愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

津市美里町穴倉(あなくら) 磨崖石仏/他

2013年11月30日 | 石仏:三重

伊賀市の東端、旧大山田村から布引山系、長野峠を越した旧美里村の小さな小さな磨崖仏。

旧美里村は布引山系東斜面、中間山地に小さな集落が点在、長閑な山里風情が間近に感じられる土地。

そんな穴倉地区のドン突き、別所集落への入口あたり、道路脇の脆い岩面上部に小さな磨崖仏。

殆ど目も鼻も定かでは無い木偶の坊、しかし何処か地蔵では無く阿弥陀の匂いがしないでもない・・・。

まだ次回行く時にも残っているかちょっと心配な磨崖仏です。

帰りざま、道路脇に立派な地蔵堂を発見・・・

覗いてみるとこんな田舎には中々立派な中型地蔵石仏。

舟形光背を背に、頭上に円頭光、ずんぐりむっくりの寸足らず、おまけに目も鼻も消え、ノッペラボウ・・・

しかしそれは地域の信仰が篤いしるしなのかも・・・ちょっと深く考えれば哀しい事かも。

撮影2012.4.1


津市安濃町太田 仲楽寺の六地蔵石幢

2013年11月29日 | 石仏:三重

三重県庁所在地、津市街地より北西に約5km、安濃町大田、仲楽寺に立つ六地蔵石幢。

安濃町大田は伊勢湾に注ぐ安濃川支流、美濃屋川岸辺に在り、豊かな穀倉地帯の一角に有る小さな農村集落。

集落の南辺、美濃屋川端に現在公民館と成って居る仲楽寺跡が有り、その片隅に六地蔵石幢が所在なさげに立って居る。

六地蔵石幢は高さ135cmの花崗岩6角柱上部の各面に舟形を浅く彫り、蓮台に立つ六体地蔵を刻み出して居る。

共に像高約30cm、頂部には六角庇のお椀型笠石を載せて居る。

小さく、風化摩耗も激しく像容も定かでは無いが室町期の造立とされ、ここの地方では珍しく貴重な文化財とされ、大切に祀られて居ます。

撮影2012.4.1


木津川流れ橋流失 その後の景観

2013年11月28日 | 街道街並集落 景観 

まるで鎮魂の墓標・・・・。

広い河原に立ち尽くす桁外れなオブジェの様でも・・・・

昭和27年(1953)の架設以来、もう20回も流れたと言う我が木津川の流れ橋・・・、ここ3年間はまるで年中行事の様に決まって流失。

<この写真のみ撮影2013.5>

木造橋として日本一の長さを誇るこの流れ橋・・・・、こうして橋として機能してる期間より・・・・

野晒し橋脚の方が見慣れてしまった。

今回は、この9月16日早朝、台風18号の異常増水により、その橋板は1枚も残らずあえなく流失。

又、半年以上はこの墓標にも似た河原のオブジェを見せ付けられる事と成ってしまった。

この橋脚が朱ければ、伏見稲荷大社の千本鳥居そのもの・・・

流れた橋板は荒れた河原に横たわり・・・・

橋脚は取り残された流れに影を落としている。

全長約350m、かっては時代劇ロケ地としてもてはやされ、チョンマゲ武士や岡っ引きがこの上を歩いたのも、そう遠い過去じゃない。

直ぐ下流には「第二京阪道」「国道1号線」の木津川橋梁、少し上流には第二名神道の橋梁工事も進行中・・・

しかしこの橋脚が哀しい墓標に成らない事を祈るが、再開してもまた年中行事の繰り返しでは・・・・。

撮影2013.11.22


大阪府交野市 私部(きさべ)の覆い懸け民家??

2013年11月27日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

北河内、交野市役所からほど近い住宅密集地に建つ壮大な屋敷を持つ民家。

周囲を長い土塀と・・・

長大な長屋門で囲まれ、外部からは主屋の全体像を窺う事は出来ません。

地元では代官屋敷と呼ばれ、この長屋門は長さ約56mも有り、民家では日本一の長さだとか・・・。

白壁と黒い腰板のコントラストが街並みを引き立てて居ます。

主屋は現在銅板葺きの様に見えますが、享保年間(1700年代初期)の建築当時から、そうだったのだろうか??

北田家住宅として、国の文化財に指定され、年二回の公開日にも内部撮影は禁止だとか??。 

撮影2013.4.27


大阪府枚方市 茄子作(なすづくり)の茅葺き民家-2

2013年11月26日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

昨日に同じく茄子作(なすづくり)集落にはもう一軒、茅葺き民家が残っていた。

ちょうど集落の鎮守「春日社」の杜裏手、小高い台地に立ち並ぶ家並に隠れる様に建つ大和棟。

茅葺き屋根の様式が、昨日紹介のものと酷似している。

ここ、北河内も奈良文化圏内だと言う事が一目で解る佇まいです。

しかしこの茄子作と言う地名の成り立ちが気になる集落です・・・・・読んで字の如しの成り立ちなのだろうか??

撮影2013.4.27


大阪府枚方市 茄子作(なすづくり)の茅葺き民家

2013年11月25日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

交野市と天の川を挟んで接する枚方市茄子作(なすづくり)の茅葺き民家。

茄子作集落は天野川左岸台地にあって、現在新興団地の街並みに埋もれてしまっているが、一昔前には豊かな農地囲まれ、長閑な集落だったに違い無い。

地域の中心には豊かな杜を持つ鎮守「春日社」が有り・・・

その参道脇、在所辻の角地に威風堂々、茅葺き民家が建って居る。

裏側を土塀、門口側には長屋門を配し、大和棟の茅葺き母屋が誇らしげに聳える。

正面左妻には長く突き出した棧瓦の落棟と小さな煙り出し館。

最近葺き替えられたのか?茅葺き屋根は凛として美しく、長い土塀とのコントラストも程良い。

古い集落の古い茅葺き民家、しかし周りを積み木細工の様な小さく派手な住宅に囲まれ、狭いこの付近にだけ昔日の姿を留めて居る。

撮影2013.4.27


大阪府交野市 「寺」の茅葺き民家

2013年11月24日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

交野市東方、山裾の棚田を背に「寺」の古い集落があり、その家並に隠れる様に国指定文化財の茅葺き民家が有る。 

交野市のHPでも、明確に非公開とされ、門は固く閉じられその屋根さえ見えず、全く中の様子を窺う事など出来ない。

田舎の民家だと、気軽に声を掛け、家人の話も聞けるのだが・・・・・・。

仕方なく何処か見渡せるポイントは無いかと徘徊、西側道路より家並越しの左妻。

裏側に廻ると、なんとかこんな様子で全体がほぼ見渡せた。

茅葺き屋根は、主屋正面妻側に一段低い別棟を継ぎ足した形で、造形的にも美しく珍らしい。

もっと良く見える処は無いかと棚田に登って撮影・・・・。

代々庄屋をつとめたと言う見事な茅葺き屋根、棟札より、宝永二年(1705)に建てられたと言うことが判っています。

視点を少しずらした家並の中にも、覆い懸けをした大きい茅葺き屋根が見えた。

撮影2013.6.16


大阪府交野市 倉治の茅葺き民家

2013年11月23日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

前回紹介、枚方市の南隣り、交野市野家並に埋もれる様にある茅葺き屋根の民家。

市街地の民家は何処でも同じように大きな屋敷を長屋門と大きな庭木、築地塀などで目隠して居る。

しょうが無いので屋敷の周りをぐるっと一周り・・・裏に廻ると空き地で小母さんが農作業・・・・、主屋の長い棟がこの家の家挌を物語って居るよう。

隣家の屋敷から見ると・・・・・・、何と、他からは見えなかった別棟が見え、少し棟をずらした離れ屋なのだろうか??

隣の家人の話だと、ここは大庄屋さんの屋敷。

この屋敷は現在住まわれていないようで、警備会社が管理されて居る様です。

今後どうなるのかちょっと気になる茅葺き屋根の庄屋屋敷です。

撮影2013.4.27


大阪府枚方市長尾 菅原の茅葺き民家

2013年11月22日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

大阪府最東端、我が山城、京田辺市と境を接する枚方市長尾に聳え建つ、大きな茅葺き大和棟。

家挌を示すような、黒壁横長の長屋門が主屋を隠して伺うことが難しい。

旧街道に沿う様に造られた土塀の一角より見た一枚・・・・長大な棧瓦箱棟の上には見事な二本の避雷針。

両袖を棧瓦の落棟とし、向かって右棟には煙出し館。

正面は茅葺きのまま残しているが背面は既に覆い懸け屋根に成って居る。

市街地の茅葺き屋根は、まるでステータスを示すデコレーションの役目も果たして居るかの様・・・・・。

撮影2013.4.27


山添村三ケ谷 多聞寺のショート地蔵

2013年11月21日 | 石仏:奈良

山添村三ケ谷集落、多聞寺境内脇の簡素な祠に安置されて居る地蔵石仏。

名阪国道、神野口IC下車、三ケ谷集落、在所道の小さな峠を越えた村外れ、明るく開けた境内に本堂と集会所が並び建って居る。

境内脇、小高い墓地の入り口、小さな祠に窮屈そうに祀られて居る。

地蔵石仏は大和文化圏では良く見かける像高70cmぐらいの定形地蔵立像。

室町後期の特徴そのまま・・・・、光背に銘があり、大永二年(1522)の造立。

元は旧道の峠にあり、道中の安全と足の仏として崇めら、今でも草鞋が供えられて居る。

「ショート地蔵」のショートは元あった峠の地名だという・・・・・・・・しかし、他でも聞いた事が有るカタカナの地名と言うのがどうも気にかかる。

撮影2012.3.25


旧阿山町川合 地蔵半跏石仏

2013年11月20日 | 石仏:三重

伊賀郊外、里山棚田地域の古い埋め墓に置かれた石仏さん達。

旧旧阿山町庁舎より、諏訪方面に抜ける市道近くの小さな丘に在り、申し分無い程の景観を独り占めにできる。

道路脇に車を停め、斜面をスタスタと登ればこの景観・・・・・、石仏好きには望んでも得られない景観。

六体地蔵を両脇に、小さな石造物も寄せ集め、中央には物珍らしい地蔵半跏像がある。

地蔵半跏像は低い基壇石の上に、磐座、蓮台、舟形光背を一石で刻み出し、蓮華座に半跏座する、右手錫杖、左手宝寿の地蔵を厚く刻みだして居る。

頭上には複弁蓮華文頭光背を戴き、雲模様を思わせる様な磐座に一歩乗り出す力強さを感じさせる。

ここは近く三集落の共同墓地、こんなローカルな地にあってもなかなか見事な出来栄え、おまけに半跏地蔵は物珍らしい。

像高108cm、鎌倉期の様式を踏襲した南北朝期の造立だとされ、伊賀市の文化財に指定されて居る。

撮影2012.3.25


旧加茂町北小谷 阿弥陀磨崖仏(おかめ地蔵)

2013年11月19日 | 石仏:京都

旧加茂町の南部山中、奈良県境に接する当尾地区は浄瑠璃寺や岩船寺との古寺と共に、石仏の里として全国的にも知られて居ますが、木津川岸の岩壁に刻まれた磨崖仏の事は地元民でも知らない人が多いほど・・・・。

おかめ地蔵と呼ばれるその磨崖仏の存在は知っては居たものの、場所の特定が出来ずに時だけが過ぎていた。

そんな折り、石友さんが場所を確定、行ってきたと言うので僕もおこぼれに預かり、訪ねて来た。

木津川左岸、恭仁大橋の上流、小谷集落の岸辺岩壁、それも殆ど人も寄り付いた形跡のない場所に佇んで居ました。

その昔、対岸の銭司の子供たちが渡し舟で学校に通ったという、川岸の廃道をなんとか辿れば・・・・・、出逢う事が出来ました。

磨崖横の木の枝にはゴミなどが引っ掛かり、増水時には、この磨崖仏も流れの中に身を任す様です。

岩壁上部に突き出した花崗岩の表面をならし、少し尻すぼみな舟形光背を彫り沈めた中、「おかめ地蔵」と呼ばれるものの、中肉彫り「阿弥陀立像」が刻みだされて居る。

来迎印を持つ像高60~70cm、寛永二年(1625)の銘が見え、江戸時代初期の造立。

穏やかな丸顔、川面を見続けるように佇む姿には阿弥陀や地蔵の違いなど関係無さそう・・・・。

本体の撮影は随分以前にしたのですが・・・・、今回の大増水でどうなったかと対岸の銭司浜に行って見たのですが・・・・

浜で釣り糸を垂らしていた老人の話では、子供の頃にには対岸からロープを掛けた渡し舟で毎朝学校に通っていたとか??

以前は見えて居た磨崖仏は、大増水で対岸の木がめちゃくちゃになり、今では全く見えない・・・・残念でした。 

撮影2013.2.17


三重県旧大山田 炊村(かしきむら)の覆い懸け民家

2013年11月18日 | 茅葺き屋根(同)三重県

三重県伊賀市郊外、旧大山田村炊村(かしきむら)で見掛けた覆い懸け民家。

木津川の支流、服部川右岸、水田地帯の真っ只中に特徴ある棧瓦の箱棟を載せた赤いトタンの覆い懸け屋。

程なく黄金に染まる稲田に白壁土蔵と錆色の赤が程よいコントラストを醸し出して居る。

一方、目を移すと黒いトタンの覆い懸け屋・・・・

こんな景観がいつまで見られる事やら・・・・しかし炊村とは意味ありげな地名です。

撮影2013.8.14


奈良市北村町 覆い懸け民家

2013年11月17日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良市の南端近く、京都府旧加茂町当尾地区と境を接する北村町で見かけた覆い屋懸け茅葺き民家。

岩船寺から柳生方面に抜ける近道、県道47号線沿いの奥入り山斜面に大きな屋敷を構える庄屋クラスの民家だろう??

何の資料の持ち合わせも無いが、大きい大和棟の主屋に、L字型に配した大きい切妻屋根の納屋が建って居る。

まだまだ充分住めそう佇まいながら、閑散と静まり返っている・・・・・。

この横長切り妻屋根の納屋が往時のままの茅葺き屋根なら、どんなに見事だったろう・・

少し斜面に登り納屋側から・・・

まるで、そのまま時代劇に出てきそうな屋根・・・・

こんな佇まいの民家は、喩え、覆い屋が懸かって居たにせよ、先ず出逢わないだろう。

やがて消えゆく物の刹那に見える美しさ・・・。

撮影2013.5.25


伊賀市西高倉  村境の地蔵石仏

2013年11月16日 | 石仏:三重

前回紹介、西山集落と東隣り村、西高倉集落の村境に立つ地蔵さん。

地図で確認してみると西高倉域内に有りますが、いずれにしても「村の外れのお地蔵さん・・・」。

二本の杉木立の根元、三角ニギリ状自然石に鏨痕の残る舟形光背を彫り沈め、単純素朴な地蔵立像を刻み出して居る。

まん丸幼顔に三等身・・・・・、まるで「おさげと花と地蔵さんと・・・」を地で行くような愛らしさと佇まいです。

撮影2013.3.5