愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良県桜井市白木の勧請縄

2009年05月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

忘れないうちに取敢えずUPだけはしておこう。

ここを訪れたのは4月4日、春の長雨が降りしきる土曜日の午後。

桜井市といえども市街中心地からは山道をたぶん1時間近くもかかるのではないかと思われるほどの山の中。

名阪国道針インターから南西方向約15km、集落が途絶えたと思ってから林道を約10分ばかし走った山の斜面にこの白木の集落がある。

白木、何やら新羅を思わせるような名前で興味をそそらせるのですが、まだ何も調べてはいません。

集落のはずれの高台に高籠神社があってその参道だと思われる両側の大きなクヌギの大木にこの勧請縄がかけ渡されている。

かけ渡されてかなりの時間が経つのだろう?かなりくたびれてしまっていて、吊り下げられた藁飾り等もあまり定かではない。

来年、初頭の楽しみに取っておこうかな??、しかし雪が降るととても行きつけそうにはないような気もする??

撮影2009.4.4

MAP


伊賀市白樫、岡八幡宮の山ノ神

2009年05月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


白樫は前回紹介した法花集落より山城よりの隣集落。


現在では近くに名阪国道白樫インターがで出来近くには工業団地も進出している。


この集落の岡八幡宮は鎌倉鶴岡八幡宮の末社で



源頼朝が 戦勝し日本全土を平定した暁には、鶴が岡八幡宮末社を全国六十余国に建立すると誓い、第一番を伊賀国にとの神意を受けて勧請された神社ですが、頼朝の没後その計画は中止され、岡八幡宮が最初で最後の末社となったようです。


なぜこんなにも遠く離れたこの地が第一番目の末社なのかは調べていませんが・・・。



それゆえか、この小さな里山集落の神社にしては珍しく今でも勇壮な流鏑馬神事が執り行われています。



神社本殿の左手には尺殿明神と呼ばれる祠があって山の神がまつられている。



祠の下段には大注連縄がかけられ、上段の祠の中には自然石に彫られた山の神、その前には二体の「ふくらそ」の木股で作られた木偶、木偶には夫々に♂♀の顔が描かれ


粗末な衣装も付けられている。



脇に置かれていた一昨年の木偶



こちらは昨年の木偶


もちろん♂のシンボルは立派なものですが、残念ながら♀の方は衣裳の中を覗き込んでも何の細工もありません。


これは往古伊賀の開拓の神、伊賀津彦と伊香津姫の姿に似せて作られているもので、男女交合を基として縁結びの神としても慕われているようです。


山の神と男女の交合、命の再生産は切り離せない古代信仰なのでしょう。


民間信仰はどこかに必ず、この命の再生産が見え隠れする。


撮影2008.4.20 2009.2.8



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伊賀市法花(ほっけ).応感神社の山ノ神

2009年05月21日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


伊賀地方の中心地、上野市外から旧R25号線で奈良方面へ、名阪国道の大内インター近くの花之木小学校前で右折、法花地域へと続く市道をしばらく走ると朱塗りの大きな鳥居が見える。



この辺りが口法花、中法花と続いての奥法花と呼ばれる長閑な里山集落で、応感神社は鳥居の辻から集落内まっすぐに突っ切った最奥の山肌斜面に鎮座している。



集落のドン突が神社境内への100段近い急な石段になっている。



割り拝殿をくぐって本殿脇に回ると山肌に、山の神場をしつらえている。



山の神には勧請縄が掛けられ種々の藁飾り(藁細工)や、股木などが吊り下げられていてにぎやか極まりない



先端に石をくるんだ縄、藁苞、藁団扇のように見えるもの、縄を巻いた輪を吊下げた物等々、それぞれが股木の枝に付けられている。


それぞれには名前もあって、ちゃんと意味もあるのだろうが部外者の僕にはわかるべくもない。



歴然としたオッタイ(男体)メッタイ(女体)は無いものの、その全てが♂♀のシンボルに見えなくもなく、また、これほど多種の呪具のあるところも珍しい。


これが伊賀と近江の違いかなあ??と思ったりもする。


撮影2009.2.8


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土山町、旧畑集落の山ノ神

2009年05月18日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


甲賀市土山町は、東海道53次の宿場町のあるところとして良く知られている。


滋賀県最東端にあって三重県の亀山市と県境で接している。


旧東海道のある南土山とは国道1号線を挟んでいるが、その昔は宿場の背後の集落として存立していたのだろう。



現在は行政の合併が激しく、今は北土山と言う名で呼ばれてるこの地域は、小さな集落を4~5集めて作った名称で、この山の神を見つけたのは畑集会所のある近く。


その昔ここは畑と呼ばれていた集落、旧土山町役場の近く、永雲寺の門前に道路を隔ててケヤキやヒノキなど5~6本の木立があってその中心あたりに山の神と彫られた自然石が建てられている。



このあたりでは集落の中に山の神場がのあることが多く、湖東や湖南で見かけるような股木の木偶は見かけない。



石塔の前の木立には勧請縄が掛け渡され、その真ん中あたりには立派な俵のような陽物がつり下げられている。


伊賀方面から甲賀にかけてはこんな形の♂のシンボルを良く見かける。



縄は蛇、蛇は♂自身で中央にあるのはフグリと言うことなのだろう???


撮影2009.3.8


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大津市、新免の山の神。

2009年05月15日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

新免の集落は県道108号線、田上中学校の対面、緩やかな斜面に広がった集落です。

大戸川に注ぐ吉祥寺川沿いの小道を登っていくと立派な不動堂あって、中には磨崖の不動石仏が祀られているようですが扉には鍵がかかっていてお目にかかるチャンスに恵まれません。

これから少し先を進むと、そのあたりは新免の古墳群だという。

山の神はその入り口に当たる辺り、山道わきに柱石で壇を造り、三体の石神??(石仏では無く)を祀る。

石神の両側にある雑木に細い竹竿を渡し、縄を付け、縄の編み目には神の幣突き刺している。

左側の木立には縄と割り竹で造った妙な形をした呪具、同じく藁苞の陽物がつり下げられている。

このような形の呪具は今までに見たことが無い。

これはいったい何を意味するものだろうか??まさか陰物では無いだろうが???

まさか、ひょっとして藁苞の敷物だったりしたのだろうか??

正面の三体の石神にも縄を巻き幣を付け、石壇にはやはり三体の木股で作った男体の木偶が供されている。

どうもこの山の神は三と言う数字にこだわっている節が見受けられるが、まったく部外者にその意味を知る由もない。

辺りには小さな四角の紙の幣をつけた割り竹が無数に突き立てられていて、これは山の神を導くしるしでも有るのだろうか??

近くの古墳だと思われる小丘にも同じく無数の割り竹が突き立てられていて重要視されていることが窺える。

山ノ神の祀りについては小さな集落単位で少しづつその形態が違っている。

撮影2009.2.14

MAP(アバウトな位置です)


滋賀県大津市枝の山ノ神

2009年05月12日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


大津市枝は、いわゆる湖南アルプスのふもとに広がる田上(たなかみ)地域内にある集落のひとつですが、新興住宅が結構多く建ち並んでいます。



住宅街を抜け、湖南アルプス太神山上にある不動寺へと続く道路を行けば右手山裾にこの山の神場がある。


道路からはまったく、それらしきものは見えないし、当然のことのように何の案内板も無い。



それは、山の神が決して観光資源でもなければ興味本位の物見遊山で見物するものではなく、地域の人たちの民間信仰(自然崇拝)の場であることの証でもあり、よそ者が立ち入ることは決して好まれるものではい。


勿論僕はよそ者なんですが一応近くの人に声かけをして了解を得ました。



田んぼのあぜ道を抜け、山裾の林に入ると山の神場までの道の両側には紙の幣を突刺した竹串が転々と並び、神場まで続いている。



正面には単体としてもまったく見劣りしない勧請縄画掛けられ、横手の神木には立派な男性自身を突きたてた股木のオッタイ(男体)が立てかけている。



ここではメッタイ(女体)の姿は見えなく、非常に狭い地域間によっても、少しづつ変わっているのが興味深い。


祭祀の後の粗末な祭壇は残っているものの供物は何も残っていなかった。


撮影2009.2.14


MAP 


 


日野町,杉の山ノ神

2009年05月10日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


日野町の東部丘陵地域は鈴鹿山系の山裾に広がる長閑な里山風景の中にある。



県道188号線沿いにいくつ物小さな集落が点在していて、杉集落の東はずれにある大屋神社は古来、杉杣庄と呼んだこの地方の産土神であり式内社です。



そんな大屋神社から200mほど東方の県道脇に小さな木立の杜があってこの地域の山ノ神の祭祀場になっている。


ここはこの県道を通ると誰もが気づく程、特異で目立つ場所です。



小さな杜の中は昼でも薄暗く、二股に分かれた神木の根元には太い縄(勧請縄)が巻きつけられ、ここでも一つの大きな藁苞(わらづと)と股木で造られたオッタイ、メッタイがその脇に置かれている。



他にも藁苞の陽物は神木脇に打ち棄てられるように葉の無い枝に結ばれているて、その数凡そ2~30個、これだけ数が多いというのは各家庭から持ち寄っているのかも知れない??


この地の山ノ神神事は烏喰神事(おとぐいしんじ)の形式を踏襲した珍しいものだそうです。


撮影2009.1.17


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栗東市上砥山の山ノ神

2009年05月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


滋賀県の湖東や湖南の山に関係の深い地域では山ノ神神事が現在でも色濃く残っていて非常に興味深い。


湖東湖南地域の山ノ神神事の特徴として男女の股木人形と「ふんぐり」「ふんどし」などと呼ばれる陽物を模したワラヅトの供物。



栗東市上砥山は市街から南方行へ約10km足らず、金勝山へと続く歴史深い里山集落ですが,近くの山々は中央競馬のトレーニングセンターやゴルフ場に変わり、その宿舎などが林立、静かな里山風情は見るべくも無いが山ノ神神事は絶えることなく続けられている。


上砥山の山ノ神神事は毎年旧暦の1月1日から7日に掛けて行われという大掛かりなもので、6日目の夜には股木で作ったオッタイ(男体)メッタイ(女体)と呼ぶ男女両神の嫁入りと呼ばれる神移しが行われ、オッタイ(男体)メッタイ(女体)の両神は合体して祭壇に置かれるようです。



上砥山には2カ所の山ノ神場があるようですが今回見られたのはそのうちの一つ、トレーニングセンターの宿舎の建ち並ぶ公園脇に少し残った小さな林の中にある山ノ神場の物です。


この場所は山の神を祭るにはまったく似つかわしくないように思うけど、これも世の流れ・・・・・、しかしチグハグ感は否めない。



小さな林の中に石柵で囲まれた檜の神木が在って、その根元に菰と篠竹でしつらえた素朴な祭壇があり、中央には股木で造ったオッタイ、メッタイが合体して置かれ、脇には2個のワラヅト、又酒樽を模した竹細工。



昼間から見るのも憚るような具象的な形態では在るけれど、五穀豊穣、子孫繁栄の象徴として祈願されているという。


オッタイがメッタイを背後から突き上げているように見える姿に思わず失笑せざるを得ないがそれは不謹慎この上ないことかも??


(メッタイの顔が見えないから、多分向き合っているようだが??)


撮影2009.2.14 


MAP


(山ノ神のMAPに関しては敢えて、場所の特定をしていません。参考程度の位置です。)


長野市大岡 芦ノ尻道祖神

2009年05月04日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

何年か前にNETで始めて見かけた この芦ノ尻道祖神の姿は僕にとっては驚きでした。

ここ何年か近畿地域の勧請縄を追いかけてあちこち廻って来ましたが、信州の道祖神は同様の性格を持つ民間信仰の様です。

芦の尻集落は僕が愛用しているマピオンBBのウエブマップでもその存在すら確認できない辺鄙な山中です。

たまたまGW前の仕事を前倒し、ちょっと早めの連休を信州の「ドサ周りに旅」と洒落込み、この芦ノ尻の地も訪れれてみた。

前日に泊った千曲市戸倉上山田温泉から7時半に出発、途中姥捨の棚田に寄り山越え山越え、この地に着いたのは8時50分

まったくの馬鹿ナビ任せの運転なので、これが早いのか遅いのかはまったく見当もつかないし、どの辺りに居るのかも凡そ頭に浮かばない。

因みに正式住所は長野市大岡丙芦ノ尻、しかしこんな山の中まで長野市だとは驚き、国の意向とは言え何でもかんでも合併合併では、辺鄙なところはどんどん切り捨てられていくような気がしてなりません。

ここまでの国道403号線と県道12号線は良く整備された道路でまったく運転は苦にならないが雪の時期にはきっと大変何だろうと思ったりする。

県道が集落へ下る峠横に小さな木立があってこの地方では何処でも見られる二十三夜塔、庚申塔、道祖神などの石塔を集めて祀っている。

県道に背を向け、はるかかなたの残雪をかぶった北アルプスを眺めてでもいる様にそれぞれの石塔に藁細工の装飾を施している。

中でも異様で特別なのが道祖神石塔に施された人面装飾で、毎年1月7日に造り直され、「神面装飾祭」と呼ばれているようです。

信州の道祖神といえば男女抱擁型の微笑ましい石像と決まりもののように思っていましたが、このような異様な形相の藁面がどのようにして形成されてきたのか興味深いのですが、意外に歴史は新しく明治の初期だそうです。

この装飾に使われている藁細工は正月に集落の各家庭で飾られていた注連縄が使われ、一年間、悪霊や疫病より集落を守る守護神とするという。

この地はかって集落への別れ道であったようで、傍らの松の木間には素朴な勧請縄も掛けられ道切としている。

もとは各戸の注連縄を下ろし、どんど焼きに持ち寄った注連縄のリサイクルのちょっとしたアイデアから始まったものなのかも知れない??

撮影2009.5.2

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