左右六本づつの、幣を刺し挟んだ竹串を勧請縄の上に突き立て・・・
ここでは目と呼ばれるトリクグラズは、フジ蔓で円盤を造り、割り竹で籠目編みした中に杉の小枝を押し込み、縄の中心に吊り下げて居る。
縄は狭い境内のほぼ中央、コンクリートポールの勧請杭、幅約5mの間に懸け渡されて居る。
因みに以前にもここを訪れた事が有るのですが、前回は竹串に刺した御幣は付けられて居なかった。
撮影2014.2.25
左右六本づつの、幣を刺し挟んだ竹串を勧請縄の上に突き立て・・・
ここでは目と呼ばれるトリクグラズは、フジ蔓で円盤を造り、割り竹で籠目編みした中に杉の小枝を押し込み、縄の中心に吊り下げて居る。
縄は狭い境内のほぼ中央、コンクリートポールの勧請杭、幅約5mの間に懸け渡されて居る。
因みに以前にもここを訪れた事が有るのですが、前回は竹串に刺した御幣は付けられて居なかった。
撮影2014.2.25
水温む、二月の下旬、久しぶりに出かけた湖東・・・・・、野洲の田園集落で見かけた勧請縄。
野洲市須原集落の北端、小さな鎮守の木立を残す苗田(なえた)神社の石鳥居脇。
木立の股に竿竹を渡し、凡そ2mばかりの太縄を吊り下げ、中央にトリクグラズ、両脇の竿竹に三ヶ所づつ、都合六本の小勧請を下げて居る。
丸い大きなトリクグラズは青い葉の、杉の小枝を円盤状に整え、小勧請は細縄を束ね、下方に榊の葉、上部に白幣を付けて居る。
ちょっと小規模ながら、久しぶりに見た湖東の勧請縄でした。
撮影2014.2.25
今年初めて関西地方に春を呼ぶ雪のあった約一週間後・・・「旧室生村深野」を訪れた時、頭上高くに掛け渡される勧請縄が目に付いた。
<この写真のみ、2010.7.24>
勧請縄は深野集落の入口、上笠間方面より伸びる林道の峠。
眼下に集落や名張盆地を見下ろす峠の頂上、切通部両端の勧請木に掛け渡されていた。
細縄に小勧請が三ヶ所に吊り下げられた単純素朴な勧請縄ながら・・・・・、その長さは約10m、頭上はるか高くで集落を見守るかのように架けられていた。
小勧請の先端は蛇の頭を象徴するかのように結ばれただけの簡素さ、その、たった三ヶ所の小勧請に集落の想いを賭けている様にも感じ取れました。
撮影2014.2.12:2010.7.24
今年になって、縄が新しく新調されたので写真を前回ブログの上に UP、更新します。
今年の縄は去る一月五日、七人衆と呼ばれる人たちの手により掛け替えられたらしい・・・
近くで農作業中の人に聴いたのですが・・・昔はこの道が旧街道で、まっすぐ木津川の浜まで続き、浜から船で下流へ、町へと行ったらしく、縄の傍らにある灯篭は街道の常夜灯だったらしい。
まあとにかく新しいものは、やっぱり新鮮、どこか有難さも倍増している・・・
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ひょんなところで思いもかけない勧請縄に出逢って、本格的撮影は来春まで待つとしても忘れぬうちにUPです。
緑の松や樫の葉は既に茶色く変色、掛け渡された縄も相当疲れて居ますが、まだ原型をとどめています。
我、南山城旧加茂町井平尾集落は国道168号線が和束町方面に延びる府道5号線との交差点付近、和束川が木津川に注ぎ込む河口右岸の小さな集落。
その東端和束川右岸、菜切り橋対面に緑深い鎮守、春日神社が鎮座しその傍ら在所道両側に鉄製ポールを建て、道路を跨いで勧請縄がかけ渡されて居る。
縄は約5m足らず、3ヵ所に今や変色してしまった小勧請が吊り下げられ・・・・
縄の中央部上部には矢を整えた弓が天を射す様に設えられて居た。
古くはこの道が在所への入口であったのだろう・・・・。
今でもその名残を留める様に、集落の神聖な場所として勧請縄がかけ渡されて居る。
弓矢の設えられた勧請縄は近江に多いが山城、大和高原域では見たことがない。
撮影2013.6.4:2014.1.15
久しぶりの勧請縄は、我が山城の「和束町」に唯一残された素朴な勧請縄でした。
もう、このブログでも何度も紹介している和束町は、宇治茶の主産地、町は茶源?としてその風光明媚さを盛んに喧伝しています。
そんな茶畑に囲まれて散在する小さな集落の一つ、「白栖地区」の区長さんから情報を戴き出掛けて来ました。
白栖は和束町役場にほど近い、府道321号線沿いの斜面に、民家が点在する長閑な山里。
勧請縄は、集落の入口、石寺地区より続く旧道の切通し上空、崖縁の木と、対面登り坂のガードレール支柱に掛け渡されている。
縄は、直径約5cm、長さ約10m、その中心辺りに三筋の藁稭(わらしべ)を吊り下げ、中央上部に割り竹を突き立て、紙垂(しで)を付けている。
この辺は走りなれた場所、それでも集落と集落をつなぐ旧道に入り込む余所者など皆無、僕も近くまでは何度も来たのですが・・・この下を駆け抜けたことは無い。
飾り気の少ないこの勧請縄は一月五日、 「オコナイ」の一つとして、集落の古刹「毘沙門寺」で祈願、この地に吊り渡され、村内の安全と豊穣を願っている。
他の地域でも良く耳にする通り、この縄は集落で不幸ごとが発生した時、厄の元が早く集落から出ていくことを願って切り払われます。
単純素朴な分、余計に強く印象に残る勧請縄でした。
撮影2014.1.15
我が山城、木津川流域では殆ど見ることの少なくなった自家製苗代の花。
僕が子供だった頃にはどこの農家でも苗代を自分の田で作り、その水口には決まって赤いツツジの花と白い小手鞠の花に鎮守の護符を突き立てた。
これを見かけたのは木津川左岸、精華町の木津川堤防近く・・・・・、新興団地が目の前に押し寄せる水田地域
ビニール掛けの苗代に今様の紫蘭とウツギ
水口花は苗代に種もみをまく日に、その水口に神酒・洗米などと共にを供え、「田の神」の依代(よりしろ)とする農耕神事。
山城木津川流域は、自然が豊かで穏やかな分、苗代作りも田植えも随分遅い。
5月25日現在、まだほとんどの田圃には水が張られて居ない。
撮影2013.5.4
滋賀県湖北方面からの帰り道、国道307号線甲良町付近を走っていると、立派な石碑に「ヤッサの里」の文字・・・「ヤッサ」とは何だ?と急遽左折、金屋の集落へと入る。
金谷集落は湖東穀倉地帯の東北端、鈴鹿山系の山裾平野部に位置し、直ぐ北側に犬上川、直ぐ東側には名神高速が走り抜ける。
集落の北東端には金山神社の鎮守の杜がa あって、この神社で男児の出生を祝って行われる神事に供される飾りを「ヤッサ」と呼び、その神事を「千草盆」と呼んでいる。
金山神社といえば「金山比古神(かなやまひこのかみ)」と「金山比売神(かなやまひめのかみ)」を祭神とする鉱山や鍛冶の神、また一方子孫繁栄・夫婦和合の神としてよく知られて居る。
そんな事も有って、男児の出生を祝って行われる神事「千草盆」として伝えられているのかも??・・・。
社殿傍らには道祖神「ヤッサの神」が祀られて居るが・・・、良く分からない。
ヤッサの神は金山神社とは別物なのだろうか???
社殿脇、鎮守の杜の二本の杉の木に掛けられた「ヤッサ」と呼ばれる飾り物。
上の写真は11月末の撮影、下のものは8月7日「千草盆」神事が終わった直後、8月13日に撮影したもの。
千草で巻いた胴は高さ約1.6m、直径約30cm、野菜や花飾りを美しく賑やかに付けている。
上部で赤く見えるのはホウズキ、ユリの花や百日草、ダリヤなども見える。
「ヤッサ」は「野幸(やさち)」「家幸(やさち)」が転訛したものと云われ、子孫繁栄、五穀豊穣を願っての飾り付に相応しい。
東近江地方では、新春に勧請縄を付ける集落が多いが、この「ヤッサ」も「時期と名」を異にしていますが、良く似た性格の習俗です。
広い近江に有ってもこれと同じようなものは聴きませんが、どの地域であっても願うことは良く似たもんです。
撮影2010.11.27 /2011.8.13
ずっと前から気になっていた宇治田原町荒木の勧請縄・・・・・これでは見つからないはず、民家脇の石垣に植えられた小さな榊の根元に踞るように巻き付いていた。
ここが昔から荒木集落の入口だったのだろうか??
宇治田原荒木地区は町役場も在り町の中心地、今はバイパスの裏道と成ってしまった旧307号線が町中を東西に貫き、その中ほど山手側に軒を連ねる。
往時このちの山裾には山瀧寺と言う古刹跡が有り、現在も荒木公民館脇に建つ山瀧寺大御堂には鎌倉期の十一面観音が伝えられて居る。
旧307号線から山瀧寺大御堂への道を車で走ると見逃してしまいそう・・・・
最初の辻の左手奥側、これが勧請木かと?あっけに取られる程小さい榊の株元に藁縄らしきものや榊の小枝らしきものが見える。
荒木地区では「堂衆座」と呼ばれる座衆が、毎年持ち回りの当屋宅で作成、神官の祓いでここまで引きずり巻きつける。
勧請縄は長さ4m、太さ30cmのしめ縄を大蛇に見立て、此処では足と呼ぶ榊の小枝の小勧請を16本取り付けている。
大蛇の頭に見立てた勧請縄の根元を東に向け巻きつけるそうです・・・・・、それは太陽信仰の名残からでしょうか??
宇治田原ではこの他、禅定寺、岩山、糠塚の各集落でも行われる。
因に今では、こんな小さな榊の根元に巻きつけられて居ますが、その昔は、もっと大きな木があって、道の両側から掛け渡されていたのでしょうか??
撮影2013.2.11
昨日紹介した佐渡の「大わらじ」で、以前愛媛で見かけた大わらじの事を思い出したので忘れない内にと早速のUPです。
この奥、伊予大須の名古刹として知られた出石山頂上に建つ「金山出石寺」を訪れての帰り道、思わず出遭った大わらじ。
出石山の樹海を肱川方面に向けどんどん下って行くと突然眼下が開けて素晴らしい景観の棚田が見え
更に豊茂集落の中心部を越え、10分も下ると左手にこの大草鞋が立派なイラスト入り説明板と共に建てられている。
ここではイタズラ河童が「悪さ」をするのでと面白可笑しく昔話として紹介していますが、傍には肱川支流、大和川の渕が在り、川から厄や病はやって来るという山村集落の道切り場所に合致している。
集落に禍や病が侵入するのを食い止めるための民間信仰の道切りに違いないが、これだけ大きいとちょっと吃驚・・・・。
大わらじは幅約2m、長さ約5m近くも有る様なバカデカさでは、さしずめ人力だけでは吊り下げられそうにはない。
人力だけに頼ってた時代には、もっと小さな草鞋だったのだろうか??
撮影2010.9.24
関西でも勧請縄に大きな草鞋を吊るしたり、また日本海側の丹後但馬地域ではこのような大草鞋本体を「道切り」として信奉している。
佐渡島、本土側に近い小木港より国道350号線で島中央部西側の真野方面へ移動中に見かけた「道切り」の大わらじ。
国道が島内山並を越えて西側海岸線を走る大倉谷付近は小さな棚田が広がる稲作地帯・・・、棚田の向こうには日本海。
集落南外れ、道端の小さな梅畑に鉄製パイプに吊るされた大わらじ。
長さ約1.8m、幅約1m程か・・・・。
小さな集落をを抜け、右手笹薮を背にポールに掛けられた大わらじ。
佐渡では昔から「はりきり(春来)」の行事として正月に大わらじを造り「道切り」として集落の安寧を祈念してきた。
もちろん大きなわらじは全国共通の、「この村にはこんな大きな草鞋を履く男がいるから禍や厄病神は入るべからず」と言う笑い話・・・・。
しかしこの話はどこからこんな離島に伝わって来たのだろう??。
撮影2012.9.14
秋田県中央盆地部に際立って多く集中する藁人形道祖神は、福島県阿武隈山中や新潟県阿賀野川流域の小さな集落にも守られ伝えられている。
この藁人形はたまたま立ち寄った福島方面から日本海側に横断する国道49号線沿い、道の駅「阿賀の里」片隅に置かれた鍾馗様。
ここは新潟県東蒲原郡阿賀野町石間、この町では五集落で藁人形道祖神が守り伝えられると言い、この一体はどの集落のものか、はたまた観光目的のデモンストレーションの一部なのかは解らないけど・・・・。
簡素な覆い屋が建てられ真っ赤な幟と扁額には「鍾馗大明神」の文字、横の小さな祠は何だったのだろう??見落としました。
藁人形鍾馗様は高さ約2mばかし、頭上には二本の角を持ち、顔は白布に墨書き、藁筵で体躯を整え、腰に二本の木刀。
バカでっかい陽物をズドーンと前に突き出しています。
顔の割には精力絶倫??、まずは子孫繁栄かな・・・。
よく見ると藁鼻の下にもタマタマが二つ、まあまあ周到な事だと笑ってしまう。
この阿賀野町界隈では2月~3月、春に先駆け作られ、集落の一年間の安寧をなんでもかんでも託す様です。
撮影2012.9.16
秋田中央盆地を抜け角館を過ぎて国道105号線を北上すると深い山岳地域に入るが、田沢湖東側の谷筋に拓けた大仙市西木町上桧木内の藁人形。
同じ秋田県中央部の藁人形とは言え少し地域が変わるとその様相もこの通り一変してしまいます。
秋田内陸鉄道松葉駅近く、105号線からほんの少し右手集落側に入った辻にそれと解る看板がたっている。
辻正面に簡素な朱塗り丸太を組み合わせて造った稲荷大明神の鳥居があり、その奥の斜面へと登る粗末な参道をひとしきり登りきると・・
小さなお稲荷さんの祠の前、まるで真っ赤なピータパンがマントをいっぱい広げ、今にも飛び立ちそうな藁人形が立っている。
藁人形とは言えここまで来ると、それはもう案山子同然、牙を生やしたナマハゲ同然の真っ赤な面、頭に藁帽子。
両手を目いっぱい広げて菰のマント??体躯は藁製ですが細身で杉の葉で添えた体毛が目立ち過ぎ。
腰には木の枝の木刀・・・、ここでの男性自身は顔と同じで真っ赤に怒っています。
この地では鹿島様ではなく「仁王様」・・・・、中央盆地のものがここまで伝播して来たのでしょうか??この風習が始まったのは100年ぐらい前だそうです。
集落を見下ろす丘の上に立って居ますが・・・・最初からこの場所に有ったのかは判らない。
撮影2012.9.19
真新しい横手明峰中学校の脇、NET地図で見ると未だこの中学校はなく、田圃の真ん中の様に見える集落外れに覆屋を架けられ立ち尽くす鹿島様。
横手市街依り約10km、県道29号線を東進、横手盆地を縦断する雄物川近く、田園地帯の広がる田圃の真ん中に中に、つい最近建ったであろう横手明峰中学校の立派な校舎があり、そのグランド南脇の田圃の畦道に両手を大きく広げ通せんぼする藁人形が立っている。
高さ約2.5m、重さ100Kg程度にも為るというこの藁人形は、集落の田植えが終わった後に作られ、村の若者により担がれ、集落を一巡した後この地に立てられ祀られる。
頭にハチマキ髭面で睨みを効かせ、村や家に災いが侵入するのを防ぐよう大手を広げて通せんぼ、ここでは「厄立神 鹿島大明神」と書かれた標柱がたって居ました。
腰の大きなしめ縄には何本ものローソク・・・・、残り火が藁人形に燃え移らないかとちょっと心配になりますが??
ここの地区の鹿島様には何故か腰の刀も見えず、男の「イチモツ」も確認されず、ちょっと間抜けに見えなくもないけど大丈夫かな・・・・・。
撮影2012.9.18
木樽で作ったような顔を持ち、杉の丸太を輪切りにした笠と藁束を頭の載せて居る。
顔つきは髭を生やし、いかにも威厳ありそうに見せて居る。
大森町中の又集落は横手市街依り県道29号線を約20km、中部盆地から日本海側に抜ける山襞に有る鄙びた農山村地帯。
集落入口に当たる道路脇に簡素な地蔵堂だと思しき祠とこの「鹿島様」が集落の守り神として並び立っている。
高さ約3m足らず、内部を杉の葉で造り、茣蓙の羽織に茣蓙の袴、腰には藁の腰巻・・・やっぱり木刀を腰にさしています。
傍らに「加勢、鹿島大明神」と墨書きされた角柱・・・・・。
ここでは陽物を見ることができなかったが隠れているのかも。
乳部と臍になぞらえた俵蓋には何か意味ありげな「中」の文字・・・。
これくらい威厳があると集落の守り神として任せられるかも??
撮影2012.9.18
パイプユニットで組み立てられたいかにも俄作りの様な覆い屋の中で、大きく通せんぼするように両手を上げた、これは「鹿島様」
湯沢市街より北西へ約10km余り、雄物川沿いの横手市十文字町、田園集落「真角(まっかく)」の北端に立っています。
前回前々回紹介の湯沢市で見る鹿島様と瓜二つ、そのまま少し小さくしたような像容で田んぼの土手に立ち尽くしています。
像高2m余り、腰に二本の刀を差し、ひょろひょろ足の股間には
やっぱり男性自身が取り付けられ、厄除けと共に五穀豊穣、子孫繁栄・・・、なんでもこの「鹿島様」に託しているようです。
顔は菰の表面に墨で単純明快に書きあらわし、目もとパッチリの色男ぶり・・・。
正面には簡素なローソク立てが用意されていて、何本ものローソクの点けられた痕が残る。
この燈明は信仰の証として日々点けられているものだろうか???
撮影2012.9.18