愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

明日香 稲淵(いなぶち)の男綱

2006年02月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

明日香へ行ったついでに昔から見たかったこの勧請縄まで足を延ばしてみた。

 
稲淵は、あの石舞台の横を走る県道を飛鳥川沿いに、1kmほど上流へ行ったところに有る里山です。
 
飛鳥川をはさんだ山の対面から対面へとこの勧請縄が張られている。
 

稲淵の男綱は約50mその中央に鎮座するのは見た通りの男のシンボル。なかなかリアルに出来ています。
 
稲淵の綱掛けは近年は、成人の日に行われていて、見物人もかなり多いときいています。
 
 
見事に作られたシンボルに子孫繁栄と、五穀豊穣をねがい、その両側に、聖域を示す御幣が下げられている。
 
稲淵の男綱はこの上流の、栢森(かやのもり)の女綱と一対だと言われています。詳しいことはここから。

奈良市 南田原地蔵石仏

2006年02月27日 | 石仏:奈良


奈良市内から山一つ越えた山里田原、その南側に有る小さな集落が南田原



この南田原の墓地に通じる石橋のたもとにこの地蔵さんがおられる。
この小さい橋の向こうが南田原の墓地。



この墓地も、一歩踏み入れると古い墓地だということがひとめでわかる。

崩れかけた小さな石仏や石塔が無縁なのか、無造作につまれていたりする。



崩れかけた石碑の中に小さな地蔵さんがおられました。



墓地の向こう側には、この在所の公民館と小さなお堂がありました。

公民館はちょっとレトロな感じが郷愁をさそいます。



墓地の前の小川にかかる石橋にうろこ模様のような彫り刻みと、
奈良、二月という文字を見つけて・・・・・・・。



あれっ、これはどこかで見たことがあるなと・・・・。

東大寺、二月堂へ登る石段にも同じような模様が刻まれていたことを思い出しました。

二月堂の石段はここから。

二月堂の石段の模様はお水取りの練行衆が駆け上るときに滑らないように、刻まれているとのことでした。

なにか、なぞめいていて面白いなあと思ったり、子供のいたずらかなあ~~と、思ったり・・・。



この石仏像高73cm、建長年代(鎌倉時代)の年号の入った銘がある。

元は笠石が在ったらしく石のあたまに臍がある。

村のはずれのお地蔵さんは・・・と言う唄が懐かしく想い起こされるような佇まいです。

高取町 壺坂寺奥の院五百羅漢石仏群-2

2006年02月26日 | 石仏:奈良
山の斜面の岩という岩にはどこを見ても何らかの石仏が刻まれているという様でその量の多さには圧倒されてしまう。



江戸時代,慶長期(1600~)年ころの造立だろうといわれています。







まあ、よくもこんなに彫ったもんだと・・・・。

しかし、訪れる人もたまにしかないのだろうし、雑木や枯葉に包まれてしまって、すっかり苔むしている。



造様はあまりよくないが、十一面観音坐像のようにみえる。



とにかく、量の多さには驚きである。



十三体石仏が羅漢群の右手置くの岩盤のあちこちにきざまれている。



地蔵の左上部に見えるのは阿弥陀のように見える。



これも、十三体石仏の内の二体です。


高取町 壺坂寺奥の院五百羅漢石仏群

2006年02月26日 | 石仏:奈良
壺坂寺は、奈良県の高取町の山の中腹に有る古刹、西国六番の札所としてゆうめいで、千手観音を本尊とする観音霊場です。

寺の奥にこの奥の院五百羅漢石仏がある。

高取城址へ登る車道横に写真のような標識が見えるのですぐにそれとわかる。

例によって駐車場はありませんが車の止めるスペースは確保できます。



参道らしき山道を歩いていると町石が見られる。



参道らしき山道を歩くこと約10分ぐらいでこの石仏群に出会える。

婆羅門杉

2006年02月23日 | 風物:陵墓
巨木が2本並んで、山門のように石段の両脇で枝を広げているさまは、見事だとしか言い様がない。

この御神木の杉に生命力をいただき,本尊秘仏十一面観音様に願い事をし、て祈願護符を受け、再びすぎに手を当て願いを込めると大願成就するという。

しかし、祈願護符といっても誰も居そうに無いけどね。

婆羅門杉

2006年02月23日 | 風物:陵墓
本堂に向かって右側の杉は特に見事で、圧倒するような太さでした。大蛇がうねるように曲がりくねった太い枝も、迫力です。

幹周り7mといわれるが、実際の幹周はもっと大きいと思われる。

この鄙びた寺の佇まいが、一層、木の大きさと、それらの経てきた年月を際だたせている。

婆羅門杉

2006年02月23日 | 風物:陵墓
下之坊寺は、聖武天皇と天竺から渡来して東大寺大仏開眼供養の導師を務められた婆羅門僧正が作られたと伝えられる秘仏十一面観音立像を本尊にしている。

ここでいう、婆羅門僧正は実忠和尚の事であろうが、聖武天皇と実忠和尚が合作で仏像を作ったとはゆめの有る話ですが信じ難い。
その秘仏の十一面観音を見る機会があればぜひともお目にかかりたい。

婆羅門杉の名前は実忠和尚を、婆羅門僧正と言い伝えて来たことによるものだと思われます。

1991年の環境庁調査によれば、大きい方は樹高48m、幹周り700cm、もう一つが樹高43m、幹周り500cmとあるが、どちらの杉も実際の幹周はもっと大きいと思われる。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

実忠(じつちゅう、神亀3年(726年)-?)は、奈良時代の僧。

良弁に師事して華厳を学び、760年(天平宝字4年)目代となる。東大寺を始め奈良西大寺・西隆寺の造営に参画し、東大寺大仏光背の造作や、百万塔を収める小塔殿・頭塔(土でできた塔)の造営を行った。その後、東大寺少鎮・三綱のうちの寺主及び上座・造寺所知事などを歴任し、東大寺の実務面で大いに活躍した。東大寺二月堂の十一面悔過会(けかえ)(通称お水取り)は実忠が始めたものとされる。

著書には、815年(弘仁6年)一生のうちに自らがたずさわった事業を列記した「東大寺権別当実忠二十九ヶ条」がある。



婆羅門杉

2006年02月23日 | 風物:陵墓
「鄙びた山寺の入り口両側に、2本の巨大な杉がそびえる姿は絵になる景観で、特に向かって右側は圧倒するような太さでした。大蛇がうねるように曲がりくねった太い枝も、迫力です。

しかし、本堂を見ても、寺の名前はありません。

杉の木の掲示板はあっても、寺号も入ってません。

無住なのか??まるで荒れるに任せたように見えます。

後からわかったのですが、寺号は下之坊寺、しかし山号も宗派もわかりません。

本尊が十一面観音であることから真言系統の寺のような気がします。

婆羅門杉

2006年02月23日 | 風物:陵墓
名阪国道、福住ICを下りて北方向に約2.5Km進んだ所で左手にお寺に入る道があるのだが、案内標識は無い。

僕は、この寺の奥に有る、この里の埋め墓の迎え地蔵さんに会いに行く途中でみかけました。

あまりに凄い杉なのでいえに帰って調べて見ると色々わかってきた。

伊賀市 中之瀬磨崖石仏

2006年02月21日 | 石仏:三重
中尊は、阿弥陀如来立像で半肉彫り、像高2.76m 脇待は、各1.5mで線彫り。 中尊の阿弥陀の彫りと他の各線彫り石仏は明らかに違う。 阿弥陀如来は鎌倉時代の様式が見られるが、他は室町期以降のものであるようです。