この石仏さんに逢うのは苦労しました。
近くまで来ているはずだがまったく解らない、このあたりは旧集落よりも新しく開けた新興住宅が幅を効せて居るところ、聞く人ごとに解らないと答えられる。
横着にも車で行こうとしたことに無理があったようで、JR大和路線「たかいだ」駅から西へ細い道を200mほど行ったところに、旧高井田集落があって、細い道路が住宅街を抜けている。
この集落の中にある融通念仏宗、高井寺の門戸は硬く閉ざされていて境内に入る事は出来ないが、南側の塀に接して地蔵・庚申十三仏板碑・などが8体ずらりと並べられコンクリートで固められ、その中に大きな長方形の平板な石材に彫られた阿弥陀石仏がある。
高さ1.7m、幅1m、厚さ30cmの石棺材の表面に像高1mあまりの定印阿弥陀如来座像を薄肉彫りしている。
かなり風化摩滅が加わっているため衣紋の線はわからないが、穏やかな面相や裳架座と呼ばれる古式の台座などから藤原時代の造立だと言われています。
伝承によると「この石仏はもともとこの近くの小川の板橋として利用されていたものらしいが、ある時渡ろうとした馬が仲々前へ進まないので不思議に思って石橋を取り除き裏面をあらためると仏身が刻まれていた」という。
この高井田集落のある柏原市は大和川の北岸に当り、大和国から河内国へと抜ける所にあって昔から交通の要所とされていて、北岸域の丘陵地には総数200基以上と推定される大規模な高井田横穴古墳群がある。
撮影2006.10.14