天川村の中心地村役場の有る河合の交差点より県道59号線で十津川支流の天ノ川沿いにあの天川弁財天を過ぎ、南西進すること約15分,天之河沿いの小さな集落栃尾に着く。
集落の入口辺りには円空仏の幟がはためき誰にもそれと解る。
県道59から左折、天ノ川にかけられた橋を渡って観音堂の有る山裾に車を進めると駐車場も有り、近代的なトイレまで用意されていて驚き。
観音堂は質素ながら1.5間四方の高床素木のお堂、勿論開けっ放しのお堂はいつ誰が行っても参拝出来るように成っており,どこかの有名社寺の様に拝観料を採るでもなく管理人が居る訳でもなく、そんな処にはこちらはこちらで賽銭も弾みたくなるから妙なもんです。
この道路は何度となく通るのにここを訪れるのは今回が始めて、円空仏がこんな奈良の山奥の村に有るとは最近まで知らなかった。
この観音堂ではつい最近までこれらの仏像は弘法大師が一夜にして刻んだ仏像として信仰されてたようで、関西では何でもかんでもお大師さん、円空さんも草葉の陰でにが笑いしてたのかも・・・・。
観音堂の祭壇はガラスの扉が取り付けられてるものの真近まで寄って参拝撮影も出来る。
中央には聖観音立像137cm、脇侍は弁才天と金剛童子でそれぞれ約85cm、特に左端に祀られた御法神像は円空が初めて刻んだ御法神像として注目されているようです。
円空仏のあの荒々しい彫りに穏やかな微笑みをたたえてその特徴が良く現れています。
円空は生涯に12万体の仏像を彫ったと伝えられる。現存するものでも5000体を超えるといわれているが、その大部分は円空の故郷、美濃、飛騨地方で4000体を数えると言う。 円空はその生涯を山岳修験者として暮らしこの天川村の大峯山にも2度入山、越年修行の際に刻まれたものがこの栃尾観音堂に安置されたもの様です。
観音堂左手の斜面には円空お手植えだとする公孫樹が有って色を添えているようです。
撮影2010.11.20