愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

今里の蛇巻

2009年06月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 



前回紹介の鍵集落の隣、今里集落でも同じ日に蛇巻きの野神行事が行われる。


こちらは午後から準備に取り掛かり全て完了するのは長い夏の陽がとっぷり暮れる頃になってしまう。



鍵集落の蛇巻きをそこそこに切あげて、この今里の杵築神社と正福寺が立ち並ぶ神仏混交が色濃く残った境内まで来たところ、こちらものんびりしたものでまだまだ蛇縄の編みこみまでにも至ってなかった。



蛇頭を神社拝殿の柱に結わえ長い縄を何十人もの氏子たちが持って今年刈り入れた新麦藁を編みこんで長さ約18mの蛇体を作っていく。



出来上がるまで約1時間、見物人はすることもなくただただ眺めるばかり、これならもう少し鍵集落の蛇巻き行列に付き合っていたほうが良かったと少し後悔・・・・・。



蛇縄が完成して境内の端から端までに延ばされ女竹8組と樫の枝8本を完成した蛇縄に飾りつけて拝殿では神事が行われる。




ここでも農作物の豊穣を願うと共に男の子の成人を祝う農耕儀礼だとされています。


ここではこの集落にすんでいる12歳~15歳の男子を「頭持ち」と呼んでいてこの行事の主役とされている。



神事の間には見物人に蛇を形どった餅藁でワカメの味噌煮を結わえた賄いものが供される。


(僕の口には合わなかったけどね)



神事を終えた若者が蛇頭を担ぎ村中の各戸を1軒1軒廻り始める行列が動き出したのはもう四時・・・・、。



民家の玄関先に蛇頭を進め各戸ごとに「おめでとう」と掛け声をかけて回る。



ここの蛇頭は鍵集落の物ほど大きくも重くもなく行列はスムーズに運ぶ。



集落内を全て廻り終えた蛇は神社境内横にある榎木にここでは蛇頭を梢にまで持ち上げ巻きつける。



鍵集落では蛇頭が下で「下り龍」ここ今里では蛇頭が上で「上り龍」と呼ばれ、またどちらかを雄綱、どちらかを女綱と言う呼び方もするらしく、この二つは対を成すものだと考えられているそうです。


ここでは「蛇巻き」と云い・・・「上り龍」と云い・・・、蛇と龍は全く同じものです。



蛇が巻きつけられた榎木の根元には八大龍王の小さな石祠が在って、頭持ちの若者たちが造った絵馬(牛馬の)と農耕具のミニチュアが供される。





 撮影2009.6.7


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鍵の蛇巻き

2009年06月16日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


奈良盆地の平野部には蛇縄を作る野祭りが何箇所かの集落に残されている。


今回僕が訪ねた鍵集落は田原本町、「唐子鍵弥生集落跡」の有る地域として古い古い歴史の有る集落です。


この鍵集落の「蛇巻き」が旧暦の5月5(端午の節句)に近い現在では6月第一日曜、集落の鎮守、八坂神社を拠点に行われるというので出かけてみた。


これは子供から大人への元服の意味を込めたものと、稲作田植えの時期に恵みの降雨を祈り、五穀豊穣を願う野神行事がひとつになったものだといわれています。



八坂神社の境内にでんと据え付けられた頭でっかちの蛇です。


どうしてこんなに頭が大きいのかは疑問ですが、それはた多分にこの蛇頭を担ぐ少年が元服を迎えるに当っての力試し?、又大人の世界に入るためには「これぐらいを担げなきゃ」というテストの意味を込めての大きさ重さ??


藁束を何重にも重ねて作った蛇頭は重さ役200kgとか??(ほんまかなあ??)


正面には若葉をつけた木の枝を角のように飾って、蛇頭にしては細すぎる蛇縄は新麦藁で長さ約15m。



境内に神職が現れ恭しく祝詞をあげ、蛇頭、蛇縄にお神酒をささげていざ出発。


蛇は龍、龍は雲を呼び雨をもたらす農耕神、又蛇は男性自身でもあり子孫繁栄の象徴としても捉えられている。



ここでは蛇頭を担ぐのは今年17歳になる男子と決められているそうですが何処でも少子化の現在、この集落も例外ではなく、年長者の氏子の人たちも手伝っての蛇頭の引廻しとなった。


これは気の毒、もう台車で移動する日も近いんじゃないとか思いながら眺めていたが・・・・・。



後ろの蛇縄は子供達や氏子が持って引き合いながらの行列となるのだが蛇頭が重過ぎて、少し進んでは小休止・・・・・、気の毒。



若者の大人への仲間入りと五穀豊穣を願い、集落内の新婚家庭や新築家庭に立ち寄りおめでとうと挨拶して立ち寄り、集落内を一巡、最後には集落の西はずれの「はったんさん(八王子)」」と呼ばれる木立に蛇縄を巻きつけ納め膳を供えて神職ととも稲作,田植えの時期に恵みの降雨を祈る。


これだけを見てると、どうしてこれはこれでしっかり集落の入り口を守る勧請縄の役目も果たしているようにも見える。





ここ鍵集落の蛇は頭を地に置いて尾を上にして蛇縄を木に巻き吊るすところから下り龍と呼ばれ、隣集落「今里」の上り龍(後日UP予定)と一対をなすものだといわれているようです。




撮影2009.6.7


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大津市富川町の山ノ神

2009年06月11日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


琵琶湖から流れ出す瀬田川を下流に約10分、そこから信楽方面に又約く10分ちょうど、近江、甲賀、山城の境界に有る静かな山里集落です。



富川集落から、信楽山中に抜ける谷川沿いにこの山の神が祀られている。




川沿いに南面する斜面の雑木林に山の神場が設けられ、二本の常緑樹の間に太い蛇縄が渡され3箇所に藁飾りと裏白が付け下げられ、それぞれの上部には股木が縄を跨いで置かれている。



蛇縄は♂のシンボルそのもの、それを跨ぐ股木もオッタイ(男体)、それにしても解らないのは3箇所の藁飾りに三体のオッタイ。



山ノ神と3という数字の意味するものが解けない。





撮影2009.3.8



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甲津畑町(コウヅハタチョウ)の山ノ神

2009年06月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


東近江市 甲津畑町は旧永源寺町、臨済宗永源寺派本山の古刹、永源寺から一山、南へ隔てた谷合いにある集落です。


集落内には小学校もあって、かなり奥まったところにある集落にしては大きい集落です。


集落に北面する山の斜面に藤切神社ががあって森閑とした森に神さびた神域が広がっていて張り詰めた空気の漂う空間になっている。



たまたま、この神社には勧請縄がないものかと訪ねてみたのだが、勧請縄にはあえずに、この山の神に出逢えた。


ちょうど、ここを訪れたとき、氏子の当番さんが境内の清掃をしているのに出くわし、話をするうち勧請縄は大昔に中止になったが山の神はまだ


残っているというので、お願いして案内してもらった。



境内から社叢の中を約10分足らず、これはよそ者が探そうにも探しは出来ない場所に、この山の神場が在った。


少し、広く開けた、斜面の平地に大きな石があり、その傍らの杉の根元に写真のような大きな人形が重なりあって置かれています。


当然これはオッタイ(男体)メッタイ(女体)の交合を表しているがこれほど大きい物は見たことがない。



丸太に二本の枝をつけ目玉と頭上には写真のような印しをつけてるが・・・・・、何だろうか??


正面には供え物か?ビニールのカバーが掛けられていて、中身を伺うことは出来ない。



木偶に対面する木にはこれもまたビニールシートにくるまれた小枝と幣らしきものが結えられていた。



この辺りには旧道があったようですが今ではそれが沢になっていて傍らに小さな石仏が何体も残されていた。


撮影2009.3.15


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