渡し、杉かヒノキのような常緑樹の小枝を飾り、輪の上には三本の御幣を立てている。

両脇には小縄を吊り下げ、これにも小枝と幣を付け造形的にも美しい。

また大浜神社境内には、仁王堂の茅葺きのお堂があって雪中で佇む姿がいかにも幻想的で素晴らしい景観でした。

撮影2008.2.10

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旧八日市市、河合寺町八幡宮の勧請縄

2008年02月21日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

滋賀県、旧八日市市は勧請縄の宝庫、市街の周辺に点在するどこの集落に立ち寄っても勧請縄がたやすく見つけられる。



去年にあらかた回ってみたのだが、今年も近くまで行ったついでに河合寺町の八幡宮に立ち寄ってこの勧請縄と対面してきた。



鳥居の奥の参道脇に勧請ポールを建てて、両端の長い房を地面一杯までたれ下げている。


縄の中央にはヒノキの小枝で輪を造り吊るし縄の上には三本の寶印と思われる紙を巻きつけた小枝ををつき立てた勧請縄で、簡素なつくりが、かえって厳かな感じにさせる。



ここを訪れたのは2月9日関西に大雪の降った日で、この縄の撮影を済ますとあたり1面モノクロの世界に早変りしていたのを思い出す。


撮影2008.2.9


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桜井市粟原(おおばら)天満宮の勧請縄

2008年02月19日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


奈良県、桜井、宇陀方面に車を走らせていると、ここには何かがあるなと思わせるような風景があちこちで見られる。


国道166号線は、165号線大和朝倉で分岐して山間を、旧大宇陀町方面に向かう道路、周りは自然豊かな素朴な里山風景です。


大宇陀に入るちょうど中間点あたりにある、この粟原の里もそんな素朴で懐かしい日本の原風景を感じさせてくれる里山です。



何気なく集落に入っておくに進んでいくと小さなお寺があって、そこでうろうろしてると、隣の老婆が声を掛けてくれた。


この土地に勧請縄はあるのかとたずねて見ると、近くの天満宮に掛けられていると言う。



天満宮の裏は粟原寺跡があっていいところだから、車はここにおいて歩いていくようにと懇切丁寧に教えられた。



神社は天満宮、境内へあがる石段両脇の両大木の間にこの勧請縄が掛けられている。


縄には榊?の小枝を何本もつけた吊飾りが3箇所に取り付けられている素朴な形の勧請縄です。



偶然に見つかった勧請縄、老婆の話だと集落で不幸事があるとこの縄は切り落されてしまうそうです。



人の死を穢れと見るのは仕方の無いことなのだろうか??。


きられた勧請縄はあちこちで見ている。


撮影2008.2.2


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桜井市高家(たいえ)の勧請縄

2008年02月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

奈良県桜井市高家は、明日香と多武峰、談山神社結ぶ小さな里山集落。



この地の勧請縄は石仏が何体も立っている辻から、安倍文殊院方面にだらだらと下る旧道を下っていった集落の結界と思しきところの、道路の頭上に渡されている。



これぞ、明日香の勧請縄、道切り縄と言う素朴さが、付近の景観とうまく溶け合っていてる。


万葉集にも、


黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏□麻天尓
 ぬばたまの よぎりはたちぬ ころもでの たかやのうへに たなびくまでに


詠われるほどの古い土地で、まさしく日本の原風景という風情を感じます。



谷あいの三差路になる斜面の勧請木から手前斜面の木まで長さ約30mにわたって掛けられています。


そこはちょうど小さな小川も流れていてまさしく勧請場としてふさわしい場所のようにみえます。



この風景画いつまでも残るようにと切に思わずにはいられない。



撮影2008.2.2


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桜井市脇本「春日神社」の勧請縄

2008年02月16日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

奈良橿原橿原神宮前から三重県松阪へと延びる国道165号線を初背方面向かって車を走らせていると、道路の左手の神社に勧請縄が掛けられているのが目にとまった。


ここは桜井市脇本、わき道を左折すると朝倉小学校脇に出てそれをまた左折、神社の脇の空き地に車を置いて先ほど見た縄の前に出る。



この神社の前の通りは伊勢街道、神社は脇本の春日神社で、近くの田圃から「脇本東遺跡」が出土し、5世紀後半~6世紀初頭の宮殿跡、第21代雄略天皇「泊瀬朝倉宮跡」と推定される由緒ある土地のようです。



伊勢街道にを前にして立つ、境内入り口の二本の杉の木の間にこの勧請縄が掛けられている。


縄の正面中央に藁胴を作りその上に3本の御幣をつけた篠竹を刺し、両脇に松の小枝と御幣をつけた


下げ飾りが2個づつ、その脇が藁筒、そしてまた2個づつの下げ飾り。



造形的にはかなり整った勧請縄のように感じがします。


なにやら洗練されすぎてるという感じもしますが??。


撮影2008.1.26


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桜井市薬師堂、素盞雄(スサノオ)神社の勧請縄

2008年02月14日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

桜井市の三輪大社の南東側すぐ近くにある薬師堂と呼ばれるあたりの古社です。



境内には、薬師堂と呼ばれる仏堂が在って薬師如来と十二神将が祭られているという。



小さい境内の小さな拝殿左前にある巨大な老ケヤキの幹から境内右端の大ケヤキの幹までに、この勧請縄が掛けられている。



拝殿前、中央部分の縄の上に三本の御幣が掲げられ、その下方の小縄には松の小枝が縛られている。



途中、若い小さな木を跨ぎ、右端の大ケヤキの老木の間にも同じように3対の御幣と小縄がつけられている。



古びた小さな社に、巨大な2本の老ケヤキ、それをつなぐ見事な勧請縄、小さな境内の絵になる風情です。


このあたり何があっても不思議な気のしないところです。


撮影2008.1.26


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桜井市針道の勧請縄。

2008年02月12日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 

桜井市街から談山神社に向かう県道がやがて、つづら折れの山道にさしかかり、八井内の集落に入る旧道に入っていくと、そこよりまた谷川沿いに山奥に入る道路がある。

その細い山道を車で少し走ると、谷をまたぐ新道の橋脚の向こうに,この勧請縄がかかっていた。

勧請縄は、小さな谷川を跨いで、集落の結界、勧請場と思しきあたりに30メートルほどの長さでかけられている。

縄の真ん中あたりに藁飾りをつけ両脇に樒(しきみ)の小枝を一杯につけた飾り物を1対吊下げた単純な形の縄です。

勧請縄を追ってる僕には見慣れた景色なのだが、ここは地図で検索してもほとんど人家があるようには思えないほどの山の中、車を奥へと進めてみたが数軒の家が点在してるだけのように見えた。

小さな沢沿いに立つこの集落はたったこれだけの家の人たちでこの長い勧請縄を沢から沢にかけているのだろうか??。 伝承を受け継ぐ若者は果たしているのだろうか??

撮影2008.1.26 

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滋賀県日野町、熊野神社の勧請縄

2008年02月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


日野町の市街地より、鈴鹿山系を越えて三重県の菰野町へと至る国道477号線がちょうど山岳道路様相を呈する蔵王ダム湖を過ぎたところに熊野集落へと続く道路が分かれている。


途中グリム冒険の森なる遊戯施設、オートキャンプ場があるが、それを横目に見て道なりに進むと、やがて熊野の集落が点在しているのが見えてくる。



集落の一番奥まった辺りにこの熊野神社があって、杉としては異常な梢を持った蛸杉と呼ばれる巨木が迎えてくれ、まるでここは人里離れた信仰の里のような趣がある。


熊野神社の祭神は、紀州熊野の神である熊野大権現を約千年以上もの昔に、熊野村へ山伏である修験者達が遷し迎えたらしい



目的の勘定縄は簡素な造りの素木の鳥居を越えた境内入り口両脇の大きな杉の幹にかけられている。



本年は閏年だからなのか、綱の中心よりに13本の子縄を吊り下げシキミの小枝つけている。



杉の根元には12本??の竹串に挿した御幣がつきたてられています。



また、右手山道に入る境内側の二本の木にも低い位置で縄が渡されていて厳重な結界だと、にんまりしてしまった。


この縄も穢れの進入を防ぐためのもののように思われますが??。


とって返して、神社の鳥居から道路を隔てた石垣の上には小さな砂盛りがあって、真ん中に御幣が突き立てられ、砂盛りの前の両脇の木にも縄掛けがあり、二本の松の大きな枝がおかれていました。



多分にこれは、この神社で行われる「お祈り」と呼ばれる弓取りの神事が行われた後なのだろうとおもわれる。


するとこの縄は的でもつるしていたのだろうかと???。


因みに砂盛りのある場所は「おろち塚」と呼ばれ遠い遠い昔、熊野の人々を苦しめた大蛇を若者達が退治し、その死骸が埋められていると伝えられているようです。


撮影2008.1.13


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馬見岡綿向神社の勧請縄

2008年02月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

滋賀県東近江地方に在って、近江商人を輩出した町として良く知られた日野町を代表する神社が馬見岡綿向神社で、 壮大な境内には滋賀県指定文化財の本殿をはじめ、日野商人が寄進した立派な拝殿や絵馬殿・石灯籠・石橋などがあり、絢爛豪華な曳山車で賑わう湖東地方最大の日野祭(県指定無形民俗文化財)は、この神社の春の例祭です。



日野町の最高峰である綿向山(標高1,110m)の頂上に鎮座の綿向大神(天穂日命)を、平安時代初期の延暦15年(西暦796年)に里宮として現在の地に遷し祀り、蒲生上郡の総社として信仰をあつめたようです。


日野町の中心地に近いこの神社の前をたまたま通りかけて見つけた勧請縄。



その見事な造形と背景になる大きな境内、深い緑に感嘆の声を漏らすほどだった。


神社のホームページに拠ると・・・・・


毎年正月 5日には境内の入口に勧定縄が吊り張られる。山の神の信仰に基を為すものである。真ん中の藤の蔓で作った二重の輪は、太陽と月を表し、垂れは12本1組を12組(12ヶ月分)吊り下げ、その長短は日照の長さを表している。


と簡単な説明がされている。



境内入り口の両脇にある石灯籠背後にそびえる大きな二本の杉の木の間に上空高く渡されているて壮観です。


また両側の灯篭台座脇には各6本筒の御幣がつきたてられていました。



これもどこの勧請場でもよく見られる形です。


撮影2008.1.19


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河内長野、小深天狗堂の勧請縄。

2008年02月05日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

まったくどこを堂走ったのかも解らないままカーナビの誘導でたどり着きました。


国道310号線、石見川という谷川沿いにその小さな境内があって、境内に上る石段の上にこの勧請縄がかけられていました。



この地は奈良県五條市と境を接していて、金剛山系の谷川沿いに小さな集落があります。


境内には小さなお堂があって、大日如来座像、釈迦如来、不動明王が安置されているということですが


、お堂の外からはまったく窺い知ることはできません。



ここでは、神縄懸と呼ばれているようですが、ほかの地域の勧請縄と同種のもので、長さ約5mほどの大縄に4箇所の小縄下げ、御幣や榊、樫などの小枝をつけ下げている。


こうした、慣習は全国各地に見られたらしいが現在ではこのような山間僻地しか見られなくなってしまっている。


これから先もどんどん減っていくのは間違いない。


撮影2008.1.13


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流谷八幡宮の勧請縄

2008年02月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

河内長野市は大阪南部泉州地域の奈良県、和歌山県と県境を接する金剛山系の山懐の町で、かっては大阪のチベットと言われた地域だそうです。

しかし実際には山懐は大きく開発され新興団地が林立する街になっていました。

それでも少し山の中に入ると、山の谷間に小さな集落があちこちに見られる山峡の地です。

流谷八幡宮のあるこの集落も谷川沿いに連なる小さな集落で、その奥まった谷川に近代的な橋がかかっていて向こう岸にこの流谷八幡宮が見える。

勧請縄は谷川の手前側の勧請杉と呼ばれる二本の巨杉から対岸にある柿の古木の間に渡されている。

昔、この里は甲斐の庄と呼ばれ京都石清水八幡宮の荘園で、長暦3年(1039年)1月6日に京都石清水八幡宮のご神体を勧請するに際し、道から社頭へ一筋の綱を渡し、それに宝殿を託して神体を本殿に遷宮したそうです。

この勧請の場所と日時を記念するために、その跡に植えられたのが勧請杉、その翌年からこの勧請縄は続けられているといわれています。

川幅30mに対して、大縄は60m、大縄の途中に「えいらく」と言われる、榊を小縄で括り、玉串で取り付けたものが、平年では12箇所取り付けられ、閏年の今年はは13箇所と成っていてこれは、ほかの地域でもよく見られる慣わしです。

大綱は概ね五月雨の時までには切れるようですが、この綱が切れる時期で、その年の豊作の良し悪しを占ったと伝えられています。  

大阪で、これほど大規模な、勧請縄が見られるのはほかにないのでは??。

撮影 2008.1.18

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