愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良市 大平尾の茅葺き民家(追加撮影更新/11:09)

2016年11月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

 

 まさかこんな所に茅葺き民家が隠れて居るとは全く知らなかった・・・屋並の背後、深い木立の間を縫うように走る県道は良く通るが、屋並の有る事さえ全く気づかない程。

たまたま通った、山裾の田圃道から遠くに見えた茅葺き民家・・・このあたりなら大和棟が順当の筈なのに?周りの家を見ても大和棟は見当たらず、この茅葺き民家は寄せ棟の、どこか伊賀の匂いのする屋根でした。     

つい最近になって再度この付近を通る機会が有ったので、集落内から撮影してきました。

集落に接続する県道47号線からは深い山に隠れて集落の有る事さえ見落としてしまう山間部。

前方は斜面が急傾斜で小川の流れる稲田まで落ち込み、大きく視界が開けて居る。

屋敷は斜面に石垣kを高く積み上げ、平地を確保、その中、一番奥に茅葺き母屋、他に2棟の建物が建てられている。

 まだ暖は焚き火を使うのか冬に向かって薪が山盛り軒下に積まれていた。

撮影2015.9.24/2016.11.02


山添村  三ケ谷の茅葺民家

2014年12月19日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大和高原山添村、街中に建つ茅葺民家とは全く違って、いかにも民家らしい民家です。

名阪国道、神野口ICに程近い斜面上に30~40戸が散在する昔ながらの集落。

斜面を登りきると正面・・・、立派な茅葺き屋根の民家が冬枯れ菜園の向こうに見える。

街中と違って田舎では何の障害もなく、人と顔を合わせば一声かけて挨拶、用向きを伝えれば滅多に嫌な顔をされる事はない。

都会では全く考えられないような寛容さが嬉しい。

主屋は前栽(せんざい)を前に、立派な箱棟の伊賀型寄棟茅葺き民家。

両脇に離れ屋を持ち大家族が豊かに暮らして居るように見える。

やっぱり豊かな自然の中にある茅葺き屋根は生き生きしている様に感じられる。

撮影2014.2.12


宇陀市 室生古大野の茅葺き民家

2014年12月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

野焼きの薄煙に包まれ、かなり草臥れ果てた茅葺き民家。

旧室生村古大野・・・・現在古大野の地名は存在しないが、集落そのものはちゃんと存在している。

近鉄本線「室生口大野」辺りが旧室生村の中心地、そこから距離はそう離れてれないが、林道紛いの道を車で10分弱登り詰めた小さな山里。

そんな山里の集落道からも見えない山襞に隠れる様にこの茅葺き民家が建っている。

棟の傷みが酷いのかグリーンの防水シートを懸けて雨漏りを防いで居るのだろう・・・。

見たところまだこの母屋での生活は続いてそうだが・・・・このままで永くは続く訳が無い。

他にも新しい離家が建っていて困りはしないだろうから、この先すぐにでもちょっとヤバそう・・・

周りの景観と共に申し分ないのだが・・・・

撮影2014.1.23


宇陀市榛原赤埴 下志明の茅葺き民家

2014年12月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

この地域にはまだ数軒の茅葺民家が残っている。

ここは宇陀市の榛原赤埴地区、桜の名所「仏隆寺」から山裾尾根を挟んだ谷間に広がる棚田地域。

棚田を挟んだ農道から茅葺民家の屋敷を見渡すとこんな感じでなかなかの景観。

ここは集落一番奥入りの民家なので中々見付けにくい。

母屋の両脇に一棟づつ独立した離家があり、若い人が同居してるのだろうか??

たまたま、お邪魔した日は庭木の職人が入り、周りの手入れをしていた。

茅葺き屋根は棧瓦の片袖落棟の上に、両側切り妻母屋を載せて居る。

山間部に一軒隠れる様に建っているから残ったのだろうか??

そろそろ葺き替えの時期も近づいて居そうなのだがこの先どうなる事やら・・・・・。

撮影2014.1.23


奈良市 藺生町の茅葺き民家

2014年12月08日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

 

大和高原中央部、山蔭に隠れる様に屋敷を構える大和棟の茅葺民家。

名阪国道針インタ-より南に約2km、なだらかな丘陵の間に広がる農作地帯の一画・・・・少し離れた位置からズームアップするとこんな感じの山蔭。

正面側に近づくとこんな感じで、全く同じ場所を撮ったものとは思えないほど印象が違う。

やっぱり大和高原・・・昨日紹介の・・・・と同じく雪が残っている

建築自体はそれほど古くないのかも??落棟棧瓦屋根に煙出し館が見えない。

平入で正面を南西向に建っている。

 表には軽四トラックが停まっており、いかにも上級農家と云う佇まい。

腰板白壁土塀で屋敷を囲み、白壁土蔵や離れ家などなど、付属屋が4~5棟たっていかにも裕福な土地柄を感じる。

白壁土蔵越しの大和棟切妻が冬空に映える。

撮影2014.1.23


桜井市 小夫の茅葺き民家

2014年12月07日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大和高原、山里集落に残された大きな屋敷の大和棟茅葺き民家。

この民家が残る小夫(おおぶ)集落は長谷寺から都祁に抜ける山懐に散在する集落の一つ。

山里集落は斜面に沿うように建ち並び、茅葺の覆懸け屋も数多く残り、懐かしいふるさとの景観を彷彿戸させてくれる。

集落内の小夫天満宮には奈良県最古最大のケヤキの巨木があり、その歴史と共に驚異を感じる。

そんな集落外れに高い石垣を積み、周りを腰板築地塀で囲んだ大きい屋敷がある。

正面側に廻ってみると表は特定郵便局、いかにも山里の名家では多い取り合わせ。

屋敷内から見た正面母屋の様子・・・・4~5日前に降った雪が未だ茅葺き屋根に少し残り、氷柱が垂れ下がり、いかにも山里風情を倍加させる。

母屋は両高幣の絵に描いたような大和棟、切り妻白壁破風に棧瓦屋根の落ち棟がピッタリ嵌る。

撮影ポイントを少し変えて撮影・・・・・田舎ではこんな名家でも屋敷まで入って、家人と気さくに話し掛けられる。

これは一体なんなのだろう。

近くで見掛けた茅葺き覆懸屋・・・・最早「もぬけの殻」のからのような佇まい。

こんな覆懸屋も見かけました・・・・・なぜか皆懐かしい。

撮影2014.1.23


香芝市 鎌田の茅葺き民家

2014年09月19日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前回紹介の當麻とは直線距離にしてわずか2km足らず、良く似た大和棟の茅葺き民家です。

市街地とまでは言えないけれど、それなりの近郊地域の茅葺き民家は、やっぱりそれなりのステータスや財力の裏付けがある。

長屋門と白壁土蔵のこの民家は、奈良の地酒「金鼓」の「大倉本家」自宅兼事務所。

そう古くない長屋門には三輪の「しるしの杉玉」と、両脇には地酒 「金鼓」の薦被りが置かれている。

大きく、急傾斜大和棟は葺き替えられ、まだ間もないのか端正な美しさを保って居る。

相当手も入れられて要るのか??、遠目には建物自身もそう古い感じは受けない。

漆喰で固めた切り妻の白と、茅葺き屋根の年を経た濃茶色のコントラストが眩く映る。

以前、近く「竹之内街道」太子町で見掛けた大屋根の針金細工ミニチュア松ノ木がここでも見られた。

多分「火災除け」とか「家運隆盛」とかの呪いの様な気もするが・・・・・、誰か知っていませんか??

勿論前回の當麻町の茅葺き民家でも見られました。

撮影2014.9.13


葛城市 當麻の茅葺き民家

2014年09月18日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

葛城市當麻町、當麻寺近くの旧街道筋に残された旧「造り酒屋」の茅葺き民家。

古刹「當麻寺」の山門脇を右手に取り、古い集落を道成りに進んでいくと・・・

ちょうど道路が、くの字に曲がる曲がり角・・・・、高い腰板土塀を張り巡らした大きな大和棟の茅葺き屋根が見える。

屋敷裏側には造り酒屋当時の酒蔵を利用し、ステーショナリー&ギャラリー文晃堂として営業されて居る。

當麻寺から二上山、石光寺へと訪れるハイカーや観光客の休憩所としても人気が高い。

道路に面した正面玄関は固く閉ざされ、普段は全く利用されて無さそう・・・・(茅葺き屋根と棟続きに増築された新しい建物がちょっと煩わしい気がします。)

周りがどうにも建ち込み過ぎで他のポイントからは撮影出来ません。

少し離れた高台からロングで引いてもこれが関の山・・・・・大和棟の茅葺き屋根が美しさを一番際立たせる妻側、落ち棟の写真が撮れなかった。

撮影2014.9.13


奈良市 法華寺光月亭(旧東谷家住宅)

2014年09月02日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

あの光明皇后が開基、国分尼寺の総本山として君臨した法華寺(法華滅罪之寺)に移築された旧東谷家住宅。

平城宮阯の東外れ、法華寺集落の中心に伽藍が有り、その本堂背後に光月亭と名付けられた茅葺き民家がある。

この民家は元、大和高原東端域の旧月ヶ瀬村月瀬にあった東谷家住宅を移築再建し、現在では同寺の客間的に利用され、法事の振る舞いや総代会、茶室の控えなどとして使われている。

東谷家は地域の庄屋を務めた家柄ですが、簡素で深い寄せ棟葺き下ろしの茅葺き屋根、大和高原域を代表する農家住宅です。

 

現在奈良県の文化財に指定されている。

撮影2014.1.4

 


旧室生村 大野の茅葺き屋根

2014年08月12日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

この茅葺き民家も以前から何度も見かけて知っていた。

国道165号線、あの磨崖仏で有名な大野寺への進入路、宇田川の清流をのぞむ様にその端正な姿を見せて呉れる。

看板によると葛切りを食べさせるお店だそうですが??殆どお客さんを見かけた事が有りません。

勿論僕は土日以外に出掛ける事が多いからだとは思うのですが・・・・

小さな破風を持つ寄せ棟の茅葺き吹き降ろし屋根・・・・・こういう民家は何か特別な目的が無いと中々残される事がない。

この建物は元々この地に有ったものだろうか??

撮影2013.8.4


宇陀市 榛原の茅葺き民家

2014年08月11日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

国道165号線沿いで見掛けた民家が目に止まったので、ついついパチリ

宇陀市榛原山辺三の旧街道との交差辺り・・・

まるで茶室を思わせる様な瀟洒な茅葺き門・・・

その奥に鋭角に聳える大和棟のよく手入れされた民家・・・残念ながら鉄板が被せられている。

しかし今時、いくら小規模とは言え茅葺き門のある民家など稀有・・・・家人の趣味が窺われる様な揺るぎない景観です。

方や、すぐ近くで見かけた元茅葺き民家・・・・

鉄板を覆い懸けした民家も人が住まず、荒れるに任せた民家も多くなって来た。

撮影2013.8.4


桜井市 岩坂の茅葺き民家

2014年08月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

なんとも注文通りの景観の中に建つ茅葺民家。

これで電柱が写り込まなければ・・まるで一幅の墨絵の様にも見えます。

以前、付近の棚田景観を撮影に来てこんな処に茅葺屋根が残って居るんだと記憶の底に残っていた。

今回その時の記憶を頼りに訪ね当てたが・・・・・屋根の傷みが相当進み、もうかなり限界を越えて居た。

国道165号線、「初瀬街道」を橿原方面から東進、出雲の交差を右折、谷沿い道を奥へ詰めると・・・

こんな処に集落が・・・・棚田斜面にポツポツ散在する屋並・・・・・まるで絵に描いたような隠れ里。

付近にも、傾斜の強い大和棟が見えますが、残念ながら全て鉄板で覆い懸けされています。

残されたこの一軒は棧瓦の下屋に瀟洒な入り母屋の茅葺き屋根を乗せている。

綺麗に手入れされ、現在「奈良一刀彫」のギャラリーとなって居ます。

撮影2013.8.4


天理市 天理教教祖生家(旧前川家)の茅葺き屋根 

2014年08月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

天理教教祖、「中山みき」の生家、旧前川家の茅葺き大和棟。

天理教本部の有る天理市中心街より約南へ3km、三昧田(三昧田)信号の次の交差を右折すると左手に長屋門の有る大きな屋敷が見える。

ちょうどカーブミラーの有る細い路地が上街道(かみつかいどう)、付近の町並みは古い歴史を彷彿とさせて呉れる。

旧前川家はこの地の豪農、代々庄屋を勤める家柄、そんな家庭で生まれ育った教祖みきは、文化7年(1810)中山家に嫁ぎ、後天理教を興した。

現在屋敷は天理教教祖誕生殿と名前を変えているが建物はそのまま残され当時を良く伝えて居る。

流石に天理教教主の生誕殿、大和棟茅葺き屋根も下屋もしっかり手入れが行き届き微塵の揺ぎも無い。

多分信者にとって、ここは聖地なのだろう・・・・

取ってつけたような酷いデコレーションが無かったのは嬉しい。

撮影2014.7.24


奈良市 旧都祁村の茅葺き民家 

2014年07月25日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

ヒメジョオンの咲き乱れる向こうに大和棟茅葺き民家。

国道369号線、都祁吐山、山裾枝道を棚田を見下ろす高台に詰め登るとこの景観。

集落を進む在所道からは全く見えず・・・・以前にもこの辺りには来ているが気付かず終い。

斜面下部からは石垣積みの大きな納屋だけが目立って、奥の茅葺き母屋は全く見通せない。

つま先上がりにどんどん奥に詰めると大きな大和棟が目の前にある。

もうこの奥に民家は無く、もはや手入れを放棄した手付かず畑が広がるばかりで、撮影ポイントもこの1箇所だけだった。

撮影2014.7.12


奈良市 針町の茅葺き民家

2014年07月24日 | 茅葺き屋根(同)奈良県
 
 
旧都祁村もすっかり探し果てたと思って居たのに、茅葺き民家がまだ残って居た。

 柳生、山添、都祁は大和高原の大いなる田舎、田舎好きの僕には堪らない場所です。 


 大和高原の中心地??、名阪国道針IC近く、集落の家並に埋もれる様に大和棟茅葺き民家が残って居た。
 
名阪国道が直ぐ脇をすり抜けているのに、今まで気付かなかったのは背の高い遮音壁のせいだろう。


 見るからに骨組みもしっかりしていて、建物にも古さは感じ取れない・・・・たぶんこれは昭和期に新築された建物では無いだろうか。

茅葺き民家が急速に姿を消す中、茅葺き屋根も良く整備が行き届き揺ぎ無く見える。 
 
 
しかし裏側屋根はしっかり覆い懸け屋に成っている。
 
でもこれは深読みすれば、当分現行の茅葺き屋根を守り続けると言う証なのかも??

撮影2014.7.12