愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

天理市仁興(にごう)町の勧請縄

2008年01月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


天理市は天理教の発祥の町として名高いが古くは万葉のころより開けた歴史のある土地です。


天理市街より、天理教の各施設が林立する中を越えて、旧国道25号線を山手に向かうと高度を上げて天理ダムのダムサイトに出る。


 


ダムの対岸へ伸びる国道を道なりに進むとやがて仁興町へと入る別れ道に出る。


信号もない枝道のように見える道路をしばらく進むと下仁興町の集落が見え始めその結界だと思しきところの両側にポールをたてその間に勧請縄がかけられている。



ここも周りを山に囲まれた静かな山懐の集落です。



道路はおよそ4~5mの幅、その頭上に素朴ながら縄が渡されていて、下げ飾り物は小縄に松葉の枝が下げられている。


この縄を越えて少し進むと、左手に九頭神社があってその脇にもポールからポールに勧請縄がかけられている。



これはこの先、上仁興町の勧請縄だということでした。


この縄も下仁興町のそれとほとんど同じ様な造りになっています。



以前は福を呼び正月を迎えるフクラシの木を飾ったそうですが今は入手困難になって」松の枝がこれにとって変わっているという。



ちなみに、フクラシの木とはソヨゴの木のことらしい。



また、天理のダムサイトから国道25号線と分かれて道を左手にとるとやがて天理市藤井町。



ここの集落の入り口にも長い勧請縄が渡されていた。


 


撮影2008.1.6


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五智山蓮華寺の五智如来石仏

2008年01月21日 | 石仏:京都

京都御室の仁和寺の隣にこぢんまりとした佇まいの「蓮華寺」1段高い岡の上にある。

門を通って、境内に入るとすぐ正面の「五智如来石仏」が目にとまる。

この寺は天喜5年(1057)藤原康基の建立と伝えられ、荒廃をくりかえし、寺は昭和3年に現場所に移されたという。

胎蔵界大日如来

五智如来石仏群は江戸初期の寛永18年豪商の樋口平太夫家次が木喰上人但祢の像立したものを安置、元は鳴滝音戸山にあったものを昭和33年にここに運んだものであるという。

薬師如来

宝生如来

弥勒如来(阿弥陀?)

釈迦如来

石仏は胎蔵界大日如来を中心に右より薬師、宝生、大日、弥勒、釈迦と説明されています。

像高1.2m、丸堀の堂々たる大きさですが古式石仏の様な迫力にはかけています。

いかにも江戸期の石仏らしい穏やかな顔付きで親しみがあります。

しかし石仏もこの時期まで来ると確かにつまらなく見えてくるのはどうしてだろうか??

どうも丸彫りなのに薄っぺらくみえてしまうのは僕の偏見だけなのだろうか??。

撮影2006.12.18

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苣原(ちしゃわら)の勧請縄

2008年01月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

奈良県天理市苣原は山の中。


天理市街から旧国道25号線を天理ダムの方へ、ダム湖のダムサイトにかかる橋を越えて最初に出会う集落がこの苣原町の集落。



集落の入り口、結界と思しきこの道路の頭上に渡されている勧請縄です。


ありきたりな太さの縄にここでは13本の下がり物が下がっていました。



前回の大淀町の下げ飾りと瓜二つなのですがここの青物は杉の枝ではなく松の枝になっていました。



この勧請場は昔旧街道があったと思しき場所にあって縄の足元には二体の磨崖地蔵石仏が冬枯れの草の中に埋もれて居ました。



新春のこの旧国道を行く車はまれですが頭上の勘定縄など誰一人として気にも留めてないようです。


撮影2008.1.6


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大淀町畑屋の勧請縄

2008年01月14日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

正月を過ぎたこの時期は勧請縄の架け替える時期にあたり、この山城、大和、河内、伊賀、甲賀、近江と駆け回っている。


ただただ今はまだこうして写真を撮って記録しているに過ぎない。


奈良県大淀町は橿原から国道169号線で壺坂寺のある高取町を超えて峠のトンネルを越えたところ、やがて桜で有名な吉野に入る少し手前の町です。



大淀町に入って程なく道路が2手に分かれて山側の道を行くとすぐに畑屋の交差点、このあたりには何もありませんが左手山手に伸びる細い道を行くとすぐに前方右の小川の谷から道路の上を跨いで長い縄がかけられているのが見える。



全長およそ100m以上もあると思われる長い縄で、ここが谷あいに点々と建つ畑屋集落の結界なのでしょう。



縄には子縄が吊り下げられ、それぞれ杉の小枝がつけられています。


縄の真ん中には少し形が変わって見える藁房のようなものがつけられています。


撮影2008.1.6


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本山寺の勧請縄

2008年01月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


正月明けのこの時期は彼方此方で勧請縄のつけ替えが行われる時期です。



今年初めての勧請縄は、去年断念した北摂山中、ポンポン山近くの本山寺の勧請縄です。


摂津、山城、丹波の境界に在って古代から聖なる山として信仰の対象となっており、


役の行者小角が修業の場として開山したとされています。



ここの勧請縄は1丁目の丁石のある石段の上の勧請門に架けられている。


長さ凡そ5~6m、樒(しきみ)の枝がびっしりと垂れ下がっているように見える。



ここは年明けを待たずに毎年、師走12月25日に架け替えられるそうです。


下げ飾りは12本でこれは殆ど何処もおなじ、しかし閏年には13飾りになるところが多い中、ここは閏年にも係わらずやっぱり12のままでした。



 撮影2008.1.4


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大沢池の石仏

2008年01月06日 | 石仏:京都

京都嵯峨野大覚寺はこの嵯峨野を代表する景観として訪れる人が絶え間ないところ、その昔嵯峨御所と呼ばれ院政が行われた所としてもよく知られ、景観の素晴らしいところから時代劇映画のロケ地としてもよく登場する。

境内庭園の東側に広がる大沢の池はその時代に作られた遊苑池で平安貴族の優雅な舟遊びが偲ばれる。

池の畔の護摩堂横に約二十体ばかりの古石仏が一列に並んでいる。

右側には右手に錫杖を持たない像高1mばかしの古式な地蔵菩薩、その左手の大きな木の株から顔だけ覗かせている如来石仏が有ります。

樹株の左側から、花崗岩に厚肉彫された像高1.2mの坐像石仏が六体並んでいて圧巻です。

薬師如来

釈迦如来

大日如来

阿弥陀如来

阿弥陀如来

左端が弥勒菩薩??

左端の一体は菩薩像ですが残りの五体は如来形で、右から薬師、釈迦、大日、阿弥陀、ともう一体阿弥陀の五如来で、四方仏を一列に並べたもののようです。

かなり風化が進んでいるものの鎌倉中期の造立と考えられていて、重量感と力量の有る石仏で、周りの景観ともよく溶け合っています。

撮影2006.12.16

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広沢の池十一面観音石仏

2008年01月03日 | 石仏:京都

この石仏は石仏自身の歴史的価値よりも、周りの景観と溶け合って醸し出す情感に得も言われぬ美しさを見ることが出来る石仏です。

京都嵯峨野の大覚寺・・・より、すぐ東側の広沢の池は古来観月の名所として知られた所でもありこの嵯峨野の風景を依り情感豊かに見せている。

ちょうど鯉上げが終わったばかりの広沢の池は水を抜かれ、その薄黒い沼底を鈍い冬の光に晒せていて、いかにも冬の嵯峨野の風情にピッタリでした。

池の西岸には篇照寺という平安時代の寺院が有ったらしく、池の中には観音島と言う小さな島も設けられている。

その小さな島に、この十一面観音石仏がはるか空を見据えるようにたたずんでいる。

石仏は像高1.6mに安山岩の丸彫、頭上には十一面の化仏、脇には千手を持っている。

寛永18年(1641)造立とあり、元々この地に有ったものではないようです。

しかしこの石仏には広沢の池と嵯峨野の景色がよく似合う。

撮影2006.12.23

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