愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

芸濃町 石山観音阿弥陀如来磨崖石仏

2006年07月31日 | 石仏:三重

石山観音は三重県安芸郡芸濃町にある、観音霊場で標高160mの山全体が石山の名前が示すように一つの石から出来ているのだそうです。

沿革は定かではなく、淨蓮坊というお寺がこの霊場を管理していたらしいが今はありません。

また江戸時代には雨乞いの霊地でもあったようです。

そこに鎌倉時代から大正昭和までの700年あまりの間に作られた阿弥陀・地蔵・西国三十三所観音等40余体の磨崖仏があります。

名阪国道「関IC」でおりてすぐ右折、伊勢別街道を南進、ゴルフ場と石山観音の案内があるところで右折、ゴルフ場へ行くと道と分かれ右折すると石山観音につく。

現在では公園化されていて、駐車場・トイレ・掲示板・パンフレットまで用意されていて、至れりつくせりの石仏行脚地です。

この地の石仏も何度かに分けて紹介していきます。

参拝順路としては一番最後なのですが、最初に紹介するのは、阿弥陀如来立像磨崖仏で、石山最古最大、台座を含めて5mにも達します。

ほとんど垂直の絶壁につぼ型光背を背負う上品下生来迎の阿弥陀を、丸彫りに近い半肉彫にしていて像高3.52m、衣文はやわらかい平行線を重ねる清涼寺式で、室町初期を下らぬものといわれます。

像の胸の正面中央に小さい穴が空いてているのは、写経や願文を納めたものらしいが、蓋石が無くなって、今ではただの穴でしかなく、また像の上部に並んだ穴は、これに垂木を渡して片流れの屋根を構えていた跡だという。

この雨よけのせいか比較的風化の進みが遅い様な気がします。

撮影2006.6.10


天理市 長岳寺奥の院不動明王石仏

2006年07月25日 | 石仏:奈良

石仏の多い大和の石仏の中でも屈指の名作だと言われている不動明王石仏で、長岳寺の奥の院跡にある。

長岳寺奥の院は、長岳寺から裏山を上ること約2km、竜王山の中腹にある。

例によって横着者の僕は寺で車でいける方法を聴きだして、旧国道25号線で天理ダムまで行き、その奥の竜王山山頂を目指して車を走らせた。

天理の中心地から約30分、いやはや、えらい山奥の竜王山の頂上付近にまで車を進めて、案内イラスト掲示板付近に車を駐車。

このあたりは、竜王山のハイキングコースになっているのか、若い夫婦連れのハイカーに出遭ったりする。

掲示板の近くに、奥の院石仏の案内掲示板があるのでそのとおりに、急な山道下っていく。

ハイキングコースとして整備されているので歩くのはそんなに苦に成らない、山を下ること約15分、案内板どおりにハイキングコースを右におれると直ぐの谷あいにこの不動明王が直立している。

この不動石仏は、高さ2mの火炎光背の中に像高1.55mの立像を丸彫りに近い高肉彫りにしたもので、その力強い横顔は、かなり彫りの深いイケ面で凛々しい。

そばに立つ勧進碑に元徳2年(1330)鎌倉末期の年号が有りこの不動石仏造立年だと思われる。

奥の院の石仏とは言え建物は跡かたも無く、山深い谷あいにただ一人何百年とたたずむこのイケ面不動・・・・・。

この不動石仏像は風化も少なく大和屈指の石仏だと言われているのが納得できるし、また不動石仏中の傑作だと言われているのも尤もな事だと思う。

撮影2005.11

場所はここ


天理市 長岳寺の石仏

2006年07月23日 | 石仏:奈良

奈良の山之辺の道を歩いた人なら誰でもが知っている長岳寺は、弘法大師の開基と伝えられる真言寺院で、石仏ファンにとっては見逃せないところで有る。

長岳寺の境内の一番奥まったところ、大師堂前の丘の上に古墳石棺の蓋石を転用して刻まれた弥勒石仏が立っている。

単石仏としてはかなり大きな物で、高さ2.4m、幅1.8m、厚さ30cmの大きな石棺の蓋石に大きな如来像を厚肉彫りにしたもので、目元や口元に笑みを浮かべた美しい表情の弥勒で鎌倉中期の作風です。

この独特な丸顔の、細目で唇を突き出した、独特な表情の石仏は、大工僧善教の作で、このあたりの石仏に同じ特徴を持ったものが多く残されている。

本堂から太子堂に上る石段に転用されていた傘塔婆地蔵石仏は、鎌倉後期の元亨二年の銘が確認されていて、美しい顔立ちで像容もよく整っていて、現在太子堂前に立っている。

その横手の小さな不動堂には彩色された跡の残るユニーク姿の浮動明王石仏が祀られている。

長岳寺の隣の柳本墓地にも善教の作だと思われるソース顔の地蔵石仏が、あの石棺仏と同じ顔立ちで立って居られました。

撮影2005.11

場所はここ


天理市 柳本の石仏‐2

2006年07月20日 | 石仏:奈良

前回紹介した傘堂から西へ約100m小さな小川を渡る橋を、南へ入ったところに長岡公民館という小さな会所がある。

この公民館は光蓮寺と言う寺院跡らしく、脇に小さなお堂が架けられていて小石仏が集積されている。

前回紹介した、傘堂の阿弥陀石仏と同じ作者の作と思われる石棺仏は、鎌倉後期の建治二年(一二七六)の銘が刻まれている。

石棺仏とは鎌倉時代に古墳の盗掘が多くなり、被葬者を弔う意味も込めてその石材に石仏を刻んだもので、この周辺に数多く残されている。

面長で、細身で、技巧的な個性の強い作品で、ここから南に少しいった専行院にも同じ作者の石棺仏がある。

1体は阿弥陀石棺仏で、もう1体は左側が破損してしまった地蔵石仏 、建治二年(一二七六)未完成の石仏と考えらています。

この阿弥陀石棺仏は、まさに光蓮寺跡の石棺仏に瓜二つで、妙に納得のいく作風です。

撮影2006.5.28

場所はここ。


天理市 柳本の石仏‐1

2006年07月18日 | 石仏:奈良

奈良県天理市に柳本という処があって、山の手にはあの有名な山之辺の道が通っており、柳本の町並みの中を上つ街道が通っている。

この山之辺の道付近には長岳寺という古刹があり、この柳本の街中の辻に五智堂が建っている。

五智堂は傘堂とも呼ばれているように、一本の太い柱に傘のような方形造りの屋根をつけており、大日如来を心柱に五智如来あらわす鎌倉時代の建築物で重要文化財に指定されている。

この五智堂の片隅に、庶民的な銭湯の入り口を背にして、その顔に特徴の強い石仏が数体祀られている。

今風に言うと醤油顔の阿弥陀と、ソース顔の地蔵が並んでいる。

この醤油顔の阿弥陀は柳本に何体かある石棺仏の作者と同一石工の作だと思われる特徴が強い。

この傘堂より少し東へ入った右手の大木の下にも約20体の石仏群があり、今も毎日お参り絶やさないというおばあちゃんに逢った。

ここにもソース顔の阿弥陀と地蔵の双仏石が在って、南北朝のもの・・・。

古い町並みと小さな小川沿いにある大木、その根元にある小石仏はこの町のたたずまいに良く似あっている。

撮影2006.5.14

場所はここ


醒ヶ井の梅花藻(ばいかも)

2006年07月16日 | 風物:陵墓

 

昨日の土曜日、三連休の初日でも有るし、急に思い立って、滋賀県米原町に有る醒ヶ井まで梅花藻に花を見に行ってきた。

自宅からは,京滋バイパス、名神と高速道路を乗り継いで約1時間、名神米原ICを降り、国道21号線を右折、関ヶ原方面に約10分。車は醒ヶ井駅に隣接した駐車場に入れておく。

ここは、道の駅とJRの醒ヶ井駅との共有広場のようになっており、駐車料は要らない、ただし200円の協力金を求められるが応じるか応じないかは自由意志に任されている。

 

ここから徒歩10分、ここは中山道61番の醒ヶ井宿でも知られるところで、旧問屋場や資料館なども建ち並び、湧き水を源流とする清流が目指す梅花藻が自生する地蔵川。

 

 

梅花藻は五弁の小花で、キンポウゲ科の水生の多年草。一輪の大きさは1センチにも充たない小花だが、梅の花に似ていることから「梅花藻」と呼ばれています。

 

 

.清流でないと育たないと云われるだけあって、地蔵川は年中14度を保つと云う、羨ましい限りの澄んだ湧き水の川で、その清流に手をつけてみると、その冷たさに1分もつけっぱなしには、していられない。

今年は例年より水かさが高く、殆どの花は清流の中にあり、顔を出しているのは数カ所だけでしたが、いたるところで切花や清涼飲料水が浸けられ、一層涼を誘っています。

水面に花を出しているのは流れが緩やかで水量の少ない場所だけで、その多くは妖しいうつくしさの水中花、川の流れにその茎や葉とともに身を任せてゆらめく姿が幻想的で美しい。

背景に名神高速の防御壁が移りこむような交通の要所にありながらこの環境が守られているのはすばらしいことです。

撮影2006.7.15

場所はここ

 

 

 


湖南市 妙感寺地蔵三尊磨崖石仏

2006年07月10日 | 石仏:滋賀

滋賀県、湖南市(旧水口町)JR草津線三雲駅より山手に約2kmほどのところに妙感寺という古刹がある。

この寺は臨済宗妙心寺に縁のあるお寺で、京都妙心寺二世授翁が、ここで晩年を過ごし開基したと伝えられる寺です。

地蔵参道より見た妙感寺の佇まい。

裏山より流れる谷川沿いに約10分ほど登ると山から露出した磐を覆う、お堂が建っている。

このお堂の中に「山の地蔵」と呼ばれている地蔵磨崖石仏が信仰厚く祀られている。

お堂の正面のおおきな岩に約2mの舟形光背を彫りくぼめ、蓮華座の上に立つ像鷹1.7mの地蔵を半肉彫りにしている。

地蔵の左右には掌善、掌悪、の二童子が刻まれており、珍しい三尊形式です。

南北朝初期の形式が見られ、近江の地蔵石仏の中でも、大きさ、時代、共に貴重な石仏であると言う。

撮影2006.4.16

場所はここ。


山ノ神

2006年07月06日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 

奈良県東吉野村滝野集落入り口の,大きな杉の木に山道具のミニチュアが巻きつけられている。

杉の木の根元には小さな山ノ神の祠が祀られている。

ミニチュアはベニア板様の合板などがつかわれていて、確認できたものは・・・

カマ、ノコ、ナタ、クワ、オオナタ、それに何故だか魚???

多分鯛だと思われる魚・・・・。

奈良県の吉野といえば吉野杉が有名で、この辺りは、林業中心の地域なので

このように山ノ神が健在なのだろう。

さらに、ここから更に南に平野集落が在ってこの集落の入り口にも山ノ神のミニチュアの飾られた

縄が渡されている。

ここの飾り物にもやっぱり鯛と思しき魚が吊り下げられていた。

多分語呂合わせの、XXXXXしたい、XXXXに成りたい、などの意味でつかわれているものだろう。

ところで山ノ神は女性だと信じられ、機嫌を損ねてはならないと女性は、近づかないものだとされています。

妻のことをカミさんとか、山ノ神と呼ぶのは多分この辺りが出所なのかも???。

撮影2006.4.21

場所はここ


南山城村 大河原の十一面観音磨崖石仏

2006年07月03日 | 石仏:京都

国道163号線を木津川沿いに東進すると、笠置のトンネルを抜け木津川に架かる2つ目のの沈下橋を渡ると南大河原の集落が木津川沿いの道路の両側に軒を連ねている。

橋を渡った正面が恋志谷神社で、恋の成就を願う女性が訪れる所と知られている。

神社前で右折した道を5~6分走ると左側の岩盤にこの磨崖石仏を見ることが出来る。

右側木津川提の竹やぶや雑木が空を塞いでおり、昼なお暗い佇まいで石仏自身もかなり苔むしており、

おまけに道路脇にあって車の泥はねなどがかかるのか、かなり土塵にまみれている。

それでも手向けられている花は新しく、注連縄なども張られていて信仰篤い石仏であることが解る。

山から突き出た花崗岩の表面の高さ110cmの舟形光背を彫り窪め、像高95cmの長谷寺形十一面観音を半肉彫りしている。

天文3年(1534)の銘があり、室町期の造立。

撮影2006.5.6

場所はここ