愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良県生駒市 高山町の茅葺き民家

2013年04月30日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前回紹介の民家から200mも離れて居ず、棚田に囲まれた道路のドン突きに屋敷を構えて居る。

裕福な農家だったのだろう??・・・、蔵や納屋が主屋を囲む様に並んで居る。

東側の棚田に登って真横から・・・・、ここも大和に在って大和棟でなく入母屋造り。

煙出しは小さく、特段の意匠も無く、竹で編んでいるのが珍しい

四周には棧瓦葺きの庇を廻し、正面は改装されて居る。

玄関先は最近になって造られたような前栽(せんざい)で目隠しとしている。

これだけ屋敷が大きいという事は上級農家だったのだろう。

撮影2013.2.14


奈良県生駒市 高山町の茅葺き民家

2013年04月29日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良県生駒市、茶筅の生産で名前の知れた高山町で見つけた茅葺き民家。

昨日紹介の京田辺市打田(うった)西へ山を下ると奈良県生駒市高山の里・・・、谷間の棚田に囲まれ集落が点在する。

棚田を見下ろす山裾斜面にぽつんと建っていて、この上ない風情を醸し出している。

入母屋の主屋と傍らに納屋、表玄関先は狭いながら「かど」が有り屋敷への進入路脇には自家用野菜畑が有り、僕がガキだった頃の周りの景色そのまま・・・。

腰板紙張り障子の引戸玄関も・・・・、座敷の前の縁側も懐かしい当時のまま。

大和の北端に有って大和棟でなく、所謂普通の農家の匂いがする民家です。

前栽(せんざい)の生垣や松ノ木、僕の育った山城と何一つ違わない。

撮影2013.2.14


京都府京田辺市 打田(うった)茅葺き民家

2013年04月28日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京田辺市から奈良県生駒市へ最短距離で抜ける府道65号線沿い、打田(うった)集落にたった一軒残った茅葺き屋根民家。

京田辺市の最南西端、天王集落と尾根続きの集落で茶筅の主産地として知られた生駒市高山町と接している

集落は斜面に広がる棚田上の尾根台地に100軒足らずの民家が軒を連ねる。

トタン懸け茅葺き民家も10軒ばかり残り、懐かしい景観を残している。

打田集落を切り裂く様に突き抜ける府道65号線、集落中程辻に面して茅葺き屋根が残っている。

天王集落で見た茅葺き大和棟に瓜二つ・・、両袖落棟その下方には四方廻りの棧瓦庇。

棟頂部には棧瓦葺きの箱棟を乗せて居る。

ちょうど家の主人が居られ、今は「茶さじ」造る仕事をしていると言う事だった。

一昔前までは農家だったようだが・・・・・・、庭先はもう農家の佇まいを残して居なかった

母屋の屋根は裏に廻るとトタン掛け屋根となっていた。

撮影2013.2.22


京都府京田辺市 天王の古民家(トタン懸茅葺き屋根)

2013年04月27日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

前回、前々回と紹介した天王集落は、長屋門土塀の立派な屋敷がいたる処に有り、一昔前まではそれこそ茅葺き屋根の民家がその大部分を占めていただろうと思うほど茅葺き屋根にトタンを懸けた民家が目立つ。

もちろん茅葺き屋根には遥かにに及ばないが、経済的理由や諸事情によりトタン懸け屋根も致し方なく・・・、それはそれでまたひとつの美しい景観として記録していく意味が有ると思う。

南面斜面に密集して民家が軒を並べ、集落内斜面に軽トラックでも入らないような細く急傾斜の在所道が縦横無尽に走っている。

ここで育った人はさぞかし足腰が丈夫だろうと思ったり・・・・。

集落最上部、朱智(シュチ)神社への参道付近の民家

大きな大和棟の豪壮な造り、新築を建てるほどの資金をつぎ込み補修したのだろう???

見事な棧瓦葺き大和棟にも見える金属屋根が懸けられ。頂部には幅広い棧瓦葺きの箱棟が載せられている。

全面補修され、古びた良さは伺えなくなって居るが、茅葺き屋根の時はさぞかし風情が有ったことだろう・・・・。

独特な味がある大和棟にトタンを被せた民家・・・、屋敷に主屋と蔵が密集している。

集落上段で見かけた民家。

桁行の長い大きな入母屋茅葺き屋根に棧瓦風金属板が懸けられている。

入母屋の茅葺き屋根もこれだけ大きいと、さぞかし立派だったのだろう・・・・。

集落道が軒をかすめて通るトタン屋根の民家。

この規模が通常農家の入母屋茅葺き屋根・・・・、これだとトタン屋根と云う範疇

集落下段、在所道、角で見かけたトタン屋根民家。

小さいながら中々手の込んだトタン屋根を載せている。

しかし洩早温もりが消えた民家は荒れるに任されている。

街からそう遠くない距離でも・・・・・こうして見捨てられる民家も見かける。

景観だ風情だと言ってもそれは現実に生活する人にとって、其れ程重要では無いのだろう・・・・。

撮影2013.2.13


京田辺市 天王(てんのう)の茅葺き屋根民家-2

2013年04月26日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

天王集落に有るもう一軒の茅葺き民家。

朱智神社に続く在所道、集落上段を突き抜ける山手側に大きな屋敷が集中していて、その中にもう一軒の茅葺き民家も残っている。

やっぱり棧瓦葺きの落屋根を持つ大和棟の民家。

この家は全く留守で門戸固く閉ざしていたの門内に入っての写真は撮れません。

鋭角にも見える屋根の傾斜と白壁妻部の意匠が素晴らしい。

撮影2013.2.14


京田辺市 天王(てんのう)の茅葺き屋根民家-1

2013年04月25日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

南山城の山上集落、奈良生駒と大阪北河内と境を接する歴史的由緒有る古い集落。

集落の最頂部には朱智(シュチ)神社と呼ぶ古社が有り、「息長(オキナガ)氏」の祖「迦爾米雷王(カニメイカヅチノミコ)」を主祭神に・・・後桓武天皇の御代(781--806)に素盞鳴命(スサノオノミコト)を祀り朱智天王と称した事がこの地の地名として残っている。

歴史的にも地理的にも奈良生駒地方と強い繋がりを持つこの集落には相当な数の大和棟野茅葺き民家が残って居るがその殆どがトタン屋根に変わってしまったが、現在でも二軒の茅葺き屋根が見られる。

その一軒目、棧瓦の箱棟を載せた大和棟

外部からは納屋袖をもつ長屋門と腰板塗り壁塀に囲まれ、本体の茅葺き屋根は殆ど見渡せない。

門の前でそれと声をかけ立木の多い庭まで入らせてもらってバシャ・・・農家の佇まいを残した豊かな山村の民家です。

天王集落最上段に位置して、眼下一望に集落を見渡せます。

撮影201.3.2.14


京田辺市 大住(おおすみ)の茅葺き民家

2013年04月24日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

前日紹介の澤井家住宅の有る岡村の西隣村、大住東村で見かけた茅葺き屋根。

集落のちょうど中程、在所道の辻に面してこの茅葺き屋根の民家が建って居た。

元は農家だった様だが・・・・現在、敷地や庭先を見ていると農家では無い佇まい。

40~50年前、山城での茅葺き屋根は、これがスタンダード・・・。

入母屋茅葺き屋根に棧瓦葺きの庇。

棟が相等傷んで居るので、このまま茅葺き屋根で残るかどうかは?かなり危うい。

撮影2013.2.9


京都府京田辺市 澤井家住宅

2013年04月23日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

我が山城の民家で初めて重文指定を受けた澤井家住宅。

山城の中央部、木津川左岸域の京田辺市大住地区にあり、僕も遠い昔、二十代の頃に訪れ、今回の再訪でその変わりように暫し呆然自失の感を覚えた。

あの頃、建物は傷んでいたが、しっかり民家として機能しており、まだこの建物で生活されておられ、気軽に声をかけ案内してもらった。

現在、家人は屋敷内の小さな別建物で生活されて居り重文建築はすっかりセミの抜け殻、一見真新しく見える豪壮な茅葺き建築が記念館よろしく建っていて、昔感じた温もりは全く感じられ無かった・・・・・・、ちょっと哀しい現実。

2007年大解体修理を終えた澤井家住宅は、NPO法人「オフィス アマティ」として地域文化発信基地としての役割を担っており、どことなく敷居が高く成ってしまった。

澤井家住宅は京奈和道、田辺北IC近くの府道251号線、岡村集落の中心を占める位置にあり、ここを通る人は誰でも目の当たりにする。

集落内を突き抜ける府道がちょうど直角に曲がりくねる内側に広い屋敷を構える澤井家の独特な黒門と豪壮な茅葺き屋根が見える。

大名の赤門に対して、黒門は宮家の門とされ、澤井家と宮家の関係深さが偲ばれる。

門は二箇所とも固く閉ざされ、土塀と生垣で囲まれ外部からはL字型入母屋造(いりもやづくり)の茅葺屋根が見えるだけ。

澤井家は近江源氏の流れをくむ佐々木義賢の家臣であったが、戦国末期、慶長年間に大住に帰農、六代正清の時、「尼門跡曇華院」所領地の代官を務めた家柄であり、一般の農家とは異なり、皇族とのかかわりに由来する洗練された造りの住宅です。

黒門に正面を向け東向きに建つ主屋は江戸時代中期の元文六年(1741)建築。

外壁や外部材、庇瓦まですっかり真新しくなり古さ故の風情は無くなり・・・、ちょっとあっけに取られてしまいますが・・・。

こうして外部から、山城ではここでしか見ることの出来ないL字型入母屋茅葺き屋根を見ていると・・・、もう何十年も昔の澤井家そのまま。

又時間を重ねて古色を帯びる時期も来るのだろうが??

撮影2013.3.10


大分県中津市 羅漢寺橋

2013年04月22日 | 石塔:石造物

院内町から一山隔てた東向谷は、名勝「耶馬渓」として全国的に知れ渡り、その流れ、山国川に架かる石造三連アーチ橋です。

上質な石を産出するのか?歴史的にそういう技術を育んで来た土地柄か??概して九州は石造文化の発達した地域です。

ここ大分県中津市本耶馬渓町にも、石造五百羅漢や地蔵石仏の居並び圧巻の「羅漢寺」と言う岩窟寺院が在り、こちら特有のアーチ石橋も有ります。

元、羅漢寺への参道として建造された様ですが、現在羅漢寺へはこの橋を利用する事は無い。

長さ約90m、大正九年(1920)完工するも、難工事で完工までに二度の崩落事故を起こしたようです。

大分県有形文化財指定、現在は静かな水面に三連アーチを美しく写し出して居ますが・・・・。

又すぐ下流には耶馬渓を代表する名勝として「青の洞門」がある 

撮影2009.12.26


宇佐市院内町 荒瀬橋

2013年04月21日 | 石塔:石造物

院内では最も整った眼鏡石橋として広く知られて居るようです。

院内町の中心辺り、「道の駅いんない」から直ぐの、緑濃い恵良川峡谷に架かっている。

旧院内町では最も高い橋脚を持つ二連石造アーチ橋で、架設当時は有料橋だったと言う・・・。

懐かしい景観の民家脇散策路を川岸近くまで降りる事が出来・・・・

岸辺近くから見上げるように遠望する緑の中の二重橋も、それはそれで味わいが有る。

長さ47.4m、高さ18.3m、大正二年(1913)、当時の名石工として誉れ高い松田新之助の手に依り完工・・・。

架設から100年、現在も現役の橋として使用されていると有るが・・・・写真撮影中に車は全く通ら無かった。

近くに新しい国道橋が有るのに、誰もわざわざ遠回りする人など居ない。

撮影2010.5.2


宇佐市院内町宮原 屋敷の原(やしきのはる)橋

2013年04月20日 | 石塔:石造物

龍岩寺から国道387号線に戻る県道27号線沿いの院内川に掛けられた石造アーチ橋。

川の流れは現在では一跨ぎ出来る程・・・、どうしてこんな流れにこれ程の橋が必要なのかが良くわからない・・・、おまけに対岸に橋を必要とする人家など見えない。

一種の流行だったのか、はたまた石橋が地域のステータスになっていたのだろうか??

前回前々回のアーチ橋と同様式で、橋の側面は自然石の乱積・・・・・橋長約11m、大正7年(1918)の完工。

今では農耕車がたまに通るだけ。

撮影2010.5.2


宇佐市院内町大門 経座橋(きょうざばし)

2013年04月19日 | 石塔:石造物

 

院内町の名前の起こりである「龍岩寺」拝観の帰り道、門前から前の小川を見ると小さなアーチ石橋が架かって居た。

恵良川の支流の支流だろうか?ひと跨ぎ出来そうな程の谷川に立派な石橋が架かっている。

対岸には、たった2軒ほどの民家があるだけ・・・それだけのためにこれ程の石橋を作るのだろうか??

長さ9m、昭和25年(1945)の建造、前回の両合川橋と同様式で時期も近しい。

のんびり仄々を提供してくれる景観です。

撮影2010.5.2


大分県宇佐市院内町滝貞 両合川橋

2013年04月18日 | 石塔:石造物

もう今では農耕車でさえ通れない石橋・・・

この石橋は両川岸にある滝貞と小平の集落を繋ぐ必要不可欠な橋として大正末期に架設されたとか・・・・。

コンクリートジャングルに住む都会人には信じられないような長閑な景観、「日本の棚田百選」の小川に架かる小さなアーチ石橋・・・・・。

以前棚田のページでも紹介した「両合棚田」を背景に何ともお誂え向きに、細く清い流れの滝貞川を跨いでいます。

大正14年(1925)の架橋、長さ9.8mと、丸太橋でも済みそうな川幅なのですが・・・・・

アーチの部分は切石を堅固に組み合わせ上部は自然石を積み上げその景観も素晴らしい。

僕達が小学校の頃に習った「春の小川」そのものの情景・・・

もう「今は昔」そのものが現実に存在してる景観です。

撮影2010.4.30


宇佐市院内町斉藤 富士見橋/鷹岩橋

2013年04月17日 | 石塔:石造物

前回紹介の鳥居橋より恵良川沿いの国道387号線で遡ること10km弱、旧院内町の中心辺り、院内中小学校脇を過ぎ、国道500号との分岐を過ぎ、暫く田圃の中を進めば左手に「富士見橋」の案内板が見える。

富士見橋は、恵良川の旧道に架かり、現在新道の新しい橋が直ぐ上流に架けられて居るので殆ど使われることはない。

橋上から「豊後富士」と呼ばれる「由布岳」が見えることから「富士見橋」と呼ばれ、大正14年(1925)竣工。

三連石組アーチ橋で高さ14m、橋長約48m、宇佐市の有形文化財指定。

この富士見橋は建造中に突然崩落、石工「松田新之助」は私財を売 り払い、名工の意地と信念で翌年みごとに完成さ せたと言う、曰く因縁のある石橋だとか・・・・

富士見橋から上流へ約1km、国道387号線が恵良川を跨ぐが、その旧道に掛け渡されている。

院内の地名の由来でもある「龍岩寺奥の院」へと続く県道27号線との分岐点でもある鷹岩橋は、昭和3年、恵良川に架けられた石造単アーチ橋。

新造橋に沿って直ぐ上流に掛かって居る。

長さ約40m、高さ約16m、レンガ状の切石を積み上げ、牧歌的な景観に花を添えている。

宇佐市登録有形文化財指定。

撮影2010.5.2


大分県宇佐市院内町 鳥居橋

2013年04月16日 | 石塔:石造物

もう、相当時間は経つのですが・・・、国東へ石仏行脚の序でに寄り道した旧院内町の石橋の紹介。

宇佐市院内町は、大分県北部、周防灘に面した宇佐平野より九州の屋根「九重山系」に通じる中間点にあり、深い峡谷の多い地形に人々が暮し、 川が急流のため木橋では良く流されるため数多くの石橋が造られたようです。

九州に多いこのアーチ型の石橋は、ここ院内に集中して多く市町村単位ではその数全国一を誇ります。

そんな中、石橋の貴婦人と言われる「鳥居橋」は院内町を南から北に流れる恵良川の最下流に架設されたその名の通り美しい石橋です。

この鳥居橋は宇佐市街方面から国道387号線で駅館川を遡ること約15分足らず、宇佐別府道路院内IC入口の少し手前、駅館川に合流する恵良川の渓谷に掛かっている。

大正5年7月完工、橋長55.15m、橋高約14m、5連のアーチは古代ローマのそれを思い起こすほどに優雅で美しい。

昭和26年10月の「ルース台風」で水かさ12mを越え、町内の多くの家や下流の第2駅館川架橋までも流失したが、それでも鳥居橋は今まで残った。

付近の里山景観と相まって、まさしく「石橋の貴婦人」の何恥じない。

現在上流には新橋が掛けられ殆ど観光用と化しているがまだまだ健在。

撮影2010.5.2