愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

飛鳥坐神社のマラ石

2007年07月23日 | 石塔:石造物

飛鳥に行く度ごとに、いつも忘れて帰ってきていた飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)にやっと行って来ました。

ここの御田祭りはは西日本三代奇祭として有名で、 男女和合を象徴化した祭りとして知られていて、天狗とオカメが演じるそのさまは、見るのも憚る男女の夜の営みそのものズバリで、とてもオープンで開放的な日本の性信仰を伝えるものとして、民族学的にも興味深い神事です。

またここの境内にはそこかしこに棒状の陽石が並べられていて、男性の僕が見てもそれは圧巻。

社殿の脇には、陽石と陰石が並べて置かれ「むすびの神石」として信仰されているとか・・・・・。

本殿脇から奥社へと続く参道脇には注連縄の奥にづら~っとマラ石の列、自然石そのもののようでもあり、加工痕があるようにも見える。

奥社の祠の裏にはこれはまたここで1番大きく立派な陽石(マラ石)が祀られています。

このマラ石は加工痕跡があるように見えるのだが自然そのものなのだろうか???、形はかなりリアルで屹立していて、高さ約2.5m「奥の大石」という名前で呼ばれています。

また、小さな摂社の祠が立ち並ぶその床下にも一体づつのマラ石、みんなご立派。

こうして日本の古き神社にマラ石がこれほどたくさんあるということは、命の再生にこそ神が宿るものとして敬い畏れた、僕たち祖先の思いが伝わってくるようです。

命の再生神として、男女性器の信仰は、ごく自然のことのように思える。

撮影2006.12.23

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飛鳥の弥勒石

2007年07月16日 | 石塔:石造物

弥勒石と呼ばれ、下半身の病気に霊験あらたかだとして信仰されている飛鳥の謎の石造物がある。


その石は、さも石仏のように扱われているが、その実、石柱状の巨石で頂点辺りを全回紹介した「マラ石」のように丸く加工していて、直立していると仏像のように見えない事は無い。



飛鳥川の土手沿いに覆屋が設けられ、その中に安置されています。


堂脇には奉納された草鞋が沢山ぶら下がっていて、今もちゃんと信仰が篤い事を窺わせられる。



正面



背面


高さ2m、幅1m、奥行き下部で80cm。頂部の丸い部分は約50cmぐらいでわずかに目や口を思わせるような刻みこみが見えます。


条理制の境界を示す石柱だとも、飛鳥川の堰に使われていた石だとも言われていますがそれは誰にもわかりません。



飛鳥の里人はこうした石にも神仏を見出して崇めていたのでしょうか??
 
撮影2006.12.23


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マラ石

2007年07月14日 | 石塔:石造物

 


18禁、アダルト禁止に触れるかも知れない石造物、子孫繁栄、五穀豊穣を願って造られたものなのでしょう・・・・。



明日香にはこのて呪物が多く神聖なものとして残され、素朴な信仰の原点であり、命の輪廻転生の源である男根信仰は原始信仰の根源であるような気がします。


明日香石舞台古墳から、栢森へと続く祝戸集落にこの「マラ石」なる石造物が立っています。



これも明日香村にある謎の石造物の1つで、写真でもわかるようにかなりリアルな形をしています。



本来は勢い良くもっと真っ直ぐ垂直に立っていたと云われていますが、近頃は、初老の僕のように歳をとったのか勢いが衰え、斜め約45度で西を向いています。




このマラ石がいつからここにあるものかは解りませんが、明日香川をはさんだ対岸の丘は「フグリ山」と呼ばれていて、この「マラ石」の先端はそっちを向いていて、1対のものだといわれています。



「フグリ」とは♂のタマタマを包む袋のことですが、男根の対面にタマタマがあるのは、ちと拙い。


やっぱり元気に直立してると、まだ納得の行くものを・・・・・・・・・。


撮影2006~2007


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橘寺の二面石

2007年07月10日 | 石塔:石造物

 


かの聖徳太子の生誕地として知られている、明日香の橘寺の本堂南側に二面石と呼ばれる石像物が置かれている。



二面石はその名の通り、高さ1メートルほどの石の裏表両面に、顔が彫られている物で説明板によると、人間の善悪両面を石に具現化した物だと説明されており、一説には、原始的な道祖神だとも云われているようです。



寺伝によれば、北面を善、南面を悪とした「善悪二業一心所造」を表すと言われています。



善面



悪面


彫刻の手法が猿石などにも似ていることからこの石も飛鳥時代に製作されたものでは無いかと考えられていて、この場所に安置されたのは近世のことのようで、往古どこにあったものなのかは明らかではないようです。


しかしこの石がどんな目的で作られたのか?、どこでどのように置かれていたのかは、一切わから無い。


多分、寺の説明のような善悪両面をあらわしたものと言うのは、近世になってのこじつけのような気もするのだが??


こっちが悪面、そっちが善面だといわれてもどうも、どっちもほど遠いような??


撮影2006.2.25


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鬼の俎板(まないた)鬼の雪隠(せっちん)

2007年07月03日 | 石塔:石造物

 


しばらくこのページの更新をサボっていました。


画像は毎週のように溜まってきているのですが、整理や解説の書き込みが億劫になってました。




鬼の俎板


誰が名づけたのか??「鬼の俎板」、と「鬼の雪隠」。


欽明天皇陵横の、のどかな野良道をたどって行くと丘の上左手に少し奥まって「鬼の俎板」、と言われている石棺の下部石があって、道のがけ下には「鬼の雪隠」と呼ぶ石室の一部があります。




この大きな二つの石は、近くの欽明天皇陵の陪塚の石棺または石室が、何かの理由で崩れ落ちたものだと考えられています。


しかしこの地の伝説では、この後の山に鬼がいて、旅人や獣をとってはこの俎板の上で料理して食い、下の雪隠(トイレ)で用を足していたということになっています。



なにしろ明日香には面白い石造物が多すぎる。


撮影2006.12.23


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