愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

嵯峨釈迦堂(清涼寺)の石仏

2008年06月30日 | 石仏:京都

観光都市京都にあって、誰もが一度は訪れたいと願う嵯峨野の分岐点的なお寺です。

嵐山の渡月橋から北に向かってまっすぐのびる道路の突き当たりに釈迦堂と呼ばれる清涼寺の大きな山門がそびえている。

右へ行けば大覚寺(大沢池)や広沢池へ向かう事に成り、左へは化野念仏寺方面へ向かうか事に成る。

清涼寺本堂の釈迦如来像は清涼寺式釈迦如来像として有名でその衣文の様式は誰もが一度は教科書で見たに違いない。

清涼寺山門入ってすぐ右手前方にちょっと見慣れない形をした石仏が西面を向いてたっています。

高さ2.1mの鎌倉時代の弥勒多宝石仏と呼ばれていて、裏だと思われる東面は宝塔が浮き彫りにされ、塔身には四角の彫りくぼみを設け、二体の石仏が並んで彫られています。

西面する前は天蓋を設け蓮華座に坐す像高82cmの如来像を半肉彫りにしています。

ここでは弥勒信仰の盛んな鎌倉期の造立ということも在って弥勒石仏とされています。

これは石塔なのか石仏なのか???。

この石仏の西側には石塔の塔身部分にあたると思われる石があって、四面に石仏が厚肉彫りされているが手水鉢にでも利用されていたのか

上部に丸い彫りくぼみがある。

また同境内には見慣れない形の石幢があって開山曙・R(ちょうねん)上人の墓と言われています。八角形の石幢は珍しく鎌倉時代のものとされています。

撮影2006.12.16

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北白川の二体阿弥陀石仏

2008年06月23日 | 石仏:京都

京都市内には、大和や近江にあるような磨崖石仏は存在しない。

石仏の中でも 磨崖石仏が好きな僕にとっては京都市内の石仏はどうしても後回しになってしまう。

京都の石仏には奈良文化圏で見かける石仏のような野趣が見出せなく、石仏までが何処となくお高くとまっているような感じがするのは京都文化が持つ一面なんだろうか。

京都市内に入って一番東側を走る大通り東大路をどんどん北に向かって進む、大学校の校舎が林立する辺り、ちょうど今出川通りと交差する百万遍交差点を 

左折、今出川通りを銀閣寺方面に向かうとやがて道路が少し蛇行する辺り、右手に入る旧道脇に覆堂が建っていて、そこに大きな2体の阿弥陀石仏がまつられている。

少し脇道にそれただけで今出川通りの喧騒が嘘のような空間がそこにはある。 

覆堂はよく清掃も行き届き毎日のように、お参りもあるのか真新しい花や香が見受けられ、付近の人たちから親しく守られている石仏だと言うことが伺われる。

右側の石仏は、高さ約150cm 、幅95cm の花崗岩製の二重の光背を背負った厚肉彫りの阿弥陀如来座像で、光背には十三個の月輪があり、梵字を陽刻しています。

比叡山香炉ヶ岡弥勒石仏と同じく、比叡山系の流れをうけた物だと言われていて、平安後期から鎌倉前期の様式をつたえています。

左側の石仏も阿弥陀如来座像で、像高は110cmで、右の像より摩滅がすすんでいるのは、顔面を撫でこする信仰でもあったのでしょうか??。

光背部分は自然石のままで、右の像と作風が異なる様ですが、鎌倉時代の物だと言われています。

もともとこの地に祀られていたのは左側の石仏で右側の石仏は昭和のはじめ頃近くから堀起こされたものだそうで、どのような運命をたどった石仏なのかは判りません。

撮影2006.12.16

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